16-2. クライスの秘密事(サリタニアside)

 エディが作ってくれた果実水を差し出すと、カティアはグラス一杯分を飲んでくれました。良かった、食事は出来なくとも、水が飲めれば数日は大丈夫でしょうとクライスが言っていました。カティアを横にして、頭を撫でると少しだけ表情が和らいだようです。お母様にしていただいてわたくしが安心した事を、全てカティアにしてあげようと思っています。


 コンコン、と控えめな音でノックが聞こえました。どうぞ、とわたくしも小声で答えるとクライスが入ってきました。


「どうですか」

「お水をグラス一杯飲んでくれました。食欲はないようですが…」

「眠れるようでしたらこのまま寝かせましょう。今夜はエドアルドと私で交代で看てますから」

「わたくしも…」

「いいえ、それは認められません」


 わたくしだって、一日くらい夜更かしできますのに。クライスもエディも過保護なのです。


「明日、姫様の寝不足顔を見たら、カティアさんはどう思われますか?」

「…自分の所為だと仰るでしょうね」

「その通りです。カティアさんの為にも、姫様はどうかお休みください」


 カティアの心労を増やしてはいけませんね。大人しく二人に任せることにいたしましょう。


「それにしても、風邪と違ってお薬もないですし、このまま休ませるだけで良いのかしら…」

「それなのですが、明日になってもカティアさんの症状が軽くならないようでしたら、私一人で一度城に戻ろうかと思います。宮廷医師に魔力圧の影響について訊いてまいります」


 城の者が今回の事を知れば、わたくしは今後ここに居られるかわかりません。わたくし達と一緒にいる事でカティアに危険が伴うと判断されれば、城に戻されるか、別の場所に移動させられるかもしれません。王族や貴族が平民を傷つける事などあってはならないのです。でも、わたくしはまだカティアと一緒にいたい。先日、会ったばかりでわたくしの何がわかるのかとカティアを問い詰めてしまいましたが、会ったばかりでもわたくしはカティアの事が大好きになってしまいました。王族の立場でこんな事を言ってはいけないのはわかっていますが、これでお別れなんて悲しすぎます。ですが…カティアの命には替えられません。


「わかりました…お願いします」


 クライスも城の者に相談する意味がわかっているのでしょう。わたくしの前で隠そうとはしていますが、隠しきれず辛そうな顔をしています。

 もぞ、とカティアが動いた気配を感じてそちらを見ると、カティアが側に立っていたクライスの袖を掴んでいました。


「行かないで…」


 その一言だけ発してカティアはまた眠ってしまいました。眠りに落ちる寸前の言葉なので、それが今一人になりたくないという意味なのか、先程のわたくし達の会話を聞いてのものなのかはわかりませんが、嘘偽りないカティアの気持ちなのでしょう。その様子を見て、隣でクライスがはぁ…と溜息をつきました。何かを考えているようですので、わたくしは静かにクライスからの言葉を待つことにいたします。


「…姫様、私はカティアさんの弱みに付け込んではおりませんか?」


 何を言っているのでしょう。クライスがカティアに好意を持っているのは明らかです。弱みに付け込むどころか、カティアに対する態度は、今まで見た事がない程に温かなものに感じます。


「カティアさんがお祖母様を亡くされて以降、本人に自覚があるかどうかはわかりませんが寂しい思いをされていたのは明白です。そこに付け込んで、我々に好意を持つよう口先で良いように運んではおりませんか?カティアさんに間違った依存を与えてはおりませんか?」


 こんな風に自信のない発言をするクライスは珍しいですね。


「クライスはそのように運んだ自覚があるのですか?」

「姫様に誓ってそのような事はございません…ですが、カティアさんがどう感じられているかはわかりません」

「カティアがどう感じるかはカティア自身の問題ですよ。大切なのは、クライスが意思を持ってそうしたかどうかです。わたくしには、クライスは本心からカティアを大切にしていたようにしか見えていません。そのクライスに対して、カティアが行かないでほしいと思ったのであれば、それは決して間違った依存ではありません」


 クライスは一度目を閉じ、改めてカティアを見ました。その目は優しいけれど、不安に揺れています。自分の行動でカティアを変えてしまう事が怖いのでしょう。


「クライス、黙っていようとも思っていたのですけれど…」


 わたくしは、ここに来る前からある違和感を感じていました。


「クライスは、カティアの事を以前から知っていたのですか?」


 事前にこちらを訪れた後のクライスの様子や、カティアを見る、長年恋い焦がれていた人を見るような優しい目が、そんな風に思えたのです。昔からの知り合いであれば、身分違いの恋を密かに応援しようと思っていました。ですがカティアはクライスを数日前まで知らなかったようでした。隠しているのかとも思いましたが、カティアはそのような器用な事は出来なさそうです。クライスは一度びっくりした顔をして、目で部屋から出るように言ってきました。カティアの呼吸も落ち着いているようですし、そっと二人で部屋から出ると、クライスはわたくしに向かって頭を下げてきました。


「……申し訳ございませんが今は答えられません。姫様の側近として失格だとは思いますが、陛下と王妃殿下はご存知でいらっしゃいます。時が来れば必ずお話いたしますので、お許しいただけませんか」


 何かがあるとは思っていましたが、まさかお父様達が関わっていらっしゃるなんて。そういえば、この宿を指定したのはお父様でしたね。


「…許します。まったく、お父様とお母様の命なのですね。あなたはわたくしの側近だというのに、わたくしだけ仲間外れで寂しいです」

「申し訳ございません…」


 許しますと言いましたのに、クライスはまだ頭を下げています。わたくしはクライスの顔を両手で挟み、こちらを向かせました。


「クライスはわたくしの世話係であり、教育係であり、側近です。わたくしは貴族の中で一番貴方のことを知っているつもりです。クライス、わたくしは貴方を信じています。今はこれ以上尋ねることはいたしませんが、貴方が困った時にわたくしの立場が必要であればそれを使いなさい。お父様達の命だからではありませんよ?貴方がわたくしの守るべき側近で、カティアの為ならば、です」

「姫様…ありがとう存じます」


 クライスは改まって胸に手を当て、今度は浅く頭を下げました。


「貴方様の側近である事を誇りに思います」


 わたくしを教育してくれたクライスにそう言ってもらえる事はわたくしにとっても嬉しい事です。クライスとわたくしは改めて目を合わせ、ふふ、と笑みを交わしました。


「そういう事ですので、エディも他言無用ですよ」


 隣の部屋の扉がカチャリと開いてエディが出てきました。ずっと扉の向こうで様子を伺っていたようです。


「まぁ、聞いてるよな」

「…クライス、時が来たら俺にも説明してくれるんだろうな?」

「もちろん」


 エディは自分の頭をガシガシと掻き、はぁ、と溜息をついて今度はクライスの頭にぽんと手を乗せました。


「陛下方の命で良かったよ。お前の様子が今までと違いすぎたから本当に心配してたんだぞ」

「心配かけたのは謝るよ。もう少し上手く隠せると思ったんだが」


 エディの手を払いながらも、クライスは嬉しそうです。クライスの事を一番知っているのは、ちょっと悔しいですがエディかもしれませんね。


「理由を話さなくても良いから、一人でどうにも出来なさそうなら俺達を頼れよ?」

「…ありがとう」


 視線をそらしながらぽそりとエディにお礼を言うクライスは、少し子供っぽくて可愛らしいと感じます。9つも離れているのに失礼かしらね。


「鉄壁の側近も人間だったって事だなぁ。で?結局カティアさんの事はどう思ってるんだ?」

「ノーコメントだ。芋づる式に陛下の命の内容を話すことになる」

「ふーーん、まぁ、そっちも困ったら相談しろよ」

「やだよ」


 二人は本当に仲良しですね。わたくしの専属護衛を決める時に、既に側近だったクライスに、クライスが信頼できる人を、とお願いしたのは正解だったようです。わたくしがクスクスと笑っていると、二人はこちらを見て「失礼しました」と揃って綺麗な敬礼をしてきました。

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