25. 秘める

 ひとしきり泣いて少し落ち着くと、背中を撫でてくれていたサリタニアが私の顔を覗き込んできた。


「大丈夫ですか?」

「すみません……ゲイルと喧嘩をしてしまって…」


 正直に言う事は出来ず、でもこれだけ泣いてしまったのだから何も言わない訳にもいかず、心配をかけるだけかけて申し訳ないが当たり障りのない理由で誤魔化す。


「それは悲しくなってしまうのも仕方ないですね。ゲイルさんはお部屋に入ってしまいましたから、宿に戻っても大丈夫ですよ」

「いえ…顔もひどいので一度小屋に帰ります。宿の事はお願いしても良いですか?」


 涙はおさまったが、クライスの顔を見るにはまだ覚悟が出来ていない。このままではきっと辛い感情だけが顔に出てしまう。


「それはもちろん…ついていきましょうか?」

「ありがとうございます、でも大丈夫です」


 二人に宿とクライスへの説明を任せて小屋に入り扉を閉めると、自然と深い溜息が口から漏れてきた。ネックレスをもらって嬉しかったのは贈り物が初めてだからではなく、あの夜が今までに感じた事がない程楽しかったのは魔石の話を聞けたからではなかったのだ。


「どうしよう…」


 誰かを好きになる事がこんなに苦しいなんて思いもしなかった。クライスが貴族ではなかったら、もしくは私が貴族だったら、こんなに苦しくなかったのだろうか。もし、私の好きな人がゲイルだったら、今頃幸せに包まれているのだろうか。そこまで考えて、なんて失礼で最悪な考えをしてしまったのだろうと自己嫌悪に陥った。


 頭はまとまらないまま、仕事に戻らなければならないと自分に言い聞かせて顔を拭こうとキッチンへと向かったところで扉をノックする音が聞こえた。


「カティアさん、入って良いか?」


 エドアルドの声が聞こえたのでどうぞ、と返事をする。


「すまないな、ちょっと心配になってしまって…」

「こちらこそすみません、ご心配おかけしてしまって…」

「クライスからハーブティーを預かってきたんだが、飲むか?」


 クライスという言葉にドキリと胸が跳ねる。ハーブティーは嬉しいが、今はその心遣いが苦しい。顔に出ないように、ゲイルと喧嘩をして傷心なんですというフリをしてエドアルドからティーポットを受け取る。カップを棚から二人分出してハーブティーを注ぐと、ふわりと優しい香りが広がった。その香りに少しだけリラックスできた気がして、カップからあがる蒸気をぼうっと見つめる。


「……カティアさん、嫌だったら話さなくても良いんだが…」


 言いにくそうにエドアルドが話し始めた。


「喧嘩、じゃないだろう?ゲイル君は君に何か大事な事を言って、君はそれで何かに気付いたのではないか?ハーブティーに反応する程に」


 具体的な言葉はないが、その訊き方に、エドアルドは全てわかっているのだと、そんな気がして全身が硬くなる。


「すまない、ゲイル君に聞いたとかそういう事ではないんだ。あくまで俺の推測だし、俺も誰にも何も言っていない。その、一応ここでは唯一の既婚者だからな、男女の心の機微はまだわかる方だと思うんだ。だから何か相談に乗れないかと思って…まぁ、こういう時は同性の方が良いんだろうが」


 私はふるふると頭を横に振った。知られてしまってどうしようかと思ったが、エドアルドにそれを咎めるつもりはないらしい。なら、どうしたら良いかわからなすぎて混乱する頭を落ち着かせる為に、何でも良いからアドバイスが聞きたい。


「エディさんが嫌な気持ちにならないのであれば、どうしたら良いかお聞きしても良いですか?私、何もかもがどうしたら良いのかよくわからなくて…」

「あぁ、俺でよければ」


 にかっと笑ってくれた事で体の強張りが解けていった。この人は暗い髪や目の色にそぐわず太陽みたいな人だなと思う。全てを包み込んでくれるような大きな安心感がある。父がいたらこんな感じなんだろうか。


「その、前提としてなんだが、クライスにカティアさんの気持ちを伝えるつもりはないのか?」

「そんな事出来ません!そもそもクライスさんは本来なら会話すら出来ない方なんですから…」

「平民の女性と結婚した貴族出の騎士もいる事はいるぞ?」

「騎士の方を軽く見るわけではないですが、クライスさんは一国のお

姫様の側近をされている方です。これから国政を担っていく方々です。こんな平民が想って良い方ではないですし、煩わせる事になったら大変です」

「…はは、久々に聞いたなカティアさんの貴族論」


 笑われてしまったが、平民にとって貴族とはそういうものなのだ。それに…。


「クライスさんに、迷惑をかけたくありません…」


 下を向いて、膝に置いた手をぎゅうときつく握って、目から溢れそうな涙を必死に堪える。


「迷惑だなんて思う事ないと思うがな」

「いえ、クライスさんは優しいですから、きっと私の為に無理して気にしないふりをしてくださると思います。それは嫌なんです」

「そうか…カティアさんがそう思ってしまうなら仕方ないな」


 黙ってしまったエドアルドに顔を上げてそちらを見ると、何かを考えるように腕を組んで目を瞑っている。


「すみません…今まさにエディさんにご迷惑をかけてますね…」

「いや?すまない、少し思い出していただけだ。俺の嫁が言っていたんだが…」


 エドアルドはそう言うと組んだ腕を解いて、ずいとテーブルに乗り出して一度にっと笑った。


「人を好きになる感情はコントロール出来ないらしい」


 エドアルドがどんなシチュエーションで奥様にそれを言われたのかちょっとだけ気になると同時に、どうしようもないのかと気落ちする。


「だがな、隠す事は出来るらしい」

「隠す…?」

「そうだ。だからカティアさんも無理に今すぐどうにかしようとしなくても、まずは隠す事から始めたら良いんじゃないか?それで頭と気持ちが落ち着いたら、ゲイル君の事も含めてどうすれば良いか具体的に考えればいい」


 今すぐに答えを出す必要はないと言われたことで少しだけ気持ちが落ち着いてくる。平民の私が高位貴族のクライスさんを想う事自体は、コントロールできないどうしようもない事だから隠せば許される? 


「顔に出てしまいそうかな?」

「いえ、急な事でなければ…祖母が亡くなった時と同じようにすれば出来ると思います」

「…カティアさん、それは…すまない、辛い事を思い出させてしまったな」

「あ、すみません、今はもう吹っ切れて悲しいよりも楽しかった事ばかり思い出すので大丈夫ですよ」


 そうだ、おばあちゃんがいなくなってしまった悲しみも寂しさも日に日に薄くなってきた。きっとこの気持ちもそのうちちゃんと落ち着いてくれるのだろう。気持ちを隠すのは簡単だ。常にその気持ちに向き合って、意識していれば笑顔を作って簡単に隠せる。忘れたり意識を他に向けてしまうから何かの拍子に出て来て辛くなったり慌てたりしてしまうのだ。2年前を思い出して、ふぅ…と息を吐いて目を瞑る。


「…出来そうです」


 たぶん、ちゃんと笑えていると思う。


「そうか、辛くはないか?」


 辛くないといえば嘘になる。でも心は締め付けられていても、先程と違い頭の中は少しだけ整理されたから、仕事は出来る。ゲイルと顔を合わせるのはまだ怖いが、クライスとは今までと同じように会話が出来ると思う。


「えぇ、大丈夫です」

「…カティアさんは強いな。困ったり、辛かったりしたらいつでも言ってくれよ」

「ありがとうございます。今はその言葉が一番心強いです」


 カップに残ったハーブティーを飲み、エドアルドは先に宿へと戻っていった。私はぐしゃぐしゃになった顔を拭いたり土汚れのついた服を着替えてから戻ると伝えると、一人で歩かせるのは心配と言われたが、薬草も持っているので平気だと答えた。そういえばゲイルには薬草についてきちんとお礼を言っていない気がする。まだ全く考えはまとまっていないが、ジャムを美味しく作れたら、渡す時に少しは話せるだろうか。


「そうだ、ミネストローネの仕込みもしないと」


 ぱちんと自分の頬を両手で挟んで気合いを入れ、身なりを整えて宿へと戻った。


「カティア!」


 宿へ戻るとサリタニアが駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか?すみません、私が余計な事を言ってしまったばかりに…」

「そんな事ないです。先程は取り乱してしまってすみませんでした」


 サリタニアが自分の所為と溜め込まないように、もう平気だという顔をして笑うと少しだけほっとした顔になってくれた。それに安心して、一瞬だけ気合いを入れるのに目を瞑り、クライスの方を見る。


「クライスさん、ハーブティーありがとうございました。落ち着きました」

「それは良かったです。私は喧嘩という経験があまりないので中々アドバイスも出来ませんが、辛かったらあまり無理をせず、表に立つ仕事は我々に任せてくださいね」

「はい、ありがとうございます。そうですね…今日はミネストローネもジャムも作らなくてはいけないので、キッチンに籠もらせてもらえたら嬉しいです」


 まだゲイルとはどんな顔をして会えば良いのかわからないので、料理をしながら落ち着いて考えたい。


 三人に他の事を任せて早速ミネストローネの仕込みを始めた。最近は料理も手伝ってもらっていたのだが、ミネストローネは私一人の手で作った方が味が変わらないだろうと遠慮されてしまった。


 まずはスープのベースになる野菜をハーブと一緒にオーブンでローストする。その間に、燻製肉をフライパンでじっくり焼きながら具材になる野菜を切り揃える。今日はゲイルが好きな野菜を気持ち多めに用意した。


(好きなもの、嫌いなもの、食べ物なら大抵知ってるな…。でもゲイルの好きな人なんて、気にした事なかった。ずっとゲイルはゲイルのまま、たまに様子を見に来てくれたりして、このまま過ごしていくんだと思ってた…なんて自分勝手なんだろう)


 オーブンの中身が程よく焼けるまでまだ時間がかかりそうなので、その間にエカの実の下処理もしてしまおうと籠の方へと向かいながら、今朝の事も思い出す。もしかしてカイルにジャムを持ち帰る為ではなく、先程の事を私に伝える為に来てくれたのだろうか。村と私を天秤にかけて、こちらをとってくれたのだろうか。ゲイルの想いの大きさを改めて認識して、今までの私の言葉を全てなかったことにしてしまいたくなる。


(私は今までにどれだけゲイルを傷つけたんだろう…)


 実を洗いながら深く反省をし、どうしたらゲイルに誠意を返せるだろうかと考える。返事はしなくていいと言われたが、あれは本心なんだろうか。かといって、今すぐには返事は出来ないけれども。私自身頭が混乱している状態で大切な事を答えるのはゲイルに対して不誠実だと思う。


 実を洗いきったところでオーブンの中身が良い塩梅で焼けた。中身を取り出してハーブを避けた野菜を丁寧に裏ごししていく。一度ローストする事で甘みもこくも増えた野菜はスープの決め手になるのだ。先程切った野菜を軽く炒めて、じっくり焼いた燻製肉も鍋に入れて裏ごしした野菜ペーストと水を加えた。あとは時間をかけてことことと煮込んでいくだけだ。


 ジャムはサリタニアが一緒に作りたそうだったから、ここでストップしておく。吹きこぼれないように鍋を見ながらふぅ、と息を吐いた。今すぐには将来の事は決められない。でも、ゲイルの事は変わらず大切な幼馴染だと思っている。それから、今まで知らず知らずのうちに傷つけていた事は謝りたい。それだけは今確かに思っている事だ。こんな自分勝手な気持ちでも、当たり障りのない言葉で誤魔化すよりは良いだろうか。


「あとで手紙に書こうかな…」


 きちんと伝えられるように言葉を選べるかわからないし、何よりゲイルが気分を悪くしていて会話すらしてくれないかもしれない。村に帰ってから読んでくれても構わない。


「よし!」


 やる事は決まった。とにかく今は動かないと、とキッチンから顔を出してサリタニアを呼んだ。

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