第二十話 覚悟

 “魔剣”のつかに革紐を巻き、アレスは旅の時よりも幾分かまともな格好をして、ケフェウスの街を歩いていた。

 十八歳にしては少し伸びすぎた髭を気にしながらも、「意外と似合っている」などと思って、そのままにしている。

 ロズワルドからの依頼は、彼の正式な仕事となっていた。バレンスタイン商会の警護士はあくまでも臨時だったが、アレスの今の立場は執政官に仕える騎士である。

 一口に騎士といっても、いくつか階級が決められている。

 最上位となる一等騎士から最下位となる五等騎士まで分けられている。

 親衛隊隊長は一等騎士、親衛隊員や執政官などの重要人物を護衛するのはは二等騎士、カイルのように親衛隊見習いは準騎士、騎士団を率いるものは三等騎士、騎士団内の小隊を率いるのが四等騎士、小隊内の騎士は五等騎士となる。

 アレスの父アロウスは四等騎士だが、人材の豊富な帝国軍内において四等はそれなりに高い地位となっていた。

 騎士より下は一般兵士という立場だが、この中でもさらに階級が存在しており、昇進するにはいくつかの試験が必要だった。それだけに、剣術学校出身者は本来ならば、出世街道を真っ直ぐに進める一番の近道となっていた。

 アレスも出世街道を進むことはできたが、四等騎士の家柄では、上に進むにはかなり難関な昇進試験を突破する必要があった。それは彼の同級生の多くが直面する問題でもある。

 故に多くの者が五等騎士から地道に進むか、剣術学校出を重宝する民間の警護士、あるいは帝国軍とは組織体系が違う警備士として働く者が多い。


 アレスは異例となる二等騎士の立場を与えられていた。

 ロズワルドは、アレスがケフェウスの要所に入れるように、暫定的とはいえ二等騎士を授けたのだ。そのことはアレス自身もよく理解していた。

 ケフェウス内を探索するにあたって、ロズワルドはアレスの剣のつかに再び革紐を巻くことを命じた。

 見た目は普通の剣と変わらず、つかの装飾も複雑とは言え、魔剣に似せて彫られている剣はいくつもある。しかし、わかる人間が見れば魔剣であることは露呈してしまう。

 特にケフェウスにはリーンからの入国者が多く、かつての戦いで魔剣を使ったことがある人間もいた。その多くは国同士の取り決めによって、ロズワルドが持つような壊れた剣をのぞき、ほぼ全てが集められて処分されている。

 それでも魔剣の魅力に抗えない者は、国よりも剣を選び、流れていくこともあった。そんな者たちは常に残り少ない魔剣を求めていたのだ。

 アレスは実戦の経験が少なく、戦いを求める流れ者と相対すれば高い確率で負けることが想定された。彼がケフェウスまでの行程でそういった者と会わなかったのは、彼が若かったこと 剣が魔剣を模したものと思われていたからだ。

 ロズワルドはそのことを「僥倖ぎょうこうに過ぎない」と判断した。

 リーン人が増えるケフェウスでは帝国内と勝手が違うからである。

 今は友好的でも、戦いがあった事実は消えない。特に二十年という時間の流れは、ロズワルドがそうであるように、同じ時代を生きた人々の中に根強く残っていることもある。

 ケフェウス内でも時々、昔話で揉めて喧嘩が起きることがあった。特に酒が入ると人々は本性をむき出しにして、大きな喧嘩になることも珍しくはない。

 そういった懸念を払拭するために、ロズワルドは警備士を巡回させていたのだが、人が増えれば警備士の数も増え、末端に命令が届きにくくなることもある。全てが完璧にできないからこそ、魔剣探しの段階でもロズワルドは自ら検閲を行ったという経緯だった。

 さらに、彼は帝都から派遣されている準執政官のブライスを疎ましくは思わないまでも、不穏分子として認識していた。


 ブライス・ハビエルは、帝都出身の貴族だが、没落しかけた子爵家である。

 戦乱時の活躍によって子爵の位を与えられたものの、武闘派であったハビエル家は領地の治政に疎く、結果として瞬く間に財産を食いつぶしてしまったのだ。

 借金まみれのハビエル家の一人息子として生まれたブライスは、幼い頃から数字が好きだった。経済を学び、なんとか領地を立て直したブライスの手腕は認められたものの、膨大な借金を全て無くすことはできなかった。その為、領地が保証される代わりに帝都から離れたケフェウスの準執政官として派遣されたのだ。

 ハビエル家から見れば、ロズワルド・グランも戦乱における成り上がりでしかない。ケフェウスのみならず帝国内でも高い地位を持つロズワルドに対して、ブライスが抱いた感情は理不尽な嫉妬である。

 ブライスは対人関係においては気が弱く、剣術の腕前も並以下である。だが、子爵という立場は彼に無駄な権力を持たせていた。

 ロズワルドは、ブライスの経済観念は認めてはいたが、自らの気の弱さを権力でしか護ることができないと判断し、準執政官ながらも無難な仕事のみを与えてきたのだ。

 しかし、それが驕りであったことを彼自身が判断しようもなく、ブライスを裏切りへと走らせるきっかけのひとつとなっていた。


 いかに冷静沈着なロズワルドとはいえ、二十年来の旧知に裏切られた事実は、彼に深い疑心暗鬼を生じさせていた。

 今の彼にとってどうにか信頼を寄せられるのは、息子のカイルを助けたアレスという青年と、怪我を負いながらも情報を運んできた密偵のギルダのみである。

 ロズワルドはまず、アレスと共にギルダを人目がつきにくい千人壁にある部屋へと移動させた。その上で彼女が得た情報を共に聞くことにした。


 ギルダは青白い顔をして、寝台で上半身を起こしていた。

 アレスは彼女の整った顔を何度見ても、特徴をうまく捉えることができなかった。

(見たことあるような、ないような…いや、勘違いか)

 アレスの不思議そうな顔を、ロズワルドは横目に見ながらギルダに話しかけた。

「説明するまでもないな」

「はい」ギルダはしっかりとした口調で頷いた。表情はあまり動かないが、あるじの前で寝ているのが申し訳ないという気持ちがにじみ出ていた。

「あの……ギルダさんでしたよね。この人は俺のことを?」

「ほぼ全て知っているといえる。そして彼女はギルダであって、ギルダでもない」

 アレスは意味が分からないと首をかしげた。

「符丁のようなものだ。もし、他にギルダという者が現れたら、それは彼女の仲間だと思ってよい。もちろん、いくつかの取り決めはある」

「なるほど」

「さて、お前が気を失う前に言いかけたことがあったな?」

「はい。カバルという男が呼んだのはリーン王国の陸軍大臣ローヴェン、神聖ライエ国の若い神官です。ローヴェンは何度か顔を見たことがありますのでわかりましたが、神官の方は…」

「恐らくオルフェスが言っていたルカウスという者だろう。ライエからここまで随分とあるのによく来たものだ。アレス、このケフェウスにはそれだけ価値がある」

 アレスは黙って頷いた。彼に国の情勢を教えたところで、恐らく理解するのが精一杯だろうとロズワルドは思った。

「カバルという男の潜伏先はわかるか?」

「憶測ですが、このケフェウスにあるどこかの地下かと…梟の眼達がかつて使っていたという話を聞きました」

「それを話した人物は?」

「次の日にはどこかに消えました。殺されたかと…」ギルダは淡々と言った。

 その様子にアレスは背筋が寒くなった。

 人があっさりと消えてしまう、それも殺されたことがほぼ断定されるというのは、彼の日常生活の中には無かったものだ。

 アレスの気持ちを察してか、ギルダはこう続けた。

「あの男はエリス様を攫ったことで、既に正体をさらしています。近いうち、必ず閣下に取引を持ちかけてきます」

「それは、そのエリスお嬢様の命と引き換えってことですよね?」

「わからない」ロズワルドは目を伏せて顔をふった。

「わからないって…」

「ケフェウスが戦略的に重要であることに間違いはない。だが、過去の戦いで私も…悪行とは言わないが、多くの命を奪った。その事実は変えられない。君が山賊を殺したという事実もだ」

 ロズワルドは続ける。

「カイルやレイン嬢を助けるという名目であっても、自分の死を恐れ、知人の死を見たくないと必死だったはずだ。でも、その先の考えには及んでいなかったとは思わないか?」

 彼はアレスを真っ直ぐと見据えた。


「アレス、これだけは言っておく。正義も悪も関係ない。人を殺すというのは、自分や自分自身の周りの人々の未来を賭けるということだ」


「未来……」アレスはその言葉の意味を、今、はっきりと認識した。

「私は、その代償を払わなければならない。積もりに積もって、払うべきものが自分の息子と娘にふりかかった。もし、カバルという者が復讐を兼ねて今回のことを計画したのであれば、責任は私にもある」

 ロズワルドはギルダを見て、しばらく押し黙ったあとに、かすれる声で言った。

「ギルダ、密偵の任を解く。生き残ったものにもそう伝えなさい。お前達はもう自由だ」 その言葉に、ギルダは目を見開いた。

 双眸から大粒の涙が溢れ、頬を伝った。

「なぜです?なぜ、その様なことを仰るのです!私達は戦乱の中、閣下に拾われ、助けられ……私達にできることはこれしかないのです」嗚咽混じりにギルダは訴える。

「それは違う。お前達は密偵として働くために、様々なことを学んだはずだ。武術だけではない。市井しせいの生活に溶け込むため、その手に職を付けたではないか。私は……私達の時代に起きた戦いの後始末をお前達に押しつけたくはなかった。しかし、孤児となった子供たちが行き場を失った時、私にできる精一杯のことが今までのことだった」

「それでも、それでも…私達は閣下に一生お仕えすると誓ったのです」

「閣下、俺が言うのも何ですが……少し勝手だと思うんです」アレスは心臓の鼓動が早まるのを感じた。旅の浪人風情が、若輩者で働いたこともない自分が、帝国の英雄に意見するなど、大それたことだと思った。

 しかし、言葉は溢れ出てきた。

「戦争とか、孤児とか、こころざしなんて俺にはわかりません。でも、この人やその仲間の人達はエリスお嬢さんを助けるために、命を賭けたんですよね?だったら、閣下もこの人達の未来に命を賭けるべきじゃないでしょうか。今のままだったら、ただ投げ出したようにしか思えないんです」

 ロズワルドは目を閉じて、アレスの言葉に耳を傾けた。

 思えば、彼は息子であるカイルの言葉もこのようにじっくりと聞いたことはなかった。自分が正しいと思うことをしてきた。その結果として、このケフェウスがある。

 街は栄え、リーン王国との交易も盛んで、戦いの事実は二十年の間に薄れつつあった。


 誰かが言った。

 忌まわしき戦いの過去を忘れるべきではないと。

 彼は唱えた。

 戦いの過去を忘れ、未来に生きるべきだと。


 意見はいつも平行線だった。

 人は老いて記憶は薄れる。

 記録は残るが、それを読み、理解するものは数えるほどしかいない。

 今、現在の繁栄を慈しみ、楽しみ、享受することが幸せだと…多くの人が思っている。

 ロズワルドは葛藤していた。

 その答えは彼自身にしか出せない。


「ギルダ、アレス。私は自分が言ったことをうまく説明するすべをもたない。私自身の問題だが……だからといって、言葉を撤回するつもりはない」

「しかし!」

 食い下がろうとするアレスを、ギルダが制した。

「閣下……閣下がお決めになったことなら、私達は従うほかありません。それが、私達の存在意義なのですから」彼女は唇を噛みしめた。

「でも、エリスお嬢様を助けられなかったのは心残りなのです。ですから私は今から、このアレス様にお仕えします」

「えっ!?」アレスは声を上げた。

「それは……」とロズワルドがアレスを見る。

「いやいや、待ってください。俺は……」

「君は今や二等騎士の立場にある。部下がいてもおかしくはない。そして、部下の配置は私の役目だ」

「冗談でしょう!?」

「君はこの街に来たばかりだ。体も完全に回復したとは言えないだろう。ギルダ、他の者がどうするかはわからないが、任せても良いだろうか?」

「はい。最善を尽くし、アレス様をお助けいたします」ギルダはぎこちなく微笑んだ。

「待ってくださいよ!」

「残念ながら、私の配下となった時点で君に選択肢はもうない」

「そんなぁ」

 アレスは自らの立場を考えるまでもなく、部下を持つ騎士となった。


***


 ロズワルドはその後、ギルダに今までの状況全てをまとめて報告することを命じ、各地に散らばっている“ギルダ”達に解散と、希望職種があれば世話することを伝えるように言った。

 彼女が隊長となっていた部隊は、ケフェウスでほぼ壊滅したが、僅かばかりに残った者達が順番に各地の者へ伝えることになった。

 彼女の回復は早かった。

 彼女曰く、特殊な調合薬の他に、精神的な修行によって回復を早めることができるという。アレスはただ、驚きを隠せなかった。


 一週間、アレスはケフェウスを歩き回った。二等騎士の位はあちこちで役に立った。ギルダから聞いたいくつかの怪しい場所を探るためには、時として門番がいる場所にでも入る必要があったからだ。

 その間にアレスの髭は伸び、支度金で買った服は少しずつ体に馴染んでいった。

 怪我で帝都への帰還が困難になったカイルを何度か見舞ったが、カイル自身は深い喪失感に苛まれ続けていた。

 カイルの腕の傷が思いの外、治りが遅く、それはギルダが言った精神的なものが関係しているとアレスは思っていた。

(焦っても仕方ないが……あの調子ではな)

 アレスは彼の憔悴振り見る度に、少しばかりの焦りを感じる。


 探索の合間を縫って、ギルダはアレスに様々なことを教えた。

 まず、なぜカバルがギルダ達を倒すことができたのか。

「あの男は毒を使ったのです」

「毒?」

「ええ。アレス様も剣術学校で習ったかと思いますが…」

「あまり覚えていない……」アレスは座学をさぼりがちだったことを後悔した。

「簡単に説明します。あの男は体の自由を奪う毒をばらまいたのです」

「粉か何か?」

「そうです。驚くべきなのは、あの男自身が毒の中心にいたということです。風上であれば、私達ももっと用心したのですが、恐らく毒への耐性を持っているのでしょう。平然としていました」

「なるほど」

「それから、仲間は一人一人、体の自由を奪われた状態で首を掻き切られました……」

 ギルダの顔が悔しそうにゆがんだ。

 アレスは最初に見たときの印象と大分違うと思っていた。

 捕らえどころのない顔と思っていたギルダが、実はかなり感情豊かで、普段は心を抑え込んでいると感じたのだ。

 彼女は肩口まである髪と整った顔立ちで随分と大人っぽく見えた。しかし、実際の年齢は二十を少し超えたところだと言う。

 戦乱で両親を亡くし、ケフェウスの片隅で泣いていたところを人買いに拾い上げられた。

 人買いは別の人買いに殺され、その人買いはロズワルドが組織した当時のケフェウス守備隊によって投獄された。

 その後、ケフェウスの孤児院で、密偵の仲間となる者達と出会い、孤児院に頻繁に訪れていたロズワルドの為に役立ちたいと申し出たという。

 アレスはギルダの話を聞いて、自分がいかに恵まれていたかを知った。

 同時に、幼馴染み達が目の前で殺される様を見た彼女の心情をもっと知って、慰めたいとも思った。

 しかし、言葉は出てこなかった。

 辛かっただろう?なんて言葉はありきたりだった。

 頑張れとは言えない。十分に頑張ってきたのだから。

 アレスには何一つ、言葉は浮かんでこない。

 それでも、ギルダは言葉を繋ぐ。

「あの男は私の足に剣を刺しました。恐らく、剣に解毒薬が塗ってあったのでしょう……」彼女は足をさすった。

「じゃあ、そのカバルという男の腕前はまだわからない?」

「動きからして、相当な使い手であるのは確かです。用心してください。それから、あの男に会う前には事前に解毒薬を服用した方が良いかもしれません」

「わかった。それじゃ、もうしばらく休んで、足を治して…それから手伝ってほしいんだけど」

「もちろんです」ギルダはしっかりと頷いた。

 アレスは彼女が思っていることの半分も理解していなかった。

 気がついたのは、事態が動いた随分後になってからだった。

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