第25話 どうして聖女に?
「七年前、幼い私は村の惨状を見て途方に暮れていました。水害に襲われ多くの家々が流され、牧場も畑も水浸し……。幸い村人に死者は出ませんでしたが、復興の当てもなく皆ただ茫然と立ち尽くすばかりでした。そんな時に颯爽とやって来たのが前代の聖女、レベッカ様でした」
聖女様は手を組んで、うっとりと前聖女様のことを思い返しているようだった。確かに、とてもお美しくて心優しい聖女様だったなぁ。そう、俺の村でも……な。
「レベッカ様は美しく優しい方で、私はすっかり心を奪われました。聖女の力を使って治水し、傷ついた人たちを癒し、村人たちを励まして希望を与えてくださったんです。私は将来こんな人になりたいなぁ、みたいな漠然とした憧れを持って眺めていました。ええ、何の具体性もない純粋な憧れで、聖女という仕事のこともよくわかっていなかったし、ましてや自分が聖女になるなんて欠片も思っていませんでした。でも、それが……」
聖女様は目をつぶり、拳を握り締めた。思い出したくもない過去を思い出そうとするように、絞り出すように話を続ける。
「遠巻きに見ていた私をレベッカ様はいきなり指差し、こう言ったんです。『あっ、あなたすごくいいわね。あなたが聖女になりなさい』って。もうね、はっ? ですよ、はっ? 頭に?が百個ぐらい浮かびましたよ、もう。それからというもの、国のお偉いさんと村長で話し合いがあって、私はすごい力を秘めている将来の聖女候補だからぜひ教会に欲しい。王都にある修道院に通ってくれって。もう、わけがわかりませんでしたよ」
そりゃあ、まだ世の中を知らない子供の時分にそんなことを言われたら、混乱するどころの話じゃなかっただろうな……。
「いきなりの展開に初めは親も渋ってたんですが、聖女になれば国から莫大な補助があると知った途端手のひらを返して、『どうぞ、どうぞ』って。しかも、もし私が修道院に入るなら村の復興のための資金も提供するって言われて。ううっ、あんなにフレンドリーで優しかった村の人たちが尋常じゃない血走った目で私のことを見てきて……そんなの断れるわけないでしょ! 断ったら絶対村八分にされるもん! 田舎の村八分とか混沌種のモンスターより恐ろしいんですから、マジで!」
「は、はい。私も田舎出身ですから、わかりますよ。なので、少し落ち着いてください……」
興奮して起き上がる聖女様をベッドに寝かし直して、ひとまず落ち着かせる。
「はぁ、すみません取り乱しました。とにかくそういうわけで、半ば村から売り飛ばされるようにして聖女になったんですよ、私は。ひどいと思いません? あんなに村全体から圧力かけられたら、選択肢なんてあってないようなもんですよ。そりゃ、聖女の仕事にやりがいとか全く感じてないわけではないですが、色々辛いんですよ、はぁ……」
「え、えーっと、そ、それだけ前聖女様からも国からも必要とされてるわけですから、それだけ聖女様の御力がすごいということで……」
公に語られている話では、水害を受けた村に行った前聖女様が女神様のお告げにより光り輝く少女を見つけ、次代の聖女として指名し、その信心深い少女も快く女神様のお告げを受け入れる――みたいな綺麗な話だったのだが、現実はそう甘くはないようだ。実態は村の同調圧力により、国家権力に売り飛ばされた少女という感じだった。
そんなヘビーな話を聞かされて、俺も適当にお茶を濁すことしかできなかった。それに俺も、その話を聞いても尚、聖女様の力はこのルミエールの人々のために必要不可欠だと思う人間だったので、それ以上は何も言うことができない。
「……そういえば、ジャックはどうしてこの仕事に就こうと思ったんですか?」
聖女様に逆に質問され、どのように答えるべきか迷った。聖女様と状況が近いだけに、要らぬ気を遣わせてしまうのが嫌だった。
「そう、ですね……私も聖女様と同じような感じですね。村が水害にあってそれを救いに来た聖女様に憧れて、聖女様を助けるような仕事に就こうと思ったんです」
「そうなんですか……あっ、二コラ様の影響はなかったんですか?」
何かを察したのか事前に聞いていたことを思い出したのか、もしくは特に興味が湧かなかったのかは知らないが、聖女様はそのことについて深く追求しようとはしなかった。その代わりに、おじさんのことを尋ねてきた。
「影響は、やっぱりありましたね。おじさんのこと尊敬して憧れてましたし、そのうえ聖女様の助けになれるような仕事ですから、話を聞いたときはすぐに試験を受けようと……せ、聖女様?」
話していたら手にかすかな感触があり、気のせいかなと思って気にせずに続けていると柔らかい感触にぎゅっと包まれた。聖女様に手を握られていた。
「……私、二コラ様にお願いをしたんです。辞める時に一つだけ頼みごとを聞いてやるって言われて」
「そ、そうなんですか? な、何をお願いしたんでしょうか?」
「秘密です♪」
俺は手のことが気になり、そのことを指摘していいかわからず動揺しながら上の空で返事していて、そんな俺を見て聖女様はくすくすと楽しそうに笑っていた。
「そそ、その願いは叶ったんですか?」
「まだわかりません、でも叶うような気もしていますよ?」
そう言って、聖女様は笑った。一体何を願ったのか、願いは叶ったのか、自分では叶ったとはっきりとはわからないものなのか? 色々と疑問は尽きなかったが、この様子だとちゃんと答えてはくれなさそうだ。いや、それよりも俺にとっては聖女様の手と、そのどこか幼い笑顔に心が揺さぶられて心臓が破裂しそうになっていた。
や、やばい、このままだと死ぬ……。生命の危険を感じた俺はしばらく逡巡した後、自分を奮い立たせて切り出した。
「せせ、聖女様、この手は……あれ?」
「すーっ、すーっ……」
聖女様はすっかり寝てしまっていた。口の端からよだれを垂らして寝るその顔は、こう言っては失礼だが正直かなり間抜けだった。
「ふふっ……あっ」
つい笑いが漏れてしまい、慌てて口を覆う。そのはずみに、聖女様の手がベッドに落ちた。名残惜しかったのか、反射的に手がもう一度伸びかけたが、引っ込めた。
「今日はゆっくりお休みください、聖女様」
ミアが帰ってくるまでの間、聖女様の平和な寝顔を安らかな気持ちで見つめていた。
翌朝、再び部屋へ行くと、
「す、すみません、腹が千切れそうに痛くて……。き、きっと某国のスパイの陰謀だと思うんですが、残念ですけど今日もお休みということで……」
昨日と同じように顔色が悪い聖女様が扉から出てきた。俺は無言で部屋に入ると、部屋を解析して本棚の上からドクロの付いた空の瓶を探り当てた。入り口に戻ると、ミアが無表情で水差しの水を聖女様に流し込み、背中を乱暴に叩いて鵜飼いの鵜みたいに毒を吐かせていた。ああ、こういうことなんだ、と思った。
「ぐぇほっ! げほっ! ぐおほっ! ……ふーっ、吐いたはいいものの毒はまだ残っているみたいですね。よし、仕方ないので今日はもう安静にしてま――」
「ほらほら、行くわよセシル。毒飲むくらい元気なんだから、今日は頑張ってもらうわよー」
「ええっ!? いやいや、毒飲んで吐いた直後! ねぇ、ジャン? 万が一のことがあるかもしれませんし、今日はもうのんびり休みましょう!」
「……行きましょう、聖女様」
「えっ? な、何でよ、この裏切り者ぉ!」
一瞬躊躇してしまったが、ミアの鬼のような視線に耐えられず両側から聖女様の腕を引っ張って歩き出した。
「昨日甘やかした結果がこれだからね? これからはジャンにい――――っぱい頑張ってもらうから、楽しみにしててね?」
ミアのやけにいい笑顔に怯えながら、俺はこの破天荒な聖女様とこれから本当にやっていけるのだろうかと、本気で不安になるのだった。
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