第6話 聖女様との出会い
「ありがとうございました」
馬車から降り御者に礼を言うと、会釈をして軽やかに駆けていった。王城からそれほど遠くもないし徒歩で行こうと思ったのだが、半ば強引に馬車に乗せられてしまった。そこまで気を遣わなくてもいいのだが、相手にも面子があるだろうから仕方ない。それにしても――
「相変わらず、すごいなここは……」
何度か来たことはあるもののその度に圧倒されるような威容を誇っている。俺の目の前には、ルミエール国教会の中心である大聖堂がまるで山のようにそびえ立っていた。しかも、今の状況はこれまでとは違う。今まではせいぜい神父見習いの助祭としての任命式や年に数回ある集まりなど限られた機会でしか訪れることはなかったが、これからはここで働くことになるのだ。
「うう、入りづらいなぁ。いやいや、こんなところでうろうろしてるわけにはいかないんだけど……」
おそらくここで働いているであろう聖職者や修道女が怪訝そうな顔で眺めている中、入り口でうろうろとしていると、
「おや、こんなところでどうしたんだい?」
穏やかそうな聖職者に声をかけられた、年齢はおじさんと同じくらいだろうか? だが不良中年、いや不良老年といった感じのおじさんとは違い、だいぶ落ち着いた雰囲気の優しそうな人だった。白髪を纏めきっちりと整えられた髪形や品のいい眼鏡、瘦せ型の長身で妙に姿勢がいいところなど、いかにもある種の聖職者のイメージ通りだった。
「いえ、ちょっと、入りづらいというか何というか……」
「ハッハッハッ、そんなに緊張することはないよ。そういうところは、二コラのやつに似なかったようだね?」
「えっ?」
不意におじさんの名前を出されて固まる。おじさんのことを知っている人なのか? 口振りからして俺のことも知っている? ということは教会の関係者で、って、あっ! あ、あの祭服は――
「はじめましてジャン・ルクレール君。私はドミニク・セリュジエ。畏れ多くも聖女様の監督責任者のようなことをやらせてもらっていてね、君の養父の二コラ・ルクレールとは旧知の仲で一緒に仕事をしていたんだよ」
目の前の優しそうな聖職者の着ている祭服の階級は、枢機卿。聖女様を頂点とする教会の、いや聖女様は象徴的な存在でもあるから、実質的な頂点に君臨する枢機卿様なのだった。
「あ、あっ……」
「さぁ、行こうか」
あまりの出来事に何も言えず口をパクパクさせている様子を察してか、枢機卿様は俺の肩に手を置くとすっと大聖堂の中に入っていく。荘厳な大聖堂の中をきょろきょろ見回しながら歩いていると、枢機卿様がにこやかに語りかけてきた。
「今日は月初めだからね、いいものが見れるよ」
「いいもの、ですか?」
「そう、大聖堂で行われる月初めの儀式といえばわかるだろう?」
「あっ、そうか、あれですね。えっ? ってことは、そこには……」
「もちろん、そういうことになるね。軽い顔見せだ」
その事実に心臓がドクンドクンと高鳴る。教会の最高位聖職者である枢機卿様に会うことよりも、ある意味はるかに緊張するであろうことがこれから待ち受けているのだ。
空のように高い天井、華麗なステンドグラス、ずらっと並んだ信者のための座席を通り抜けた先、大聖堂の奥には大きな女神様の像が置かれていた。周りには高位聖職者たちが並んで賛美歌を歌い、像の足元には跪いて祈りを捧げる少女が居た。白を基調とし金の刺繡が施された祭服、薄いレースのベールに覆われて表情は見えないが、まるで彼女だけ光り輝いているような神聖なオーラが感じられた。
その儀式の中心から少し離れたところで枢機卿様が足を止めた。自分も隣で固唾を飲んで儀式を見守る。
金色に輝く長い髪をなびかせながら少女が立ち上がる。高位聖職者たちが賛美歌を歌うことを止め、一瞬の沈黙が訪れる。少女が歌いだした。とても綺麗な小鳥のような声だった。沈黙を振り払い、美しい音色が大聖堂内に満ちてくる。そして音色と共に光が、少女の身体から溢れんばかりの光が生まれ、この空間全てを包み込んだ。
コポッ、コポポッ、コポン……。
場に不釣り合いな水中で気泡が弾けるような音が聞こえ、慌てて音のする方を見るとそこにあったのは、宙に浮かぶ銀色の液体でできたスイカほどの大きさの球体だった。激しく泡立つそれは少女の賛美歌に合わせて次第に形を変え、徐々に体積が増していった。女神像の背後を護るようにそびえ立つ銀色の物体は、やがて大聖堂の高い天井付近まで到達した。
次の瞬間、銀色の物体が不規則に形を変え始める。最初は不規則に思えた動きだったが、徐々に一定の規則に基づいて整然と何かを形作ろうとしていることがわかってくる。才能のある職人たちが何年もかかってようやくできるであろう芸術が、まるで時間を早回しでもしているかのように作り上げられていくのを見ていると、不思議な感動が胸の底から込み上げてきた。
リンッ!
讃美歌の伸び上がるような高音が終わると、硬質な鈴の音のような音がして銀色の物体から光が弾けた。光の中から現れたのは巨大でしかも精緻な金細工が施された、大理石のように真っ白なパイプオルガンのように見えた。
聖女だけが作ることのできる
再び大聖堂に静寂が訪れ、聖女様はゆっくりとオルガンの演奏台に座る。聖女様の指が演奏台の鍵盤の上を軽やかに滑り、同時に足元のペダル、足鍵盤も踏み鳴らされる。手が、足が、躍動し、全身で軽やかに歌うようにリズムを取るその姿はまるで踊っているように見えた。
妖精のような踊りから奏でられる音は、天上の音楽と呼ぶにふさわしかった。初めて聴く俺は膝がくずれ落ちそうになるのを必死に堪えていたし、何回も聞いたことがあるであろう高位聖職者たちでさえ恍惚とした表情を浮かべていた。
音は光を生んだ。その光は天へ、大聖堂の天井へと集まっていく。光が満ち、満ち、満ち満ちて、やがて爆発した。窓の外は光の渦、光の球が空を飛んでいくいつもの、しかし幻想的な光景。
外から街の人たちの歓声が聞こえて、ようやく俺は我に返った。いつも通りの日常が、これほど美しい、奇跡のような光景から生み出されていただなんて……。俺は感謝の祈りを捧げずにはいられなかった。
ありがとうございます、女神様。そして、聖女様……。
儀式と朝の祈りを終えた聖女様が振り返り、ふと目が合った。聖女様は微笑んでくださった。天使のような笑顔に気を失いそうになった。
それが聖女様。セシル・ダングルベールとの出会いだった。
この美しい出会いが、まさか、あんなことになるなんて! ……この時の俺は、まだ知る由もなかった。
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