18. 早く起きた朝

 翌日、丸一日休んでいた私はだいぶ早い時間に目が覚めた。窓の外はまだ暗い。鳥が鳴き始めてはいるので、もう少ししたら夜明けの時間だろう。そっと部屋の扉を開いて共有スペースを覗くと、護衛の番なのだろう、エドアルドがテーブルで本を読んでいた。私が起きた事に気付くと、パタンと本を閉じて「おはよう、早いな」と声をかけてくれる。


「体調はもう大丈夫なのか?」

「はい、おかげさまですっかり元気です」

「それは良かった。でも無理はしないでくれよ」


 無理はするなと言うが、そういえば彼らこそこの生活に無理はないのだろうか。クライスと交代で夜の警護をしているという事は、夜の半分しか寝ていないという事ではないだろうか。


「あの、今は夜の警護で起きてらっしゃるんですよね?エディさんこそ、夜の睡眠時間が足りないようでしたら日中に仮眠をとってくださいね」

「ん?あぁ、お気遣い感謝する。でも日中も城にいる時よりもゆったりとすごさせてもらってるから大丈夫だ。クライスもここではだいぶ就寝時間が早いから問題ないだろう」


 お城の仕事はだいぶハードらしい。


「あ、そうだ。昨日宿のキッチンからいくつか食材をこっちに持ってきてしまったんだ。こちらで使ってはいけないものがあれば言って欲しい」


 小屋の方にも簡単なキッチンがある。基本的にはお客様がいれば宿の方でまとめて作ってそのまま宿のキッチンか仮眠部屋で食べてしまうか、こちらに持ってきて食べるかなのであまり使ってはいなかったが、4人での生活拠点がこちらになるのならこちらで作っても良いかもしれない。


「特に使ってはいけない食材はないです。今はお客様がいないので、腐りやすいものを先に私達で食べてしまった方が良いくらいですね」

「なるほど、では後ほど選別を頼めるだろうか。俺達では何が腐りやすいものなのかわからないからな」

「わかりました。ではちょっと早いですが宿の方に行って朝食に使えそうな食材を持ってきますね」


 本当は、昨日拭いたとはいえ体がベタついて気持ち悪かったので先にお風呂に入りたかったのだが、鍵をクライスに預けてあるので彼が起きてくるまでは我慢だ。


「カティアさん、宿の方に行くならこれを」


 チャリ、と音をさせてエドアルドが何かを私に差し出した。何だろう、と見ると、それは雫型の薄青い色をした宝石がついたネックレスだった。ただ、ネックレスというにはなんというか、地味というか、宝石自体はキラキラとして綺麗なのだが装飾もなく、鎖も太めで長く無骨なものだった。


「カティアさんの大好きなものだ」

「え…ってこれ魔石ですか?」


 トマスの言っていたマニアックな宝飾品というやつだろうか。にしても何故このタイミングで渡されたのだろう。


「それを着けて表に出てみるといい」


 言われた通り、ネックレスを首に下げて外に出た。外は相変わらず雨が降っていて、宿の入口まで小走りで向かう…が、なんということだろう、まったく濡れないのだ。一昨日小屋に運んでもらった時に濡れなかったのはこれのおかげだろう。こんなに便利な魔石があるのかと感心しながら、なぜ実用化されたものとして話が入ってこないのか不思議に思った。単純に田舎まで話が届かないだけで、街では有名な話なのだろうか。でもこんなに便利なもの、商人の人達が見逃さないと思うんだけどなぁ。


 宿のキッチンから足の早い野菜をいくつか選び、ついでに宿の自室から小屋の自室へ移動しておきたいものを少し持って小屋に戻ると、クライスが起きてきていた。


「おはようございます、クライスさん」

「カティアさん…体調はすっかり良くなったようですね」

「はい。昨日休ませていただいたおかげで体力も有り余ってます」

「元気なのは良いですが、しばらくはいつもと違う体調の変化を感じたらきちんと報告してくださいね」


 よほど心配をかけてしまったようで、クライスは少し過保護になっている。これはしばらく元気いっぱいに過ごさなければならないなと思いながら、今日は早めの朝食にして良いか尋ね、快諾してもらったので朝食作りに取り掛かった。自然とクライスとエドアルドもキッチンへ集まってきてくれたが、今朝はお礼も兼ねて私が作るので座っていてほしいと伝えると、渋々という感じで席についてくれた。


「あ、そういえばこれお返ししますね」


 エドアルドに先程の魔石を返す。


「どうだ、すごかっただろう」

「はい!これが広まったら生活もガラリと変わるでしょうね。でもこんなに便利なのに商人の方から話を聞いたことがありませんでした。やっぱり貴重なもので中々平民には手に入れられないものなんでしょうか?」

「俺も広まったら良いだろうなと思うのだが、なかなか簡単にもいかないらしい。なあクライス?」

「エドアルド…お前勝手に…」


 はぁ、と溜息をつくクライスは少し機嫌が悪そうだ。私が勝手に使ってしまった事が良くなかったのだろうか。


「後で魔石道具をお見せする時に一緒にお話しようと思ってたんですけどね…」

「あ、ならその時で良いですよ」

「…気にならないんですか?」

「気になります。でもクライスさんが話しやすい話し方で良いです」


 機嫌を損ねてまで今ここで聞きたいわけではない。後で話してくれると言うのだから、それを待った方がお互い気持ちが良いだろう。話を切り上げて私は朝食作りに戻る事にした。

 いつもよりちょっと豪華に、朝からこの宿とっておきのメニューであるミネストローネも作っているとサリタニアも起きてきた。


「カティア!おはよう!」


 昨日と同じ様に、ぎゅう、と抱きつかれた。私もぎゅうと抱き返すとふふ、と嬉しそうな声が返ってくる。


「元気になってくれて本当に良かったです。でも決して無理をしては駄目ですよ?」


 サリタニアにも本当に心配をかけてしまった。お詫びとお礼の気持ちを込めて、はい、と返す。

 全員起きてきたのでテーブルに朝食を並べ始める。ミネストローネにサラダ、卵はベーコンとハーブを刻んで入れたオムレツにした。パンもフライパンで軽く火を入れ、先程宿から持ってきた秘蔵のジャムもテーブルに置く。


「良い香りです!やっぱりカティアのお料理は素晴らしいですね!…あ、すみません、エディのお料理を否定しているわけではないのですよ?」


 昨日エドアルドが作ってくれた料理は、ミルクリゾットの他はなんというか、焼いただけというか、本人も言っていたが所謂野戦料理という感じで、美味しく食べられるよう料理したものではなく、食材を食べられるよう手を加えたという感じだった。


「お気遣いなく姫様。姫様のお口に合わないことは分かっていましたから」

「いいえ、騎士達のお仕事の側面が見れて私もお勉強になりました。遠征帰りの騎士にはお食事方面でも労わなければなりませんね」

「それは騎士達が喜びますね」


 年相応の少女のようなふるまいをしながら、ふと王族の顔や考え方を見せるサリタニアにいつもドキリとする。クライスもエドアルドも慣れているようで特に表情を変えることもなく会話を続けているので、これが通常なのだろう。こんな風に食卓を囲んでいても、やはり住む世界が違う人達なのだとこういう時に痛感する。


「カティアさん、この瓶を開けても?」

「あ、はいもちろん」


 クライスが尋ねて来たのは秘蔵のジャム瓶だ。


「この辺りで雨季明けの数日だけ実る果実をジャムにしたものです。この雨が止んだらまた沢山作れるので、お口に合ったら食べてしまってください」

「では一口…ん、これは美味しいですね!」

「クライス、私にもくださいな」

「姫様の次に俺も欲しい」


 クライスの美味しいの一言でサリタニアとエドアルドもジャムに食い付き一口味見をして目を輝かせた。お口に合ったようで何よりだ。この果実は爽やかな香りを持つがとても甘く、更に砂糖を加えて煮詰める事でこうやって次の雨季までもつ保存食になる。2日程で地面に落ちてしまう為、一気に採って大量に作ってしまうのだ。味はだいぶ甘いのだが、香りが爽やかなので少量なら美味しく食べられるという男性も多い。


「これは…この辺りでしか採れないのだろうか?」


 あ、やっぱり甘党のエドアルドはだいぶお気に召したようだ。


「特にお世話をしなくても実る木なのでこの辺りでしか採れないという事もないと思うのですが、採れるタイミングが限られているので食用として使っている所があるかどうか…」

「そうだよな、こんなに美味しいなら市場に出回っても良いはずだが、ないという事は他では食用にしていないという事だよな」

「本当にすぐに落ちてしまいますし、定期的に採れるものでもありませんから市場に出回るのは難しいかもしれないですね」


 そう答えるとエドアルドがしょんぼりとしてしまった。余程お気に召したようだ。


「カティアはこのジャムを毎年作っているの?」

「はい、雨が止んで太陽があたり始めるとすぐに実るのですが、止んだ直後はお客様も街からここに来るまで数日はかかるのでその隙に作ってしまってます」

「なら、城に戻っても雨季の後ここに来ればそのジャムを食べられるという事ですね?」

「そうか、その手がありましたね姫様!」


 思いもしなかった発言にきょとんとしていると、サリタニアは意外だという顔をした。


「私の修行が終わって城に戻っても会いに来ますよ?…もちろん、カティアが嫌でなければですけれど」


 城に戻ってしまえば王族貴族とただの平民で、もう二度と会えなくなると思っていた。会いに来てくれるといっても、ハードなお城の仕事の合間に来る事もなかなか難しいだろう。それでも当たり前のようにそう言ってくれるその気持ちが嬉しくて、目頭が熱くなってくる。


「嫌だなんて思うわけがありません。嬉しいです」


 少し震えた声になってしまった。私が涙を堪えている事は彼らにはお見通しだろうが、特に何も言わずに何気ない会話に戻り、食事を続けてくれた。

 彼らが城に戻ったらまた一人きりになるのだと思っていたが、きっと数日前までの一人きりとは違うのだろう。そう思いながら、私もジャムを塗ったパンを口に入れ、爽やかな香りで涙を抑え込んだ。

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