蒼い薔薇の棘5

 ジョウジは細心の注意を払って、集合場所の駐車場へと慎重に少女を運ぶ。

「具合が悪かったら、すぐ言ってくれよ」

「……分かった」

 最初は少し嫌そうにしていた彼女だが、今は観念しておとなしく抱きかかえられていた。ヘルメットの割れ目から、青っぽいセミショートの黒髪が出ている。

 特に会話を交わさぬまま、二人は集合場所にたどり着いた。

 ジョウジは車の鍵のボタンを押して解錠し、少女の脚を持っている方の手で助手席のドアを開けた。

「これから、どこへ?」

「とりあえず医者だ」

 一応、脳震盪しんとうだからな、と言って、彼は助手席に少女をそっと座らせ、ゆっくりと背もたれを倒した。

「ほらよ。これ、取り返しといたぜ」

 ポケットを探ったジョウジは、そう言って再び少女に指輪を手渡した。

「……どうも」

 ギリギリ聞こえる程度の声でそう言った彼女は、それを手の上で数回転がして服のポケットにしまった。

 

 曲がりくねった山道を越えると、徐々に道路脇の街灯が増え、街の明かりが徐々に近づいてくる。

 出発してからは双方とも無言でいたが、

「……この仕事が終わったら、殺し屋を止めようと思っているの」

 独り言の様にそう言った少女によって、二人の間にあった沈黙が破られた。

「なんでまた?」

 ジョウジは彼女のしゃべり方が、やや温和になったことに目を丸くしつつ、その姿をちらりと見やってそう訊ねた。

「どうにもこの頃、あまりやる気が出なくて、ね」

 少しけだるげな口ぶりでそう言う少女は、頭骨型のヘルメットを脱ぐ。色白で深い黒色の瞳を持つ、その整った顔立ちがあらわになった。

「もしよかったら、その理由を聞かせてもらえないか?」

 ジョウジの問いかけに少女は、ええ、と答えてうなずいた。

「私の一族は、代々殺し屋をやっていてね――」

 フロントガラスと天井の境目を眺めつつ、彼女はそう言って火口を切った。


 幼い頃から父に人殺しのすべを教えられた私は、12才になる頃にはもう一人前の殺し屋になっていたわ。

 それから今までの4年間、父に命じられるまま人を殺し続けていた。それなりにやりがいも感じていたけれど、つい数ヶ月前、突然、燃え尽きたみたいにそれが無くなったの。

 だから、もう、殺し屋をやりたくない、ということを父に伝えると、

「お前が選んだ道だ。私は反対しないよ」

 と言って、特に反対はしなかったし、むしろ後押ししてくれたわ。けど父は、そのためには一つ条件がある、と私に告げたわ。

 それは、ターゲットの持ち物を一つ持ち帰るというものだったの。


「で、それがその指輪と」

「ええ」

 そう言ってまた頷いた少女は、しまっていた指輪を手に取った。

 ジョウジはそれを見ながら、なるほどねえ、とつぶやくと、車線を変更してインターチェンジに入った。

「で、止めた後はどうすんだよ?」

 少女にそう訊いた彼は、緩やかにアクセルを踏み込んだ。支線から本線に合流すると、ドリンク入れにあるボトルから、ガムを取り出して口に入れた。

「……これから、考えるわ」

 特に考えていなかった彼女は、そう答えると黙り込んで考え始めた。


                    *


 二人はジョウジの知り合いがやっている医院に行き、紹介状を貰ってから大規模な病院に向かった。

 少女がそこの個室に入り、しばらくすると、

「入るよ」

 彼女のものと似た頭骨の被り物をした、スーツ姿の男性が訪ねてきた。

「お父様……」

 ベッドに背を預けていた少女は、彼を見るやいなや身を起こして正座した。それを見たジョウジは空気を読んで席を外し、彼女の日用品を買いに出かけた。

「アオイ、任務は達成できたかい?」

 アオイと呼ばれた少女は、はい、とすぐ返事をして、指輪を取り出して実父に手渡す。

「確かに」

 それを受け取って確かめると、そう言って指輪を懐にしまった。

 親子の間で二、三会話を交わしてから、

「たまには、家に帰っておいで、アオイ」

「はい」

 我が子の頭を一撫でした彼は一度頷いた後、娘に背を向けて部屋から出て行った。


 アオイの父が廊下に出ると、ちょうど帰ってきたジョウジと遭遇した。

「ジョウジくん、だったかな?」

 ジョウジに、アオイの父がそう訊ねてくる。

「あ、ああ」

 彼は普通に立っているだけなのだが、ジョウジはその威圧感に気押されていた。

「娘が世話になったね。感謝するよ」

 深々と一礼したアオイの父は、それ以上は何も言わずに去って行った。

 あのオッサンとだけは、殺り合いたくねえな……。

 ほんの少し会話しただけで、ジョウジは精神的にどっと疲れていた。

「よっ。いろいろ買ってきたぜ」

 気を取り直して病室の戸を開けると、アオイは父親が来る前と同じ体勢で、特に面白みのない夜景を眺めていた。

「……どうも」

 ジョウジの方を見る彼女の目からは、生気が完全に抜け落ちている。

「飲み物、お茶で良かったか?」

「……ええ」

 ジョウジはペットボトルの蓋を開けてから、生返事気味な反応のアオイにそれを手渡した。

 彼女が中身を少し飲んで、テーブルの上に置いたタイミングを見計らい、

「これでもう、晴れて一般人ってわけだな」

 ジョウジは脈絡もなくそんなことを言った。その右手は、ベッド脇に置いてある被り物に触れていた。

「……そうなるわね」

 掛け布団を腰の位置まで上げたアオイは、そう言ってその手を自分の膝の上で組む。

「そんで、どうするか決まったか?」

 改めてジョウジに訊ねられたが、彼女はゆっくりとかぶりを振った。

「おっ、そうか」

 ちょうどよかった、と言って、ジョウジは手に提げていたビニール袋から一枚の紙を取り出した。

「『掃除屋』……?」

 アオイが受け取ったそれは手書きの求人票で、職務内容は秘書と書いてあった。

「俺、死体掃除の会社作ろうと思っててな。ちょうど人手が欲しいんだよ」

 嫌なら断ってもいいぞ、と言うジョウジは袋をテーブルの上に置いて、中にある伊達眼鏡を引っ張り出した。

「私、やったことないわ」

「それでも問題ねえよ」

 どうせ名目上だけだし、と聞いたアオイは、それなら、と二つ返事で承諾した。

「よし。じゃ、よろしくな」

 するとジョウジは、ケースから銀縁の眼鏡を出して、それをアオイに手渡した。

「これは……?」

「見りゃ分かるだろ」

「……そうだけど」

 細いフレームのそれを受け取ったアオイが、渡された意味を図りかねて戸惑っていると、

「特に深い意味はねえよ」

 これをかけないなら雇わねえぞ、と、ジョウジは冗談めかして言った。

 言われた通りアオイは素直にそれかけ、どう? と訊いて彼に見せた。

「お、よく似合ってるじゃねえか」

 すると、彼女の頭に軽く触れたジョウジは、そう言って口の端を持ち上げた。


                    *


 あらかた物置の整理が終わったところで、

「はぁ、全くあいつらは……」

 『社長』はそうぼやきながら、汗だくになって帰ってきた。外に投げ捨てられていた座椅子が、その小脇に抱えられている。

「お疲れ様です」

 アオイはそんな彼を、水のペットボトルを手に出迎えた。

「おっ、気が利くじゃねえか」

 『社長』は椅子をゴミの上に放り投げ、それを受け取って一気に半分飲んだ。

「あっつ……」

 肌に浮かぶ汗をタオルで拭く様子を、アオイはにこやかに眺めていた。

「……なんだよ?」

 それに気がついた『社長』は、訝しむような目で彼女に訊く。

「いえ。何でも」

 上機嫌に鼻歌を歌うアオイは、では、窓掃除してきますね、と言い、洗面所に掃除道具を取りに行った。

「いい顔するようになったな。アオイ」

 その後ろ姿を見ているジョウジの足元には、ガムテープで封をされた段ボールが置いてあった。

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