深海なる樹林2

 その後は何事もなく、ユキホ達は拠点の大型キャンピングカーに帰った。それはちょうど、円形の湖を縁取る草原と、森のちょうど境目付近に停めてある。

「当分……、帰れそうにねえな」

 扉の下にあるステップを上がって、車内に乗り込んだスミナは、開口一番、ため息と共にそう言った。

「引き受けなきゃよかったぜ……」

 彼女は、テーブルを挟んで設置してあるベンチシートに座り、肘を突いてもう一度ため息を吐く。

「ねえスミちゃん、ご飯何食べたい?」

 スミナから見て右奥の方にある、簡易キッチンの所にいるユキホが、アンニュイな表情の彼女に訊ねた。車内はバッテリー節約のために、最低限の照明しか付いてない。

「カレー……」

「分かったわ」

 ユキホはアルミ鍋に水を張り、窓を少し開けてから火をかける。

「冷えてきたな……」

 日が沈んだせいで急激に冷え込み、肉が無いスミナはその寒さに身体を震わせる。

「はい、これ着て」

「ん」

 それを見たユキホは、自分が着ていた上着をスミナに渡し、上半身は袖の無い黒のインナーだけになった。

「……ユキ」

「なあに?」

 キッチンに戻った彼女は、真っ白な髪をゴムで一つ結びにする。

「その格好寒くないか?」

「いいえ。平気よ」

 いつもの据わった目でスミナに笑いかけ、ユキホはシンク上の戸棚から、甘口のレトルトのカレーとご飯を取り出す。

 できあがりをぼうっと待っているスミナの携帯に、『社長』から定期連絡の電話が掛かってきた。

「で、死体は見つかったのか?」

「まだだよ!」

 一言も謝らずにそう訊ねてきた『社長』に、彼女は顔しかめてぶっきらぼうな口調で答える。

「期限までに見つけろよ? 経費もバカにならん」

「うっせえバーカ! このエロガッパ!」

 理不尽なクレームを喰らってブチ切れたスミナは、『社長』に罵声を浴びせてから通話を切った。

「他人事だと思いやがって畜生が……!」

 彼女がブーブー悪態をついている内に、できあがりを知らせるタイマーが鳴った。

 スミナの声を聞きつつご飯を紙皿に盛って、その上にカレーをかける。

「おまたせ、スミちゃん」

「ん」

 スミナの目の前に料理を置き、ユキホは彼女の隣に座る。

「はい、あーん」

「あー」

 彼女はスプーンで掬ったそれを、少し冷ましてからスミナに食べさせる。

「美味しい?」

「ん」

 時々舌を出してヒーヒーしている彼女を見て、ユキホはシンクの下から水を取ってきた。

 たっぷりと時間をかけて、半分ぐらい食べた所でスミナは満腹になった。皿に残ったカレーは、

「ふふ、スミちゃんと間接キス……」

 ユキホが怪しげに笑いつつ、美味しく頂いた。

 空になったパック等をゴミ箱に捨ててから、ユキホはベッドに腰掛けているスミナの隣に座る。

「スミナ……」

 酩酊したような蕩けた目をしているユキホは、スミナを優しく押し倒して、仰向けの彼女の上に覆い被さる形になった。

「んっ……。ま、て……っ」

 ユキホはスミナの首筋を味わうように舐め、彼女の服の裾から手を差し込む。

「その前に……、シャワー…… あ……っ」

 陶然とした表情のスミナは、ユキホの手を緩慢な動作で握って止めさせる。

「あら、ごめんなさい」

 一度立ち上がったユキホは、無防備なままのスミナを抱き上げ、シンクの反対側にあるシャワールームに連れて行った。

「シャワー付きとか、さすが最上級だな」

「ええ」

 『社長』は当初テントを用意する予定だったが、風呂はドラム缶だと言うと、二人に半ば脅されるような猛抗議を受けた。その結果、業者が用意できる車両で、一番レンタル代が高いものを手配するはめになった。

 先にルーム内を湯で温めてから、二人は1畳ほどのシャワールームに入る。

「スミちゃん、目閉じて」

「おう」

 ユキホはいつもの様に、まずスミナの髪、続いて身体の隅々まで丁寧に洗い上げた。

 その後、彼女はスミナの身体を拭いて服を着せてから、自分の入浴に取りかかる。

「……なあユキ」

 イスに座っているスミナは、プラスチック製の窓越しに話しかけた。窓には柔らかそうではあるが、ほどよく締まっているユキホのシルエットが映る。

「どうしたの?」

 すでに洗い終わっていたユキホは、シャワーを止めて中から出てきた。

「お前みたいに……。いや、何でもねえ」

 肌に付いた水分を拭っている、ユキホの豊かな膨らみを見て、スミナは意気消沈している。

「スミちゃんは、そのままでいいのよ?」

 掌でスミナの平原に触れたユキホは、壊れたニコニコ笑顔でそこを撫で回す。

 一瞬で真っ赤な顔になったスミナは、ユキホの鳩尾を殴って制止する。

「ごめんなさい。……うふふっ」

 ユキホはものすごく幸せそうに、殴られた所を撫でていた。

「まったくお前は……」

 彼女に抗議の目を向けつつも、胸を両手で押えているスミナは、満更でも無さそうにため息を吐いた。

 ややあって。

「もういいぞ、ユキホ……」

「ええ……」

 スミナの求めるような声に答えて、ユキホは彼女の布団の中に潜り込んだ。

 やがて掛け布団がもぞもぞし始め、甘い二人の夜がスタートした。


                  *


 翌日も、空はスッキリと晴れていた。

「ん……」

「おはよう、スミちゃん」

 少し日が高くなってから、スミナはやっと目を覚ました。大あくびをして目をこすっている彼女の髪の毛は、草むらのように撥ねまくっている。

「寒い……」

 既に身支度が調っているユキホは、手早くスミナを着替えさせてから、その厄介な寝癖をあっという間に整えた。

 ベンチシートに移動したスミナは、朝食のロールパンをリスみたいに食べ始めた。窓から外を眺めると、スクリーンの様に真っ白だった。

 テーブルに広げてあった捜索エリアの地図に、ユキホはGPSの端末を見つつ新たな図を書き加えた。

「……うわ、三日でたったこれだけかよ」

 森の西南にある拠点から東側に、太い線で縁取りをした捜索済を示す赤色の斜線が引かれていた。だがその範囲は、森全体の20分の1ほどでしかなかった。

「今日は北の方に行ってみるぞ」

「分かったわ。ところでスミちゃん、コーヒー飲む?」

 スミナが肯定したのを聞いてから、ユキホは金属のカップにインスタントコーヒーを入れ、少し冷ましたお湯を注ぐ。続いて、適量の砂糖と、クリームをたっぷりと入れた。

「はい、どうぞ」

「ん」

 それでパンを流し込んだスミナは、小さくゲップをしてから立ち上がった。

「スミちゃん……」

 すると、ユキホがしっとりとした声で『主人』の名を呼び、その身体を後ろから抱き寄せた。

 スミナの肩から脚の付け根へと、彼女の手が蛇の様にスルスル降りてくる。

「朝からはやめろ。……バカ」

 吐息を漏らしてそう言ったスミナが、ユキホに肘打ちを喰らわせて、その怪しげな手を止めさせた。

「残念」

 スミナの手を取って、その甲にキスをしたユキホは、愉快そうに小さく笑った。

 ややあって。

 スミナはこのままだと埒が明かないと判断し、同僚のアイリとタケヒロコンビを助っ人を呼ぶ事にした。

「もしもし。何か用?」

 早速、アイリに電話をかけるスミナだが、

「おうアイリ。お前らに仕事手伝っ――」

 最後まで話を聞かれずに、彼女に通話を切られてしまった。

「んだよアイツ!」

 それに腹を立てたスミナは、怒りのリダイヤルを敢行する。

「ただ今電話に――」

「留守電かよ畜生め!」

 無機質な合成音声で返され、イライラが爆発した彼女は、右足で地団駄を踏む。

「落ち着いてスミちゃん」

 そんな怒れる彼女の頬を両手ではさみ、ユキホは円を描くようにむにむにする。

「……」

「落ち着いた?」

 ユキホの突飛な行動に、スミナは毒気を抜かれて黙り込む。

「しゃーない、アイツに頼むか……」

 彼女はそう言って、電話帳に登録されている、唯一の親友である少女に番号にかけた。

「ん? どした?」

 2コールで電話に出た彼女はアイリと違って、全くトゲが無い。

 背が高い彼女は年の割に容姿が大人びていて、『情報屋』お抱えの狙撃手をやっている。

「おう。仕事にちょっと手こずっててな」

 ザックリと事情を説明してから、スミナは彼女に仕事の手伝いを頼んだ。

「手伝いたい所だけど、生憎そんな暇がなくてな」

 彼女はアイリと違って、とても申し訳無さそうに断った。

「そうか。無理言って悪かったな」

「いいって、いいって」

 代わりになんか差し入れ持って行く、と言ってから、そっちも仕事頑張れよ、と言って電話を切った。

「あてが外れたの?」

「おう」

 落胆の色が隠せないスミナの頭を、ユキホは慰めるように撫でる。

 外に立ちこめていた霧は、太陽が空気を暖めたおかげですっかり晴れていた。

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