つなぎ止める首輪2

「あ……、ん……。そろそろ……、止めにしないか……っ」

 口の周りを唾液で汚しているスミナは、自分に覆い被さっているユキホにそう言った。

「そうね。これ以上はスミナが疲れちゃうわね」

「は……っ」

 ユキホはその唾液を舐めとって、残りをおしぼりで拭う。

「かわいい……」

 身体の力が抜けて、くたっとしているスミナを、添い寝したユキホが、向かえ合わせに抱きしめる。そうする事によって、お互いの体温をより強く感じる。

「好きよ……、スミちゃん」

「ああ……、知ってる……。アタシも……、好きだ……」

 途切れ途切れにそう言った後、

「暖かいな……」

 スミナは目を閉じ、小さな寝息を立てはじめた。

「眠っている時は、こんなに素直に笑えるのに……」

 彼女の目に掛かる髪の毛を、起こさない様にどかしたユキホはそうつぶやき、座った目のまま愛おしげに笑う。その後、彼女は目を閉じて、とてもとても浅い眠りにつく。


                  *


 今の仕事をする前、ユキホはフリーで殺し屋をしていた。その当時から、出刃包丁のお化けでバラバラにして殺していた。

 ある日彼女は、ある組織の裏切りものを抹殺する依頼を受けた。依頼達成まであと二人となっていて、その二人を追い込んだ際、片方を殺している間に、もう片方を逃がしてしまう。逃がしたと言っても、一分もしないうちにその片方を仕留めたのだが。

 その後、一人目を殺した現場に戻ってみると、そこには汚らしい白い布きれを被った、小さな人物が死体を漁っていた。

 ユキホは音もなくその人物に近寄り、彼女が剣を最上段に構え、振り下ろそうとした所で、その人物は急に振り返って顔を上げた。

 その人物の正体は、自らと同じくらいの、ルビーの様な瞳の少女だった。だが、美しいその目はとてもすさんでいて、全てに絶望した自殺志願者のように暗かった。

 少女と目が合った瞬間、ユキホは何故かこの少女を殺したくない、という思いが湧き上がってきて、何とか斬るまい、と刃を逸らすが、その切っ先は少女の左肩から肘にかけてを切り裂いてしまった。

 普通なら斬られた方は喚き散らすか、恐慌状態に陥るはずだが、その少女は少し驚いたような顔をしただけで、赤く美しい瞳で、その傷から流れる血をぼんやりと眺める。それは地面の水たまりに落ちて、水を紅く染めていく。

『貴女の目、綺麗ね』

 ユキホは自分が、その瞳に魅せられているのを感じていた。

 少女はその問いかけに、少し低く美しい声で素っ気なく答えた。

『ねえ貴女、死んじゃうの?』

 ユキホは自分でも、なんでそんな事を聞いているのか分からなかった。

 これにも少女は素っ気なく返す。

『そう。なら助ける』

『は?』

 彼女に殺す術を教えた人物に、方法を教えられていたので難なく止血した。

『アタシなんか……、助ける意味ないだろ』

『何で?』

 壁にもたれかかる彼女は、全てを諦めたような暗い目で、ぼんやりとどこかを見つめていた。

『アタシは……、「この世界に要らない存在」だから……』

 この少女は、なんて悲しい事を言うのだろうか。こんなにも美しい瞳をしているのに。

『要らないなら、貰ってもいいかしら』

 それを聞いた少女は、完全に呆れかえっているようだった。

『だめ?』

 ユキホは屈んで、少女の目を真っ直ぐ見据える。彼女は少し驚いたように目を見開いてから、

『好きにしろ』

 やはりぶっきらぼうにそう答えた。その時、少女の瞳から僅かに覗いた光は、彼女の瞳本来の美しさを蘇らせたように思えた。

『どうして、アタシを?』

『決まってるじゃない』

 ユキホは少女の身体に自らの外套をかけ、優しく抱きかかえる。

『貴女が好きだからよ』


                  *


「ン……」

 スミナがもそり、と動いた事で、ユキホの目が覚めた。寝ぼけ眼のスミナは、首をゆるゆると動かして相棒の方を見た。

「おはよう、スミちゃん」

「ああ……」

 ヘッドボードに手を伸ばし、スミナは携帯のありかを探る。

「あと二時間あるわよ」

 そう言ってユキホは、その温かい手を握った。

「そうか……、一時間経ったら起こしてくれ……」

「分かったわ」

 ユキホは俯せで再び寝入った彼女に、めくれ上がった布団をかけ直した。

 それからきっかり一時間後に、ユキホはスミナを起こした。


「なんでこんなに狭いのよ!」

 本来大型のバンなのだが、死体を入れるバケツ1ダースと、護衛二人の巨大な剣のせいでかなり狭苦しくなっていた。

「これしかないんだから、文句言うな」

 ユキホの膝の上に頭を乗せているスミナは、鬱陶しそうにアイリに言った。

「あんたはどれだけ寝たら気が済むのよ!」

 アイリは後ろを向き、指を指して身を起こした彼女に言う。

「スミちゃんの――」

「アイリに手を――」

「狭いんだから暴れるな(ないで)!」

 不穏になりつつあった空気は、二人の少女の一喝で元に戻る。

「おいバカ共、もうすぐ着くから準備しろ」

「そうですよ」

「あん?」

「ヒイッ」

 アイリ組担当の『ポリッシャー』の軽口に乗っかった、スミナ組担当は首をすくめた。

「……お前、ドMだろ」

「違いますよ!」

 六人を乗せたバンは、暗い一方通行の道の端に寄せて停車した。

「さーて、行くか」

「そうね」

 スライドドアが開き、先に護衛が降りてから、裾が長めの白い上着を纏った少女二人が降り立ち、『ポリッシャー』の二人の準備が出来るのを待って歩き出した。

 角を曲がった所で、早速複数の死体が転がっていた。護衛二人が早速それを切り刻みだす。

「うげええええ」

 若い方がそれを見た途端、排水溝に吐瀉物を吐く。

「君、本当にドMなんじゃないか?」

 中年の方が、キャスター付きの大きなゴミ箱のフタを開けながら、呆れたように見る。

「血だけなら平気なんですけど……」

 振り返ってまた切り裂く様子を見てしまった、若い方が先程と同じ体勢で吐いた。

 それを全く気にとめずに、スミナとアイリが死体を検分している。

「ユキ、幹部クラスは刻むなよ」

「スミちゃん、これは?」

「それはダメなヤツ」

 ユキホがその死体を放り投げると、二人はほぼ出血していないそれを見る。

「見てこれ。このやり方はプロの仕業よ」

「だな。相当でけえ抗争らしい」

 その死体には、首の後ろの辺りに小さな穴が空いていた。


 『ポリッシャー』二人がコンプレッサーで血を洗い終え、中年の方が幹部の死体を死体袋に入れて、道の隅に置いた。

「じゃあ次に――」

「いやまて。バケツが満タンだから、お前らはそこで待機してくれ」

 スミナの言葉を遮って、中年の方の『ポリッシャー』が指示を出す。

「――ッ!」

「ユキホ、やめろ」

 それに腹を立てたユキホをスミナが制する。

「了解」

 中年の方がひっくり返った若い方を立たせ、車の方へと向かった。

「あのなあユキホ。気持ちはわかるが、ちょっと落ち着け」

「……ごめんなさい」

「まあ、今度から――ッ!」

「きゃっ!」

 ユキホとアイリの護衛が急に振り返って剣を抜き、それぞれ飛びかかってきた人間を、空中で部位のブロックにした。それは地面に落ちて、ベチャ、と音を立てた。

「だから無知はいやなんだよ……」

「本当にね……」

 返り血が上着にかかって、変な赤い模様になっていた。それを見て二人はため息を吐く。

「あはっ、あははははっ」

「潰す潰す潰す潰す……」

 護衛二人は狂気じみた笑みを浮かべて、襲ってきた二人を、各自ミンチへと変えていく。

「うわあ……」

「ミンチは止めろって言えよお前ら」

 その最中、新しいゴミ箱を持ってきた二人が、青い顔をして主人達に言う。

「アイツ(彼)が聞くとでも?」

 二人同時に、剣を打ちすえる護衛の方を向き、ほぼ同じ事を言った。

「真似しないでくれる?」

「しょうがねえだろ。あいつら大体同じなんだから」

「お前ら、実は仲良いだろ」

「違う!」

「しらね」

 そうこうしている内に、二人がそれぞれの主人の元に戻ってきた。

「うわー、もう嫌だこれー」

「ああ、面倒くさい」

 文句を言いつつ破片をかき集めて、ゴミ箱に放り込んでいく。


 抗争が終結するまでには、当初の想定を越えて未明までかかり、それに引っ張られる形でスミナ達の労働時間は大幅に伸びてしまった。


                  *


 体力を使い果たしたスミナとアイリは、会社に戻る道中、車内で二人仲良く眠り込んでしまった。

「ああ……、可愛い……」

 スミナはユキホの膝の上に頭を乗せ、

「美しい……」

 アイリは青年に寄りかかって、それぞれ小さな寝息を立てる。

「2、3日は肉が食べられそうもないです……」

「同感だ」

 仕事を依頼した側の関係者から貰ったブラックの缶コーヒーを、運転している中年の方の『ポリッシャー』が飲んでから、嫌そうな顔でそう答える。

「あれ? 先輩もですか?」

「それが普通なんだよ。肉も食えてすぐ寝られる、あいつらが異常なだけだ」

「そういうこと言っちゃ……」

 若い方がヒヤヒヤしながら、護衛二人の顔色をうかがう。

「いいのよ、別に」

「我々が異常なのは、わかっている」

 普段と変わらない様子でそう言う二人に、若い方は安堵のため息を吐く。

「でも私の主にそれ言ったら、命は保証しないわよ」

「同感だ」

 二人は普段と変わらぬ据わった目で、一瞬だけ殺気を放出し、

「ヒイッ!」

「わかってるよ。あー、おっかねえ」

 それからすぐに、各々の愛しい少女に目線を戻した。

「なんだ、ちったあ人間らしい顔出来るんじゃねえか。お前ら」

            

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