第17話 心労

 案内が友人の妹ということもあり、仕事中にしてはリラックスモードだった。うんうん、いつも大変なプレッシャーの中で働いている聖女様なんだ。せめて、こういう機会には多少気を抜いて仕事をしてもらうくらいじゃないとな。


 建物の中も比較的新しく、明るく広々としていて歩いていて心地よい。すれ違い会釈をしていく職員の顔も明るく好意的で、聖女様をよく見ようと振り返ってガン見し、連れの職員にたしなめられる者までいるくらいだった。


 魔法省とは違って総じて好意的な印象だし、長丁場で大変かもしれないが少なくとも聖女様にとって気分良く仕事ができるのではないかと思う。

 うん、きっとそうに違いな――うん?


「……ですから、これから先のことも考えていかなければならないでしょう!」


 通路の角を曲がった先、少し離れたところで男が大声を張り上げていた。聖女様を庇いつつ一歩前に出ると、テオドールが困惑した表情を浮かべていた。どうやら職員二人が何やらもめているようで、特に一人の若い男がヒートアップしているところを年長者の男が宥めているようだ。


「そうは言うがな、今はチャンスなんだ! 今、国中に魔法技術省の関わる魔導具を設置できれば国民の生活も向上するし、我々魔法技術省の国への影響力も増す。こんなことは今の聖女様の凄まじい力で国中が湧いていて、予算も通りやすくなっている今しかできんのだよ!」


「そんなことをして、後でどうするんです? 遠く離れた僻地に今の聖女の力なら恩寵の力を供給できても、次の聖女になったらまず間違いなく供給なんて出来なくなりますよ? それに他の魔導具にしてもそうです。聖女の莫大な力を前提に作られている大量の魔導具は、次の世代にはただのガラクタになってしまいますよ? 前代の聖女を基準に考えて、無謀な拡大路線は慎むべきでしょう」


「だから、今作ることが大事なんだよ君! とにかく生産できれば研究費などの予算も下りやすくなるし、生産して改良を続ければより少ない恩寵の力でも効率的に魔導具を動かすことが出来るようになるかもしれないじゃないか!」


「その考えはあまりにも楽観的過ぎるでしょう! 今の聖女の力が規格外すぎて、冷静に考えることが出来なくなってしまっている! 今の聖女亡き後のこともしっかりと考えておくべきでしょう!」


 聖女亡き後、という言葉を聞いて反射的に身構えるが、話を聞いていると聖女様を害しようという意図のないことは明らかで、ゆっくりと警戒を解いた。まぁ、それでも聞いていてあまり気持ちの良い言葉ではないが。


 どうやら魔法技術省の職員同士が、今後の方針を巡って揉めているらしい。テオドールは言い争いをしている同僚たちを見ておろおろしながら、しきりに聖女様の様子を気にしていた。直接的ではないにしろ、取りようによっては聖女批判とも取られかねない内容を話しているのだから気が気ではないだろう。


 俺も恐るおそる聖女様の様子を窺うと、……また何とも言えない表情をしていた。立場のある方だけに素直に感情を出すわけにはいかないのだろう、微妙に真顔のような笑顔のような絶妙な表情をしていた。「セシルちゃん……」と反応を覗うララを、ちょっと悲しそうな笑顔と頭を撫でることで応えるその姿を見ていると、胸が痛くなった。


「あの、お二方どうかその辺で……」


弱々しくかけられたテオドールの言葉で、二人の男は聖女様に気付いた。


「せ、聖女様!? こ、これは大変失礼しました」

「……失礼します」


 驚いて謝罪し、恐縮しきりな年長者の男に対して、若い男は不服そうに吐き捨てるとすぐにどこかへと行ってしまった。


「きっと前聖女派ね。聖女の代替わりの時期には、色々と面倒なことになりがちなのよね」


 ミアが耳元でこっそりと呟いた。国のインフラを一手に担い、国民から愛され信奉される聖女の影響力は絶大だ。だがそれだけに聖女が代替わりしてもそれを認めずに、前代の聖女を崇め続ける人たちも出てきてしまい、派閥を形成して国を掻き乱す勢力になることが過去にも幾度かあったのだ。


 確かに前代の聖女レベッカ様は素晴らしい方だった。なんといっても俺の村を助けてくださり、俺が聖女様のために働きたいと思うようになるきっかけになった方だしな。とても綺麗な方で、優しくて――


「『おっぱいも大きかったなぁ』とか思ってない?」

「思ってないよ!」


 いや、ちょっと思ったけど……。からかうミアはとりあえず置いといて、聖女様に向き直る。


「大変お見苦しいところを、本当に申し訳ありませんでした聖女様」

「いえそんな、頭を上げてください。私は気にしていませんから」


 深々と頭を下げるテオドールをにこやかに許す聖女様。だが、その笑顔にどこか傷ついたような感情が見え隠れしているように思うのは、俺の勘違いなのだろうか?


「彼、カミーユはあの天才魔法技術者エマニュエル・ロッシュの息子でしてね。彼自身も優秀なのですが、どうにもこう、情熱が空回りすることがあるといいますか、前代の聖女様のことになると人が変わるといいますか、どこか危ういところがありまして……」


 なんと、彼はあのエマニュエル・ロッシュの息子らしい。数十年前、今ではどこでも使われている女神様の恩寵の力を受け取って貯めることができる装置を開発した天才で、その発明で世界に技術革新を起こし、それに伴って聖女の地位や影響力が飛躍的に向上したのだ。


 そんな天才の息子で優秀な男が、よりによって前聖女派で魔法技術省の方針と意見が食い違っているというのは……なかなか嫌な状況だと思う。

 ミアと目が合い、俺はゆっくりと頷いた。どれほど危険かはまだわからないが、警戒しておくに越したことはないだろう。


「では、気を取り直しまして、聖女様こちらへどうぞ」


 テオドールの案内で部屋に入ると、そこは魔導具が所狭しと並べられた部屋だった。その部屋の一角、計器類が多く並べられた場所にゆったりと座れる大きな椅子があった。


「……セシルちゃん、ここ。はい、これ」


 ララから渡された装置を手に取ると、聖女様は慣れた様子でそれを被った。すると、そのごつい帽子のような装置が光り出し、併せて近くにあった計器の目盛りが動き出した。

 おお、すごい。よくわからないが、聖女様の恩寵の力とかを測定する魔導具だろうか? 詳しく尋ねてみたいが、聖女様の付き添いの仕事中ということもあり自重した。


「えーっと、あまり数値が安定していなくてですね、もう一度お願いします」

「は、はい」


 計測があまり上手くいっていないのだろうか? 聖女様は装置を被り直すと、目を閉じて集中した。


「す、すみません、もう一度……」

「……はい」


 どうやら、また駄目だったようだ。素人目に見ても計器の目盛りは不安定に行ったり来たりを繰り返していて、あまり良い状態でないことは明らかだった。


「あら、珍しい」

「……そうだね」


 これほど上手くいかないのは珍しいことなのか、プランケット姉妹も苦戦する聖女様を不思議そうに見つめていた。傍らにある机には、様々な魔導具、それも試作品なのかあまり外観を気にせず作られたであろう物が幾つか並べられており、本来はその魔導具の性能試験をするのが今日の主な目的だったのだろうが、


「……大変、申し訳ないのですが」

「ごめんなさい、もう一度お願いします」


 おそらく、最初に行われる基本的な測定すら上手くいかないのだろう。聖女様はどんどん切羽詰まった表情になっていった。この測定がどういうものかはわからないが、数値が精神的なものに影響を受けるのなら、もしかしたら先ほどの一悶着のせいかもしれない。そう思うとやるせなかった。


 結局その後、休憩を挟みながら数値が安定するまで午前中いっぱいかかり、駆け足で魔導具の性能試験と他国との魔導具の取引交渉をどうにかこなしたものの、全ての仕事が終わるころには空が暗くなっていた。あちら側でも気を遣って、余裕のあるスケジュールにして早めに終われるようにしてくれていたらしいのだが……。


 とぼとぼと歩く聖女様の背中は、何だかとても疲れているように見えた。声をかけようにも、どのように声をかければいいのかがわからない。かなり聖女に対して友好的な魔法技術省ですらこのような仕打ちを受けるだなんて、聖女様に心休まる時はないのだろうか?


「はぁーっ、しんど……」


 搔き消えるような小さな声でつぶやいた聖女様の本音は、俺の心に深く突き刺さった。もう一度何か声を出そうとしたものの、喉が引きつって動かず、ただ自分の不甲斐なさに拳を握り締めることしかできなかった。

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