第2話 女神様の恩寵
「よし、もう着くからね」
「……あそこ?」
「そうだよ。ほら、あそこに女神様の恩寵の光が見えるだろう?」
治療院の建物の脇に大きな箱のような魔導具が据え付けられていて、その箱の上には大聖堂の尖塔を小さくしたような部品があり、その先端は淡く光り輝いていた。
「すみません、この子の治療をお願いします」
「はい、少々お待ちくださいね」
受付を済ませると、待合室を見回す。あまり混んでいないので順番はすぐに回ってきそうだ。あまり手持ちがなかったと慌てて財布を確認しようとしたところで、新しい聖女様が就任してから治療費が無料になったことを思い出しほっと胸を撫で下ろした。聖女様の恩恵に感謝しつつ軽く祈りを捧げる。
順番待ちをしていると、だんだん脚がうずうずしてきた。焦っても順番が早く来るわけではないのだが、どうしてもじっとしていられなくて待合室の中をうろうろしていると、
「ごめんなさい、神父様は忙しいのに……」
椅子に座らせていた少年が何かを察したのかそんな健気なことを言った。俺は慌てて隣に座ると、少年の肩を抱いた。
「そんなことはないさ、神父なんてものは意外と暇なものなんだよ」
見習い神父のくせに神父様から怒られそうなことをおどけて言うと、少年は少しだけ笑ってくれた。
怪我をしてる子供に気を遣わせるなんて見習いとはいえ、女神様に仕える身としてあってはならないことだ。ここは覚悟を決めて、試験のことは忘れててじっと待つことにした。
「はいはい、じゃあ、ここに座ってね?」
順番がきて、診察室に呼ばれた。女医さんに促され、少年が椅子に腰かける。軽く傷口を見た後、彼女は治療器具を手に取った。それは先が光り輝いているピンセットのようなもので、建物の脇にあった魔導具とケーブルで繋がれていた。
その治療器具の先の光を傷口に当てると治癒魔法が発動し、あっという間に傷が治って艶のいい肌が現れた。
「わぁ……、すごいすごい! ありがとうお医者さん!」
「ふふふ、どういたしまして」
このような治療は初体験なのか、飛び跳ねて喜ぶ少年を彼女は微笑ましく見つめた。
女神様の恩寵と呼ばれるこの世界から溢れるエネルギーを聖女様が器となって受け取り、それを増幅させて国中へと行き渡らせる。我が国の魔法技術で作った魔導具でそのエネルギーを貯蔵し、魔力へと変換させて様々な魔法を発動させる。
優れた魔法技術を持ってはいたものの、あまり強力な力を持った聖女様が居らずそのポテンシャルを持て余していた平凡な小国だった我が国が、現聖女様になってから飛躍的な躍進を遂げた。
世界最高との誉れ高いその無尽蔵の恩寵の力は国中の隅々にまで行き渡らせてもまだ余るくらい凄まじく、農業、漁業、鉱業、魔導具関連も含む製造業、インフラ、医療などあらゆる産業を発展させ、いまやこの世界屈指の競争力を持つ経済大国となったのだ。
服の裾を掴まれ、見下ろすと少年の満面の笑顔があった。
「ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうね神父様!」
「どういたしまして、気をつけて遊ぶんだよ」
「うん、またね!」
少年は元気よく治療院を飛び出していった。その背中を見送った後、改めて頭を下げた。
「ありがとうございました、お医者様」
「いえいえ、気にしないでください。この魔導具さえあれば、誰でもできることですから」
何とも言えない複雑な表情で魔導具を見つめる女医さんに、どう返せばいいか戸惑った。
「いや、そんなことは……」
「すみません、変なこと言っちゃって。医術の心得のない人でも治療ができるようになったのは、素晴らしいことだと思ってますよ? 少しだけ、寂しくもありますけどね」
人の心というのは難しい。豊かさや技術の発展が全てを解決してくれるわけではないのだ。
「といっても、ちゃんとやりがいを感じてはいますよ。聖女様の力で全ての怪我や病気が癒せるわけではないですし、私の力が必要な時もありますから。それに、子供たちの笑顔には代えられませんものね」
女医さんは笑った。ほんの少し自分に言い聞かせるようではあったが、あの少年のような笑顔だった。
そうだ、この国は光で満ちている。全て完璧ではないかもしれないが、それでも聖女様の御力と善意の人々の協力さえあればきっともっと素晴らしい国になるはずだ。
「きっと、あの少年もあなたに感謝していますよ」
「……ありがとうございます、神父様。あの、ところで何かご用事があったのでは?」
待合室の方を指さす女医さん。あぁ、さっきうろうろしているところを見られ――うん? 俺は何でうろうろしていたんだっけ? あっ、
「す、すみません! これで失礼します!」
試験のことを思い出し慌てて診察室を出る、人にぶつからないようにだけは気をつけつつ足早に治療院を出ると全力で駆け出した。待合室でチラ見した時計から考えると、間に合うかどうかは全速力で走ってなおかつ奇跡が起きればというところだろうか?
「……いや、起こしてみせるぞ奇跡! 聖女様はいつも奇跡のような力をくださるんだ! きっと俺も頑張れば少しくらい奇跡のようなことができるに違いない!」
そんな気休めの謎理論を叫びながら、試験会場へと向かう俺なのだった。
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