不可分の鎖1
日付が変わってまもなく、いつもの様に仕事の依頼が『掃除屋』に入る。死体処理担当の二チームは、それぞれ社用車に乗って現場周辺へと向かった。だが、
「なにか問題でもあるのか?」
人気がない落書きだらけの道を、麻の白い外套をはためかせ歩くスミナの後ろに着いてくるのは、ユキホではなくタケヒロだった。
「問題しかねえよこの野郎!」
スミナは振り返ってそう叫び、変な迷彩服を着用する彼を睨みつけた。
肌にまとわりつく様な湿気た空気が、小高いビル群の間に澱んでいる。空一面を覆う雲に、街の明かりが反射して夜闇を薄く照らす。
「なんたってユキホと別行動なんだよ!」
追いついたタケヒロの脚に、スミナはかなり貧弱な蹴りを入れる。
「そういう命令だ。仕方がない」
彼女が疲れて蹴るのをやめるまで、タケヒロは無表情で受け続けた。
「それに簡単な仕事だ。すぐに帰れるだろう」
顔には出さないが、正直なところ彼もアイリが心配でしょうが無かった。
「へいへ――ッ」
しかめっ面のスミナは、道端の空き缶を八つ当たりで蹴り飛ばし、その勢いでバランスを崩して尻餅をつく。
「……」
彼女はゆらりと立ち上がり、白いショートパンツをはたいた。そこから伸びる、細い脚を包むタイツが少し伝線した。
「んだよ!」
「いや?」
あまりのばつの悪さに、さらにスミナの機嫌が悪化していく。
「……」
「……」
一方、アイリとユキホの二人はユキホを先頭に、無言のまま港湾エリアの倉庫街を進んでいく。
黒いゴスロリのワンピースを纏う彼女には、アイリの歩調を合わせる様子はさらさらない。
「……ああもう! 何か喋ったらどうなのよ!」
沈黙に耐えきれなくなったアイリは、早歩きでユキホを追い抜き、前に立ってそう訊ねる。
「あなたに話すことはないわ」
眉根を寄せ、据わった目で冷たくユキホはそう言い放ち、『主人』と同じ白衣を着たアイリを見下ろす。
「ちょっとはコミュニケーション取りなさいよ!」
「黙って頂戴」
アイリを避けて、ツカツカ行ってしまうユキホ。
「先に行かないで!」
必死に着いて歩きつつ、アイリは幾度となく話しかけるが、ユキホはその度に睨み付けてくる。
「……いくら何でも、差がありすぎじゃ無いの?」
ユキホと普段共にいるスミナには、砂糖菓子のような猛烈に甘い接し方をしている。
「当たり前じゃない、あなたと違ってスミちゃんは――」
それから、いかにスミナという少女が素晴らしいか、という話が延々続く事になった。
何でいきなり饒舌になるのよ……。
喋り続けるユキホの表情は、恋する乙女そのものだった。
やっぱり断れば良かったわ……、と独りごちて、アイリは大きなため息を吐く。
*
遡る事2時間。
「はあ? ふざけんなハゲ!」
「到底納得できないわ」
『掃除屋』社屋の会議室に呼ばれた四人は、『社長』から別々のコンビで仕事しろ、と言い渡される。
万が一、有事に組み合わせが違ってしまった時の対策、という目的に理解を示したのはタケヒロだけだった。
「私は絶対嫌だから!」
アイリも白黒コンビ同様、拒否の一点張りで譲らない。
「どう見てもフッサフサだろうが! あと拒否したら部屋から追い出すぞ!」
「良いぜやってみろよ! 毛どころか胴体まで刈られても良いならな!」
スミナがそう言うと、躊躇無く背負っている包丁のお化けを抜いたユキホは、それを最下段に構える。
「やめて下さい」
『社長』の秘書のパンツスーツを着た女性が、大型のサバイバルナイフを手に、ユキホの前に立ちふさがる。その目には普段と違って、獣のようなどう猛さを帯びていた。
「冗談だユキホ。剣を仕舞え」
ユキホは命令通りに剣を鞘に収め、
「昔の目になってるぞ、アオイ」
「……申し訳ありません」
それと同時にナイフを仕舞う秘書。彼女はまた、いつものおとなしそうな表情に戻る。
「タケヒロ、なに今の?」
「人には意外な面があるものだ、アイリ」
秘書の豹変ぶりに、アイリは面食らって生返事を返す。
「決定事項だ。変更は無いからな」
以上、と言って『社長』は四人を追い出す。
「サボタージュしてやる!」
「タケヒロと別々なんて絶対嫌だから!」
無視してブーブー文句を言う『主人』二人。
「タケヒロくん、その三人を説得してくれ」
迷惑そうにしている『社長』は、タケヒロに丸投げして秘書と共に出て行く。
キラーパスを受けた彼は、なんとか三人を丸め込んで、渋々了解させたのだった。
*
「なんで落ちてねえんだよ!」
指定された地点までやって来たのだが、肝心の死体がどこにも無かった。
「クソが!」
スミナは腹いせに石を廃ビルに向かって投げるが、それはすっぽ抜けて壁に跳ね返り、彼女の脳天に直撃した。ついでに、投げると同時に肩まで痛めてしまった。
「い……ッ」
頭と肩を抑えて涙目で呻くスミナ。
「差し出がましい事を言うようだが、君はもう少し運動するべきだ」
そんな彼女を見下ろして、タケヒロはそう言った。長い前髪の奥から、ユキホ同様据わっている、黄色い瞳が覗く。
「うるせえ! お前も死体探せよ!」
タケヒロを睨み付け、そう怒鳴って八つ当たりする。
「恐らく死体はこの周辺にはないだろう。どこからも死臭がしてこない」
「ポリの連中……、ってことはねえか」
「もしそうなら、今頃ここは立ち入り禁止だ」
んなことわかってんだよ! とキレつつ、スミナは首から提げている、赤い懐中電灯を付けた。
「ん? 何だこれ?」
そう言ってしゃがみ込んだ彼女は、照された汚い路面の表面に、一筋の何かが引きずられた跡を見つけた。
「もしかしなくても、死体のものだろう」
「面倒な事しやがって……」
スミナは思い切り顔をしかめて舌打ちした後、それをたどって歩き出す。これ以上どこか痛めたくないので、彼女はぼやくだけに留めた。
「分かった! 分かったからちょっとストップ!」
ユキホの語りが三十分に及んだところで、アイリは彼女の目の前で手を振って制止する。
「何?」
また表情が一転したユキホは、冷え切った目を彼女に向ける。
「そろそろ現場なのよ」
二人はちょうど、街灯が少なくなり始めるエリアに入っていた。厚い雲のせいで相変わらず月明かりは望めない。
だが、こちらも目当てのものは無かった。
「どうなってるのよ全く……」
探し疲れたアイリは、その辺に落ちていたビールケースに座わる。それと同時にアイリの携帯電話に着信があった。スカートのポケットから携帯を出して電話に出る。
「そっちも何かあったの?」
『何かどころの話じゃねえよ』
明らかに不機嫌そうな声色のスミナは、自分の現状を伝えてきた。
「そっちもなの」
『全く、めんどくせえ事になったもんだ』
何かあったら連絡しろ、と言ってスミナは一方的に電話を切ってしまった。
「……」
携帯を戻したアイリは、終始無言だったユキホが、暗闇の一点を見つめているのに気がついた。
「なに? 何か見つけたの?」
夜目が利かないアイリには、何一つ見えない。
「……」
その質問を無視したユキホは、彼女とバケツを置いて一人で行ってしまった。
「ちょっと待って!」
その声は暗闇の中に吸い込まれ、帰ってきたのは僅かに聞える波音だった。
「なんなのよ!」
ぽつんと一人、古めかしい街灯の下で、アイリは取り残されてしまった。
「うう、タケヒロ……」
肩に提げた小さなバッグから、護身用の銃身が短い銃を取り出す。
昔は確かずっと、こんな感じだったわね……。
彼女がまだ『商品』だった頃、肌の白さを保つため、薄暗い檻の中で育てられ、一切外には出られなかった。
もう帰りたい……。
安全装置掛けっぱなしの拳銃を握る、その手の震えが止まらなくなっていた。
「――ッ!」
どこからか、何かが倒れる様な物音が聞え、アイリは慌ててバケツの中に入る。
もういや……。
即座にその蓋を閉めた彼女は、狭い中で膝を抱え怯えていた。
「どうやら、この辺りみてえだな」
照らされた先に、かかとがすり減ったスニーカーが落ちていた。死体を裸足のまま引きずったせいで、跡が途中から赤くなっている。
タケヒロがその線に触れると、それはまだ新しく、死体の血液で指先が湿った。
「では行こう」
跡が続く先の狭い路地に入っていくタケヒロ。
「……」
だが何故かスミナは、その入り口で立ち止まっていた。
「どうした」
振り返ったタケヒロに急かされると、彼女はぎこちない返事をし、落ち着かない様子でタケヒロの後に続く。
一歩、また一歩と歩を進める度に、スミナの顔色がどんどん悪くなっていく。だが、彼女が気を張っているせいで、タケヒロはそれに気が付かない。
「ここか」
明かり一つ無い路地をしばらく進み、突き当たりを右に曲がった所で、持ち去られた男の死体が現われた。それは服が脱がされていて、傍にサイフが落ちていた。
「どうやら死体漁りの仕業らしい」
そう言ってタケヒロは、背負っている包丁の様な大剣を抜いて、いつもの様に死体をバラそうとする。
「う……ッ! あ……」
彼は突然聞えたあえぎ声に振り返ると、額から脂汗を流すスミナが、左上腕を押えてうずくまっていた。
「どうした」
一旦、剣を肩に乗せたタケヒロは、かがみ込んでそう訊ねる。
「ッ……、あ……、ぅ……」
だが、過呼吸を起こしかけているスミナは、苦悶の表情を浮かべるだけで、何も言うことができない。
彼は、スミナが誰かに薬物でも打ち込まれたかと思ったが、周囲には明らかに誰の気配もなかった。
「私はどうしたら良い?」
相変わらず荒い呼吸をするばかりのスミナだったが、何とかポケットから携帯を引っ張り出してタケヒロに渡す。
「アイリに電話しろと?」
こくん、と彼女は頷くと同時に、地面に倒れ込んで身体を丸めた。
タケヒロがアイリにかけようとすると、ちょうど彼女から電話がかかってきた。
『ちょっと! あんたの相棒どっか行っちゃったんだけど!』
開口一番、憤慨したアイリの声が飛んできた。
「今、一人なのかアイリ!?」
ギョッとした表情でタケヒロがそう訊くと、
「……タケヒロ? ええ、そうなのよ……」
途端に泣きそうな声になって彼女はそう答えた。
あの女……ッ!
それを聞いたタケヒロから、憤怒の気があふれ出た。
「わかった。今からそちらに行く」
アイリの居場所を聞いた彼は通話を切り、携帯を苦しむスミナの頭元に置いた。
「あ……、あ……」
彼の最優先事項はあくまでもアイリであって、スミナがいくら苦しんでいようと、はっきりいってどうでも良い。
スミナは去って行く背に手を伸ばしたが、タケヒロは一切振り返ることをせずに行ってしまった。
ユキ……、ホ……。苦しい……。
ユキホに拾われるまで、今まで味わった生き地獄が一気に蘇る。そのとき付けられた古傷の痛みが、スミナへと同時に襲いかかった。
時間と共にその痛みは激しさを増し、スミナは気が狂いそうになる。
「あ、ああ……」
普段ならユキホが、こうなる前に彼女の気を鎮めているのだが、居ないのだからどうにもならない。
「うああああっ! ああああああああ!」
彼女はついに耐えきれなくなり、汚い地面をのたうち回り始めた。外套と白いインナー、ショートパンツが泥にまみれていく。
助けて……、くれ……。
「ユ……、キ……ッ!」
「スミちゃん!?」
そのとき、タケヒロが去って行った方から、ユキホが息を切らせて駆けつけた。
「あ……?」
その声を聞いたスミナは、焦点が定まらない目でユキホを見上げる。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……」
涙をボロボロ流す彼女は、愛するスミナの上体を起こして柔らかに抱擁する。
「ユキ……」
全身を蝕んでいた痛みから、スミナは急速に解放されていく。
「お前が……、謝る必要……、ねえよ……」
大分落ち着いたスミナは、ユキホの黒いワンピースを強く握りしめている。
「だって……、私が……、断れば……」
「お前が、来てくれただけで、いいんだよ……」
そう言ってスミナは、頭を彼女の胸元に押しつける。
「……そう、なの?」
「おう……」
スミナの気が落ち着くまで、二人はしばらくそのままでいた。
彼女の呼吸が平常に戻ってから、ユキホは所謂、お姫様抱っこで主人を抱える。
「それで、あの男はどこに行ったの?」
死体が落ちているばかりで、タケヒロの姿はどこにも無い。
「どっか行っちまったよ」
「……。……そう」
顔をしかめてそう言ったスミナは、つかなんでお前ここに居るんだ、と訊ねてから、ペットボトルの水を飲んだ。
「妙に死臭がする男を見つけたの」
目が合ったら逃げるから、という理由で追いかけていた時、偶然スミナの居る路地を通りかかった、とユキホは説明した。
「……お前、
「……? 忘れていたわ」
「おいおい……」
全く罪悪感のない表情で言ってのけるユキホ。スミナは面倒ごとの予感に、大きくため息を吐いて力なく首を振った。
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