離れ難きもの2
銃の整備が全て終わると、芙蓉は工具やら何やらを敷物の上から片づけ、今度はそこでハイペースに腕立て伏せを始めた。
「お前、元気じゃねえか。なんで入院してんだ?」
病人とは思えない動きの彼女を見て、スミナは目を丸くしていた。
「どっかのバカに毒ガス吸わされてな」
幸い、仲間に助けられて死なずに済んだが、経過観察で入院させられている、と、芙蓉はスミナにざっくりと説明する。
彼女はその間中、ずっと不機嫌そうにしていた。
「おかげでせっかくの休みがパーだ」
せっかく水族館のチケット取れたってのに、と、ぶちぶちぼやきつつ芙蓉は上体起こしを始めた。
「そりゃ災難だったな」
同情するようにそう言った後、
「お前の彼氏もヤり損ねて、持て余してる頃だろうな」
スミナは芙蓉の尻を見ながら、おおよそ年頃の娘が言うことでは無い、非常に下品な言葉をかけた。
「……は? 急に何言ってんだあんた」
半身を起こしたところで動きを止めた芙蓉は、不愉快そうに言いつつスミナを睨む。
「あ? 『デート』の予定じゃ無いのか?」
「なわけないだろ。友達と遊ぶんだよ」
「男の?」
「女だ!」
ついでに、あんたらみたいな関係でも無いからな! と、芙蓉は若干苛つきながら、スミナが言おうとしたことを先回りして否定した。
「なんだよ、つまんねえな」
面白がって食い下がっていたスミナは、それを聞いて急速に興味を失った。
「見た目だけで判断すんなよな。全く」
やっと彼女が引き下がったので、うんざりしたようにそう言って、芙蓉は上体起こしを再開した。
ややあって。
一通り筋力トレーニングを終えた芙蓉は、パイプ椅子に深く腰掛けて休憩していた。
「良いよな、あんたは」
首にかけたタオルで汗を拭ってから水分を摂った芙蓉は、
「悩みとかを一緒に背負ってくれるヤツがいてさ」
羨ましげな表情で、暇そうにワイドショーを見るスミナにそう言う。
「あん? お前にもいるだろそんくらい」
寝返りを打って芙蓉の方を見たスミナは、そう返して大あくびをした。
「いたら言わねえよ」
「お前の友達はそういうヤツじゃないのか?」
「あいつはさ、私のモノを背負えるほど、強くないんだよ」
むしろ、こっちが支えないと、自分からポッキリ行っちまいそうなやつでな。と、妹の心配をする姉の様に、芙蓉は苦笑いしながら付け加えた。
「よくそいつ、そんなんで殺し屋なんてやってるな」
「やってねえよ」
その子、あんたと似たり寄ったりのもやしっ子だぞ、と言うと、スミナは察したような顔で、
「じゃあアレか、どっかのイ――」
「一般人だよ!」
「……すまん」
そう言いきる前に、芙蓉にマジギレで遮られたので、スミナはそれ以上ふざけるのは自重した。
「じゃあなんで知り合いなんだよ?」
スミナの問いに芙蓉は、その子は同僚の殺し屋のツレで、いつもそいつと一緒に
「て、事はアレか。そいつも、こっちの世界でしか生きられねえんだな」
「まあ、私らみたいに擦れてはないけどな」
少し同情的な様子で言うスミナに、芙蓉は自嘲気味な笑みを浮かべてそう返した。
「ふーん。よっぽど大事にされてきてたんだな、そいつ」
「なんか、元々はお嬢様だったとかって話だ」
へえ、とあんまり興味なさそうに言ったスミナは、身を起こしてユキホが買ってくれていた水を飲んだ。
その際、手を滑らせて中身を少々こぼしてしまった。それは彼女の顔を伝って胸元へと流れていった。
「……タオルくれ」
服を濡れた肌着ごとつまみ上げ、スミナは
「何やってんだか。ほい」
彼女は二つ返事で了解し、後ろの棚に積んであったタオルを放る。
「へぶっ」
芙蓉はさっきより優しく投げたが、スミナはやっぱり取れずに、それは顔面へと直撃した。
「だから投げるなっつの!」
「すまん」
服の裾からタオルを突っ込んで、スミナが濡れた胸元を拭っていると病室のドアがノックされた。
まだ昼食が来るには早いので、芙蓉は一応警戒して、年季の入った愛用の9ミリ口径拳銃を手にする。
「スミちゃん、お待たせ」
だがゆっくりとドアを開けて入ってきたのは、いつもの様に据わった目で笑みを浮かべる、芙蓉のものと同じ病院着を着たスミナだった。
「ユキ」
その姿を見たスミナの表情からは、それまでのアンニュイなそれがフッ、と無くなった。
スミナはすぐにベッドから降りて、ユキホの元に行こうとしたが、2、3歩進んだところで脚がこんがらがってしまった。
「うおっ!?」
床に危うくヘッドスライディングしそうになったスミナを、
「あらあら。そんなに私に会いたかったのね」
ユキホはしっかりと受け止め、心底嬉しそうにそう言った。
「ち、ちげえよ! ちょっと
耳まで真っ赤にしているスミナはそう言うと、回れ右をしてユキホから離れようとする。
「寂しい思いをさせてごめんなさい、スミちゃん」
そんな彼女を後ろから捕まえたユキホは、優しく抱きよせてその耳元でそう囁いた。
「別に寂しくなんかねえよ!」
離せ! と腕の中でスミナは大暴れするが、しっかりホールドされているので、非力な彼女ではどうにもならない。
「……」
やがて、40秒ほどで体力が尽きたスミナは、荒い息を立ててぐったりしてしまった。
「うふふ。可愛いわ、スミちゃん……」
汗だくになっている彼女から漂う、そこはかとない犯罪臭を感じたユキホは、その背徳感に胸を高鳴らせる。
満面の笑みを浮かべるユキホと、そのボサボサ頭を撫でられて、わかりにくいが
……あー、甘ったるくて敵わねえ。
呆れ顔で見ている芙蓉は、気の抜けたサイダーを飲んでいる様な気分になっていた。
「悪かったわね。急に押しかけてしまって」
スミナに渡していた黒いゴスロリを着つつ、ユキホは芙蓉にそう謝罪した。ちなみにスミナは、ベッドの上で丸くなってすねている。
「そう思うなら先に連絡寄越せよな」
ものすごいしかめっ面で、芙蓉はユキホにそうぼやいた。
この日の朝、あまりにも暇すぎるのでのんびり惰眠を貪っていた芙蓉の病室に、ユキホはノックもせずにいきなり突入した。
敵襲かなにかだと思った芙蓉は、枕の下に隠していた拳銃をユキホに向ける。
そのせいで、ユキホは彼女を潜伏していた殺し屋だと思い、危うくその首を蹴りでへし折りそうになったのだった。
「ええ。次からは気をつけるわ」
一応、そう言って頭を下げたユキホだが、明らかに反省の色は全く見られなかった。
着替え終わった彼女は、さあ、帰りましょうスミちゃん、と言ってから、まだすねているスミナに抱きかかえる。
「また何かあったら、スミちゃんの事お願いできるかしら?」
帰り際に振り返って、ユキホは芙蓉にそう頼んだ。
「おう。だから早く帰れ」
彼女は二つ返事で受けて、野良猫を追っ払うように手を振った。
「お邪魔したわね」
ユキホはもう一度頭を下げて、病室から出て行った。
*
『掃除屋』社屋の自室に戻ったユキホは、しわだらけのシーツが敷かれたベッドにスミナを下ろした。
「ねえスミちゃん。本当は、とても寂しかったんでしょう?」
うつ伏せになっているスミナの頭元に腰掛けて、ユキホは
「おう……」
スミナはそれに肯定すると、腕の力でベッドの上を
「ユキ……」
自分を最も理解してくれる愛しい少女の名前を、仔猫の様な甘い声を出して呼ぶスミナ。
「なあに?」
そんな『主人』の頭を撫でながら、ユキホは心底楽しそうに笑っていた。
「ユキ……。ユキぃ……」
今日半日分離ればなれだった時間を埋めるように、スミナはユキホに頭をすりつけ甘える。
「大丈夫よ。私はここにいるわ」
スミナの頭を両手で包み込んだユキホは、あまり血色が良くない彼女の頬に口づけをした。
「そう、か……」
それと同時にスミナの頬は朱に染まって、実に気持ちよさそうな表情をする。
「好きよ、スミちゃん」
「知ってる……」
いとおしげにそんなスミナを見下ろし、いつものやりとりをした後、ユキホは彼女の小さな手に指を絡めて握った。
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