不可分の鎖2

「アイリ! どこだ!」

 全力疾走で駆けつけたタケヒロは、大声で『主人』の名を呼ぶ。滝の様に流れる汗で服が肌に張り付いていた。

 まさか、また……!

 どこにも彼女の姿が見当たらず、最悪の事態が頭をよぎった。が、

「タケヒロ……?」

 恐る恐るバケツの中から顔を出したアイリが、弱々しい声でそう言った。

「無事か!?」

 素早く駆け寄って蓋を完全に開け、彼女の脇に手を入れて高々と持ち上げるタケヒロ。動揺しまくっている彼は、そのままで彼女にそう訊ねた。

「大丈夫! 大丈夫だから降ろして!」

 涙目でそう訴えるアイリに、……すまない、と謝ったタケヒロは、ゆっくりと彼女を地面に降ろした。

「遅くなってすまない」

 それと同時に彼の胸に飛び込み、アイリは震える腕で強く自らの『下僕』を抱きしめた。

「怖かったよ……、タケヒロ……」

 ……こんな事なら何としてでも、要求を突っぱねるべきだった。

 怯えている彼女の背を撫で、タケヒロは己の失策を悔やんだ。

「さあ、帰ろう」

「まって、スミナあのこは? それに仕事が……」

 困惑した様子で見上げているアイリを、彼は問答無用で抱え上げて帰路につく。

「そんなもの、どうだって良い」

 タケヒロの言葉に籠もっている怒気に、長年、彼を連れ添っている彼女ですら、背筋がヒヤリとして言葉を失った。


                  *


 半ば仕事を投げ出して帰ってきた二組は、『掃除屋』社屋の廊下途中にある、広場スペースでばったり遭遇してしまった。

「あ、やべえ」

 察したようなスミナの声を合図に、ユキホとタケヒロは互いに剣を抜いてにらみ合う。

「おい! やめろユキ!」

「お互い様なんだからやめて!」

 途中まではいつもの事だったのだが、今回は互いに互いへの明確な殺意があった。そのせいで二人は制止も聞かずに、斬り合いを始めてしまった。

「あはっ」

「殺す殺す殺す殺す――」

 ユキホとタケヒロは狂ったように笑いながら、互いの得物を打ち合わせ金属音と火花を散らす。

「おいおいおい、どうしたんだ?」

 連絡を受けたアイリ組担当の中年『ポリッシャー』が、象用の麻酔銃を担いでやって来た。

「いつもの……、のはずなんだけどな」

 アイリとスミナが何度制止しても、その命令を無視してやり合いを続ける。お互い譲らず一進一退の攻防になっていた。

「ど、どうすればいいのよ!」

 泣きそうになりながら、アイリはスミナの腕をひしと掴む。その時、

「どうするもなにも――、うわっ!」

 タケヒロが振り下ろした剣が当たって蛍光灯が割れ、その破片が飛散して飛んできた。二人はとっさに腕で顔を覆う。

 それを見た彼とユキホは剣の腹で破片を弾き、降り注ぐ破片から二人を護った。

「ドンパチしてても『主人』優先かよ」

 たまげたな、と中年が半分他人事のように言う。

 全く互角の二人は、互いにダメージはないものの、服が所々切れてそこから汗で湿っている肌が覗く。

「……! なんとかなるかもしれねえな」

 スミナはふと妙案を思いついて、そう独りごちる。

「どうやるのよ!」

 それを聞いてアイリは、食い気味に彼女へと詰め寄ると、

「近けえよ離れろ!」

 スミナはそう怒鳴って、彼女から半歩離れた。

「あいつ等は、アタシ達を傷つける気は微塵もねえ」

 後は分かるな? とスミナが言うと、瞬時に理解したアイリはコクンと頷く。

 ひときわ大きな金属音が響き、ユキホとタケヒロの間が大きく開く。そのまま動きが止まった所で、『主人』二人は各々の『下僕』にしがみつく。

「……スミちゃん、離して。動けないわ」

「危ないから近寄らないでくれ、アイリ」

 両者、剣を最上段に振り上げたまま、ピタリと動かなくなった。

「もうやめてよタケヒロ……、死んじゃったら……、どうするのよ……」

 タケヒロの胸に顔を押しつけて、アイリは肩をふるわせている。

「アタシは気にしてねえんだから、それで良いじゃねえか。なあ、ユキ」

 細いユキホの背中に身を預け、彼女に子どもに言い聞かせるようにスミナが言う。

 やむなく剣を納めて、『主人』の対応に『下僕』二人は追われる事になった。

「そうね……。スミちゃんが言うなら……」

 分かれば良いんだよ、とスミナは声を抑えめに言う。

「アイリ頼む、泣かないでくれ」

 一方、アイリは声をあげて号泣し始め、彼女をタケヒロは困り顔でなだめすかす。

 周囲の野次馬達から、やれやれ、と言った感じのため息が聞えた。

「お前らさっさと帰れー、見世物じゃねえぞー」

 麻酔銃を背負った中年が群がるモブ達を、野良猫にするのと同じ要領で追っ払った。

「ちょっといい? 伝言を頼みたいのだけど」

 疲れて寝てしまったスミナを抱きかかえるユキホは、さっさと戻ろうとする中年を呼び止めた。

「なんだよ」

「二度と今日みたいに、別行動させないで頂戴」

 もしまたさせるなら、皆殺しにするから、と口の端だけがつり上がり、ユキホは狂気的に笑う。

「へいへい、了解」

 『社長』に言っとくぜ、と言い、中年は手をプラプラさせて帰って行った。

「うぅ……」

 やっとアイリが泣き止み、タケヒロは安堵の表情を浮かべた。

「疲れたわ……」

「分かった」

 細い背中と膝の裏に手を差し入れて、彼はアイリを軽々と抱え上げた。

 タケヒロ達が広場から、同じ階の大分離れた所にある、アイリの寝室の前まで来たところで、その隣にある、スミナの部屋から出てきたユキホと目が合う。

「……」

「……」

 二人は数秒にらみ合うが、やがて互いに目をそらし、何事もなく殺風景な廊下をすれ違った。

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