第一話 剣士アレス

「なにが近道だ、ふざけやがって」

 とある山中の細い獣道で、男は剣を抱え込んで座り込んだ。

 彼の名前は、アレス。

 アウストラリス帝国の帝都出身の剣士である。剣士といっても、一応の職業であって仕事を持っているわけではない。いわば、旅の浪人である。

 春の初めに帝都剣術学校を卒業した新米剣士だが、他の卒業生が帝国軍兵士や帝都警備士、帝国認定の警護士(貿易旅団の警護にあたる者)、一部の優秀かつ帝国上層部に縁故のあるものは親衛隊や騎士団幹部候補などになる中、彼はその波にうまく乗れずにあぶれていた。そういった者は少なからず毎年いるものだが、大抵の場合は民間の警備士・警護士につき、事なきを得ているのが実情だった。

 アレスはその中でもさらに仕事を取り損ねた青年である。

 

 アウストラリス帝国は“龍の大陸”と呼ばれる大陸の中程に位置している。気候は温暖で四季があり、東西が海に面し、肥沃な土壌で作物が良く育つ恵まれた国だ。南にはリーン王国、北には神聖ライエ国という陸地面積だけでいえば、帝国よりも大きい国に挟まれてはいる。しかし、食料的な面では帝国の国力は随一だった。

 また、大国に挟まれているが故に、軍事に関する修練は非常に厳しく、その強さはリーンとライエのみならず、東の海を越えたタイシャ国、西の海にある島々の国であるアークス連合国などにも届いていた。

 帝国の豊かさには、土地柄だけではなく皇帝の資質によるところが大きい。百二十年前、建国の祖であるアウストラリス一世は、国を長く存続させるために、何人もの子をもうけていた。その中で直系や男女、長子に関係なく、もっとも優秀で柔軟性に富み、国民から尊敬と畏敬の念をもたれるものを世継ぎと決め、以降、帝国では同じ方法がとられてきた。皇帝としての血と国を未来永劫、存続させること…それが、帝国の方針であり、皇帝が最終的になすべきことだった。

 皇帝になるには、皇帝の血を持ったものが切磋琢磨して力を付けねばならない。故に醜い後継者争いはほとんどの時代で起きてはいなかった。


 国の豊かさの象徴は、国民が仕事を持ち、確たる意志を持って働き、満足な生活を送ることにある。帝国はまさにそれを体言化してはいたが、その中にあっても必ずといって良いほど、うまくできない人間が少なからずいる。


 その中の一人がアレスだった。

 彼は騎士団で十人隊隊長を務める父親アロウスによって、育てられてきた。母親のリーアは彼が幼いときに病気で亡くなっている。

 アロウスは良くも悪くも真っ直ぐな男だった。軍人という職業柄も相まってか、正直者で嘘を嫌い、些か柔軟性に欠けていた。妻のリーアが亡くなった時、アレスをなんとしても一人前の男に…という想いのみで、幼少だったアレスに剣術のみならず、自分自身すらも学んだことのない武術まで、友人や知人に頼んで教え込む有様だった。

 そのせいか、アレスは物心をつく頃には父親の厳しさから逃れるために、女の子ばかりを追いかけ回すようになっていた。彼なりの反抗期ではあったのだが、妻一筋、そして妻の忘れ形見がそうなるにつれ、アロウスはある日を境にがっくりと落ち込んでしまった。

 さすがのアレスも強い父親の背中に憧れていた時期もあったせいか、帝国幼年基礎学校を卒業する十二歳に剣術学校へと進路を決めたのである。

 アロウスは手放しで大喜びしたが、幼年期に定められたアレスの本質が大きく変わることはなく、しばらくすれば女の子を追いかけまわすという体たらくとなり、成績そのものは割と優秀であったものの、どんな仕事にも魅力を感じることなく卒業を迎えてしまったのだ。


「アレス、まあ座れ」卒業してから二日後の夜、アロウスとアレスは食卓で向かい合っていた。

 アレスは自分が仕事に就かなかった事に対して、それなりの負い目を感じてはいたし、ここで父親から縁故で騎士団に入れと言われても、従うつもりだった。自分に決められないなら、他人が決める。それが一番手っ取り早い方法であったからだ。

「俺はなぁ、お前の育て方を間違ったなんて、これっぽっちも思っちゃいない」

「俺も間違ったなんて思ってないよ」アレスは嘯いた。 

「…少しは思え」

「親父が言ったんじゃないか」

 アロウスはムッとした顔をした。確かに言ったことは言ったが、バカ正直に受け止める奴があるか、そんな意味合いであろう…とアレスは考えるまでもなく思った。


「まあいい。とにかく、お前が仕事にも就かず、フラフラしているのは世間的に見ても体裁が悪い」

「俺は別に困らないし、まだ卒業して二日だよ」

「困れよ、少しは…なあ、アレス。お前はリーアに似て頭が良いし、顔も悪くない。女性にもてるのもわかる。色々な武術を教えたが、お前はその全部を真綿のように吸い込んじまって、嬉しかったものさ。だが、それだけで飯が食えるわけじゃない。

 お前に足りないのは覇気だ。自分で何かを成し遂げようとする心意気みたいなものが、全く感じられないんだよ。今のままじゃダメだってわかっているんだろう?」

「まあ、そりゃ…」アレスは気まずくなって顔を背けた。帝国は平和だ。軍隊は各国に名を轟かすほどに強いと言われ、故に戦いは起きずに一介の剣士に活躍の場は回ってはこない。

「お前、旅に出ろ」アロウスは唐突に言った。

 アレスはゆっくりと顔を戻して、アロウスを見つめた。

「はぁ?」

「色々考えた末だ。

 俺はなぁ、お前が何も選べないのは、この帝都にいるせいだと思っている。この国は豊かだ。特に帝都は他とは比べものにならないくらいにものが溢れているし、ちょっと自分の嫌なことを我慢さえすれば、仕事にだっていくらでもありつける。だからこそ、多くの人間はその豊かさを得るために、色々なことを受け入れているんだ。でも、お前は違う。ここで生まれてここで育ってきたお前は、街の全てを知っているだろう。俺だってそうだ。当然、住んでいる年月はお前より長い。

 でもなぁ、俺にはリーアとお前がいたから、ここが退屈だと思えても些細な悩みでしかなかった。お前は退屈なんじゃないか?ここに居続けて、同じ事を繰り返すことが」

 アレスは黙ってうつむいた。自分の手のひらを見つめた。

(退屈なのは今に始まったことじゃない)

 退屈…という言葉は、いつも違った形で彼の口をついて出ていた。


 退屈さにかまけて、十歳の時、彼は街を歩き続けた。帝都は大人の足でも三日はかかるほど広い。大通りから狭い路地裏、かわいい女の子がいればどうせ恥はかきすてなのだからと声をかけたりもした。道が分からなくなれば、警備士達に道を聞いたりもした。結局、帰ってきた頃には日がすっかり落ちてアロウスに思い切り拳骨で殴られた。

 しかし、アレスはその時ほど楽しいと思った時はない。知らない道、知らないもの、知らない人々…彼が得たものは、知らないものを知ることの楽しさだ。アロウスもそれ故に拳骨ひとつで済ませたのだが、彼を大きく困惑させたのはアレスが見知らぬ女の子と手を繋いで帰ってきたことだった。


「そういえば、最近マキは来ないなぁ。ケンカでもしたか?」

 唐突に言われてアレスはハッとなった。 

アレスと一緒に帰ってきた女の子はマキ・イズモという。彼女はアレスと同い年で、驚くほど黒い髪と淡い緑色の瞳をした美しい子である。東の海を越えたところにあるタイシャ国からの移民で、タイシャ人の父親コウシロウとアウストラリス人の母親シャーレンとの子だった。


 アウストラリス人は彼女のような混血児を尊敬の意を込めて“黒髪のアウスト”と呼んでいた。タイシャ人は非常に器用な民族で、その技術力は帝都の黎明期を支え、今なお平和な国交を続け、互いに貿易の最重要国となっている。

 アウストラリス人とタイシャ人の容姿の多くは似通っているが、どちらかというと色の薄く、青や緑の瞳を持つアウストラリス人は、何色にも染まらず、かつ他の色を引き立てる“黒”を神聖な色として扱っている。

 他の“黒髪のアウスト”は、多くの場合、髪も瞳も黒になるが、マキは違っていた。アウストラリス人の特徴である緑色の目をもっとも美しい色で持つ、帝都でも有名な美女だった。


 そんなマキを子供の頃、アレスは連れて帰ってきた。

 彼女は生まれつきそれほど体が丈夫ではなかったが、好奇心旺盛ゆえにアレスと同じ事を試みたこと。そして、彼女の家が実はアレスとの家とそれほど離れてはいなかったことが、アレスとマキの出会いのきっかけとなった。

 タイシャ人のほとんどはタイシャ街に住んでいる。気さくな性格が多いものの、積極性はアウストラリス人の何分の一といったところで、広い帝都内ではそれほど多くは見かけない。しかし、中には商売に成功するために、タイシャ街を飛び出してくる者がいた。それがマキの父親コウシロウだった。

 女の子が大好きな十歳のアレスが、マキを見かけて興味を惹かれない訳がなかった。

 そうして、彼女はアレスの幼なじみとしていつの間にか、アレスの家に頻繁に遊びにくるようなったのである。


「マキは関係ないだろ。あと、俺は旅に出るなんて決めてないぞ」アレスは少し苛立った。マキとは昼間に道ばたであったが、彼女は「忙しいから」と軽く挨拶をしただけで行ってしまったのだ。

 確かに彼女自身、コウシロウの家業を手伝うことになって忙しいのは事実だったが、アレスにとっては何とも居心地が悪い思いをしたのは確かだった。


「アレス、悪いな」アロウスは立ち上がると、奥の部屋から革袋と古びた剣を持ってきて、テーブルの上に置いた。

「どういうつもりだよ」

「俺は決めたんだよ。お前は明朝、帝都を出るんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!明日って…」

「お前が決めないから俺が決めてやったんだ。餞別せんべつとして金は入れてある。一ヶ月やそこいら旅をしたって無駄遣いしなけりゃなんとでもなる。その後はどうにかしろ。戻ろうなんて思うなよ。俺はこう見えても顔が広いんだ。帝都の門番や剣術学校の訓練士にも伝えてある。

 少なくとも一年、お前は帝都に足を踏み入れてはならない。もっとも、お前も剣士だ。予備役登録されているから、なにかあれば戻れるが、このご時世にそれもないだろう。さっき、マキの話をしたのはな、同じ事を伝えてあるからだ。もしかしたら、お前に話しているかとは思ったが…」

「あいつ、口は堅いんだ」アレスはため息をついた。

「マキはいい子だ。美人だし、頭も性格もいい。それなのに、お前は他の女性ばかり追いかけている。俺にはまったく意味がわからんよ」

「俺は別に…あいつのことをその…」アレスは口を閉じた。

「まあ、好きにするがいいさ」

 アロウスの言葉に、アレスはなんともやりきれない想いだけを残して、翌朝を迎えることになった。


 昨夜のやりとりが消え去るような、気持ちの良い朝だった。

 アレスはいつも通り顔を洗い、歯を磨き、朝食をとった。

 アロウスの出仕と同時に家を出て、帝都の関所で旅の許可をもらう。帝都の出入りには身分証明書と旅の許可証が必ずいる。門といっても、有事の際に軍を送り出す大門ではなく、通常はその横にある小型の門が使用されている。門番の何人かはアロウスといくつか話をしたところで、アレスは遂に帝都の外へ踏み出した。


餞別せんべつがもう一つある」アロウスは懐から、革の小物入れを出して渡した。

「これは?」

「さあな。俺は渡してくれと頼まれただけだ。さて、どこに行くかは決めたか?いや、聞かないでおこう。これから、お前は俺の手を離れるんだからな」

「わかってるよ」

「ああ、そうだ。お前に渡した剣、絶対になくすなよ。それは我が家に伝わる家宝だ」

 アレスは剣を見た。昨夜はあまり見ていなかったが、確か家の物置の奥で革に包まれて置かれていたような記憶があった。

「このボロ剣に価値があるのか」

「失礼な奴だな。建国以来、我が家にあるものだ」

「その割には物置に…」

「あ、出仕の時間だ。アレス、父親として言っておく。気をつけていけ」

「あ、ああ。親父も」

 こうして、アレスはあっさりと旅に出た。

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