20. 雨季は過ぎゆく

 朝早く起きたのにその夜はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。クライスからされた話の情報量に脳が圧倒されたのだろうか、魔石の話が楽しすぎて興奮しているのだろうか。手持ち無沙汰に寝返りをうつと、月明かりに照らされたベッドサイドテーブルでキラリとネックレスが光った。上半身を起こして手を伸ばし、ネックレスの鎖を摘んで片方の手のひらの上に広げた。


「本当に綺麗…」


 今までアクセサリーには全く興味がなかったが、人からの贈り物とはこんなにも嬉しいものなのか。


「雨が止んでも着けていていいのかな」


 本当に魔石が好きですね、と呆れられるだろうか。でもこんなに綺麗なのだから仕舞い込んでしまうのはもったいない気がする。

 雫型の魔石の上下を指で挟み月明かりに透かすと、石の中で光とも液体ともつかない何かが揺らめいていた。ルーペで見た魔石の光もゆらゆらとしていて引き込まれそうだったのを思い出す。これが石の持つ自然のエネルギーというやつなのだろうか。


「…楽しかったな」


 魔石の話は本当に面白い。元々商人の人達から見知らぬ話を聞くのが好きだったが、それの何倍も楽しかった。クライスの説明が上手いからだろう、難しい専門的であろう話も頭にスッと入ってきて理解しやすかった。会話がこんなにも楽しいと思うのは初めてかもしれない。


「また、お願いしたら話してくれるかな」


 そうである事を願って、聞きたい事をまとめておこう。そんな事を思いながら魔石の揺らめきを見ていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 翌日も相変わらずの雨だったが、雨避けの魔石のおかげで普段通りの動きが出来た。楽しくて外仕事を率先してやろうとする私に、クライスからは今後誰かがいる時は魔石を外して雨具を使うようにと注意されてしまった。


「カティア、楽しいのはわかりますが、濡れないとはいえ気温は低いですから、宿の中でエプロンを仕上げてしまいましょう?」


 クスクスと笑いながら布を渡された。はしゃいでいるのがバレバレで少し恥ずかしい。


「カティアは素敵なお姉さんですが、魔石の事になるととっても可愛らしくなりますのね」

「すみません…気を付けます」

「あら、褒めているのですよ?」


 今はサリタニアの方が年上のお姉さんのようだ。苦笑しながら布を受け取り、針を刺し始める。私が動けなかった2日の間にだいぶ進めてくれていたようで刺繍部分は既に終わっていて、あとは男性分のエプロンの仕上げをするだけになっていた。


「この分なら明日から使えそうですね」

「ふふ、早くお客様が来てくださらないかしらね。たくさんの方に見ていただきたいです」


 先日はトマスというイレギュラーなお客様がいたが、完全に雨季に入ってからは予想通り誰も来ない。これではサリタニアが情報を得るという目的がなかなか果たせないだろう。


「すみません、なかなかターニャのお仕事が進まないですね」

「こうして形になってきていますよ?」

「いえ、エプロンではなく、殿下としてのお仕事です」

「お客様はいらっしゃらないけれど、ここで暮らす事でたくさんの事を知れましたよ。雨季には人の往来がなくなる事、それによってこの辺りに住む人々が事前に準備を滞りなく終える必要性がある事、それらはきっと森へ街道を敷く事で解決出来るであろう事。ただ、森を整える事に対してこの辺りに住む人々や商人の方々がそれぞれどのように思われるかの調査は必要ですが」


 これが王族というものなのか。長年ここに暮らしていて、不便とは分かっていてもそういうものなのだと受け入れる事しか出来なかった私達とは違う。


「もちろん、様々な人の声を直接聞きたいという目的はまだ達成されていません。でもこれからいくらでもできるでしょう?」

「そう、ですね。雨が止んだらきっとお客様もたくさんいらっしゃいます」

「楽しみですね!私もがんばって宿のお仕事を覚えないと」

「ターニャなら大丈夫ですよ」


 にこりと笑みを交わして再び針に目を落とし、このエプロンを着けて接客をしているところを想像する。それだけでなんだかとても賑やかな雰囲気になりそうだと、わくわくとした気持ちになった。


「そうだ、もうそろそろポプリが作れる頃合いかと思います。エプロンを作り終えたら、このエプロンを着て一緒に作りましょうか」

「はい!楽しみですね!」


 ピンク色のエプロンを着て花びらに囲まれるサリタニアはさぞ可愛いだろうと、私も楽しみが増えた。


 エプロンが出来るのと同時に、エドアルドの物干しスタンドも出来上がった。うちに元々あったものよりも大きいが、男性だとこれくらいある方が使いやすいらしい。お客様も男性が多いからその方が良いだろうかと考えていると、エドアルドがまだ材料が余っているので作ろうか、と提案してくれた。宿の備品まで作ってもらうのは申し訳ないと一度断ったのだが、趣味だから、と言われてお言葉に甘える事になった。


 クライスの方でも少し進展があったようで、お風呂の装置の原理がわかってきたらしい。説明されても私にはさっぱりわからなかったのだが、エプロン作りを終えて研究に合流したサリタニアは真剣な眼差しでクライスの話を聞いていた。先日の話から察するに、クライスは他の追随を許さない程の天才なのだろうと思う。その話を聞けるサリタニアもまた優秀なのだろう。そういえばクライスが教師だって言っていたっけ。二人の邪魔にならないようにお茶をそっと置いて去ろうとすると、二人揃ってこちらを向いて感謝を述べられた。その顔は稀代の天才と一国の姫というより、仲の良い気さくな兄妹のようだった。


 そんな風に、今回の雨季ははじめにアクシデントがありつつも、静かに穏やかに過ぎていった。

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