落としものの天使
澄んだ冷たい空気の中、青白い半月が夜更けの漆黒の空に浮かんでいる。その光が港のコンテナ置き場を照らす。
そこを今し方『仕事』を終えた、背の高い殺し屋の少年が歩いている。背中に包丁を巨大化したような剣を背負った、十代後半の彼の後ろで、壮年の刑事が敬礼をして見送っていた。その刑事の背後には、胸に大きな穴が空いた死体が転がっていた。
夜目が利く少年はガムを噛みながら、ほとんど真っ暗闇に近い空間を進んでいく。
「……?」
首にかけているヘッドホンを付けようとしたその時、彼からみて左側に置いてあるコンテナの山から、微かに軋むような音がした。
それが何となく気になった少年は、足を止めてその音の元を探して耳をすませる。その音は、しばらく鳴り続けたあと少し止み、再び鳴り出すのを繰り返す。
「ここか」
しばらく探し回り、ようやくその音の元と思しきコンテナを特定した。そこに付いている鍵を、変な迷彩柄ジャケットの内側から取り出した、ナイフの柄で叩き壊した。
その扉を開けると、コンテナの中央になぜが、四方が柵に囲まれた寝台があり、その足は床に溶接して固定されていた。その寝台の上で、革ベルトが巻かれ、革寝袋に包まれた何かが、もぞもぞと動いている。それはベルトで柵に固定されていた。
小さいが、恐らく形から見るに人間のようだ、と、少年は思った。頭部と思われる部分が麻袋に覆われていて確認できない。その上、口が塞がれているのか、言葉にならないうめき声が聞こえる。
人間らしきものを固定していたベルトを切って、少年は頭の麻袋を外した。すると、ツヤが良く長い金髪が現われ、それは重力に従って寝台の上に広がる。案の定、口には布で猿ぐつわを噛まされ、その上目隠しまでされていた。
目隠しを外すと、やけに整った顔立ちの幼い少女の顔が露わになった。恐怖からか固く目を閉じる彼女は、金髪ではあるが顔だちは東洋系のそれだった。
「君に危害を加えるつもりはない」
猿ぐつわを外して、少年はできる限り優しく、彼女に問いかける。
「……」
おずおずと目を開けた少女の瞳は、純度の高いサファイヤの様に、蒼く澄んだ色をしていた。息をのむ様な美しさを持つそれに、少年は強く惹きつけられて、ついじっくりと見入ってしまう。薬物でも打たれているのか、不自然なまでにぼんやりとしていた。
「これ……、ほどいて……」
幼女は高く掠れた様な声を出して、少年に革寝袋に巻かれたベルトを解く様に頼む。
「すまない」
彼はベルトを手早く切って、戒めから幼女を解放する。ゆっくりと革寝袋の中から這い出すと、彼女の一糸まとわぬ白い裸体が露わになる。その背中には、よく分からないモチーフの刺青が入っていた。
「寒いだろう。ほら」
少年はジャケットを脱いで幼女に手渡す。ジャケットの下のパーカーも、同じく変な迷彩色をしていた。
「……? これ、どうするの?」
受け取った幼女は、手に持つそれをじっくりと観察し、少年を見て不思議そうな顔で訊ねる。
「貸してみろ」
彼はそう言って、幼女にジャケットを着せると、物珍しそうに、着ているブカブカなそれを眺める。
「着てても良いの?」
「ああ」
表情から察するに、気遣いで言った訳では無さそうだ。と、少年は思った。
「君は、何者だ?」
ポケットに入っていた、クッキーのブロックを幼女に手渡し、髪の間から据わった目を覗かせてそう訊ねる少年。彼女はそれを手に持って、まず匂いを嗅いでから舐め、それから囓りついた。
「この中に書いてあるって言われた」
全部食べ終えて、幼女は革寝袋の中から、金属製の筒を取り出して少年に渡す。
「これは?」
筒の中には契約書の様な紙と、取り扱い説明書と書かれたものが出てきた。後者の方には彼女の事がまるで玩具のそれの様に書かれていた。
「君の名前はアイリ……、か」
「……アイリ」
彼女――アイリは自分の名前を、実感が無さそうな様子で繰り返した。
どうやらこの少女は、そのために作られた(・・・・・・・・・)「商品」なのだろう。なら、このまま立ち去るわけにはいかない。
そう考えた少年は、
「とりあえず移動しよう」
と言ってアイリを抱きかかえ、当時彼が世話になっていた、『情報屋』の元へと向かった。
その道中。少年に抱かれているアイリが、彼の服を引っ張った。
「あなたがアイリの『ご主人様』なの?」
そう言うアイリの目は、売られている子犬のそれに見えた。
「ちがう」
この子は恐らく、人としての尊厳を持っていないのだろう。
「アイリが私の『ご主人様』だ」
だから自分がせめて、今からでもこの幼い少女にそれをあげよう。そう少年は思った。
「それじゃあアイリは、どうしたらいいの?」
前髪の後ろにある、少年の明るい茶色の瞳を見据えて訊く。
「好きにしたら良い。アイリは自由だ」
「じゆう、ってなに? 好きにする、ってどうやるの?」
アイリは無垢な笑みを浮かべてそう訊ねる。
「その内、わかるさ」
「いつ?」
「もう少し、アイリが大きくなってからだ」
回答に困った少年はそう言ってお茶を濁した。
*
「あー、これはまた、厄介な子を拾ってきたもんだな」
『情報屋』の店主はため息を吐いて、契約書に書いてある名前を見てそう言う。
「あの子、気の狂った変態共御用達の業者んとこのだぞ」
オレンジジュースをストローで飲んでいる、アイリを見やって彼は言った。
「おじさん。これ美味しい」
「おー、それは良かったなあ。……お兄さんだけどね」
「ありがとう、おじさん」
「だからさあ……」
おじさん呼ばわりされた彼は、げんなりと力なくため息を吐いた。アイリにはとりあえず、下着に綿のパーカーとズボンを着させている。
「すまない」
「どの道、この業者は潰す予定だから気にすんな」
まあ、「納品」までに何とかしないと、俺の信用が地に落ちるがな、と、苦々しく笑う。
「金積むだけなら楽なんだがなあ……」
さーて、どうしたものかと、『情報屋』は腕を組んで考え始めた。
『情報屋』は、少女がアイリの様な目に遭う事を嫌い、利益を度外視してでもその元を潰している。
「今帰った」
そうしていると店舗のドアが開いて、全身黒ずくめの少年が入ってくる。『情報屋』が缶コーヒーを放ると、それを受け取って開封し、人形のように固い表情のまま飲んだ。
業者の件は『情報屋』に任せることにして少年は、アイリを連れて店舗の上階にある、彼が寝泊まりしている部屋へと向かった。
「汚くてすまない」
そこは、ダンベルやトレーニング器具が、部屋のそこら中に置いてある。
「……」
ベッドにペタリと座ったアイリは、キョロキョロと部屋中を見回していた。
「これなに?」
枕元に置いてある握力を鍛えるグリップを持って、彼女は少年へと問いかける。
「こうやって、手の力を強くするものだ」
少年が使ってみせると、
「そんなものがあるの……」
宝石の様な美しい瞳が、その輝きを増しているアイリは、興味深そうにその様子を注視していた。
「じゃあこれは?」
次は床に落ちている、スプリングベルトを指さし、満面の笑みで訊ねた。
「それはだな――」
目に映るもの全てが新しいアイリは、部屋中のもの全ての名称をひたすらこんな調子で訊きまくった。その頃には少しウトウトし始めていた。
驚いたことにアイリは、一度訊いた事は全て記憶していた。
これがロクでもない事を覚えるために、使われるはずだった、と。
少年がじっとアイリを見ていると、
「なあに?」
にこやかに笑って、彼女はそう少年に訊ねた。
「いや」
そのやりとりのすぐ後に、アイリはパタリとベッドに倒れ込んだ。
「どうした」
「眠い……」
小さな声でそう言って、スヤスヤと眠り始めた。そんなアイリに少年は、布団を掛けてから、顔を覆う長い髪をどけた。
「美しい……」
人を惹きつけるように「生み出された」彼女に、年が離れているにも関わらず、少年は目を奪われてしまう。
この子が汚されずに済んでよかった。
少年はそう思い、アイリの頭を優しく一撫でして、下階の店舗へと降りていく。
店舗に戻ると、ちょうど『情報屋』が電話を切った所だった。
「あー、やれやれ」
彼はいつものように、大きくため息をついて受話器を置いた。
「どうした」
「いや、あんまりにもユーザーが多すぎてなあ」
まあ、もうちょいでめどは立つだろうよ、と、多少自慢げに『情報屋』は言う。
「そうなりゃ朝にはお縄だ。それで、あの子は当分安心して暮らせるさ」
立ち上がって大きく伸びをし、大きな欠伸をする。
「後は里親捜しをしなければ」
あれほどの少女だ、里親はすぐに見つかり、愛されながら幸せに生きられるだろう。
そうは思っているものの、少年にはどこか、スッキリとしない所があった。
「どうした? あの子に惚れたか?」
どっかりと革張りのチェアに座り、『情報屋』は茶化すように言う。
「……」
少年はアイリの傍に居たい、とは何となく思っている。
「わからない」
――純真で透明な彼女には、自分はあまりにも濁りすぎている。
今までに感じたことの無い思いに、少年の思考はかき乱される。
「おい」
再びあの黒服の少年が、いつの間にか背後に居た。
「あの子どもが、お前を呼んでいる」
黒服の少年が全く抑揚のない声で、少年にそう告げた。
「分かった」
居ても立ってもいられなくなった少年は、すぐに部屋へと向かう。
「アイリ」
アイリは少年の姿を見た途端飛びつき、ぎゅっとしがみつく。
「何か用か?」
「何でも無いの」
少年に頬ずりする彼女は、嬉しそうに笑っていた。
「アイリ。君は私と、一緒に居たいか?」
言葉の意味が瞬時に理解できないアイリは、目を丸くして黙り込んでいる。
「うん」
数秒後、頷いてそう答えた彼女の蒼い目は、しっかりと少年の目を見ている。
「私は……」
人殺しをして生きている。という事を知ってしまえば、彼女は離れてしまう。ならばこのまま、私の事を何も知らずに、綺麗な思い出にしておいた方が――。
「よく分からないけど、"わるいひと"なんでしょ?」
「あ、ああ……」
アイリは、すでに感づいてしまった、と思い動揺する少年に、
「でも、アイリは傍に居たいな」
そう言って、またニコリと笑う。
「そう、か……」
どうやら、この少女に懐かれたらしい。
少年が眩しい笑顔のアイリを抱きあげると、彼女は少し驚いたような顔をする。
「お出かけ?」
「今日はもう遅い。だからそれは明日だ」
「うん!」
彼女をベッドに寝かせ、また肩まで布団を掛けると、アイリはあっという間に眠りについた。
寒いだろう、と思った少年は、彼女の隣に入って添い寝をした。
*
「ん……。タケヒロ……」
布団にくるまって横になるアイリは、隣に座っているタケヒロに身体を寄せた。二人が座るベッドの脇には、大小二人分の服が散らかっていた。
「どうした、アイリ」
寝返りをうったせいで、アイリの顔に金髪が掛かっていた。汗ばんだ額に張り付くそれを、タケヒロは優しくどける。
二人が出会ったあの時から八年の時間が過ぎた。性格こそ大きく変化したものの、美しい少女へと成長した。だが、
「……何でも無いの」
陶磁器のように白くなめらかで、柔らかく暖かな肌は当時のままだった。――背中に入っている刺青までも。
「そうか」
「……あなたこそどうしたの? 珍しく笑って」
タケヒロの口元が、本人も気がつかない内に緩んでいた。
「……少し、昔の事を」
「あら、そう」
そう言ったタケヒロは自らの唇を、淡い紅をたたえるアイリの唇に重ねる。
「……あなたは、どっちがいいの?」
「どっち、とは?」
横になったタケヒロは、アイリを後ろから抱き占めて、そう彼女に聞き返す。
「私にとっては、どんなときのアイリも良い。どれか一つには決められない」
耳元でそうささやかれたアイリは、少しくすぐったそうにする。
「欲張りね……」
穏やかに微笑んで、そう言ったアイリは、すぐに小さな寝息を立てはじめた。
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