くちうつし

「うー。あーあー……」


 昼前に目を覚ましてすぐ、喉に違和感を覚えたスミナは、特に意味のない言葉を適当に発した。

 すると、声質が普段よりもガッサガサで、喉がヒリヒリと痛むのを感じた。


「あら? スミちゃん、なんだか声がハスキーね。風邪かしら」

「多分な……。やっぱマスク買えば良かったか……」


 昨日の夕方、スミナはユキホと自分のスニーカーを買いに、自分が御用達ごようたしにしている、とある商店街の靴屋へと出かけた。


 冬場はいつも、出かけるときに、インフルエンザ予防でマスクをするスミナだが、


「あっ、なあユキ。マスクねえか?」

「ちょっと待ってスミちゃん。……あら、もう無いわね」


 自身も持ってくるのを忘れ、偶然、ユキホも在庫切らしていた。


 ユキホは、近くの薬局で買う? と訊いたが、スミナは、どうせそうそうかからないだろ、と言ってそのまま買い物をして帰った。


「まあ、のどあめでもなめて寝てれば治るだろ」

「そうね。……それにしても、スミちゃんのハスキーボイスってエッチね……」

「朝から盛るな。このバカ」

「ふふ。愛が痛いわ、スミちゃん」


 興奮しているユキホは据わった目で、にへらぁ、と笑ってスミナにおおいかぶさったが、彼女から額にチョップを喰らって、ユキホはマゾヒスティックに笑って残念がる。


「盛ってる暇があったら、のど飴でも取ってくれよな」


 その辺にあっただろ、とティッシュが散らかった部屋の隅にある、3段の引き出し付きカラーボックスを指さす。


「スミちゃん。この前、使用期限切れで捨ててなかったかしら?」

「あー……、そういえばそうだったな……」

「じゃあ私、『社長』さんにでも貰ってくるわね」

「おう。さっさと頼むぞ」

 

 ユキホは、はいはーい、と返事をして、自分たちの部屋から出ると、最上階の社長室へと猛ダッシュで向かっていった。



「のど飴貰いたいのだけど」


 社長室の前に着いたユキホは、扉をノックすること無く勢いよく開き、開口一番、書類仕事に追われている『社長』へ向かってそう言う。


「ひゃああああ!?」

「ノックしろクソガキ!」


 そのぶしつけにも程がある態度に、『社長』はキレ気味にそう返す。一方、その秘書のアオイは、びっくりしてその場でひっくり返っていた。


「なんだやぶから棒に。ここはドラッグストアじゃねえんだぞー」


 深々とため息を吐きながら、『社長』はそう言う。


「無いの?」

「あるけどアイツが嫌いなハッカ味だぞ」

「あらそう。ならいいわ」


 目当てのものが無いと分かると、ユキホはきびすを返してさっさと出ていった。


「一言ぐらい謝ったらどうだ……」


 『社長』が呆れた様子でそう言うと同時にドアが閉まった。


 次に彼女は、自分たちの世話係である、隠語で『ポリッシャー』と呼ばれる社員の内の1人である、若い男がいるオフィスに突入した。


「うわひゃああああ! 何ですかぁー……?」


 完全に気を抜いていた彼は、天敵とも言える少女の顔を見た途端、飲んでいたコーヒーを霧状に吹いた。


「うーわ、きったねえ」


 反対側のデスクに座る、スミナ達の同僚の2人を担当する中年の男は、握力を鍛える器具を握りながら顔をしかめてそう言う。


「今すぐのど飴買ってきて、部屋に届けて貰える?」


 若い男の座るデスクの上に、雑に代金の500円を置いたユキホは、有無を言わさずそう言って、返事も聞かずにさっさと出ていった。


「なんで私に……」

「ドンマイ」


 ぶつくさ文句を言いつつも、言うこと聞かないと後が怖いので、若い男は渋々自転車で近所のコンビニへと走る。




「戻ったわ。スミちゃん」


 ユキホがそう言って部屋に戻ると、ベッドの上で布団を被っていたスミナが、ホッとした様子で顔を出した。


「おう。飴あったか?」


 枕元に腰掛けたユキホにくっつきながら、スミナは彼女にそう訊ねる。


「無かったけれど、もうすぐ来るはずよ」

「?」


 スミナを抱き寄せて布団で包みつつ、ユキホはニコリと笑ってそう返した。


 しばらく正面から抱き合ってる状態でいると、若い男が帰ってきて、扉から顔を出したユキホにのど飴を渡した。


「来たわスミちゃん」

「おう。何味だ?」

「アップルね」

「レモンじゃねえのかよ。気が利かねえなアイツも」


 布団を掛けてベッドの上で横向きに寝転がるスミナは、不満そうにそう言う。


「もう1回買ってこさせる?」

「いや、まあそれでいいからくれ」


 『ポリッシャー』の部署に電話をかけようとしたユキホを制止して、スミナは口をちょっと開けて飴を要求する。


「ちょっとまってね」


 ユキホは素早く飴の個包装を開けると、1つ口に含んで少しみ砕く。


「おいおい、お前が食ってどうす――んッ」


 ベッドの脇で膝を突いたユキホは、困惑している様子でそう言ったスミナの唇を覆うようにキスをした。


「ん……、ふっ……、ゆひぃ……、ん……っ」


 細かくなった飴をスミナの口内に移すと、そのまま自分の舌を入れ、スミナの代わりに飴を溶かした。


 たっぷり30秒間舌を絡めてから、ユキホはやっと口を離した。


「あ……、う……。な……、に……、すんだよ、ユキぃ……ッ」


 真っ赤にとろけた顔をして、荒い息をするスミナは、至極真面目な顔をしているユキホへかろうじてそう言う。


「スミちゃんの喉に詰まったら危ないじゃない?」

「アタシは赤ん坊か……っ。流石さすがにそこまでじゃねえよ」


 むずがゆそうに太股ふとももをもぞもぞさせながら、というか噛み砕いたら意味ねえから、とユキホの過保護っぷりに半分呆れた顔でスミナは言う。


「そうなの」

「大概箱の裏に書いてあるだろ」


 飴を1つつまみながら、もう1回やろうとしていたユキホは、半身を起こしたスミナにそう言われて止める。


「つかお前、アタシとキスしたかっただけだろ」

「そんなことは無いわ。それは99%だけよ」

「ほぼ全部じゃねーか……」


 ユキホから飴を受け取って、口の中に放り込みながら、やれやれ、といった様子でそう言うスミナは、


「全く。……具合悪いのに、我慢出来なくなったじゃねえかよ」


 赤い顔をして、流し目でユキホにそう言った。


「じゃあ、寒くないようにすれば良いわね」


 それを見て性欲が爆発したユキホは、そう言うとスミナを後ろから抱き寄せた。


「……はずいから電気消せ」

「はーい」

 

 ユキホがリモコンで電気を常夜灯にして、2人はいろいろと楽しんだのだが、


「うう……。止めときゃよかった……」

「大丈夫? スミちゃん」


 汗をかいて身体が冷えたせいで、本格的に風邪をひいたスミナは、2~3日寝込む事になってしまった。

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『掃除屋』の忠実な狂犬 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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