7. 寄り添い
重いから、とクライスは箱を一人でキッチンまで運んでくれた。今まで祖母と2人だったので、男性がいるとこういう時頼りになるな、と思う。中には質の良い野菜や香辛料がたくさん入っていた。その中からまずはあまり日持ちのしないものを取り出し、それを使って献立を考えることにした。
昼食の仕度が出来たら呼ぶとクライスに伝え、2階に戻ってもらう。まだ自分達の部屋を整え終えていないはずだ。ついでに、苦手なものがあるかどうか聞いてきてほしいと言うと、既に把握しているようで、サリタニアは酸味が苦手と教えてくれた。頑張れば食べられるらしい。なんとも可愛らしいと不敬な事は心の中にしまいつつ、漬けてあるピクルスは献立から外すことにする。エドアルドは甘いものが好きで、クライスは何でも食べるそうだ。みんな偏食がなくて素晴らしい。
普段は朝の軽食と夜のメニューしか作らないので、昼食にきちんと料理をするのは祖母が生きていた頃以来だ。頂いた野菜は生で食べられるものはサラダにし、根菜はバターで炒めた後ペースト状にして、ミルクと合わせて少し煮込みポタージュにする。ここまではお客様に出しているものと同じだが、メインはせっかくだし少し豪勢にしよう。肉は少し厚めに切って表面を焼いてから香草と一緒にオーブンに入れた。しばらくすると良い香りが宿全体を包み始める。先程肉を焼いた油が残るフライパンでソースを作っていると、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
「すごく良い香りがしてきて思わず降りてきてしまいました」
サリタニアがひょこりとキッチンを覗いてきた。
「もうすぐ出来ますので、座ってお待ちください」
「ターニャ、皿を運ぼう」
「そうですね、これはもう運んでも良いのかしら?」
サラダの入った皿に手をそえ、首をかしげるサリタニアにこの状況でノーとも言えず、お願いすることにした。サラダはサリタニアが、スープをよそうとエドアルドがテーブルまで運んでくれた。オーブンからお肉を出し、皿に乗せソースをかけていると2人が戻ってきてこちらも持って行ってくれたので、私はパンを切ってバスケットに入れ、カトラリーの入ったケースと水瓶を持ってテーブルに向かう。テーブルには4人分のお皿が整って置かれていた。普段は自分が運ぶので、出来上がった食卓に少しだけ不思議な感じがする。
「美味しそう!カティア、ありがとう」
「お口に合うと良いのですが」
「さぁ、冷めないうちにいただきましょう」
クライスもエドアルドも、朝のようにサリタニアに確認するまでもなく席についている。私も覚悟を決めてこれは受け入れよう。食事の度に心労をためていては私の体がもたない。
「美味しいですね。最初に紅茶をいただいた際にも思いましたが、カティアさんは料理の才がおありのようです」
「祖母仕込みなので、祖母の腕が良かったのかもしれません」
私の料理はすべて祖母の味なので、料理を褒めてもらえるのは素直に嬉しい。
「このドレッシングも美味しいです。わたし、恥ずかしながら酸っぱいものが苦手なのですが、これは少し甘みがあって食べやすいです」
良かった。クライスの情報から、ビネガーではなく果実を使ったドレッシングを作ったのだが口に合ったようだ。
「甘いドレッシングというのもあるのか、これは城に戻ってからも食べたいな…」
エドアルドにも満足していただけたようだ。でも城に持ち込むのは勘弁してほしい。絶対城の料理人の方が美味しい作り方を知っているはずだ。
「お肉の焼き加減も絶妙ですね。でも客の人数が多い時はタイミングを計るのも大変なのでは?」
「…仰るとおりです。特に夜はメニューの中からお客様に食べたいものを選んでいただいているので、タイミングが難しい焼き物はそもそもメニューから外しがちになります」
祖母がいた頃はやっていたのだが、一人になってからは煮込みや、予め丸ごとローストしたものを切って出すものなどが主になっていた。
「ならば、わたし達が給仕をすればカティアは料理に集中できますね」
確かに、先程2人に出来上がった料理を運んでもらって、すごく楽だった。でも、食堂の給仕なんて村娘がやるような仕事だし、献立の為に給仕をお願いするのも違う気がする。
「カティア、難しい顔をしてますよ」
「…すみません、どうしても割り切れないんです」
「カティアはどうしてそんなにわたくしを認めてくださるの?」
「?」
「先程クライスが言いましたよね。わたくしを王族と認めてくださるから、あなたはわたくしに宿屋の仕事をさせたくないのだと。でもわたくしとあなたは先程会ったばかりです。わたくしがどういう人物なのかは知らないはずです。それならどうして?」
改めてそう訊かれるとどうしてだろう。国が平和だから?でもそれは今の国王が賢王なだけで、その姫まではわからない。そもそも本当に王族に申し訳ないというのが仕事をさせたくない理由なのかもわからない。
「もしかして、わたくし達がこの宿を乗っ取ろうなどと考えていると思っていますか?だからわたくし達に宿屋に関わる事を許してくださらないのですか?」
「そんな事…!」
思わぬ方向に話が飛び、驚いて立ち上がると同時に水瓶が倒れてサリタニアのワンピースにかかってしまった。
「…っ申し訳ございません!!」
「姫様、そこまでにしましょう。少しばかり気を急いていらっしゃいます。まずはお着替えを。エドアルド、頼む」
「姫様、お部屋へ行きましょう」
2階へと上がっていくサリタニアの姿から目をそらしてすみません…とクライスに謝る。
「こちらこそ申し訳ありません。姫様も逸る気持ちを抑えられていないのです。決してあなたの事を疑っているわけではないのですよ」
「……先程殿下が仰ったことですが」
「乗っ取り計画ですか?」
「いえ、なぜ殿下を認めているかという方です…私、殿下には村娘のような仕事をしてほしくない、でもなぜかと問われるとその理由もはっきりとはわからないんです。させてはいけないのではなく、してほしくないんです。クライスさんが言った、王族と認めているからというのも少し違う気がします。殿下の仰る通り、私はまだあの方が良い王族かどうかの判断なんて出来ないです。もちろん、先程言った立派な方だと思う、というのは本心ですが、そこまでの理由には思えなくて…」
クライスはふむ、と考えるように一度目を閉じた。
「姫様に惚れてしまったのですね」
「は?」
いけない、思わず強い口調で返してしまった。でも真面目に話しているのにふざけた事を言うクライスがいけないと思う。
「カティアさんは、この国の姫ではなく、サリタニアという一人の人間に惚れてしまったのでは、と」
どうやらきちんとした返答だったらしい。だが今日一番で言っている意味がわからない。
「良い王族か、なんて時代が進まないとわかりません。ですが、人が人に好印象を持つきっかけなんてほんの些細な事だったりするのですよ。おもてなしをしようとしてくれたりとか、好き嫌いを気にしてくれたりとか。…親しくなろうと一生懸命になってくれたりとか」
「……」
「姫様は今日ずっと、カティアさんとの距離を近くしようと必死でした。おそらく自分の課題遂行よりも、カティアさんと仲良くなりたいという事で頭がいっぱいだったはずです。だからこそ先程は姫様も意地になられたのでしょう。そんな姿にあなたが好印象を抱かないはずがないと私は思います」
確かにサリタニアの一生懸命さや笑顔に心が温かくなっていたし、好きか嫌いかと問われたら好きと即答できるだろう。これは会ったばかりでも今の私の正直な気持ちだ。
「ただの好きならば、一緒に楽しく仕事をすれば良い。でも惚れ込んでしまったから、あなたは姫様にそのままでいてほしいのでしょう。汗や汚れや喧騒と離れたところで守られていてほしいのでは?カティアさんの中で、姫様は魔石術のように綺麗でいてほしい存在であるのではないでしょうか」
そうなのだろうか。サリタニアを初めて見た時、驚くと同時になんて可愛らしいお姫様かと思った。それは外見もだが、会ったばかりの平民に対して笑顔を向けてくれた事、手を差し伸べてくれた事…それらは身分関係なく今の私の生活にはあまりない事で、眩しかったのは確かだ。姉妹のようだと言われて嬉しかった。けれどそれだけでそんな自分勝手な事を思うだろうか。
「我々もそうですからね。お気持ちもわかります。ただ、あの方は一人の人間ですから。魔石術とは違いますので姫様には姫様の気持ちがあります。そこに寄り添ってはいただけませんか?」
「…クライスさんもですか?」
「えぇ、あの方はそういう風に思わせてしまう何かがあるのです。それが王族の気質というものなのかもしれませんね」
サリタニアに綺麗なままでいてほしいという気持ちについてはまだよくわからないが、サリタニアの気持ちに寄り添っていないというのは指摘されて気付いた。サリタニアは何度も「わたくしは構わない」と言っていたではないか。それを私はその度に王族という事を楯にとって態度や言葉で否定した。それこそ不敬罪というものではないだろうか。
「お嬢さん、少し良いか」
いつの間にかエドアルドが降りてきていた。サリタニアの姿はない。
「姫様が着替えに苦戦されているようなのだが、流石に俺達では手を貸せないのでお願いできないだろうか?」
普段はお城で身支度を整える侍女達がいるのだろう。どうして連れてこなかったのかは訊かなくてもわかる。私と宿に気を遣ってくれたのだ。全て後から気付くなんて、気が抜けているにも程がある。
「あの、私が殿下の肌を見ても問題はないでしょうか」
「姫様からは、ここでは王族として扱って良いのはお命のみと命ぜられている」
「行きます」
エドアルドと一緒に2階に上がりサリタニアの部屋をノックし入る事を告げると、どうぞ、と震えた声が返ってきた。エドアルドを残して部屋に入ると、ワンピースの後ろのリボンを固結びしてしまい、解こうと苦戦しているサリタニアの後ろ姿があった。
「あの、長い方を引っ張れば解けると教わっていたのですが、間違えてしまったようで…他の服は、もっと脱ぎ着しやすいものを持ってきたのですよ?これだけなのです」
顔は見えないが、耳が真っ赤になっている。
「失礼しますね」
リボンを解こうと手を伸ばすと、サリタニアは俯いてぴたりと止まった。慌ててだいぶ引っ張ってしまったのだろう、なかなかに固くなってしまっているので私も少し苦戦する。
「…ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。少し固いですが、取れないことはありませんから」
「いえ、先程の事です。むきになって、あなたに、失礼な態度を取りました」
まだ震えているが、ゆっくりとしっかりした声でそう伝えられる。よく見ると肩も震えていた。この小さな肩にどれだけのものを背負っているのだろうか。それすら見ようとしなかった事に、罪悪感でいっぱいになる。
「城でも言われていたのです。張り切りすぎて、周りが見えていないと。その時は反省したのに、わたくしは、また同じ過ちを犯して、あなたを傷付けてしまったのです」
国王から命じられた課題を持って、城に自分を慕う者を置いて全く知らない土地に来たにも関わらず、しっかりと自分の使命を果たそうとすると同時に、たくさん気を遣って、人を傷付たと言いながら自分がひどく傷付いている。まったくこの少女は…
(勇気を出せ、私)
リボンを解き終わり、覚悟を決めた。サリタニアも背中が緩む感覚で解けたのがわかったのだろう。顔をこちらに向ける。
「ありが…」
「…失礼します!」
私はサリタニアを抱きしめた。震えている肩に腕を回し、少しでもおさまるように。
「カティア?」
「私こそ、ごめんなさい。………ターニャ」
詰まる喉に喝を入れ、何とか声を絞り出して求められた名を呼んだ。不敬罪という言葉が頭をちらついて心臓がばくばくと弾けそうだ。
「気を張らないわけがないですよね、そんな中で、たくさん気を遣ってくださ…くれたにも関わらず、私はあなたに自分の意見だけを押し付けました、だから、ごめんなさい」
振り返ったところを抱きしめたので、サリタニアの顔を私の胸で受け止める形になっているのだが、その部分が温かく湿ってきた。私がサリタニアの背中を優しく撫でると、小さく嗚咽が聞こえてくる。もうこんな風に泣かせたくないと思いながら、治まるまで何も言わずに背中を撫で続けた。
「このお洋服…」
数分経った頃、嗚咽が少し治まってきたようで、顔はそのままにサリタニアがぽつりと話し始めた。
「わたくしのお母様が、ご挨拶用に用意してくれたのです。一緒にはいられませんが、お母様も応援していますよ、と」
そんな大事な服に私は水をぶちまけてしまったのかと衝撃を受けたが、今謝るのは違う気がして、そのままサリタニアの話に耳を傾ける。
「でもリボンが絡まってしまって、お母様の気持ちもめちゃくちゃにしてしまった気がして、わたくしの頭も心も絡まってきて泣きそうになっていたところに、カティアが来て解いてくれました」
いつの間にか私の背中に回されていたサリタニアの腕にぎゅ、と力が入る。
「だからほっとして、思わずこのような無様な姿を見せてしまいました。ごめんなさい」
貴族というのは泣き顔を人に見せてはならないのだろうか。こんな必死な姿を無様だなんて、思うはずがない。
「…ターニャ、平民は、辛い時は親しい者の前では思い切り泣いて、慰めてもらうんですよ」
ぱっとサリタニアは顔を上げた。真っ赤な目をしているが、涙は止まったようだ。
「ほんとう?」
「えぇ、本当です。私も祖母によく泣きついてました」
今思えばくだらないことで悲しくなった事もあるし、両親がいない事で辛いと思ったこともある。祖母が亡くなってからは、一人で飲み込むことが多くなったが、それまでは人よりも泣き虫だった気がする。
そんな事を思い出してふと、サリタニアに宿の仕事をさせたくない理由のひとつに思い至った。線引きしたかったのだ。祖母と2人でしていた宿屋の仕事をいざ一人でやってみると、大変なのもあるが、何より喪失感がひどいのだ。サリタニア達はいつか城に帰る。私はまたその喪失感を感じたくないのだ。ならば最初から任せなければ良い。お客様としての距離感を保てば、寂しくも感じないだろう。だから色々とそれらしい理由をつけて逃げていたのだ。本当に驚くほど自分勝手な理由である。
(でも…)
今はもう、そんな理由よりサリタニアの気持ちを大事にしたいと思ってしまっている。クライスの言うとおり惚れ込んでしまったかはさておき、サリタニアを守りたいと思っている。別れが余計に寂しくなりそうだが、もう抗えないだろう。
「ターニャ、一つだけ約束してください」
「何でしょう?」
「辛い時や悲しい時は平民ルールでお願いします。一人で我慢するのはやめてください。それが、ここの従業員となってもらう条件です」
「…はい!」
私がサリタニアの目を真っ直ぐに見て言うと、きょとん、と一瞬目を瞬いた後、今日一番の笑顔を見せてくれた。そうして、私は今まで自分から目を合わせようとすらしていなかった事にも気付き、静かに反省したのだった。
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