16. 熱
誰かが泣いている声がする。私は横になっているようで、泣いている声は私の頭の上から聞こえる。誰が泣いているのだろうと目を開けようとするがうまく出来ず、何とか薄目を開くが、ぼやけた景色しか見えない。視野の半分に金色が見えるので、泣いているのはサリタニアだろうか。心配になって起き上がろうとするが体をうまく起こせない。手は動くようなので、泣かないでほしい、とおそらく顔であろう場所に手を伸ばした。だが泣く声は大きくなってしまう。
「…ア、…ィア、」
遠くから別の声が聞こえてくる。こちらは焦っているようでそれも心配だ。相変わらず体は動かせずもどかしい。何とか動かせないかともぞもぞしていると、何だか体がひどく熱くなってきた。
「カティア!」
はっと視界がはっきりとした。目に入った天井はよく知った宿の私室のものだ。心配そうな顔でサリタニアが私の顔を覗き込んでいる。泣いてはいない。そもそも今は金色の髪ではない。私は夢を見ていたのだろうか。
「良かった…ひどくうなされていたのですよ」
体が熱いと思ったら汗だくで気持ちが悪い。怠さもまだ残っている。先程熱があると言われたが、それも上がっている感じがする。普段あまり風邪をひくことがないのでひどく辛い。
「すみません…」
「何を謝るのです、元はと言えば私達の認識不足が原因なんですから…」
サリタニアの手を借りて一度上半身を起こす。差し出された水を一口飲むと、カラカラだった喉に心地良い。
「今エディが病人食を作ってくれていますからね。それを食べたらまた休んでください。今度は何を言われても私が側についてますから」
考える事も億劫で、サリタニアの言う通りにする意志を伝える為にこくん、と頷くと、同時にカチャリと部屋の扉が開いてエドアルドが入ってきた。
「起き上がれたようだな。口に合うかわからないが、消化は良いはずだ」
トレーに乗せられたミルクリゾットが差し出された。怠い体に喝を入れて何とかスプーンを手にしようとすると、サリタニアがそっと手をそえて私の動きを止めた。
「辛そうですから、カティアは口だけ動かしてくださいな。私もお熱を出した時はこうしてもらったのですよ」
そう言ってスプーンを取りリゾットを冷まして私の口の前に運んでくれた。一国の姫にこんな事をしてもらって良いのだろうかと一瞬考えたが、それ以上の思考がひどく面倒になって素直に口を開いた。優しい甘みが口に広がって美味しい。5口程食べたところで、起きているのが限界になり食事を終える事を告げる。残してしまって申し訳ない。
「少しでも食べられたなら大丈夫だろう。熱が下がればまた腹が減ってくるさ」
「さぁカティア、最後にお水を一口飲んでください」
何とか水を一口飲みベッドに潜り込むと、濡れたタオルを額に置かれた。冷たくて心地が良い。こんなに良くしてもらって良いのだろうか。治ったら沢山お礼をしなければ。そういえば、クライスの姿が見えなかったがどこにいるのだろう、などと考えながら、私はまた眠りに落ちた。
カチャリ、カチャリと何か固いものが当たる音が聞こえる。目を開けるがやっぱりぼんやりとして良く見えない。
「これで大丈夫だからね」
優しい声が聞こえた。どこかで聞き覚えがある気がする。声の主が近づいてくる気配がしたかと思うと、優しく頭を撫でられた。その心地良さに目を閉じる。開けていたって何も見えないのだから、優しい手の感触に集中している方が良かった。知らず知らず緊張していたのか、手の温かさにほっとして、目尻に涙が滲む感触がする。ずっとこうしていてほしい、ずっとこの安心するところにいたい。
「あなたのこれからに、どうか幸せが降り注ぎますように。…カティア」
名前を呼ばれる声で気付いた。私にずっと寄り添ってくれていた声。時々厳しかったけれど、優しく愛情に満ちた、大好きな声。
「…っおばあちゃん!」
そう叫んだ声で目が覚めた。サリタニアの心配そうな顔が覗き込んでいる。
「…すみません、夢を見ていたようです」
「弱っている時は大切な人の夢をみるものですよ」
服のポケットからハンカチを取り出してそっと私の目尻を拭いてくれた。涙が滲んだ感触は実際のものだったらしい。
「体はどうですか」
「…まだ辛いです」
平気ですと言いたいところだが、がんばっても動ける気がしない。動こうとしたところで余計迷惑をかけるだけだろう。
「カティアさんが強がりを言えないなんて相当ですね」
クライスも部屋にいたらしい。今は言い返す気力もなくてこくりと頷く。
「姫様、小屋の確認が終わりました。エドアルドの魔力残滓もないようですのであちらに移動できます」
「ありがとう、ではクライス、お願いしますね」
移動…引越しの話だろうか。片付けは終わったのかな。
「カティアさん、失礼しますね」
そう言うとクライスは毛布をまくった。寒くてがくがくしていると、再びクライスに抱き上げられ、その上からサリタニアが毛布を巻き付けてくれる。
「だいぶ汗をかかれてますね、体が冷えてしまうのであちらに移動したら着替えましょう。夜着はどちらに?」
どうやら私の移動らしい。小屋に移動するのだろうか。宿は?お客様が来たらどうしよう。あぁでも考えるのがひどく億劫だ。気力を振り絞って夜着の入っている場所を伝えてクライスの体に寄りかかった。夜着をサリタニアに任せるとクライスは外に向かって歩きだす。外はすっかり暮れていて、雨も降っていたが、不思議と当たりはしなかった。
「返事はしなくて良いですから、説明しますので聞いて下さいね。まず、小屋の片付けと我々の引越しは終わりました。使わせていただいた宿泊部屋も掃除が済んでいます。今日は客は来ませんでした。もう夜ですので宿の業務は何もありません、ご安心ください。我々は本日から小屋で休息を取りますので、カティアさんにも小屋の方でお休みいただきます」
返事はいらないと言われたが、反射的にこくりと頷く。色々と気遣ってくれて感謝しかない。小屋に入ると、暖炉に火が入れられていて暖かかった。雨でだいぶ気温が下がっているらしい。クライスに小屋の説明をしていた事で、私は少し前まで使っていた自室に寝かされた。体によく馴染んだベッドの感触に安心する。
「姫様、着替えをお願いします」
後を付いてきたサリタニアが部屋に入ると同時にクライスは出て行った。サリタニアに手伝ってもらいながら夜着に着替える。ゆるりとした夜着のおかげで少しだけ楽になった。
「食事は出来そうですか?」
「…あまり食欲はないです」
食欲がないというか、とにかく横になっていたい。
「でしたらお水だけ飲んで寝ましょうね」
グラスに注がれた水をコクリと飲むと、ほんのりと柑橘の香りがして美味しかった。体が熱い所為か、水分は欲していたようでグラス一杯分の水を飲み干す事が出来た。
「よく出来ました、さぁ横になって眠りましょう」
横になった私の額に新しく濡れたタオルを置いてくれ、頭を撫でてくれた。母親の記憶はないが、こんな感じだろうかと歳下のサリタニアに対して思ってしまった。撫でられる事で安心してまたウトウトと眠気が襲ってくる。カチャリと音がして、クライスが入ってきた。サリタニアとクライスが何かを話しているのを、眠気と戦いながら意識の遠くで聞いていた。
「…明日…さんが…たら、城に戻ろうと思います」
城に?戻ってしまうの?私が迷惑をかけたから?嫌だ。胸の中が不安と悲しい気持ちでいっぱいになってしまって、でも体は思うように動かせないので、助けを求めるように届く範囲にあった何かを掴む。こんなに辛い気持ちでいっぱいなのに、ひどい眠気が襲ってきてもう何も出来ない。
「行かないで…」
気力を振り絞って一言だけ伝えると、視界がブラックアウトしていった。
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