15. 小屋の片付け
翌朝、朝食をトマスの部屋に運ぼうとすると部屋がカチャリと開いて、荷物を背負ったトマスが出てきた。早めにチェックアウトをして砦へと向かうと言うので、少しだけ時間をもらって朝食を包んで持っていってもらうことにする。
「いやぁ何から何まですみません。昨夜も、風呂にも入れて僥倖でした。体もすっかり軽くなりましたよ」
「ごゆっくりお休みいただけたならこちらも嬉しいです。よろしければ、またいらしてくださいね」
「えぇ、この辺りに来た時には必ずここに泊まります。ターニャさんも、がんばってくださいね。」
「はい!ありがとうございました」
サリタニアと私でトマスを見送り宿の中に戻ると、掃除用具を手にしたクライスとエドアルドが階段を登って行くところだった。飲み込みの早さに感心する。それを見たサリタニアも後に続き、私も宿帳をしまった後掃除に加わった。
「昨日トマス氏がいらして改めて思いましたが、カティアさんはよくこの仕事量を一人でこなしていましたね」
窓を拭きながらクライスが言った。
「仕事量は多いですが、夕食時以外は時間はたっぷりあったので余裕がありましたよ。逆に今は一つ一つが早く終わるので時間が余るくらいです」
部屋の掃除だって午前中の半分以上は使ってしまっていたのだ。エプロン作りがなければ持て余していたかもしれない。
「それでも一人で経営しているのはすごいと思うぞ。女性軽視というわけではないが、どうしたって出来ないこともあるだろう?例の小屋だって、男手があればもしかしたらそこまでひどくなっていなかったかもしれない」
「そうですね…街や村で人手を借りる事はありますが、どうしても後回しになってしまいますね」
今度はエドアルドにそう言われ、確かに困る事はあるなぁなどと改めて思う。
「ゲイル兄ちゃん…とやらにはお願いしないのですか?我々の来訪に卒倒しそうだとカイル君が言うくらいですから、カティアさんの事を気にかけているのでは?」
「ゲイルは同い年の幼馴染ですので、頼んだら色々としてくれるとは思うのですが、村も近所という距離ではないですし、何よりゲイルにも村での仕事がありますからそんなに頼るわけにもいきません」
宿の事をお願いするなら、村の仕事を少なくとも1日は休まなくてはいけない。ゲイルのような真面目で優秀な働き手を村から奪ってしまうのは申し訳ない。
「そのような理由でしたら、ゲイルさんはカティアに頼られて嬉しいかもしれませんよ?私も頼られたら、距離が近くなったようで嬉しいですから。村の事情は私にはわからないですが、出来るかどうかはともかく、一度お願いしてみても良いのではないですか?」
「そうですね…今度困った事になったら考えてみます」
昔から人を頼るのに苦手意識があるということは自覚している。私が出来ない事を、仕事として誰かに依頼するのは出来るのだが、誰か特定の人に、こちらを優先して何かをしてもらうのに抵抗がある。でも今の状況に慣れてしまった後だったら、頼らずにはいられなくなるのだろうか。
掃除を終え、トマスの分と一緒に作っておいた朝食をみんなで食べ、早々に小屋の片付けへと向かうことにした。雑巾が沢山いるだろうと用意していると、それを見たクライスが「おそらくそんなに要りませんよ」と言ってきたので、いつも宿を掃除している掃除用具セットと、屋根に上がるための梯子だけ持って行くことになった。
「雨が降りそうな空ですねぇ。とりあえず雨避けが先でしょうか」
外は重い雲に覆われていて、今すぐにでも降ってきそうだ。ごそごそと動くクライスの様子に空から視線を移すと、想像通りに腰のポーチから少し大きめの土色の石を取り出していた。それを見て、私は大事な事を思い出して「あっ!」と思わず声をあげてしまった。
「どうしました?」
「トマスさんに魔石を見るルーペを見せてもらうのを忘れました…」
あんなに魅力的なお話を聞いたのに、すっかり忘れてしまっていた。ショックで項垂れていると、横に立っていたサリタニアがクスクスと笑いながら覗き込んできた。
「クライスに見せてもらえば良いではないですか」
「えっクライスさん持ってるんですか!?」
「姫様…」
「あら、お嫌ですの?」
「カティアさんがどんどん魔石オタクになってしまうではないですか」
えっそんなに私がっついてる!?確かにトマスが魔石の商人だと聞いて色々と教えてもらいたかったし、実物も見たいし、研究院がどんな所なのかとても知りたい。何なら森で魔石探しもしてみたい。あれ、これって立派な魔石オタクになるのかしら。でもオタクでも良いからルーペは是非とも見せてもらいたい。
「クライスさん…お願いします!」
「仕方ないですね、カティアさんのおねだりは貴重そうですから、承りましょう」
「おねだりって…いえ、見せていただけるなら何でも良いです」
「男性相手に何でも良いはやめましょうね」
窘められてしまった。また貴族ルールに反してしまったのだろう。
「カティアさんはその辺り少し心配だな…」
エドアルドにも心配されてしまった。何がいけないのかはイマイチわからないが、男性相手に何でも良いと言うのは今後やめておこう。
「では続きをしましょうか」
コホン、と咳払いを一つして、クライスはいつもと同じようにぶつぶつと呪文のようなものを呟き石に息を吹きかけた。石はほんのり光を帯びる。エドアルドが立てかけた梯子から屋根に登り、屋根の中央に石を置いたようだ。今日は近くで見れないので残念だ、と思っていると、パキンという音と同時に、少し鈍い色の光が蔦のように広がり、屋根から放射状に小屋全体を覆い始めた。今までのように綺麗な色の光ではないが、これはこれでとても幻想的だ。しばらくすると光は収まり、クライスが降りてきた。
「終わりです」
「今日もとても素敵でした!」
パチパチと拍手をしながら降りてきたクライスを迎えると、苦笑いをされてしまった。あれ、私もしかして魔石に対してめんどくさい人になってる?
「すみません…はしゃぎすぎましたか…」
「大丈夫ですよカティア、クライスは照れているだけです」
そうなの?だとしたら何に照れているのだろう。褒め慣れていないとか?こんなに綺麗なのに、城では褒められないのだろうか。
「…はぁ…貴族の皆さんは感情を顕にしないですからね。子供みたいに純粋に喜ばれる事に慣れていないだけです」
またも疑問が顔に出ていたらしい。しかし子供みたいとは失礼な。
「でも、心から素敵だと思ったから、それは伝えなきゃと思ったんです」
「否定しているわけではありませんよ、私もカティアさんが喜んでくださったなら嬉しく思います。あなたはそのままでいてくださいね、大人しくなってしまってはつまらないですから」
「…最後の一言が余計です」
「私も心からそう思ったので伝えなくてはと」
クスクスと横で笑うサリタニアが「仲良しさんですね」と言い放った事により、この押し問答は終わりを告げた。屋根の様子を見てくれていたエドアルドも降りてきたので、中の片付けに移ることにする。ちなみに屋根は直せるようだが、雨漏りというレベルではなく小さい穴がいくつも開いているようで、木材が必要との事で雨季が終わり次第作業に取り掛かってくれるそうだ。穴だなんて、鳥か何かがつつきでもしたのだろうか。
ガチャリと小屋の鍵を開け、扉を開いて部屋の中を見せる。数日曇りが続いていたので少し水気は引いているが、壁も床も家具すらも全体的に湿ってしまっていて私一人では手の施しようがない。家具は最悪買い替えになってしまっても仕方ないが、この小屋は私が育った家なので、せめて壁と床が使い続けられる状態になったら嬉しい。
「どうだエドアルド、やれそうか?」
「威力の調整が難しそうだが…まぁ少しずつ上げていく形でやれるだろう」
そういえば、エドアルドの火の魔術で水気はどうにかなると言っていた。雑巾がいらないというのはそういう事だろうか。…家、燃えないよね?
「姫様、カティアさん、下がっていてください。クライスは全体の状態を見ていてくれ」
「了解」
「わかりました、さぁカティア、こちらに」
魔術にあまり馴染みのない私が状況を飲み込めずにいると、サリタニアが腕を引っ張って導いてくれた。ぎりぎりエドアルドが何をしているか見える距離でしゃがむように言われる。それを見たエドアルドは、気合いを入れる為か一度右腕を回してそのまま前に突き出した。
「おそらく熱風がきますから、驚かないでくださいね」
しゃがんだ私の背中に手を添えながらサリタニアが言った直後、ゴォッと音がして強風が吹いて思わず尻もちをついてしまった。
「大丈夫ですか?」
「はい…ターニャは体幹がすごいですね」
サリタニアは同じしゃがんだ状態でいるにも関わらず、微動だにしないでいるどころか、尻もちをついた私の上半身を支えてくれている。風はいまだ吹いてきていて、正直座った状態でもしんどい。
「カティアが強風と感じているものは魔力圧ですから、術者との魔力差で影響が違うんですよ。私はエディと同じくらいの魔力なので何も感じないのです」
「魔力圧…」
もしかして、平民でも魔術を使った人の近くにいると風を感じるのは魔力圧なんだろうか。昔お客様のご厚意で魔術で火を焚いて貰った時に、温かい風が吹いて心地よかったのを思い出した。その人は焚き火に火をつけるくらいしか出来ないと言っていたので、あれが魔力圧だったとしたら、私は本当に魔力を全く持っていないのだと突きつけられてしまった。
「ここから徐々に熱くなりますよ。辛かったら言ってくださいね」
正直今でも辛いのだが、小屋を直してもらってるのだから言えない。死を感じたらギブアップしよう。
「カティアさん、大丈夫ですか?」
小屋の前から少し大きめの声がかかる。クライスにも心配されてしまった。大声を出すのは無理そうだったので、両腕で丸を作って見せた。見えるかどうかはわからないが、心配させないように笑顔も作ったつもりだ。
サリタニアの言った通り、だんだんと強風が熱を帯びてきた。火傷するほどではないが、息がうまく出来ない。少しでも風を避けようと顔を俯けるが、風ではないらしいのであまり意味がない。熱はしばらく徐々に上がり続け、あ、もう無理かもと思う一歩手前の温度で固定された。その温度をしばらく耐え続けているとサリタニアが止めましょうか、と訊いてきたのでフルフルと横に頭を振って答える。どれくらい耐えていただろうか、息苦しさにくらくらとしてきたところでいきなり風が止んだ。
「はぁっ…はぁっ…」
「カティア、大丈夫ですか。ごめんなさい、もう少し離れた方が良かったですね」
いえ、私のことだから魔術が見たいと言って見える範囲にしか動かなかったと思います。というのを伝えたいのに胸が空気を取り入れる事に必死で言葉を発せられない。
「カティアさん、失礼しますよ」
駆け寄ってきたであろうクライスの声がするが、目も開けられず顔も上げることが出来ない。くらくらする頭の片隅で何を失礼されるのだろうかとぼんやり思っていると、急に体がふわりと浮いた。何事かとびっくりして無理矢理目を開けると、クライスが私の背中と足に腕をまわして横抱きで抱えあげていた。
「はっ…はぁっ…」
いやいや何をなさってるんですか、と恥ずかしさに文句を言おうとするが相変わらず話すことは出来ない。
「いいから目を閉じて呼吸をする事だけに集中しなさい」
ピシャリと言われて恥ずかしがっている事が恥ずかしくなった。クライスは心配しかしていない。言われた通り、呼吸を整えて一刻も早くお礼を言うのが正しい。
そのままの状態で私は宿の自室の前へと運ばれ、入って良いかと聞かれ頷く事で答え、ベッドに寝かされた。
「そのままで構いません、私の声に合わせて息を吸って、吐いてください。いきますよ。吸って…吐いて、吸って…」
クライスの少し低めの声が耳に心地よく響く。言われるままに呼吸を合わせていくと、少しずつ落ち着いてきた。私の状態に合わせて、クライスがリズムを調整してくれる。
「けほ…あ、ありがとうございます」
「良かった、落ち着きましたね。水を持ってきましょう」
クライスが部屋を出ると、交代するようにサリタニアとエドアルドが入ってきた。私の呼吸が落ち着くまで部屋の外で待機してくれていたようだ。
「すまない、これほどの影響があるとは思わなかった」
「本当にごめんなさい」
「いえっもっと離れろと言われても、エディさんの魔術を見たいと言ってあの場に留まったと思います。私こそ、お騒がせしてしまってすみません」
一国の姫とその護衛騎士に揃って頭を下げられてしまい私は慌てて言い返す。
「カティアさん、水を飲みましょう」
クライスが戻ってきて水の入ったグラスを差し出してくれた。グラスの冷たさが心地よい。
「宿泊客が来ない限りは今日は一日ここで休んでくださいね」
「え!?」
一日って、今日はまだ始まったばかりなのに。小屋の片付けだってしなくちゃいけないし、縫い物だって続きをしなくては。
「平気ですよ、呼吸は落ち着きましたし動けます」
「駄目です。ここにいる全員がこれ程の魔力圧の影響に対する経験がありません。何かあっても対処出来ないのですから」
サリタニアとエドアルドもうんうんと頷いている。これでは私が我儘を言っているようではないか。
「小屋の水気は床から家具まで先程のエドアルドの魔術で全て飛ばせました。元々が綺麗に掃除されていたようですから、そんなにする事もなさそうです。どの部屋を使って良いか教えていただければ我々だけで引越しを済ませます」
「でも…」
「カティア、ちょっと失礼しますね」
反論しようとする私の額にサリタニアがそっと触れてきた。
「お顔が赤いと思ったら…お熱がありますよ。無理は厳禁です」
熱?そう言われると少し怠い気がするが、動こうと思えば動けるのだ。問題ない。
「ではこうしましょう。今日一日きちんと休んでくださるなら、熱が下がった後に私の魔石道具をお見せします。一緒に私のポーチの中も見せて差し上げましょう。しかも一つ一つ解説付きで」
え、それずるくないですか?そんなに美味しそうな人参をぶら下げられたら拒否できないじゃない。
「………わかりました。寝てます」
クライスに小屋について説明をして、三人は私の部屋から出ていった。交代で私を診ると言ってくれたのだが、それは申し訳なさすぎて小屋の片付けをお願いした。渋々といったようだったが、ベッドサイドに水瓶とグラスを用意してくれ、体調が悪くなった時の為に強く握ると大きい音が出る魔石を渡してくれた。今までも大丈夫だったように、人が使う魔力と魔石の持つエネルギーは異なるものらしく、私が持っていても平気らしい。
(クライスさんの魔石を見るともう随分実用化されているように見えるけど…)
一人になると怠さが増してきた気がする。ちゃんと休んで早く治さなきゃ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。ベッドに深く入り、私は音の出る魔石の仄かな光を見ながら眠りに落ちていった。
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