第二十三話 崩壊

「最悪の事態です」

 ギルダの沈痛な面持ちにアレスはかける言葉がなかった。

 ロズワルドの妻エレナが娘のエリスに刺殺されたという話は、アレスにとっても衝撃でしかなかった。二人に会ったことはないが、ロズワルドの人柄を見れば、なんとなくでも人物像は想像ができる。

「これからどうなる?」

「奥様は皇帝一族の一人です。その方が亡くなったとあれば、理由はどうであれロズワルド様は説明責任を果たさなければなりません。おそらく帝都へ向かうことになるでしょう」

「しかし、今閣下が帝都に向かえば……」

「ケフェウスは内側から敵によって侵略されるでしょう。ですが、奥様の死を隠すことは困難です。明日にでもケフェウス中に暴露され、早馬が走ればすぐにでも帝都に知れ渡ることになります。それでも隠すとなれば、ロズワルド様の立場は悪くなり、最悪の場合、執政官としての地位を失職することになります。それだけはなんとしても阻止しなければなりません」

「……どうすればいいと思う?」

「わかりません」

「……」

 ギルダなら何か答えてくれるかも、という淡い期待を無くしアレスは困惑した。

「首謀者を捕まえて……」

「それが可能であったとしても、エリス様がエレナ様を……刺したという事実に変わりはありません。むしろ事実として証言されてしまえば、エリス様に情状酌量の余地があったとしても、刑罰は免れないでしょう。そうなればロズワルド様は……いえ、グラン家は取り潰しとなるのは確実。カイル様も……」

「手詰まりってことか」

「そうです。それからアレス様」

 ギルダはアレスをしっかりと見据えて、躊躇いがちに言った。

「アレス様はすぐにケフェウスを去るべきです」

「な、いや、どういう……」

「アレス様はロズワルド様の二等騎士として抜擢されました。そして、ここ半月ほどの間、街を探索してまわっています。ご存じの通り、二等騎士という立場の者はこのケフェウスでも数人しかおりません。探索しやすいように、というロズワルド様の計らいはわかるのですが、目立ってしまったことも事実です。二等騎士は本来、執政官の護衛も任されています。しかし、今回の件で言えばロズワルド様の命令があったとは言え、表面的にはいるかもわからない敵を探索しながら成果がなく、皇帝一族の一人を死なせてしまった…と言われても仕方がないのです」

「ま、待ってくれ。つまり、俺は二等騎士というだけでその責任を取らされるってことか?」

「そうです。しかも、急遽任命されたということは、執政官から見てそれだけの実力があったからこそ、ということです」

「なんてこった……」

 アレスは頭を抱えた。

 誰かの役に立ちたい、そう考えてロズワルドに志願したものの、責任という言葉が出てきた時点で自分の考えが甘かったことを実感したのだ。


(俺は結局、誰かに認められたくて…誰かの役に立ちたいなんて言い訳を思いついたに過ぎないのか)


「アレス様、よく考えてください。あなたがここでケフェウスを去ったとしても、ロズワルド様は理解してくれます。そういう方なのです」

「……それは、わかっているよ」ギルダに対するロズワルドの態度を見れば、考えるまでもない。

「私は街の様子を探ってきます。なるべく火消しをしなければなりません」


 ギルダが出て行くと、アレスはしばらくの間、椅子に座ったまま、窓の外を眺めていた。

千人壁から見える夜は、明るい月と星が見える。

 旅に出た当初は楽しかった。旅人と情報を交換し、見るもの全てが新鮮でおもしろかった。山賊と戦ったことも、決して良い思い出ではないが、過去になりつつある。

 しかし、アレスにとって色々なことが起こりすぎたのだ。

 二等騎士どころか、ケフェウス自体が危うくなり、ロズワルドが失脚すればこの帝国自体も傾く……そんな話をされたところで、彼には想像がつかない話だった。


(ああ、そういえばカイルは大丈夫なのか……)


 剣術学校時代はあれほど仲が悪かったカイルとの和解は、この旅で得た一番成果の大きいものだと実感していた。

 どうすればいいのか。

 保身を考え、ギルダの言うとおりにして、再び旅に出るべきか。

 それとも……。

 不意に部屋の扉が開いた。

「カイル、か?」

 戸口に立った男は紛れもなくカイルだ。

 しかし、その雰囲気はアレスが知っている彼ではない。

 禍々しさと狂気を感じさせ、アレスは少しばかり身を引く。


「アレス」

「カイル……今回のことは……その、なんて言っていいのか……」

 唇が乾き、喉からうまく言葉が出てこない。

 カイルは目を見開いたまま、アレスを見つめてゆっくりと一歩部屋に入る。

「アレス、手伝ってくれないか」

「な、何を……」アレスは気圧された。

「ウィートリーもカバルとかいう男もリーンとライエの連中全員、殺してやるっ!」カイルは剣を抜いて、机に叩き付けた。木片が飛び散り、机が激しい音を立てて壊れる。

「落ち着け!」

「妹が、エリスが!あの、エリスが……母上を……」

「それは……しかし」

 どうする、どうすればいい?

 アレスは自分に問いかける。

 答えは見つからない。

「所詮……お前には関係のないことだったな……母上の葬儀の準備をしなければ……」抑揚のない声を残し、カイルは剣を引きずるようにして部屋を出て行く。

 石造りの廊下に鈍く醜い音だけが響き渡り、アレスはただ呆然と立ち尽くしていた。


***


「旦那様は誰ともお会いになりません」カートンは疲れた顔で言った。翌日、ロズワルドに会いに来たアレスだったが、拒絶されるのは初めてのことだ。

 執政官邸は慌ただしく、何人もの兵士が出入りしていた。

「それではカイルに……」

「カイル様も同様です。アレス様、誠に申し訳ございません。ロズワルド様から手紙を預かっております。それでは失礼いたします」カートンは懐から蝋で封印されている手紙を渡すと、一礼して官邸の中へと戻っていった。


 街の食堂で手紙を読んだアレスは、気落ちしていた。

 既に噂が流れているらしく、店の中ではあちこちからエレナが死んだこと、殺されたらしい、という声が聞こえてくる。

「アレス様」

「ギルダさん……」

 アレスが顔を上げると、ギルダがいつの間にか向かいの席に座っていた。

 その表情はやはり暗い。

「随分と顔色が優れませんね」

「人のこと言えないね」

「そうですね。ロズワルド様はなんと?」

「また、剣士に逆戻りさ」

「それはつまり解雇ということでしょうか」

「はっきり言うね。その代わりにガフィーノ公爵様への推薦状が入ってた。これはギルダさんの分」

「私の?」ギルダはアレスから革紙に書かれた内容を読み、ロズワルドの署名を確認するとがっかりしたように肩を落とした。

「そりゃそうだよ。ギルダさんは一応、俺の部下だし」

「ああ……忘れてました」

「ひどいなぁ」

「申し訳ありません。それで、アレス様はどうされるのです?」

「俺自身はどうにでもなるんだ。でも、気がかりなことがある」

「カイル様のことでしょうか?」

 アレスは頷いた。

「あいつは復讐する気だ。既に地下への入口は知られているし、鍛冶屋のウィートリー親子の顔も知っている。カイルがあの二人を見つければ、どうなるかなんてわかるだろう?」

「ええ。しかし、カイル様を止めるにしても、敵を倒すにしても状況は悪いばかりです」

「前に言っていたギルダさんの仲間は?」

「ケフェウス近郊で待機していた者を二人ほど呼び寄せました。多少、問題は発生しましたが……」

「問題?」アレスは怪訝な顔をして聞き返した。ギルダが問題だというのであれば、それは大きな問題に思えたからだ。

 彼女は声を潜めた。

「今回の件を帝都の改革派に伝えようとしたものがいました。恐らくはブライス準執政官の手のものかと。今はまだ帝都に知られるわけにはいきません」

「ブライス?」

「ブライス・ハビエル。ケフェウスの準執政官です。帝都近隣に領地を持つハビエル子爵家の跡取りです。ロズワルド様は以前から、ブライスが帝都の改革派と通じていることを懸念されておりました。今回の件に絡んでいるかもしれません」

「その話は初めて聞くけど、カイルは?」

「知らないはずです。カイル様が私達に協力すると仰った際に、あえて言葉を避けました。アレス様にお伝えしなかったのも、念のためです。お気を悪くされたのなら謝罪いたします」

「不幸中の幸いだ。カイルが知っていれば、すぐにでもそのブライスって奴を殺すだろうな」

「ええ。さすがに準執政官を手にかけたとなれば、いかにロズワルド様のご子息とはいえ、極刑は免れません」

「それで、その連絡係みたいな連中は?」

「相手が梟の眼なら手こずるところでした。ブライスが雇ったごろつきです。見つかったとしても特に問題ありません」

「ああ……」アレスは合点がいった。

「とりあえずは私の仲間と合流しましょう。ただし、私達はもう千人壁には入れないはず。ロズワルド様は抜かりのない方ですから」

「そうだな。それなら……多少迷惑かもしれないが、バレンスタイン商会のレインさんを頼ろう」

 ギルダは頷いた。


***


「なぜです父上!」カイルの怒鳴り声が執務室に響き渡った。

「エレナの死は我々だけの問題ではない。私情で動けば、このケフェウスは終わりだ」ロズワルドは努めて感情を抑えた。

 妻エレナの葬儀の準備が淡々と進められていく中、カイルはやり場のない怒りを溜め込み、“梟の眼”を一網打尽にすべきだとロズワルドに主張していた。

 しかし、ロズワルドはその考えが敵の罠だと言って退けたのだ。

「カバルという男が梟の眼だとしても、ライエやリーンとの繋がりをもてるほどだ。下手に手を出せば、両国との争いの種となる。それが、このケフェウスであればなおさらだ。帝国が過去の亡霊に脅かされたとなれば、国内の改革派達は一斉に動き出す。なぜ、それがわからん」

「わかりません!父上は悔しくないのですか!ウィートリーに裏切られ、エリスが母上を殺すように仕向けられ……それが悔しくないというのであれば、私はあなたを父などとは……!」

「帝都に戻れ。お前は親衛隊の実地研修でケフェウスに戻ってきたに過ぎん。本来の役目は皇帝陛下をお守りすることだろう。このケフェウスの執政官である私の命令だ」

「私に復讐を捨てろと……」カイルは拳を握りしめた。

「私情に流されるな!怪我も治ったのだろう!早々にケフェウスを去れ」

 声を荒げるロズワルドを、カイルは苦渋と憎しみに満ちた目で見つめ、そして、執務室から静かに去って行った。

「エレナ、すまない。私は愚かだ……なぜ、こんな急に逝ってしまったのだ」ロズワルドは天を仰いだ。


***


 ブライス準執政官は屋敷の執務室で笑いを堪えていた。

 今すぐにでも高笑いをしたかったが、ロズワルドの配下が数名、屋敷に勤めているため、彼は屋敷内でも極力静かにしていた。

(これであの男をこのケフェウスから追い出せる。カバルの態度は気に入らないが、あの小生意気な小娘が役に立つとは想定外だ。これならハインズ様も私を認めてくださる)

 せわしなく執務室を歩き回り、彼はリーンとの貿易で得られる試算を始めた。

 ブライスは数字が好きで、難しい問題があると寝食を忘れて答えが出るまで計算を続けることがよくあった。

 集中力は凄まじいが、それ故に周りを見ず、空気が読めない言動は彼の周囲の人々を不快にさせる。集中力はいつしか執着心を生み出し、やがて世間の動きが見えてくると、自分の性格とは相容れない人物に対して嫉妬心と敵愾心を抱くようになっていた。

 ロズワルドに対する敵意はいつしか改革派と呼ばれる貴族達に利用されることになるが、彼自身は未だに気がついていない。


「失礼します、ブライス様。ロズワルド様より執政官邸にお越し頂くようにとのことです」

 扉が叩かれ、外から聞こえた呼びかけにブライスは舌打ちする。

 計算の邪魔をされるのは、彼が何よりも嫌いなことだ。

「私は忙しいのだ!後で行くと伝えろ!」

「緊急を要するとのことです」なおも扉の向こうで声が響く。

「ええい!わかった!」ブライスは怒鳴ると、剣を手にして執務室を出た。

 その瞬間、喉元に短剣を突きつけられて彼は動きを止めた。正確に言えば、動くことを封じられた。

「ひっ!」小さく悲鳴を上げたブライスの耳元で、少年が小さく囁いた。

「我が主の命により、カバル様からの伝言です。余計な行動を慎め、と。確かにお伝えしました」

 少年は短剣を静かにおろした。ブライスは目だけを動かして彼を見ようとしたが、すでのその姿は消えていた。

(あのガキ、ローヴェンの護衛……)

 足が震え、ブライスは座り込んだ。

(クソッ、もっと力さえあれば。あの連中、人を買うついでと言ってたが、まさかカバル達に始末されたのか?)

 疑念と焦りを感じながら、彼は再び計算を始めた。

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龍の大陸 イトー @syosei

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