第三話 グラン公爵

 城塞都市ケフェウスの執政官ロズワルド・グランは、皇帝筋の妻を娶り公爵を名乗ることを許された数少ない男だ。重要拠点であるケフェウスは、彼の政治手腕なくしてはあり得ないとまで言われている。

 また、五十近い年齢ながら、未だに帝国一の剣豪と呼ばれるほど、彼の剣は伝説になっていた。

 そんなロズワルドではあったが、ここ一、二年ほど悩みを抱えていた。


 リーン王国との折衝である。正確に言えば、リーンと繋がる内部との折衝といった方がいいだろう。

 ケフェウスは長い間、リーンとの国交を暖めると同時に拒絶の象徴でもあった。しかし、過去の戦いは既に知る人も少なく、もっと開かれた交流をすべきだという改革派の意見が世論を浸食し始めたのだ。

 アウストラリス帝国とリーン王国は過去の条約により、お互いの地位と利益を害することなく、共に発展していくことを目指してはいたが、それは表向きであることは誰もが知っていた。

 南の国であるリーンは鉱物資源の多い国として各国と貿易をして利益を得てはいるものの、鉱物は有限でいつか尽きてしまう。しかし、作物は手入れさえすれば、同じ土地で毎年実りを得ることができる。それ故に、リーンは肥沃な土壌を持つアウストラリスの土地を喉から手が出るほどに欲しがっていた。

 それは人間の根底に流れる飽くなき欲求であり、何物にも代え難いものだった。


 リーンとの開かれた国交を!と叫ぶ改革派達は、ケフェウスの千人壁を壊すべきだと主張してやまなかった。もちろん、皇帝がそれを認めなければ、話はそこで終わるが、既に長きにわたって平和な関係が続くと危機感は麻痺してくる。

 ロズワルドは、ケフェウスがあればこそ、北の脅威である神聖ライエ国のみに集中できると主張していた。しかし、改革派は友好国であるリーンとの国交がもっと開かれたものになれば、帝国内はさらに安定すると主張していた。


「まったく、面倒な連中だ」執務室でロズワルドは大きなため息をついた。

 ケフェウスを治めてから二十年、彼はその地位を確固たるものし、皇帝一族の末席にすら加わった。彼は元々、それほど出世欲が強い方ではない。さしたる領地も持たない男爵家の跡取りとして生まれ、剣の腕を磨き、そして親衛隊に入った。

 ここまでは、帝国内でも珍しい話ではない。   

かつてのケフェウスはまさに辺境の地という呼び方がふさわしいほどに荒れていた。

 ケフェウスの東西には‟氷の山脈”と呼ばれる、中部の‟清き雲の山脈”よりも高い山々がそびえ立ち、中腹部分から上は氷に閉ざされた世界である。何人もの酔狂な者がこの山脈の頂に挑戦したがそのいずれもが帰っては来なかった。もっとも例外はある。

 山脈は鉱物資源の宝庫で、魔族と呼ばれる人々が暮らし、不可思議な力を持つ魔石で剣を作っていた。魔族の姿をはっきり見た者はいない。高い山々に暮らす彼らは、麓に降りることもなく、毛皮を着こみ、顔を覆って眼だけを覗かせるという奇妙な恰好をしていたからだ。

 ロズワルドがケフェウス統治に派遣される直前まで、両国の小規模な戦闘は続いていた。表向きは野盗や山賊の縄張り争いという名目ではあったが、魔族が武器を供給し続けることで戦いに終わりが見えなかったのだ。

 両国は武器の供給源である魔族を生贄として一掃することで、戦いを終わらせる決断を下す。


 アウストラリスは手始めに、当時ケフェウスの建設と統治を行っていたヨリフィス伯爵の罷免を決定する。ヨリフィス伯爵はリーンとの戦い当時からいる古参の重臣ではあったが、自らの部隊を山賊に見立てて戦いを引き起こしていた張本人の一人でもあった。

 戦いに力を入れていたヨリフィスは、ケフェウスにいる労働者にまで軍事訓練を行っており、その強制行為は多くの人々から不満を買っていた。

 しかし、ヨリフィスは十代前半で初陣を飾ってから数十年、戦いに身を置いてきた屈強な戦士でもある。

 五十歳を超えてなお、衰え知らずの巨大な体躯に、大剣を二本同時に使いこなすその様は、戦神という異名を持って恐れられていた。

 そんなヨリフィスに罷免を知らせ、帝都へ連行する役目を任されたのが、当時、親衛隊随一の剣士と言われたロズワルドである。

 ヨリフィスが罷免を受け入れず、帝都への同行に応じなければ処刑もやむなし、との命令も受けていた。

 帝都の使者として、ロズワルドを迎え入れたヨリフィスだったが、自分を連行するのが爵位も持たない青年であることに不満を抱く。ヨリフィスは愚かな男ではなかったが、二十歳という年齢差で考えれば、ロズワルドの実力を試してみたくなるのも無理からぬことだった。


 かたや戦神と呼ばれた百戦錬磨の老獪な剣士、爵位も持たない親衛隊の一兵卒…ケフェウスの軍事訓練場で行われた決闘は、ロズワルドの名声を一気に高める伝説となった。


 それから二十年、ケフェウスは彼の政治的かつ経済的な手腕によって、かつては辺境の地と呼ばれた面影を潜め、リーンとの交易都市として大きな発展を遂げていた。

 しかし、皮肉なことにロズワルド自身が最後の戦乱を治めたことで、二十年の月日はリーンとの戦いそのものを過去のものに変えていた。そのため、国内の若手の改革派は活動的になり、同調するかのようにどこの派閥とも組織ともいえぬ不穏分子も動き始めたのだ。

 アウストラリスは代々、優秀な皇帝によって治められてきた。しかし、傑出した能力を持ったからと言って、すべてがうまくいくとは限らない。現皇帝のアウストラリス四世は若干二十二歳で皇帝となったものの、その若さゆえに政治的伝統を嫌い、変革を求めた。

 その結果、若手の貴族を登用するあまりに、改革派と呼ばれる者たちが台頭してきたのだ。

 ロズワルドは、若手たちが政治に関わることを受け入れられても、極端な考えで動く者たちを苦々しく思っていた。

 その為、真っ先に槍玉にあげられるケフェウスを守るために、彼らを納得させるだけの材料を有り余るほどに揃える必要に迫られていたのだ。


 執務室の扉が三度叩かれ、執事の声が響いた。

「ロズワルド様、ガフィーノ公爵様がお出でにな…」執事の声が終わる前に、扉が開かれ男が大股で入ってきた。

「よう!ロズワルド、相も変わらず小難しい顔をしているな!」

「オルフェス、来るなら先に連絡をよこせ。出迎えくらいするぞ」ロズワルドは立ち上がると親友を迎えた。


 男はオルフェス・ガフィーノ公爵。

 現皇帝の祖父の第五男であり、前皇帝が選ばれる前は、最も皇帝から遠い男という不名誉なあだ名がついた。

 癖のついた長い髪を束ね、庶民が着る大雑把な装飾の服を好み、酒と美女に弱いが剣の腕はロズワルドと互角とまで言われた、豪放磊落な性格である。

 ロズワルドとは剣術学校との同期であり、常に剣の腕を競うことでいつしか親友となっていた。


「それで、アルフィルク領からわざわざやって来るとはどうしたんだ?」ロズワルドが質問した。

 オルフェスが統治するアルフィルク領は、北の神聖ライエ国との国境を治める最重要地方であり、ケフェウスとの距離は馬を使っても一カ月半近くはかかる。

「なんだよ、つれねぇなぁ。アルフィルクはまだ雪が残ってるんだぜ?ライエなんて未だに雪かきしてるだろうよ。それに、俺の右腕は俺がいなくてもテキパキとやってくれてる」

「ファローが優秀なのは知っているが、過労死しないことを願うよ」ロズワルドは、帝都でオルフェスの隣にいた冷めた目をした女のことを思い出した。

「そうさ、あの女はよくできたやつだ。もっとも、俺の好みじゃないってのが、唯一の欠点だ」

「お前の好みだったら、寝る間もなくなる」

「下品なやつだ」

「うるさい。それで?」

「せっかちな奴だな。カイルが剣術学校を首席で卒業したんだろ?祝いの品を持ってきた」

「そんなことで、わざわざやってきたのか…呆れた奴だ」


 未だに独り身のオルフェスは、ロズワルドの長男カイルを幼い時から可愛がり、何かにつけては祝いの品をくれていた。

「おいおい、親友の息子を祝うってのは、俺にとっちゃでかい話なんだぜ?どうせ、お前は剣を贈るだろうから、俺はひとつ夜の街でもってよ」

「よしてくれ」ロズワルドはうんざりした。親友とはいえ、とにかくオルフェスの女好きが息子にまでうつってはかなわない。

「冗談だよ、冗談。俺からはアルフィルクで獲れた鹿肉の燻製を贈る」

「ほう!それはいい。あいつの好物だからな」

「そうだろ?それで、カイルはまだ帰ってきてはいないのか?」

「予定では三日後だ。親衛隊の実地訓練で、バレンスタイン商会の旅団警護士として戻ってくることになっている」

「バレンスタイン?口利きしたのか?」

「まさか。私がそんなことするものか。偶然だよ」

「だろうな。それならいい」


 バレンスタイン商会は、ケフェウスで最も大きい商会である。主にリーン産の鉱物を買い付けで大きくなり、その後は帝都で仕入れた海外からの品物をケフェウスで売るなどしている。


「おじ様!」執務室の扉が再び開いて、女の子が飛び込んできた。

「おお、エリス!」オルフェスは目尻を下げて、彼女を抱えあげた。

 ロズワルドの十一歳になる娘エリスである。

「少しは色っぽくなったと思ったが、まだまだだなぁ!」オルフェスが豪快に笑うと、エリスはムッとした顔をした。

「オルフェス、あまり妙なことを言うな。まだ、子供だぞ」

「おいおい、女性ってのはな、男が思う以上に成長が早いもんだ。エリス、これをやろう」オルフェスはエリスを降ろして懐をごそごそと探ると、薄紅色の髪留めを出した。螺鈿で蝶が装飾されており、窓からの差し込む日の光できらきらと光った。


「ありがとう、おじ様!すてきだわ」エリスは目を輝かせて受け取った。

「なに、いいってことよ」

「すまんな、オルフェス。エリスはもう下がりなさい」

「お前は髪が長いからなぁ。ちゃんとまとめないと痛むぞ」

「うん。ねえ、おじ様。アルフィルクはまだ雪が降っているの?」

「もう降ってはいないが、まだ少し残っているぞ」

「オルフェス」ロズワルドが呼んだ。

「今度は雪を持ってきてよ」

「雪かぁ、そいつは難しいなぁ」

「オルフェス」

「なんで?溶けてしまうの?」

「そうだ。すぐに溶けてしまうんだ」

「オルフェス!」

「なんだよ、うるさい奴だな!」 

「おじ様とわたしが話してるの!」

「お前ら…毎回このやり取りは面倒なんだぞ。エリス、お前は下がってなさい」

 エリスとオルフェスは仲がよく、子供のいないオルフェスは特に彼女を可愛がっていた。

「…はーい」エリスは口を尖らせて、渋々と部屋を出て行った。


「俺とエリスの仲を裂くとは、ふてぇ野郎だ」

「お前なぁ…ほかに話があるんだろ。何があった?」ロズワルドは真剣に聞いた。オルフェスの性格上、本当に祝いだけのためにやって来たという可能性もあったが、ーカ月以上の移動時間を考えればやはり、それは割りに合わない話だった。

「何もない…と言いたいがな。少々、面倒なことが起きかけている」

「珍しいな」ロズワルドは少し驚いた。オルフェスは確定的な要素がなければ、滅多なことで動かない。豪放磊落な性格と言われてはいるが、ロズワルドからすれば、それはオルフェスの表面的な印象に過ぎない。そうでなければ、前皇帝もライエを抑える地方に彼を据えたりはしなかっただろう。


「魔族だ」オルフェスはぼそりとつぶやいた。

「なに?」

「魔族だよ。お前が二十年前…いや、お前だけじゃないな。当時の親衛隊の最大の作戦だった魔族殲滅戦で、奴らは消えたはずだよな」

「…あまり思い出したくはないが、確かに殲滅した、と確信している」ロズワルドは苦々しげに答えた。

「信じられないことだが、神聖ライエで復活した。奴らはもう一度、戦争を起こす気だ」

「馬鹿な…」ロズワルドは絶句した。ヨリフィス伯爵を決闘で下した後、ロズワルドは自らが所属する親衛隊と共に、魔族狩りを行った。

 親衛隊は皇帝を守るための部隊だったが、帝国軍の中で最も厳格な規律と連帯能力で高い戦闘能力を有していた。

 魔族は神出鬼没で規模も不明、魔石で作られた武器を作るという以外は知られていない。そういった性質上、失敗は許されず、それ故の選択肢が高い統率能力を誇る親衛隊の作戦遂行だった。


「俺たちもリーンも、奴らを利用して裏切った。ライエの神官ルカウスを知っているか?」

「噂には聞いている。かなり切れる男らしいが詳しくは知らん」

「ライエが政治的決断を神託で行っているのは知っているだろう?神託といえば聞こえはいいが、実際には神官たちによる決定でしかない。ルカウスは若干二十五歳という若さで十二神官の一人にまで上り詰めた男だ。こいつが魔族の保護を決定したらしい」

「しかし、魔石がなければ何もできんだろう」

「おいおい、忘れたのか?魔石を発掘できるのも連中だけだぞ」

「そうだったな…だが、ライエにいたのでは手出しもできん。皇帝陛下にはお伝えしたのか?」

「いや、まだだ。もっと問題がある。帝都の改革派の連中にライエと深く繋がっている奴がいる。誰かはまだわからん。しかし、ライエは確実にそいつを介してリーンと交渉しているはずだ。ケフェウスが無くなれば、我が国は確実に両国に蹂躙される。なんとしても計画は阻止しなければならないが…どうやら、ライエはリーンとの交渉材料に魔族が作る剣を証拠として運ばせている」

「まさか、交渉の場がここだというのか!?」

「そうだ」

 ロズワルドは再び頭を抱えることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る