第28話 カミーユ
「はぁー、何か疲れたなぁ……」
魔法技術省の中庭の人気の少ない花壇に座り、潜入を終えた俺は大きくため息をついた。俺のせいというわけではないかもしれないが、成果もなくミアと顔を合わせづらいので昼飯を食べてから合流することにしようと思い、食堂から買ってきたサンドイッチを頬張りオレンジジュースで流し込む。もっと余裕のある時ならちゃんとした食事が出されるかもしれないが、あの様子だとあまり期待はできないのでここで食べておくのが正解だろう。
花を目当てに集まってきた蝶たちが飛ぶ様子をぼんやりと眺めながら、サンドイッチをもそもそと咀嚼する。春のうららかな日差しを浴びながらぼーっとしていると、世の中の煩わしいことなどがまるで幻であるかのようにすら思えてくる。空振りだったこともあるし、聖女様を利用しようとする勢力なんて本当はいなくて、みんな平和に仲睦まじく暮らして――
「おや? 君は確か……聖女と一緒にいた付き人だよな?」
「へっ? は、はいっ!」
気を抜いて脳みそお花畑の妄想をしていたら、急にどえらい人に声かけられて心臓が止まるかと思った……。声をかけてきたのは、あの天才魔法技術者エマニュエル・ロッシュの息子、本人も新進気鋭の魔法技術者でもあるカミーユ・ロッシュだった。彼も昼食を取りに来たのかサンドイッチとオレンジジュースを持っていて、俺と全く同じメニューであることに気付くと、
「奇遇だな」
「ははっ、そ、そうですね……」
今までの印象とは違い、柔らかく笑った。あれ? 思ったより気さくでいい人なんじゃね? とまだ半分寝ていた頭で考えていると、急に仕事モードの頭が起き出して全力で警報を鳴らし始めた。
これは、偶然なのだろうか? 魔法技術省への潜入が終わった途端に魔法技術省のホープであり、前聖女派でもある男とこうして出会うなんて……。ちゃ、ちゃんと部屋出た後魔法回路も繋ぎ直したよな俺? うん、きっと大丈夫なはずだし、特に魔法や魔導具が発動した形跡もなかったからそこからバレることはないと思うんだけど――あっ、部屋に入ったところを見られたとか? それならありうるか? あと他に考えられることは……。
そうやって悶々と考え込んでいると、無言で彼が俺から少し離れた花壇に腰を下ろしてサンドイッチを食べ始めた。あっ、ちょっと声かけただけとかじゃなくてここで食事取るつもりなのね……。俺に何か話でもあるのか? いや、俺が自意識過剰でいつもここで食べているだけとか?
意図がわからずに、彼をチラチラと見て観察する。年齢は二十代後半から三十代前半といったところだろうか? 背は高く細身、エッジの効いたシャープな印象の眼鏡をかけていて、顔もなかなか整っている。陽に透けた銀髪はきらきらと眩く光り、美しかった。
「聖女の付き人はどうだ? なかなか大変だろう?」
唐突に声をかけられ、言葉に詰まった。いや、この状況からしてそう不思議なことでもないのだが、不意の遭遇にまだ心の準備ができていなかった。
「そ、そうですねー。大変なことも多いですが、やりがいのある仕事ですねー」
「なんたって、聖女なんて変なやつばっかりだからな。どうせ、君の仕えてる聖女もおかしなやつなんだろう?」
「……いえいえそんな! と、とても清純で可憐で頭のおかしい――じゃなかった、素晴らしい方ですよ!」
全力で同意したくなったのを誤魔化そうとしたら、ぼろが出てしまった。恐る恐る彼の反応を窺うと、下を向いて笑いをこらえているようだった。
「……今の君の言葉で大体どんな聖女様かわかったよ。あー、やっぱり代々おかしなやつだったんだろうな」
大きく伸びをした彼は、少し笑っているように見えた。聖女様のことを探っているのかという警戒感はあったが、それ以上に興味が湧いてつい尋ねてしまった。
「カミーユさんは、前代の聖女様と親しかったんですか?」
前代の聖女、レベッカ・ロワ様とカミーユさんの仲良さげな様子は度々目撃されており、聖女と天才魔法技術者の息子の恋ということで一時期スキャンダルにもなった。といっても確証はなく、レベッカ様が聖女を辞め他国を放浪する旅に出てからはそういう噂も語られなくなったため、実際どういう間柄だったかは謎に包まれているのだ。
「親しかった……といえば他のやつらに比べればそうかもしれないが、一時期噂になったような仲じゃないさ。ただ、あいつは面白いやつだったからな」
そう語るカミーユさんの顔は穏やかだった。レベッカ様に想いを馳せる優しい眼差しは、たとえ恋愛ではなかったにせよかけがえのない関係だったことを覗わせるものだった。
「聖女なんてくだらないものは辞めて、今は清々として自由にそこらを駆け巡っているんだろうさ」
「……くだらないもの、ですか?」
聞き捨てならないことを聞いて、自分でも少し険のある言い方をしてしまったかもしれない。自分にとって聖女とは国の根幹として民を癒し豊かにする絶対的な存在であり、くだらないものだなんていう価値観は到底受け入れられるものではなかった。カミーユさんは俺の少し鋭くなった視線にも動じず、ゆっくりサンドイッチを食べ終えるとオレンジジュースを飲みながら答える。
「だってそうだろう? 国の発展のためと言えば聞こえはいいが、そのために聖女となる人間が犠牲にされるんだ。自由はなく、聖女としての尊く清いイメージを求められ、多忙と政治的な軋轢に心も身体も蝕まわれる……。国の発展のために捧げられた生贄でなくて、いったい何だって言うんだ?」
「それは、その……せ、聖女様はその分高額な報酬を貰っていますし、そもそも、聖女様は国のため、国民のためを思って仕事をしてくださっていますから……」
「本心では思っていないような言葉だな。そういう一面があることは認めるが、それだけじゃとても足りないほどの国全体の業を無理矢理背負わされている存在だと思うがね」
「…………」
何も言い返すことができなかった。自分の中の常識として聖女とはそういうものだという考えが強固にあり、それを否定するような彼の言葉にどのように対処すればいいのかわからなかった。
聖女は国のため、国民のために身を捧げて当たり前……。カミーユの言葉で無意識の内に出来上がっていた自分の考えが浮き彫りにされたような気がした。
その事自体が悪いとは一概には言えないかもしれないが、自分の中で何か大きな見落としがあったのではないかという焦燥感を拭うことはできなかった。
「……カミーユさんは、聖女という制度に反対なんですか? そのおかげで救われる人も大勢いるんですよ?」
上手く言葉にできない感情に対する苛立ちをぶつけるように尋ねる。半ば八つ当たりのようだと自分でも情けなく思いながらも、そうやって自分を守ることしかできなかった。
「その事に関して否定はしないさ。大勢のために一人を犠牲にするのは合理的といえば合理的だ。だが、もしその一人が君の大切な人だったら、君はどうする?」
「た、大切なって……」
急に思いがけないことを言われ、頭の中がパニック状態になる。た、大切な人ってやっぱりカミーユさんはレベッカ様のことを――とか、自分にとって聖女様が大切な人なのかどうか? それもどういう意味で大切な人なのかどうか? など、色々なことをいっぺんに考えてしまって頭がこんがらがりそうだった。
「……まぁ、いいさ。とりあえず、よく考えてみるといい。それと、魔法技術省の人間には気を付けることだな。他と比べて聖女に好意的なやつは多いかもしれないが、その分感情が崇拝の域まで達してよからぬことを考え出すやつもいるからな。せいぜい注意することだ」
カミーユさんはそう告げると、俺の答えも待たずに去っていった。俺の心は二つに分裂していた。このタイミングでやって来た聖女制度に強い不信感を持つ、彼の言う通りの魔法技術省の人間であるカミーユを聖女様に敵対する勢力に与しているのではないかと警戒する仕事モードの自分。
そして、もう一つは彼の言葉にどうしようもなく心を揺らされている俺。もしかしたらこれも彼の策略なのかもしれないが、そう思いつつも動揺せずにはいられなかった。
「間違っては、いないよな……?」
じっと自分の掌を見つめる。聖女様を助けることが国を、国民を助けることに繋がると固く信じて今まで厳しい訓練に耐えてきた。
そうだ。だけど、なぜだろう? 聖女様の笑顔が脳裏に焼き付いて、どうしても消えてくれなかった……。
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