17. 快癒

 サァァと、雨が葉に当たる音で目が覚めた。ぼんやりとした頭で自分の状況を思い出そうとする。確か、エドアルドの魔術で具合が悪くなって、ひたすら体が熱くて怠かった。今は夢だったのかと思う程体が軽い。汗だくだったのか、体中がベトベトして気持ちが悪いので、あれが夢ではなかったのだとわかる。


「カティアさん?」


 声のする方を見ると、クライスが心配そうな顔で私を見ていた。


「あ、おはようございます、クライスさん」

「体調はどうですか?」

「…なんともありません、熱も怠さも、すっかりなくなっています」


 そう答えると、クライスははぁ…と大きな溜息をついた。


「す、すみません、大変ご迷惑をおかけしました…」

「いえ、失礼しました、ほっとしただけです。カティアさんが謝る必要は全くありません」


 背中に手をまわして私を起こしながらそう言ってくれた。心配をさせてしまったのだろうか。それはそれで申し訳ない。上半身を起こすと、冷えないようにとストールを肩にかけてくれた。宿の自室に置いてあったので、持ってきてくれたのだろう。


「水を持ってきますね」


 そう言って部屋を出ていくと、入れ替わりにサリタニアが小走りで入ってきた。


「カティア!良かった!」


 小走りの勢いのままぎゅう、と抱きつかれた。今の私はきっととても汗臭いので申し訳なさすぎるのだが、サリタニアの腕を押し返す気にはなれなかった。しばらくそのままでいると、クライスが水瓶を持って戻ってきた。


「カティアさん、まずは水分を摂りましょう。昨日からだいぶ汗をかかれているようですから、今日は一日かけて少しずつ、沢山飲んでくださいね」

「わかりました」


 昨日迷惑をかけた分、今日は一日言う事を素直に聞いておいた方が良いだろう。差し出された水をこくりと一口飲み込むと、昨夜と同じように柑橘の香りが広がる果実水だった。


「…美味しいです」

「私もお熱を出した時はこのお水をもらうのです。お口に合って良かった」


 体に水分が行きわたる事で、くぅ、とお腹が鳴ってしまった。ちょっと恥ずかしい。


「ふふ、食べられそうなら、エディに頼んできましょう」


 そう言って今度はサリタニアが部屋を出ていく。クライスは私が水を飲むのを静かにじっと見ている。どれだけ飲むかを診ているのだろうか。流石に居た堪れなくなって、水を飲むのを一度止めてクライスの方を見た。


「あの、色々とありがとうございました。その、運んでいただいたり…」


 ぼんやりとした記憶の中でも2回は抱え上げられて運んでもらった気がする。あんな抱え方を男性にしてもらったのは初めてだったと思い出したら恥ずかしくなってきた。きっと顔に出てしまっているだろう。


「いえ、こちらこそ緊急事態だったとはいえ、碌に了承も得ずにすみませんでした…」


 何か、クライスも恥ずかしそうにしている。てっきり貴族の中では当たり前の行動で、何かしらの軽口で返してくれると思っていたので気まずさが増してしまった。会話を続ける言葉が見つからず、誤魔化すように水をまた飲み始めるとサリタニアが戻って来た。


「昨日と同じメニューで良ければすぐに出来るそうです。お食事はエディにお任せしたので、クライスは私とお湯を運んで来ましょう」

「お湯ですか?」

「クライス、女性は身だしなみを気にするものなのですよ」

「あぁ…失礼しました。我々は気になりませんが、カティアさんもさっぱりしたいですよね」


 サリタニアの気遣いはとても嬉しいが、男性の前でそれは流石に恥ずかしい。クライスは更に気まずい雰囲気になりそうなのを察してくれ「では行きましょう」と早々に出て行った。


 部屋に一人になり、窓の外を見る。とうとう雨季に突入したようで、雨がザアザアと降っている。辺りは薄暗い。薄暗いということは夜ではないのだろうが、朝なのか昼なのかはわからない。街では時刻を告げる鐘があるようだが、この辺りでは陽の状態で時間を見るので、この時期は時間の間隔が曖昧になりやすい。


「カティアさん、食事を持ってきたぞ」


 エドアルドがトレーを持って部屋に入ってきた。美味しそうな匂いが漂ってくる。


「さぁ、食べられるだけで良いからな」

「すみません、昨日も残してしまったのに」

「気にしないで良い。俺こそ本当に申し訳なかった。熱が下がって良かったよ」


 優しく微笑んでベッドに座った状態の私の膝の上にトレーを置いてくれた。いただきます、と一口口に運ぶと、適度に冷まされたリゾットの優しい甘みが広がってほっとする。


「美味しいです。エディさんは料理上手ですね」

「妻が病弱でな…といっても風邪をひきやすい程度なのだが、せがまれてこれだけは作れるようになった。あとは遠征中の野戦料理くらいだ」

「最高のお料理じゃないですか」


 期せずしてエドアルドの素敵な一面を知ってしまった。


「…奥様は今寂しい思いをされているでしょうね」

「なに、普段の仕事でも長く家を離れる事はある。帰ったら我儘を聞いてやるだけだ」

「仲が良いんですね」


 微笑ましい夫婦像を創造してしまいクスクスと笑うと、少しバツが悪そうな顔になって視線をそらされた。いけないいけない、良くしてもらったのにからかうような態度をとってしまった。


「……カティアさん、あの二人からは言い出さないと思うので俺から言わせてもらうが…」


 怒られやしないかと逃げるようにリゾットを数口口に運んだ後、改まった顔でエドアルドがこちらを見てきた。


「あんな事があったのにカティアさんは俺達が怖くはないのか?俺の主は姫様だが、今回ばかりは命がかかるかもしれない問題だ。貴方が望むなら、俺達は陛下に進言してここを去ろうと思う」


 エドアルドの黒みがかった赤色の瞳がまっすぐにこちらを見ている。それは自分の主であるサリタニアの命令をも聞かないという強い意志を感じた。そして痛いほど強い視線だが、その奥には私を気遣う優しさがあった。その視線を受け止めて、私はスプーンを置いて一度目を閉じ、エドアルドをまっすぐ見返した。


「…私、成長してからはあまり体調を崩したことがなくて。あれ程に辛い状態は記憶にある限りでは初めてでした」

「それは余計に辛かったろう」

「でも、あんなに心配してもらって、看病してもらったのも初めてだったんです」


 父と母はいない。私を育ててくれたのは祖母で、体調を崩せばきっと心配はしてくれただろう。でもその祖母ももういない。


「ご迷惑をおかけして申し訳ないとは思ってますが、それ以上に…心強くて、嬉しかったです」


 まだ会って日も浅いのに、心から心配して気にかけてくれているのを感じた。逆にサリタニアを任せられる人物ではないとして城に帰ってしまう事も出来たのに。その可能性を考える事すら失礼な程に、みんな親身になって私の看病をしてくれた。


「だから、怖いだなんてちっとも思いません」

「そうか…それならこの話はおしまいだ」


 そう言うと、にかっと今までで一番の笑顔を見せてくれた。おしまいという事は、私が望めばここに居てくれるという事で良いのだろう。体調が戻ったら、やはりサリタニアに適した場所ではないと去ってしまうのではないかと不安だったが、エドアルドの笑顔を見る限りは安心して良さそうだ。ほっとしてこちらも笑顔を見せると、「さぁ食べなさい」と勧められ、私はありがたいリゾットをあっという間に完食した。


 食事の後、サリタニアとクライスが持ってきてくれたお湯で体を拭き、ゆるめの服に着替えて残り湯で夜着を洗った。このお天気ではなかなか乾きはしないだろうが、汗だくなのをそのままにしておくよりは良いだろう。


「今日は宿の事は私達に任せて、カティアは一日休んでくださいね」


 そう言われてしまったのでぼんやりと窓から外を見ながら雨の音を聞いていると、そういえば熱に浮かされながらも、ここに来るまで雨に濡れなかった事を思い出した。宿から小屋まで足元には雨でも歩けるように煉瓦で道を作っているが、屋根はない。雨季の度に、屋根のある道を作ろうと思い続けて早十数年、外套をひっかけて走れば事足りてしまうので結局作らずじまいだった。


「カティアさん、お加減いかがですか?」


 後でクライスに聞いてみよう、と考えていたところに本人がやって来た。でもいきなり尋ねるのもおかしいだろう。とりあえずは彼の用事に応えることにした。 


「問題ありません。何もする事がなくて落ち着かないくらいです」

「カティアさんも大概仕事馬鹿ですね。今日一日は我慢してください」


 馬鹿とは何か、と思ったが今日は大人しく受け入れよう。


「…何かあったのですか?」

「いえ?あちらが一段落ついたので様子を見に来ただけですが…」


 用事があって私のところに来たのだと思ったら違うようだ。


「…女性の寝室に一人でお邪魔するのはいささか抵抗があったのですが、エドアルドも先程お邪魔してカティアさんは特に気にされていなかったと言いますし、その、姫様が様子を見て来いと仰るものですから…」

「あ、ええと、はい、大丈夫です」


 何だかクライスの様子がおかしい。どうしたのだろう、と腕を組んで自らの顎に手をそえているクライスを見上げると、彼の袖にある見覚えのある模様が目に入った。


(あれ、これどこで見たんだっけ?)


 熱に浮かされながら見た気がする、抱え上げられた時だろうか、と考えていると、ふと思い出した。眠気と戦いながら、皆が城に戻ってしまうのではないかという不安から逃れたくて手の届く範囲のものを掴んだ記憶が蘇ってくる。とんでもなく恥ずかしい事も言った気がする。


「…カティアさん?顔赤くないですか?熱が…」

「いえ!大丈夫です!」


 顔に出てしまう自分がいつも以上に恨めしい。私の顔が赤い理由を察してくれたのか「大丈夫なら良いです」と言って静かに息を吐きながら部屋にある椅子に座った。


「今日一日カティアさんの体調が安定していたら、明日の夜にでも約束の魔石道具をお見せしようかと思ってます」

「ほんとですか!?」


 気恥ずかしさはどうしたと言わんばかりに、思わずがばり、と乗り出してしまった。クライスも目を大きくしている。


「…ぷっ、あはははっ」


 びっくりした様子だったのは一瞬で、その後は我慢出来ないという感じに吹き出し、大笑いしている。私は先程とは別の理由で顔を赤くする羽目になってしまった。


「…はぁ、すっかり元通りになられたようで良かったです」

「おかげさまで…」

「カティアさんといると、数日で一年分は笑いますね。笑ったら喉が渇いてしまいました。カティアさんもお水ばかりで飽きたでしょう?紅茶でも淹れてきましょう」


 そう言って部屋を出て行くクライスの背中を見ながら、頬を抑えて熱が収まるよう深呼吸をした。紅茶を飲んだら、まだ不安定さの残る気持ちも少し落ち着くだろう。不安だったのも、今会話に調子が出ないのも、高熱にやられた所為だ。明日になったらきっといつも通りになる。


 紅茶を淹れてきてくれたクライスは一緒に一息つき、私の体調が落ち着いている事に確信が持てたようで、宿へと戻っていった。宿ではサリタニアが一人で縫い物を進めてくれているらしい。ちなみに、私が起きた時間がちょうど朝だったようで、もう少ししたらエドアルドが昼食を持ってきてくれるそうだ。


(明日、お礼にケーキでも焼こうかな…)


 そう思いながら、記憶にある限り初めての、何もしない一日を静かに過ごした。

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