19. クライスの過去

 目の前にコト、コト、と見たことのない道具が置かれていく。私はわくわくとした気持ちを抑えられず、目を輝かせてその様子を見ている。テーブルには魔石道具を置いているクライスと、昼間に焼いたケーキを美味しそうに食べてくれながらお茶を飲んでいるサリタニアとエドアルド、そして魔石道具から目が離せない私がついている。夜のゆったりとした時間だ。


「さて、これらを説明する前に少しお話をしても良いでしょうか」


 朝の件だろうか。話の内容はクライスに任せているので構わないという意思を示す為にこくりと頷く。


「私は貴族ですが、魔術も魔法も使えません」


 まったく予想していなかった発言に思わずきょとんとする。


「貴族の仕事の一つに、諸々の式典や儀式で魔法を使うというものがあります。魔力持ちでない平民の前でも行われる事から、ほんの少しの魔力の放出しかしない為何かの効果があるわけでもなく、演出と言ってしまえばそれまでなのですが、国民に貴族らしい姿を見せたり、騎士達への鼓舞に繋がる等、決して軽んじる事の出来ない大切な仕事です」


 なるほど、効力よりも見た目が大事だからこそとても美しいという話になるのね。


「貴族は生まれた時に司祭様より洗礼を受けて魔術の適性がわかります。エドアルドの様に火の適性があれば、赤い光に包まれます。他にも水の適性があれば青、風の適性があれば緑というように。そしてその適性に合わせて、より実用的な魔術と共に魔法の訓練をしていきます」


 そこまで話すと、クライスはテーブルの上に組んだ両手に目線を落として、一度瞳を閉じた。


「私の洗礼は、透明でした。つまり、適性は無しということになります。魔力はだいぶあるようなのですが、それを顕現するすべを持ちません。貴族の中にも透明がいないわけではないのですが、どれも下位の貴族で、私のようなある程度高位の貴族の家では今までにない事でした。高位貴族は儀式の中心に立つこともあるので、貴族としてはお勤めの果たせない役立たずです」


 役立たずだなんてそんな。儀式や式典の魔法がどれ程大事なのかは今の話でしかわかっていないが、こんなにも頼れる人で王族からも信頼されているクライスの口から役立たずだなんて言葉が出るのは間違ってる。声を大にして否定したい気持ちはあるが、話を遮ってはいけないと黙っていると、私の表情から伝わったのだろう、クライスがにこりと笑って続けた。


「幸いな事に、家族は天命だと受け入れてくれましたし、ある程度大きくなると親交の深かった王家より姫様の遊び相手兼お世話役という名誉ある仕事をいただけて、地位が私を守ってくれました。ですので、こんなふてぶてしい側近が育ったわけです。ご安心ください」


 ふてぶてしいだなんて思っ…た事はある。うん。これも伝わってしまったのだろう、今度はクスクスと笑われてしまった。


「ただ、貴族として魔術や魔法をまったく使えず己の肉体しか頼れないというのは困る事もあるだろうと、祖母が当時まだ研究者しか興味を示していなかった魔石術を勧めてくれました。幼い頃は魔石をおもちゃとして投げたり、光るのが綺麗な石として遊んでいただけですが、計算や文字などを勉強するようになるのと同時に魔石術についての勉強も始まると、どっぷりとハマってしまいまして。対象年齢になるのと同時に、姫様のお世話役もきっちりとこなすという条件付きで研究院…まぁ、様々なものを専門分野に分かれて研究しているところとお考えください、に、入ることを許してもらいました」


 トマスが話していた研究院にクライスが入っていた。しかも魔石術の研究で…ということはやっぱり…。


「お察しの通り、トマス氏が言っていた転移魔獣の杭を開発したのは私です。カティアさん、わかりやすくこちらをチラ見するものですから、内心ヒヤヒヤしてましたよ」

「すみません…年齢もちょうどくらいだし、クライスさんだったらそれくらいすごい偉業を達成できるんじゃないかと思ってしまいまして…」

「そう思っていただけるのは光栄ですけどね」


 そう言いながら、少し困ったような照れたような笑みを浮かべた。


「研究院に入った私は、水を得た魚のように研究にのめり込みました。自分の魔力を顕現できない事に知らず知らずのうちにストレスのようなものを感じていたのでしょうね。魔石によって自分の思い通りの結果を得られる事がとても嬉しかった。城でのお勤めの給金もあった事で研究材料も労せず手に入れられましたし、次々と術式を確立していきました。そしてついたあだ名が“頭でっかちお坊ちゃん”でした」

「頭でっかち…?」

「僻みと嫌味ですね。私が魔術を使えないという事は貴族の中では噂になっていましたし、誰かが研究院でも広めたのでしょう。貴族のお勤めも果たせないのに、研究院では偉そうに成果を上げている、それが“頭でっかち”です。また、その頃はまだ城で働いている事を公にしていませんでした。研究院は貴族でも平民でも学術に秀でている者なら誰にでも門戸を開いていますから、姫様への繋がりを私に求められるのを避ける為です。ですので、ぽんぽんと魔石や道具を購入しているのを見て、家のお金に頼っていると取られていたのでしょう。それが“お坊ちゃん”の部分です」


 ひどい。お金の部分は仕方がなかったとしても、クライスが成果を上げるのが悔しければ自分が努力してそれ以上の成果を上げれば良いのに。


「まぁ、私はまったく気にならなかったんですけどね」

「カティアさんを心配させない為じゃないぞ、本当にこいつはムカつく程気にしていなかったんだ。逆に嫌味を言っていた研究者の奴らがイライラするくらいだったんだからな」


 静かにクライスの話を聞いていたエドアルドがこれだけは言っておかなければならないと言わんばかりに割って入ってきた。周りの僻み嫌味に煩わされないクライスは容易に想像がつく。周りの人達がそれを見てイライラしている姿も。思わず想像してクスクス笑ってしまうと、クライスの厳しい境遇の話にそれまで顔が強張っていた事に気付く。


「そんな状況でしたので、私が実用的な魔石術を組み上げても、それを使いたくないという周りの研究者に反発されてなかなか浸透していきませんでした。転移馬車の件は、陛下が大々的に発表してくださったおかげで知名度は上がりましたが、それ以降はまた元に戻ってしまいました」

「感情に左右されて研究を否定するなんてひどい…」


 そんな事が許されるのだろうか。研究者なのに新しい魔石術が出来た事を喜べないなんて、恥ずかしくないのだろうか。


「クライスの場合はそれだけではなかったのですよ。個人的にクライスの事を嫌っていて全て否定する人もいたようですが、研究院の人達が皆そのようだとは思わないでくださいね」


 今度はサリタニアが会話に参加してきた。


「クライスの組み上げる術式は画期的ですが便利すぎたのです。その魔石が世に出回る事で多くの人が職を失う程に」


 便利すぎて職を失う?便利な事は良い事ではないのだろうか。 


「カティアさん、今朝雨に濡れない魔石を使って、これが広まったら生活がガラリと変わる、と仰いましたよね?」

「はい。雨に濡れる事がなければお天気を気にせず、荷物に気を遣う事もなくなると思いますし…」

「では今はどうやって雨を凌いでいますか?」

「え?雨具を身に着けたり…て、あ…そういう事ですか」


 あの魔石が出回れば雨具が必要なくなる。つまり雨具を作っている人達、雨具を売っている人達の職がなくなると言う事だ。


「それだけではありません。例えば急な雨が降れば近くのお店に入って時間を潰すのにお茶をしたりします。雨が降りそうなら、今日はここで足を止めて宿に泊まってしまおうと思う人もいるでしょう。あの魔石は素晴らしいものですが、影響が計り知れないのです。クライスの研究成果には他にも素晴らしいものが多々ありましたが、それを知ったお父様はクライスに、成果の発表はお父様に判断を任せてもらうようお願いして、クライスもそれを受け入れてくれたのです」


 便利だから広まれば良いと簡単に思ってしまった自分が恥ずかしい。世の中は色々な事が複雑に絡み合っているのだ。それをうまく回るようにコントロールしなければいけないのがサリタニア達の仕事なのだろう。


「陛下は私を尊重してくださいまして、決して命令という形を取りませんでした。私も納得しましたしね。陛下の事も、これから国政を担う姫様の事も尊敬しておりましたから、国政の足をひっぱるような事はしたくありませんでした。そして、姫様が成長なされて、勉強を始められるお年になったので、私は遊び相手兼お世話役から教師に昇格していただき、研究の片手間にする事が出来なくなった為研究院を去りました」


 お風呂の装置を見た時の様子を考えると、未だに魔石の研究が好きなのだろう。しかもクライスにとっては少なからず自分を救ってくれたであろうものなのだ。離れる事は辛くなかったのだろうか。


「姫様の計らいで、趣味程度には研究を続けさせていただいてますからご安心くださいね。エドアルドも雨除けの魔石を持っていたように、近しい者に広めるのは許可されていますし」

「すみません、顔に出てましたか…」


 本当にもうこの顔に出る癖をどうにかした方が良いと思う。


「まぁ、そんな状況でしたので、私の魔石術をあんな風に喜んでくれたのはカティアさんが初めてだったので、綺麗だ、好きだと言ってもらえてとても嬉しかったんですよ」


 頭をぽりぽりと掻きながら視線を横にずらして言うクライスにきょとんとする。


「本題です。これを言う為に昔話を少々いたしました」

「え…」

「姫様に言えと言われました」


 理解が追いつかず、言葉が出てこない。私が魔石術を見て喜んだのが嬉しかったと言う為だけに、気にしていないと口では言っているが決して順風ではなかったであろう自分の厳しい境遇を私なんかに話した…?


「私がまだ幼い頃はクライスの魔石術のすごさがわからず、その功績を理解出来るようになった頃には感情のままにクライスを褒める事が出来ない立場にいました。だから先日、クライスの術を見て心から喜んでいるカティアに、私は泣きたいほど嬉しくなったのです」

「だったら姫様がそれだけをお伝えすれば良かったのではないですか」

「私がどれだけ嬉しかったかをカティアに話すには、貴方の境遇を話さなくてはならないではないですか。流石に勝手にはお話出来ません。それに貴方も照れてるだけなのを勘違いされるのは本意ではないと言っていたではないですか」


 いじけた子供のような顔をして言うクライスにサリタニアはぴしゃりと反論を返す。


「それに、あれだけの感情を返してくださるカティアには知っていて欲しかったのです。クライスは本当に凄いのですと言う事を」


 まっすぐで優しい瞳を私に向けて、微笑みながらそう言ったサリタニアにわかっています、と笑顔を返して頷いた。クライスはとても居心地の悪そうな顔をしていたが、コホンと一つ咳払いをして、私の前に小さな袋を置いた。


「良ければお受け取りください」


 何だろう、と少しの間置かれた袋を見ていると「開けてみては?」とサリタニアに促され、綺麗にリボン結びになっている袋の紐を解いた。シャラリ、と音を立てて袋から出てきたものを指で摘んで広げると、それはエドアルドに借りた雨避けの魔石と同じ石のついたネックレスだった。ただエドアルドのものと違い、魔石の上部には銀色の花模様の細工が付いており、鎖は細く短めになっていて、上等な宝飾品の様だった。


「これは…?」

「差し上げます。お礼と思っていただければ結構です。その、こちらの小屋で生活するにあたって、雨の中の移動も不便かと思いましたので。我々はこの魔石を持ち歩いていますが、それだと少々ずるいでしょう?」

「いえ、元々屋根のある道を作らなかったのは私の自業自得ですし、そんなずるいだなんて思いませんが…」

「カティアさん、そこは汲んでやってくれ」

「え?」


 何を汲むというのだろうかと不思議に思ってクライスとエドアルドを見比べていると、カタリとサリタニアが席を立ってネックレスを手に取った。


「ふふ、クライスにはまだハードルが高いようですから、私が着けて差し上げますね」


 そう言って私の後ろから手をまわしてネックレスを着けてくれると、前から覗き込んできて満足そうな顔をした。


「まぁ、とても良くお似合いですよカティア!クライスはセンスがありますね。ふふ、今手鏡を持ってきますね」


 楽しそうに自室へと戻っていくサリタニアに置いていかれ、どうしたら良いかわからずクライスを見ると、相変わらず居心地の悪そうな顔をして視線を逸らしたりこちらを見たりしている。


「えっと…あの、私が着けてしまって良かったのでしょうか?」

「それは、もちろん。いえ、お嫌でなければですが」

「嫌だなんて思うわけありません!魔石を身に着けられるなんて嬉しいです。ありがとうございます」


 魔石を、しかもとてもかわいいデザインのネックレスとして身に着けられるなんて正直とても嬉しい。サリタニアがああ言ったという事は、クライスのデザインなのだろう。本当に何でも出来る人なのだなぁ。


「勝手にネックレスにしてしまってすみません。他にお気に入りの装飾品をお持ちであれば、邪魔にならないように表に出ない形にしますので仰ってください」

「いえ、アクセサリーを頂くなんて生まれて初めてなので…大事にしますね」


 生まれてこの方この宿と近くの村くらいしか行動範囲がないので、街に買い出しに出た時に店や女性が身に着けているのは見かけるものの、アクセサリーに対して必要性をまったく感じていなかった。だがいざそれを身に着けると、何とも面映ゆいが、嬉しいものでもあるのだ。


「なるほどな、今朝俺がカティアさんに雨避けを貸して機嫌が悪かったのはこれがあったからか。悪かったな、クライス」


 エドアルドがガシガシとクライスの頭を撫でながら謝り、クライスは更に嫌そうな顔になっている。


「カティアさんがアクセサリーを貰うのが初めてだと言うなら、お前も女性に贈り物をするのが初めてだもんな。気に入ってもらえたようで良かったじゃないか」

「おまっ……!」


 クライスの顔がみるみる紅くなっていくのを見て、私の頬も熱くなってくる。


「えぇと、あの、本当にありがとうございます…」


 しどろもどろ何とか言葉を探したがお礼を述べるだけになってしまった。しかし、クライスが女性に贈り物をした事がないなんて嘘でしょう?と思ったが、先程の境遇を聞く限りではそんな余裕もなかったのだろうか。


「いえ、私も受け取っていただけて安心しました…その、お似合いですよ」


 エドアルドと手鏡を持って戻ってきたサリタニアの笑顔が恥ずかしさを増長させてくる。私は小さい声でありがとうございます、と再び同じ言葉を紡ぐ事しか出来なかった。

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