深海なる樹林4
「あー、やっと帰れる……」
「ええ、そうね」
ユキホに擦り傷の治療をしてもらっているスミナは、シートの上に座ってしんなりとしている。
脱脂綿に浸みこませた消毒液が傷にしみて、彼女はすこし顔をしかめた。次に軟膏を傷口に塗り、大きめの絆創膏でそれを覆う。
「終わったわ、スミちゃん」
「んー」
スミナがシートの上からどくのを待ってから、ユキホはその上に広げた荷物をバックの中に手早く片付けた。
それから彼女は、バッグ横のポケットに丸めて入れていた死体袋を取り出した。銀色のそれを手にもう一度斜面を降り、発見した死体を中に入れる。
その足の部分にロープをくくりつけて、ユキホはまた崖を登った。
「スミちゃん」
谷底の死体を引き上げながら、ユキホは横でシートを折りたたんでいるスミナに話しかける。
「ん?」
「お仕事終わったって、会社に連絡しておいて」
「了解」
全身が筋肉痛になっているスミナは、緩慢な動作で自分の携帯電話をポケットから取り出した。
「……なんだこりゃ」
彼女が電源ボタンを押すと、なにやら画面の表示がおかしくなっていた。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
一度バッテリーを抜いて入れ直したが、今度はうんともすんとも言わなくなってしまった。
「壊れてるの?」
「どうやらそうらしい」
スミナは、あの車に無線かなにかないかと訊いたが、ユキホは、その手のものはなかったわ、と答えた。
「うーわ……。マジかよ……」
遠い目をしてそう言ったスミナは、夕暮れの赤に染まりつつある空を仰いだ。
*
二人はキャンプに戻ると、いつものバケツに死体を入れ、蓋に粘着テープを貼って密閉した。それから車の中に戻って汚れた服を着替えた。
「……なんでこうなるんだよ、全く」
風によって波が立っている、赤と紺のコントラストに彩られた湖面を、スミナはぼんやりと眺めつつぼやく。
一応、担当の『ポリッシャー』である若い男が、定期的に物資の補給にやってくる手はずだが、それまでは後3日もある。
「もし待てないなら、私が歩いてスミちゃんを連れて帰るわ」
ベッドに座っているユキホは、そう言って立ち上がるが少しふらついた。
さっき打った痛み止めの麻酔が効いている内に、彼女は自分で脚の傷の縫合をし、そこに特大サイズの絆創膏を貼っている。
「そんな状態で何言ってんだ、お前は」
けが人はおとなしくしてろ、と言ったスミナはユキホを座らせて、自分もその右隣に座る。
「……悪い。いつも、ユキばっかりこんな目に遭わせて」
「気にしないで、スミちゃん」
少し涙目になっているスミナを抱きしめ、ユキホは耳元でそうささやく。
「いつも言ってるけどなぁ、お前はもうちょっと自分を――」
スミナが説教を始めようとすると、突然、何かに感づいたユキホが、静かに、のジェスチャーをしてその発言を遮る。
その直後、車外からバイクのエンジン音が聞こえてきた。
「スミちゃんはここにいて」
ベッドの上にあるナイフを手に、ユキホが窓から外の様子を窺っていると、赤いカラーリングの大型二輪が少し離れた所に停車した。
その運転手は、黒いライダースーツのようなものを纏った女だった。フルフェイスヘルメットのバイザーのせいで、その表情を窺い知ることができない。
彼女がエンジンを切ると、座席後ろの荷物入れを開けて、中からコンビニの白い袋を取りだした。
「おーいスミナー、差し入れ持ってきたぜー」
それを手に提げてドアの前にやってきた女は、親しげな様子でスミナに呼びかける。
「ユキ、そいつは敵じゃない」
スミナはその声を聞いて、それが誰かなのかに気がついた。
「アタシが朝に電話してた、
まだ帰ってないのか? と、女がつぶやいてバイザーをあげると、年齢の割には大人びている、ゴーグルタイプの眼鏡をした少女の顔が見えた。
「その子で間違いなさそうね」
記憶が合致したユキホはそう言って、勢いよくドアを開けた。
「うおっ!?」
そのせいで外の彼女は、危うく頭を殴られそうになった。
「あっぶねえだろ! この黒ゴス!」
「あら、ごめんなさい」
ヘルメットを外して、眼鏡をかけ直した少女はユキホにくってかかるが、当の彼女には全く悪びれる様子はない。
「いやー、いいところに来てくれたな帆花。お礼に掃除代一回ただにしてやるよ」
「……お前、頭でも打ったか?」
いつになくスミナが盛大に出迎え、かなり気前のいいことを言うので、帆花と呼ばれた少女は困惑顔をしていた。
スミナは彼女の携帯電話を借り、『社長』へ迎えに来るように連絡を入れた。そのついでに彼女は、ユキホのけがの治療費と完治までの休暇を、暴言の応報をしつつもぎ取った。
「じゃ、またな」
ヘルメットを被りバイクにまたがった帆花は、窓から顔を出しているスミナに向かってそう言い、自分の顔の高さで数回手を振った。
「おう。またな」
差し入れのマシュマロを食べつつ、手を振り返すスミナを帆花は一瞥する。それから大型二輪車を発進させ、夜闇の中を走り去っていった。
再び車内に戻ると、スミナはもそももとベッドに潜り込んだ。
「ちょっと横になる」
「わかったわ」
ユキホがその横に腰掛けると、スミナは寝返りをうって彼女にくっつく。
「ユキ……」
「なあに?」
甘えてくるスミナの頭を、ふふ、と笑って優しく撫でた。
「せっかく休みとったし……、たまにはお前もゆっくりしろよ?」
「でもそれじゃあ……」
「うるせえ。命令だ」
「……わかったわ」
スミナの強い意思を感じる、紅い瞳に見据えられたユキホは、おとなしく反論する事を諦め、スミナの言う通りにすることにした。
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