13. 隣国の商人

 聞き覚えのある声に呼ばれ外に出ると、ミゲルの村の知り合いだった。


「カイル、どうしたの?」


 カイルはミゲルの孫で、私より2つ下の少年だ。カイルの兄が私と同い年なので、幼い頃は村に行ったり彼らが宿に来たりするとよく一緒に遊んでいた。所謂幼馴染というやつだろう。


「この人を送ってきたんだ」


 カイルの馬にはもう一人乗っていた。大きなリュックを背負っているので、行商人の人だろうか。馬に慣れていないのか、カイルに手伝ってもらいながら馬から降りてきた。


「この人、隣の国の商人さんで国境近くの村からうちの村に昨日移動して来たんだけど、雨季の事知らなかったみたいで。もう明日あたりから村に閉じ込められるよって教えたらすごい困ってたからここまで馬を飛ばしてきたんだ」

「どうも、トマスと言います。隣国から来たのですが無知でご迷惑をおかけしてすみません…」


 トマスと名乗った小柄な男性は申し訳なさそうに更に小さくなってしまった。


「いえ、間に合って良かったですね」

「3日後までに街道先の街まで行かなきゃなんないらしいから、今日はここに泊まってもらって、明日朝早く出れば良いと思って」

「そうですね、雨は降ってきそうですが、街道でしたら問題なく歩けると思います。半日ちょっと行った先に砦がありますから、そこから出ている乗合馬車に乗る事が出来れば2日後には街に着くと思いますよ」


 ほっとしたように顔を上げたトマスを宿の中に案内する。カイルは馬を厩舎に繋げてくると裏手にまわった。転移馬車を見えないようにしておいて良かった。カイルもトマスも朝早くからこちらに向かっていたのだろうからお腹も空いているはずだ。カイルも時間があるようだし、今日は6人分昼食を作ろう。


「ターニャ、急ですがお客様がいらっしゃいました」

「…私にとって初めてのお客様ですね」


 宿の中から静かに状況を見守っていたサリタニアにそう告げると、少し緊張した顔でぐっと手を拳にしてうんうんと頷いた。


「緊張しなくても大丈夫ですよ」

「カティアの後ろをついていっても構いませんか?」

「もちろんです」


 トマスは優しそうな人だから、新人研修中ですとでも伝えれば問題ないだろう。中には横柄な人もいるので、初めてのお客様がトマスの様な人で良かった。そういえば、裏手にはクライスとエドアルドがいるはずだが大丈夫だろうか。

 受付カウンターで宿泊の手続きをしてから先程掃除したばかりの部屋へトマスを案内し、荷物を置いたら1階へ降りてくるように告げ、昼食の支度をするべくキッチンへと戻る。サリタニアは私の動きを見逃さないようにじっと見ながら、トマスの後ろからついてきていた。トマスは予想通り快諾してくれ、サリタニアを優しい目で見守ってくれていた。


「カティアさん」

「クライスさん、おかえりなさい。あれ、裏でカイルと会いませんでした?」

「いえ、馬の嘶きが聞こえてエドアルドとこちらに戻ってきたので姿は拝見しましたがお会いしていません」

「え、戻ってきてたんですか?」


 カイルが来てから少し時間は経っているが今までどこにいたのだろうか。カイルの事も目にはしているらしいし。


「すぐにこちらに向かいはしたのですが、お一人はカティアさんの知り合いのようでしたので少し離れたところから様子を見ていました。エドアルドは今宿の周りを再度確認しにいっています」


 裏で作業中だと思っててすみません。そうですよね。本業は護衛と側近ですもんね。


「それより、お知り合いの彼には我々の事を伝えなくてはならないと思うのですが」

「そうですね、これからも顔を合わせる事があるでしょうし、ターニャの為にも紹介した方が良いと思います」

「ではこうしましょう」


 クライスが小声になったので耳をクライスの口元に近づける。野菜を洗っていたサリタニアは私も聞かなくてはと思ったのかこちらに近づこうとするが、手が濡れていることに気づき手とこちらを見比べて慌てている。かわいい。


「カティア姉ちゃん、俺にも昼め…し…」


 急にカイルがキッチンに入ってきた。村から野菜などを持ってきてくれるカイルはキッチンにも入り慣れている。だが私しかいないと思っていたキッチンに入ると知らない男性が目の前にいて、更に顔を近付けて話をしているのだ。それは驚くだろう。ちなみにサリタニアはカイルから死角になっている。


「え…え!?何、誰それ!?」

「はじめまして、クライスと言います。僕達はエリザさんに昔お世話になった者の遠縁の親戚でして、今度街に宿を建てようと思っているのですが、その前にここで修行してこいと言われましてね。エリザさんは残念ながら亡くなってしまったとのことですが、事情を知ったカティアさんが受け入れてくれまして…」


 クライスはおそらく今内緒話で伝えようとしたであろう内容を一気に説明した。私がいらぬことを言う前に、という感じだろう。しかし祖母の名前はいつ知ったんだろうか?最初に来た時にミゲルと祖母の話をしていた時だろうか、などと考えているとクライスがこちらを振り返り、カイルに見えないように胡散臭いウインクをした。これで承知しろということだろう。


「そうなの、おばあちゃんの知り合いのご親戚だし、私で力になれることがあればって思って」

「…ゲイル兄ちゃんが聞いたら卒倒するだろうな…」


 カイルは胡散臭そうな目でクライスを見ながらぼそりと呟いた。そんなに私は信用ないのだろうか。さすがの私でもそんな遠い関係の知らない人をほいほいと受け入れたりはしない。決して言えないが、この人達が何者かははっきりしているのだ。


「あの…」


 手を拭いたサリタニアがおずおずとこちらを伺いながら声をかけてきた。カイルの目が大きく見開かれている。


「はじめまして、ターニャと申します」

「はっはじめましてっカイルです」


 カイルの声がうわずっている。わかる。今まで見たことないくらいかわいいもんね。


「あの…あなたはカティアの弟さんなのですか?」

「へっ!?」


 ん?と私もサリタニアを見る。


「カティア姉ちゃん、と仰ってましたから…」

「あ、いやちげぇ…じゃなくて違います、小さい頃から一緒に遊んでたので、姉ちゃんって呼んでるだけです」

「そうなのですか、幼馴染というやつですね」


 にこり、とサリタニアが笑うとカイルの顔がみるみる赤くなっていく。にこにことその様子を見守っていると、今度はエドアルドがキッチンに入ってきた。


「ん、なんだか密度が高いな」

「おかえりなさい、エディさん」

「おかえりエディ、こちらはカティアさんの幼馴染のカイル君。カイル君、こっちは僕の兄のエディだ。2人で共同で宿で始めようと思ってるんだ」


 そう説明するクライスの顔を見たエドアルドは思惑を察したようで、表情を崩すことなくカイルに向き合った。クライスの兄がエドアルドなら、サリタニアは妹ということで良いのだろうか。


「はじめまして、エディです」

「カイルです、よろしく」


 軽く挨拶を交わして握手をした後、エドアルドの言うようにキッチンに人が多かったので私とサリタニアとエドアルドを残して、二人にはトマスの対応を任せてテーブルで待ってもらう事にした。


「…ちょっとびっくりしましたね」

「クライスの機転に救われましたね。俺だけだったら説明に戸惑って怪しまれてたと思います」


 サリタニアとエドアルドが少し疲れた顔で野菜の処理をしながら小声で言った。二人は誤魔化したりするのが苦手そうだ。


「すみません、私もこんな時期に来るとは思ってなくて…後でクライスさんともう一度、今後の対応について確認しておいた方が良さそうですね」


 6人分の昼食を作りテーブルへと持っていくと、既にトマスも1階へと降りてきていた。カイルは待ってましたという顔をしていたが、自分の分のカトラリーをサリタニアに渡されるととたんに顔を赤くして動きをぎこちなくした。さすがにこれでは食事の味もわからないだろうとかわいそうになったので、カイルの前には私が座ってあげることにした。


「いやはや昼食までご用意いただいて…申し訳ないです」

「隣国からいらしたとの事ですがお口に合いますでしょうか」

「とても美味しいですよ!ありがとうございます」


 カイルの腹具合がだいぶ限界が近かったようなのですぐに作れるもの、と思って簡単に出来るパスタとサラダだけになったが口に合ったようで良かった。


「トマスさんは行商に街まで行かれるのですよね。何を取り扱ってらっしゃるのですか?」


 日用品であれば少し商品を見せてもらいたい。


「そうです。街の方に知り合いがいまして、研究院の人を紹介してくれるそうなので、魔石を買い取ってもらおうかと思っています」

「魔石ですか…」


 クライスの魔石術を見てからすっかり惹かれてしまった私はそわそわとして少し身を乗り出しそうになったが、コツン、と足元に何かが当たるのを感じて留まった。足元を見ると、クライスが私の足を軽く蹴ったようだ。何だろうと顔を見ると、指で口を拭う仕草で誤魔化しながら少し人差し指を立てている。これは何も言うなという事だろうか。研究院というワードも気になるが、ここはぐっと我慢することにした。あとでクライスに教えてもらおう。


「本当はこの辺りで魔石の調達を出来ればと思っていたのですが、まさか雨季に通行出来なくなるとは…」

「出来ないわけじゃないんだけどな。何とか歩けはするよ。地元の人間くらい土地勘がないと道もわかりにくくなるから大変な事になるだけで」

「それは僕らにとっては通れないのと同じですよ…」


 魔石の調達ってこの辺りで出来るものなのだろうか。これは訊いても良いのかなとそわそわしているのが隣に座っているクライスに筒抜けだったのだろう。


「この辺りで魔石の調達が出来るものなのですか?」


 と、クライスから訊いてくれた。トマスは訊かれたのが嬉しかったようで、にこにこと話し始めた。


「平民にはまだあまり馴染みがないですもんね、皆さんは、魔石がどのように採れるかご存知ですか?」


 平民には、と言われてサリタニアとエドアルドは返答に迷って発言を控えているようだ。クライスも答えないので、これは私が発言しても良いのだろうか。


「え…と、石というからには坑道などで掘るのでしょうか?」


 私の返答にトマスは満足げな顔をした。


「そう思いますよね?僕もこの仕事に携わるまではそう思ってました。ですがそうではないのですよ」


 確かに、この辺りにはちょっとした自然の洞窟くらいしか石が採れそうなところはない。それでは調達とはいかないだろう。


「魔石は自然のエネルギーを吸収した石なんですよ。自然が豊富な所でしたら、道端の石ころでも魔石に変質するんです」

「石ころがですか?!」

「驚きですよね。それが30年くらい前に解明されて、今までマニアックな宝飾品や魔獣の餌くらいにしか使っていなかった魔石を、研究者の間で実用性のあるものにしようという流れになりまして、魔石が研究者に対して商売品として成り立つようになったんです」


 へぇー、意外と歴史が浅かったんだ。


「で、本題ですが、この辺りは緑が豊かなので、自然のエネルギーが多いんです。なので魔石が転がってるんじゃないかと思っていたんですが…」

「私、ここにずっと住んでいて森にも出ていますが、魔石が転がってるだなんて全く気付きませんでした」

「普通に見ただけではわかりません。特殊なルーペで覗くと魔力を帯びてほんのり光って見えるんですよ」


 なるほど。あとでそのルーペで魔石を見せてもらえないだろうか。


「ちなみに、転移馬車はご存知ですか?」

「はい、こんな田舎にまで噂が届くほど話題になってましたから」


 8年くらい前だっただろうか。上流階級しか使えないが、ものすごい発明だと行商人の人達が興奮して話していたのを覚えている。実物が裏にあるとは決して言えないけれど。


「それが魔石の実用化第一号だったんですよ。転移魔獣の行き先をコントロールする道具として魔石を使っているらしいです」


 それは知っている。とても綺麗で、私はそれを見て魔石術に一目惚れしてしまったのだ。


「実用化の第一歩まではだいぶ苦労したようですし、未だに一般流通には遠い様ですが、そこから更に魔石の需要が増えました。平民にはまだ馴染みがないですが、貴族間では魔石の基礎知識が教育課程に加えられたりしているそうです。噂によると、ファレス国はこれから国政として魔石の研究に乗り出すようですよ」


 国政…もしかしてサリタニアがここに向かう事になった理由の一つでもあるのだろうか。


「ちなみになんと、その転移馬車の魔石を発明したのは齢15、6歳の少年だったらしいです。きっと今頃は立派な研究者になっているんでしょうね」


 8年前に15、6歳…まさかね?とクライスの方にちらりと目を向けると、「へぇ、それはすごい」と何事もないような顔をして相槌を打っていた。姫の側近になるような人だからその頃は既にお城勤めだっただろうし…まさかね。

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