深海なる樹林3

 結局、死体探しは昨日と同じく、ユキホの鼻を頼りに探すことになった。

 拠点の北側は東側のエリアよりも、さらに木が鬱蒼と生い茂っている。その上、ほぼ真円の湖に流れ込む沢のせいで、昨日までと違ってかなり高低差がある。

「スミちゃん大丈夫?」

「……そう見えるか?」

 あっという間に体力が切れたスミナは、ほぼ最初からユキホの腕に抱かれていた。

 出発から三時間後、ユキホはこの日三回目の位置確認のために、周囲に比べて地面が平坦な場所で止まった。

 ユキホはスミナを右腕に乗せ、左腿のシースに収めてあるサバイバルナイフを抜いた。それで足元の草を二畳分ほど刈り取ってから、スミナをそこにおろす。

「その木の後ろ、崖だから気をつけてね」

 そこに近寄ろうとしていたスミナは、おう、と答えて引き返してきた。

 ユキホは、下草を刈ったところにビニールシートを敷いて、その上に背負ってる荷物を置いた。

 立ったまま作業をしているユキホを見て、

「……ユキ、お前もちょっと休め」

 二つも『荷物』持ってたし、さすがに疲れただろ? と、スミナは自虐気味に言った。

 すると、ユキホは手に持っていた端末を放り出して、もの悲しそうな表情で彼女の肩を掴む。

「な、なんだよ?」

「そんな事、言わないで……。スミちゃんは私の大切な人よ」

 冗談を真に受けたユキホは、『主人』をひしと抱きしめてそう言う。

「……お前はいい加減、流すって事覚えろよな」

 なすがままになっているスミナは、呆れ半分、嬉しさ半分といった表情をしていた。


 靴を脱いでから、二人はシートの上に座った。すると山から降りてきた風の寒さが、容赦なくスミナの痩身に襲いかかる。

「これで寒くない?」

「ん」

 そこでユキホは、自らの脚の間に寒がるスミナを挟み、彼女の腹の辺りに手を回した。

「ねえ、スミちゃん。あなたはこういう所と街中と、どっちが好き?」

 昼食のブロックのクッキーを食べるスミナは、

「んー……、そうだな」

 そう訊いてきたユキホに、その上体を預けた。地面に当たる木漏れ日が、吹く風に合わせて揺らぐ。

「アタシはユキと一緒なら……、別にどっちでもいい」

 少し耳を赤くしているスミナは、ユキホから表情見えないようにして答えた。

「嬉しいわ」

 一段と壊れたような満面の笑みを浮かべ、好きよ、とユキホは彼女の耳元でささやいた。

 それに対してスミナが、知ってる、と返す、いつもの愛情確認をしていると、

「……」

 間の悪いことに昨日の熊が、茂みからひょっこりと出てきた。ユキホと目が合った彼は、蛇に睨まれたカエルのように体が硬直している。

「また出たああああ――、へっ?」

 スミナは脚の間から飛び出し、ユキホの後ろに回った。だが、下に敷かれたシートのせいで足が滑り、彼女はバランスを崩して尻餅をついた。

「うおっ!?」

 するとその地面が、突然、落とし穴のように崩れ落ちた。崖っぷちに生えていた木が倒れ、崖下に落下していく。

 スミナが転んだ所の真下は、岩盤の風化がかなり進んでいて、表面を覆う木の根でなんとか持っていた状態だった。

「スミナ!」

 とっさに、スミナの手を握ったユキホの足下がさらに崩れ、二人もろとも崖下へと落ちていくはめになった。

「うわああああ!!」

「――ッ!」

 ユキホはスミナを抱きよせてから体勢を立て直すと、自分が下になって斜面を滑り降りていく。

 十メートル程降った辺りで、突き出ていた大岩に引っかかって止まった。

「ケガはない!?」

 ユキホは軽くパニック気味な様子で、腕の中のスミナに訊ねる。

「おう、特にはな」

「良かった……」

 幸いにも彼女の被害はタイツが破けたのと、若干の浅い擦り傷だけだった。

「畜生……、あの熊野郎め……」

 二人のいる所から、もう二、三メートル下の谷底には、ごつごつとした岩が転がっていて、その間を水が音を立てて流れていく。

「さーて、困ったな」

「そうね」

 足元の平らな岩の上に立ち、落ちてきた辺りを二人して見上げる。

「ユキ、上れるか?」

「ええ、問題ないわ」

 少し急な斜面ではあるが、幸い足場となる低木や太い木の根が所々に突き出していた。 その上、ユキホの身体能力をもってすれば、どうという事はないのだが、

「ッ……?」

 ユキホが太い根に左足をかけた途端、腿の辺で強い痛みが走った。

「お前がケガしてるじゃねえか!」

 下から見ていたスミナが、その原因に気がついた。

 ユキホの左腿に3センチほどの裂傷ができていて、黒いニーソックスに血がしみこんでいる。それは下っている最中に、斜面に生えている枝によってできたものだった。

「大丈夫よ。この位……、大した傷じゃないわ」

 シースのベルトきつくして、とりあえず間に合わせで止血をした。

「嘘つけ」

 一見平然としている様に見えるが、ユキホの額には大量の脂汗が浮かんでいた。

「本当よ?」

 と、彼女はスミナを安心させようと、平然とした様子を装ってニコリと笑う。

「……あんま無理すんな、ユキ」

「ええ」

 スミナが心配そうに見つめる中、ユキホは左足を庇いつつ崖を登って行く。

 30分ほどかけて、ユキホはどうにかこうにか崖を登り切った。熊が居ない事を確認してから自らの傷を応急処置し、次に、万が一に備えて持って来ていた、少し強めの痛み止めを自らの足に打つ。

「スミちゃん、もう少し待っててね」

「おう」

 それから彼女は、バックパック横のロープを手にして、近くにある太めの木の幹にくくりつけた。その反対側をスミナがいる崖下に垂らした。

 安全ベルトについている落下防止の金具をロープにはめ、それを何度か強く引っ張って確認した上で、急いで懸垂降下を始める。

「お待たせ、スミちゃん」

 スミナの待つ地点に降りたユキホは、彼女の腰にベルトを装着して、それを自分のものと繋いだ。

 彼女はスミナを抱いたまま、斜面に対して垂直に立って再びそこを登り始めた。

「……お前本当に脚大丈夫か?」

 正面から抱きつく格好で運ばれるスミナが、ユキホに改めてそう訊ねる。

「平気よ」

 相変わらず顔色すら変えない彼女は、そう答えると自らの『主人』に笑いかけた。

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