12. 朝のルーティン

 夢を見た。何故だかとても急いでいる。辺りは暗く、月も細く光は届かない。人に見つからないように足音を立てないように、でも出来るだけ急ぐ。何かはわからないが腕の中の大切なものを落とさないようにしっかりと抱えている。


「待ってください」


 後ろから声がかかる。しまった、と一瞬ぎくりとしたが、呼び止めた人物の顔を見て安堵する。急いでいた歩みを一度止め、その人物へと近づいていく。私を呼び止めた少年はサラサラとしたベージュの髪と深い紫色の瞳をしていて、クライスのようだと思った。私は大事なものを落とさないように片手で抱え直し、もう一方の手で少年の頬を撫で話しかける。何を言っているかは不思議と自分でも聞こえない。ただ、とても大切な事を言っていることだけはわかる。


「わかりました。かならずご期待にそえてみせます」


 少年は大きな瞳に決意の色を見せて私の手を握ったあと、腕の中の大事なものもそっと撫でた。


 少年に別れを告げ、ひたすら暗い道を走っていると、そのうち遠くから鳥のさえずりが聞こえてきた。まぶたの裏に光が届く。まぶた…私は目を閉じているのだろうか?


「…ん?」


 チュンチュンと、さえずりが聞こえる。窓からは朝日が燦々と入ってきて私の顔を照らしていた。何故カーテンを閉めなかったのだろうかと疑問に思った直後、昨晩の事を思い出した。あれは紛う事なき酔っ払いだ。ワイン数口であんな風になるなんて、今までこんな事はなかった。気が緩んでいたんだろうか。とにかく後でクライスにきちんと謝罪とお礼をしなければ。


 身支度を整えていると、階段を降りる複数の足音が聞こえてきた。私の部屋の上に階段がある為、よく聞こえるのだ。お客様がいる時はこの音がとても役に立つ。最後にひどい有り様だった髪を整え、編んでまとめると私も部屋の外に出た。


「おはようございます」

「おはよう、カティア!」


 部屋を出てすぐに人と顔を合わすのが不思議な気がする。朝から満面の笑みで挨拶をしてくれたサリタニアは、今日は薄黄色の動きやすそうなワンピースを着ていた。髪はまだ一人で結うのが難しいのか、低い位置でひとつ結びにしているだけだった。私が結ってあげたいといつか言っても良いだろうか。


「カティアさん、おはよう」

「…え…ふわ…はっ、すみません、おはようございます、エディさん」


 エドアルドの髪がとてもふわふわしている。昨日はきっちりオールバックに撫でつけていたのでだいぶ印象が違う。黒みがかった髪色と瞳と相まってエキゾチックな雰囲気が増している。もしかしたら別の国の血が混じっていたりするのかもしれない。


「気にしないでくれ、最初見た人は大抵同じような反応をするから…」


 少し恥ずかしそうにそう言うので、私は素直に感想を述べる。


「でも昨日より柔らかい印象でとても素敵です」

「騎士だとそれでは困るんだがな…でもありがとう」


 やはり騎士は固い印象でないと差し支えがあるのだろうか。


「おはようございます、おや、私が最後ですか」


 クライスが階段を降りてきた。心なしか眠そうな目をしている。サリタニアの夜間護衛もあるのだし、鍛練をしている騎士ではないクライスには睡眠時間が足りていないのではないのだろうか。


「おはようございます、クライスさん。昨夜はご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「あぁ…いえ、あれくらい何ともありませんよ。体調に影響はないようですね、良かったです」

「昨夜何かあったのですか?」

「お恥ずかしながら、クライスさんに頂いたお酒が美味しくて少し飲みすぎてしまったようで…」


 心配してくれるサリタニアに昨日の失敗を白状すると、サリタニアとエドアルドの顔が固まった。サリタニアは顔を赤らめ目をキラキラさせているがエドアルドはショックを受けたように青くなっている。え、やっぱり酔い潰れるような人間は信用ならないとかそういう事だろうか。でもそれにしてはサリタニアの様子がおかしい。


「クライス!」


 エドアルドが大きい声を上げたので思わずビクッとしてしまった。


「お前何を考えているんだ、いや、考えなしにも程があるぞ!きちんと手順を踏めば俺だって協力したものを…」


 相当お怒りのようだ。私はわけがわからず二人を見守っているしかない。胸ぐらを掴まれたクライスはやれやれというように肩をすくめている。


「安心してくれ、エドアルドが思っているような事ではないから」

「じゃあどういう意図があるというんだ!」

「良いから落ち着けって。カティアさん、今まで誰とお酒を飲んだことがありますか?」


 急に話を振られて慌てて思い返す。


「え…?ええと、祖母と、近くの村の知り合い数人と、あと一口だけというレベルでしたらここでお客様にもお付き合いしたことがあります」


 あれ、エドアルドがすごい顔をしている。


「そういう事だ。平民の中では酒は男女関係なく親睦を深める為のツールなんだよ。何なら祭で飲み明かすところもあるようだぞ」

「えっ貴族の方々は違うんですか!?」


 親睦を深める為のお酒じゃなければ何だというのか。教養とかそういうのが関わってくるものなのだろうか。あっだから酔っ払いなんてありえないっていうことなんだろうか。私は二日目にしてやらかしてしまったのかもしれない。


「…カティア、男性から女性をお酒の席に誘うのは、貴族では求婚の意味があるのです」

「はい…?」


 貴族ルール、よくわからない。だからサリタニアは頬を赤く染めていたのか。しかしどう考えてもクライスにその気はなかったと思う。


「気を付けていても、お酒を入れると恥ずかしい行動をとってしまう事もあるでしょう?なので、そんな姿をも受け入れますという意思で男性から誘い、女性はあなたを信用します、という意味で誘いを受けるのですよ。婚約可能な16歳からお酒は飲めますが、女性は婚約するまでは家族としかお酒を飲んではいけないのです」


 確かに恥ずかしい行動は取ったし恥ずかしい姿も見せた。でもそれが結婚に繋がるなんて貴族社会怖い。


「でもクライスさんは平民の習慣に合わせてくださったんですよね?」


 まさかとは思うが内心おそるおそる訊くと、クライスは「当たり前じゃないですか」とエドアルドの手をぺいと剥がして言った。


「仮に私が先日カティアさんに世界がひっくり返るほどの一目惚れをして結婚を考えていたとしてもこんな根回しもプレゼントもないムードもへったくれもないカティアさんに失礼極まりない求婚なんてするわけないじゃないですか」


 違うことはわかっていたし私もそんな気はないし安心もしたがそう一息に力いっぱい否定されるとちょっと傷つくんですけど。


「そうなんですね、残念です」

「おや、姫様はカティアさんと私の結婚を望んでいらっしゃる?」

「だってそうしたら私もカティアとずっと一緒にいれるじゃないですか」


 それは魅力的だがどう考えても無理だと思う。家名は聞かなかったが、たぶん相当な高位の貴族なんだろう。でなければ姫の側近なんて出来ないと思う。


「はい、そういう事ですのでこのお話はおしまいです。カティアさんのお仕事の邪魔になってしまいますよ」


 パチンと手を合わせてクライスがそう言うとサリタニアとエドアルドははっとして私を見た。


「そうですね!朝は何をするのでしょう?」


 元はと言えば私の失態のせいなので申し訳ないが、このやる気を削ぐのも更に申し訳ない。私は朝のルーティンを説明した。朝はまず宿泊のお客様用の朝食を用意し、1階の掃除をしつつチェックアウトの対応をして、全員が宿を出たら2階の宿泊部屋の掃除をする。それが終わり次第朝食なのだが…。


「皆さんは朝食はどのタイミングで召し上がってましたか?」


 体のリズムというものがあるだろうからここはあまり変えない方が良いだろう。


「座学のお勉強を1枠終わらせてからですね。お腹がいっぱいになると眠くなってしまうので…」

「俺は基礎鍛錬を一通り終えてからだな」

「私は姫様の1日の予定を確認したあと文官や次女に指示を出してからですかね」


 貴族の皆様のお仕事は朝から想像以上にハードらしい。


「では、私も一通り掃除をしてからの朝食なので、そのままの予定で動きますね」


 一応掃除の得手不得手を本人目線から聞いてみるが、みんな一通りの仕事をしてみたいと言うのでまずは掃除の仕方を説明する。掃除用具が人数分はないので簡単に担当分けなどもしてみた。上から下に、とか磨く時はクリームを付けると良いとか、やり方やポイントを説明すると、意外にもエドアルドの得意な分野であったようだ。特に拭き掃除が力強く、ピカピカにしてくれる。武具の手入れと同じと思えば丁寧にも出来るそうだ。皿洗いは割るのが怖くて力加減がわからなかったらしい。


「お掃除ひとつとっても、色々と手順があって、思った以上に体力仕事なのですね。侍女たちに感謝しなくてはなりませんね。私の部屋はいつもピカピカなのです」


 足台に乗ってハタキで埃を落としていたサリタニアが言った。ここでこういう感想が出てくるのが偉いなぁと思う。


「でも、その部屋を使う人の事を考えてする掃除はとても楽しいものですよ。侍女の方々もきっとターニャが気持ちよくお部屋を使ってくれたらそれだけで嬉しいはずです」

「そういうものなのですか。では私の掃除スキルに合格がもらえたら、カティアのお部屋のお掃除をさせてくださいね!」


 とても嬉しい事を言ってくれたサリタニアに、是非お願いします、と笑顔で返す。私の部屋ならば今の状態でもやってもらって構わないが、まずは宿の方を進めることにした。4人でやるとあっという間に1階の掃除が終わったので、階段を拭きながら2階に上がり、廊下も拭き上げて端の部屋から掃除を始める。


「宿泊部屋については、まず忘れ物がないかを確認してから掃除します」


 意外と忘れ物が多いのだが、取りに戻る人も多いのでしばらくは宿で大事に預かっておくのだ。壊したりしてしまわないように、掃除の前に回収しておく。今日は宿泊客がいないのでこの過程は略すが、念の為伝えておく。


「基本的には1階と同様のやり方ですが、宿泊部屋は全てにお客様が触れる事を想定して、拭き掃除をよりしっかりやります。特にこのカフェテーブルで朝食を召し上がっていただくので、パンくずや水跡が残らないように気をつけます」

「拭き掃除なら任せてくれ!」


 あ、エドアルドが楽しくなってきたぞという顔をしている。髪型も相まって、昨日の真面目そうな印象よりも気さくなお兄ちゃんという感じが強くなっている。こちらが本来のエドアルドの性格なのかもしれない。


「カティアさん、この花瓶はもうそろそろ替え時では?」


 箒で床を掃きながら花瓶まで目を向けられるのは流石だと思う。私は窓から空の様子を見た。重たい雲がだいぶ広がってきていて朝だというのに薄暗い。


「そうですね…たぶん明日くらいから雨も降ってくると思いますし、一度全部屋から花瓶を片付けてしまいましょう」


 花は宿の花壇や森から摘んでくるので、雨季は交換することが難しいのだ。閑散期とはいえ少し殺風景になってしまうが仕方ない。


「あら?」


 3つ目の部屋の扉を開けたところでサリタニアが部屋の中を見て声を上げた。床には藁が敷かれ、その上に花びらが広がっている。すっかり忘れていたがポプリにしようとしていたものだ。


「あ、そうでした。あと2日ほどこのままにしたいのでここは掃除なしでお願いします」

「この花びらは何に使うのですか?」

「ポプリにします。一緒に作りますか?」

「はい!」


 また一つ約束をして、次の部屋に移る。全ての宿泊部屋を掃除して、サリタニア達が使っている部屋については各自で行うという事になったので1階へ降りて朝食を摂ることにした。


「ずいぶん綺麗な花びらになっていましたね。あんなに泥だらけだったのに」


 付け合せの卵サラダにフォークを刺しながらクライスが言った。今日の朝食のメインは薄く切ってカリカリに焼いた燻製肉のサンドイッチだ。城から貰った美味しい野菜がまだ沢山あるので、数種類の野菜もサンドされている豪華さである。


「あの日はお天気が良かったので。泥汚れは下手に水で洗うよりも、乾かしたほうが落ちやすいんですよ」

「へぇ、それは良い事を聞いたな。城のメイド達にも教えてやろう」

「たぶんご存知だと思いますよ」


 横からエドアルドが感心したように言ってきたが、洗濯が仕事内容に入っている人なら誰でも知っていると思う。


「あ、そういえば、皆さんお洗濯物はどうされます?」

「我々は風呂ついでに自分でしましたが、姫様はカティアさんにお願いしますか?」


 昨日聞くべきだった。あとで洗濯用の道具置き場を教えなければ。こんな仕立ての良い服がすぐにしわしわごわごわになってしまう。


「私も自分でします!…が、やり方を教えてくださると嬉しいです…」

「洗濯はメイド任せですから、侍女もさすがに忘れていたようですね…」

「ではあとでお洗濯を一緒にやりましょう。今日はギリギリ外で干せると思いますし。お二人の分も干しておきましょうか?昨夜洗って部屋干しだとまだ乾いてないでしょうし…」


 私がそう提案すると、クライスとエドアルドが目を合わせた。


「いや、下着もあるから部屋干しで構わない…もし干す用のスタンド等があれば貸してくれないか」


 おっと、また貴族ルール的によろしくない部分をつついてしまったらしい。二人とも若干顔が赤くなっている。あれ?でも普段はどうしているのだろうか?


「お城ではメイドさん達が洗濯をされるのではないのですか?」

「下着は自分で洗いますし、その、なんというか、メイド達にお願いするのと知り合いの女性にお願いするのとでは気持ちが違います。そもそもメイドにお願いするのは制服や仕事着くらいですし、私服は専門店に預けます。あ、姫様は全てメイドが洗ってますので、それを前提に教えて差し上げてください」


 村のおばさんが、旦那さんや息子さんの洗濯物の出し方に愚痴を言っているのを聞いたことがあるので家族の洗濯物を見るのは普通の事かと思っていたが、やはり貴族は違う習慣と感覚らしい。というか専門店なんてあるんだ。


「その…カティアさんは男性物の洗濯をしたことがあるのですか?」

「有料ですが宿泊のお客様の洗濯も承ってます」

「…今後やめません?そのサービス」


 ものすごい嫌そうな顔をしている。そんなに人の洗濯物に抵抗があるのだろうか。ただの布なのに。


「やめません。必要とされている方がいますから。私がやるのでお気になさらず」

「そういう事ではなくてですね…」

「諦めろクライス。人の習慣に口を出すのは失礼だぞ」


 なんだが煮え切らない様子のクライスにピシャリとエドアルドが言った。


「…そうですね…しかも宿の仕事について差し出がましい発言をしました。すみません」


 何を諦めるのかわからないが、わかってもらえたので良しとしよう。


「わかっていただけたなら構いません。私もクライスさん達がびっくりするような事を言ったみたいで…やっぱり色々と習慣の違いが出てきますね」


 朝食を済ませた後は、サリタニアと一緒に洗濯をし、エプロンの続きを縫ったりしながら午前を過ごした。クライスはお風呂で装置の研究の続きを、エドアルドはお気に召す物干しスタンドではなかったようで、自作するべく木材を探しに森に行き、なんと帰りにウサギを狩って戻ってきた。血抜きもしてくれるらしいので、その間に昼食の準備をしてしまおうとサリタニアと一緒にキッチンへ向かったところに、馬の駆けてくる音と嘶きが聞こえてきた。


「カティア姉ちゃーん!いるー!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る