21. 襲撃
15日程しとしとと降り続いた雨が段々と弱くなり、とうとう太陽が顔を出した。昨日までの雨が嘘のようにカラリと晴れている。お客様が宿に来るまで早くて2日。それまでにやらなければならない事がたくさんある。
「雨が止みましたので、今日明日で寝具を全て干して、ジャムにする実を採りに行きます」
小屋で朝食を食べながら3人に予定を告げる。まずは干せる量だけ先に寝具を干してしまおうという事になった。降り続いた雨でシケシケになってしまっているのだ。宿泊のお客様には気持ちよく寝てもらいたい。
「では力仕事は主に俺達がやろう。カティアさんは指示出しを」
「わかりました。では朝食が終わり次第エディさんはシーツを全て外してください。ターニャは枕カバーを外してもらえると助かります。その間に、クライスさんは外で物干しを準備するのを手伝っていただけますか」
雨季の間にすっかり仕事を分担する事に慣れてしまった。3人とも覚えは早いし応用も効く上視野が広いので一緒に仕事がしやすい。慣れては駄目だと思ってはいるが、ここ2日はやらなければならない事が詰まっているので甘えてしまおうと決めた。
「よし、では今日はお先に席を立たせてもらうぞ。集めたシーツは外に持っていけばいいのか?」
「お願いします」
一足先に食べ終わったエドアルドが席を立ちお皿を洗い始めた。それを見て私も残りを急いで口に入れる。
「カティアさん、慌てて食べるのは良くないですよ」
そう言うクライスも最後の一口を咀嚼したところだった。口の中は一杯なので、大丈夫ですと返事が出来ない。待たせるのも申し訳ないので口の中のものを急いで噛み飲み込む。
「ごほっ、大丈夫です、お待たせしました」
「人の言う事を聞かない人ですね…」
「そんな事はありません。祖母の言う事はしっかりと聞いてましたから」
ネックレスを貰った後数日は、クライスと顔を合わせるのが少し気恥ずかしかったが、すっかり元通りの会話が出来るようになった。クライスとの軽口のやり取りは少しばかり気に入っているので嬉しい。
「私もごちそうさまでした!」
サリタニアも少し焦って食事を終えたようだ。いけない、悪い見本になってしまっただろうか。昼食の時間は余裕を持ってとろう。
朝食の片付けを終え、サリタニアとエドアルドは宿の2階に向かい、クライスと私はまずお風呂の小屋の物置から物干しを庭まで運ぶ作業に取り掛かった。この辺りの土は水はけは良いが、まだ少し柔らかいので気をつけるようクライスに伝える。
ちなみに、お揃いのエプロンは折角なのでお客様が来る時まで綺麗にとっておくことにした。制服っぽく仕上がったので主に受付と食事を提供する時に使う予定だ。雨季中に汚れても良いシンプルなエプロンを量産したので、今はみんなでそれを着けている。
「結構重たいですね。こちらをエドアルドに頼んだ方が良かったのでは?」
「シーツを外すのにベッドを動かしたりしなければいけないのであちらをお願いしたのですが、すみません、クライスさんはあちらが良かったですか?」
「いえ、エドアルドなら全部一人で運べるでしょうから、カティアさんは指示出しするだけで良かったのではと思いまして」
「お気遣いありがとうございます。でもいつもは一人で運んでるので大丈夫ですよ」
「本当に、つくづく思いますけど、カティアさんパワフルですよね…」
「そうでしょうか?村の畑仕事をしている女性に比べたらまだまだですよ」
「それは頼り甲斐がありますねぇ…」
言葉とは裏腹に複雑そうな顔をしている。やはり貴族の女性に見慣れていると、力仕事をする女性は抵抗があるのだろうか。
「私も筋トレすべきでしょうか…」
違った、自分と比べているようだ。物干しのスタンドを運びながら自分の腕を見つめて溜息を吐くクライスにクスクスと笑っていると恨めしそうな目を向けられた。ちなみにこのスタンド、大物を干せるように2本を立てた間に竿を渡すタイプになっているのだが、立てる為の台座が倒れないようになっている為割と重い。私が両手で1本ギリギリ持てるくらいなのだ。クライスも私より余裕はある様だが、両手でしっかりと支えながら運んでいる。エドアルドならおそらく片手で持てるのだろう。
「笑い事じゃありませんよ、男性にとっては真剣な悩みになりかねないんですから」
「人それぞれで良いんじゃないですか?クライスさんは知識と頭脳で解決するタイプっぽいですし」
「それは仰る通りなんですか…私にも男の矜持というものはありますからね?」
「大丈夫ですよ、クライスさんは今のままでも十分頼り甲斐がありますから」
本心である事を示す為にニコリと笑って返したが、逆効果だったようだ。訝しげな顔をされてしまった。
何度か往復して物干しを準備していると、パキン、と何か固いものが割れる音がした。
「?…今何か音がしませんでした?」
「いいえ?私には何も聞こえませんでしたが…」
スタンドの台座でも割れたのかと調べていると、またパキン、と聞こえた。一瞬の事なのでどの方向から聞こえるのかがわからない。周りを見回していると、少し離れた茂みがガサガサと揺れている…というか近づいて来ている。何だろうウサギか何かだろうかと見に行こうとするとクライスに腕を思い切り後ろに引っ張られた。直後、茂みから狼のような姿をした、だが狼よりもふた周りほど大きい獰猛な顔をした生き物が飛び出して来た。
「魔獣か!」
そう叫ぶとクライスは舌打ちをして何かを魔獣に向かって投げた。するとそれは地面に着いた瞬間にパパパンッと激しい音をたてて弾けた。その音に思わず目を瞑る。
「エドアルド!」
クライスの叫ぶ声が聞こえて恐る恐る目を開いて前を見ると、魔獣も音に警戒して様子を見ているようだった。
「二人とも動くなよ!」
その声とともに2階の窓からエドアルドが降ってきた。ドスンと鈍い音を立てて着地すると同時に魔獣に斬りかかる。そこで私の視界はクライスの手によって塞がれた。魔獣の甲高い声が聞こえると、ドサリと音がする。倒したのだろう。
「エディ、右です!」
上からサリタニアの声が降ってくる。私よりサリタニアの視界を塞がなくて良いのだろうかと思っていると、直後、ゴォッという音と同時に熱を帯びた風が吹いてきた。
「…!カティアさんすまない!剣を構える余裕がなかった…!」
「え…?」
状況を考えるに、エドアルドが魔術を使ったのだろうか。でもこの間程の圧は感じないし、体も辛くない。
「あ、私は大丈夫です!」
まだ魔獣がいるかもしれないのでとりあえず問題ない事を伝えると、再び甲高い魔獣の声が聞こえた。やっぱりまだいるらしい。視界を塞がれたままクライスの導きで後ろに下がり、背中を宿の壁につけた状態でしばらくじっとしていると、ふと静かになった。終わったのだろうか。
「もう大丈夫だ」
「とりあえず宿の中に戻りましょう。カティアさん、森の方向を見ないように歩いてください」
「は、はい…」
言われた通りに壁を見ながら宿の入口へと向かう。視界には入ってこないが、血の匂いに加えて何か腐ったものが焼けたような匂いが鼻をついてくるので、どのような状況になっているかは何となくわかる。言われなくても目を背けたくなるが、お客様が来るまでには綺麗に後始末をしなくてはならない。気を重くしながら宿の中へ入ると、サリタニアが心配そうな顔で階段を降りてきた。
「カティア、大丈夫ですか?」
「ターニャこそ大丈夫ですか、上から見ていたのですよね?」
「私はいざという時の為に慣らされているので問題ありませんよ」
「慣らされて…?」
「恐れて逃げる事が出来なければ守ってくれる者に迷惑をかけてしまいますから」
王族って本当に知らぬところで大変な思いをされているんだなぁと改めてサリタニアのすごさに感心する。
「それより、カティアさん本当に身体に異常はありませんか?」
「そうです!エディはかなり瞬間威力の高い魔術を使ってましたけれど…」
「えっと、温かい風が吹いてきた気はするのですが、先日のような息苦しさはありませんでした」
そう伝えると、二人は顔を見合わせて難しそうな表情をした。
「あの…?何か…?」
「いや、あの魔術に対してそのような感覚ですと、カティアさんにそれなりの魔力があるとしか考えられず…」
「え…?」
私に魔力がある?そんな途中から魔力を持つなんて事があるのだろうか。
「あのね、カティア。平民は魔力を持っていない、または少ない人が多いですから、平民を守る為に騎士が戦う場合は、平民の避難が済むまでは出来る限り魔術の使用を止められています。それくらい、戦闘に使う魔力は大きいのですよ」
「戦闘用の魔術は先日の小屋での魔力圧なんて比べものにならない程の魔力を放出します。それくらい先日の魔力は微々たるものでした。でなければ、カティアさんの前であんな無責任に魔術を使わせる事はしませんでしたから」
つまり、今の私は先日のエドアルドの魔力圧に余裕で耐えられるという事なのだろう。
「そんな事…あるものなんですか?」
「元々魔力を持っている者が鍛練の後魔力量を強める事はあります。ですが、適性や魔力を持たないという特性が覆るというという話は聞いた事がありません。その可能性があるなら私は早々に諦めてはおりませんから」
それはそうだろう。だがそれでは余計に私の魔力の変化がわからない。
「…今ここで議論しても何もわかりませんね。とにかくカティアさんは体調に変化があればどんな些細な事でも私に報告してください」
「わかりました」
何か深く考えていそうな顔をしながらそう言われ、私は従うしかない。そんな会話をしているとエドアルドが宿に入ってきた。
「周辺も見てきたが、とりあえずはもう魔獣はいなさそうだ」
「お疲れ様でしたエディ」
「姫様も、先程はありがとうございました。急な襲撃にも臆さず立派でございました」
エドアルドは微笑んでサリタニアを褒めた後、真面目な顔に戻ってこちらを見た。
「カティアさん、このような魔獣の襲撃は今までにも?」
「いえ、初めてです。森に時々魔獣が出るという話は聞いた事がありますが、宿の周りに出た事はありませんでした」
「なるほど、しかしそれも不思議な話だな…宿には人も食べ物の匂いもあるから魔獣が近寄ってきてもおかしくないのだが」
「え、人がいるから寄ってこないのではなくてですか?」
「人の気配を嫌うのは動物だな。魔獣は生きる為なら容赦なく人も襲うよ。この森が豊かで食べ物の心配がないからわざわざリスクを冒して人を襲う必要がなかったのかもしれないな」
恐ろしい事実にサァっと血の気が引く。今まで何事もなかったのが奇跡だったのではないか。もし森に魔獣が増えたとかであった場合、村や商人の人達に知らせた方が良いのではないだろうか。色々と頭の中に考えが溢れてぐるぐるとしてしまっていると、それを察してくれたのかエドアルドがニコリと笑って大丈夫だ、と言ってくれた。
「先程も言った通り周辺に他の魔獣の気配はなかったし、また襲撃があっても俺がいる。周辺の村やここを通る人達に関しては砦に報告だけしておけば後はそちらが対応してくれるだろう。砦に知り合いがいるから、それも俺がやっておくから安心してくれ」
あんな魔獣の襲撃なんて、彼らには日常の事なのかもしれない。私が必要以上に怖がっているだけで、そんなに騒ぐ事でもないのかもしれないと自分に言い聞かせて、はい、とだけ返事をした。
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