9.魔石装置
昼食を食べ終わった後は、サリタニアの申し出通りに皆で片付けをすることになった。不慣れなサリタニアにはパンの入っていたかごや、カトラリーをキッチンに運んでもらう。男性陣にはお皿を運んでもらうと、一度でテーブルの上が片付いた。人手ってすごい。
「お皿の洗い方は何か決まりがあるの?」
「そうですね、まずこの布でスープやソースの残りを拭いてしまいます。それから…ここに洗い水が溜まってるので、こっちの洗い桶に移して、水で洗います」
リネンを替えた時に古いシーツなどを細かく切って、拭き取り用の使い捨て布を大量に作ってある。これでソースなどを拭き取るとよく燃えるので後でお風呂を沸かすのに使うのだ。それを伝えると、3人が驚いた顔をした。
「この宿に風呂があるのか?!」
一番驚いていたのはエドアルドだ。
「騎士団の詰所にだってないのに!」
「それは騎士達の掃除が行き届かなくて部屋中カビだらけにさせて没収されたからだろう?代わりにメイド達が掃除に立ち入り出来るエリアの風呂場を使用出来るようにしたのは誰だと思ってる?」
「お湯の入ってるところは洗ってたんだが…」
呆れた顔のクライスにバツが悪そうにエドアルドが返す。エドアルドにはまず掃除のなんたるかを教えなければならないらしい。
「…掃除はともかく、後でご案内しますね」
「湯浴みが出来ると思ってなかったので嬉しいです!侍女達には、きっとお水で体を拭くだけではないかと心配されていたのです」
嬉しそうな、少しほっとしたような顔でサリタニアが笑った。
「お客様に旅の疲れを癒してもらえるようにと祖母が昔用意したらしいです。街ではどれくらいお風呂があるか知らないのですが、やっぱり珍しいものなんですか?」
「貴族はもちろん、大きい宿や大店の商家などは自宅にある場合もありますが、平民は基本的には持ってないようですね。お湯を用意するのも大変ですから」
「私もたくさんのお湯の用意は大変なので、用意してくれた者に感謝して使いなさいと言われています」
「姫様はご自身の湯浴みの後に残り湯で侍女達にも湯浴みさせてくださるので、姫様付き侍女の競争率はすごいんですよ…ってカティアさん、きょとんとされていますがどうされました?」
クライスが私の顔を覗き込んできた。
「あ、いえ、その…お湯なんですが、火を付けたら自動で出てくるものではないのですか?」
今度は3人がきょとんとした。お茶を淹れる為のお湯はポットに水を入れてキッチンで沸かすのだが、お風呂のお湯は指定の場所に火を付ければ自動で溜まるようになっている。大量のお湯を沸かすのは大変だからそういうものなのだと、それがずっと当たり前だったので、お湯の用意が大変、というのがわからなかった。
「カティアさん、片付けが終わったらお風呂を見せてもらっても…?」
「あ、はい。もちろん」
お風呂を案内すべく3人で片付けを済ませる。ちなみに、皿洗いはクライスが一番適性がありそうだった。というかサリタニアは丁寧に洗いすぎて時間がかかり、エドアルドは洗い残しが多かった為、適度に洗えるのがクライスだけという結果だった。サリタニアは経験を積めば問題なく出来そうだが、エドアルドはものを綺麗にするという事が苦手そうだ。
(そういえば、料理は出来るかもってクライスさん言ってたっけ…)
夕食は調理を手伝ってもらうのも良いかもしれない。そんな事を考えているうちに片付けが終わったので、先程の汚れ布と火打石を木桶に入れてお風呂場へ向かう事にした。
お風呂場は宿の裏手にある。厩舎からは見えないように木の板の壁が作ってあり、その壁に付けられた簡易扉をくぐると小さな小屋が建っている。その小屋の中がお風呂だ。
「ひとつの建物になっているのか」
「お客様には時間制で予約をしていただいて、個人かグループ毎に入っていただけるように別棟にしてあるんです。一度に3人くらいまででしたら入れますよ」
小屋の鍵を開けて中に案内する。扉を開くとすぐに脱衣所になっており、その先に水場へ続く扉がまたあるのでそちらも開けて案内すると、サリタニアが「わぁ!」と感嘆の声を上げた。
「広いですね!みんなで入ったら楽しそう!」
「姫様、みんなで、は勘弁してくださいね。流石に陛下に殺されてしまいます」
「誰もクライスとなんて言ってません」
入って左側に大きめの長方形のバスタブが置いてあり、バスタブと同じくらいの広さのスペースが右にある。そのスペースの端に、バスタブに向かってパイプが伸びている、腰くらいの高さの窯型の装置が置いてある。
「この装置の下にある窯の中で火を起こすと、このパイプからお湯が出てきます」
クライスに装置を提示すると、ふむ、と装置の周りを観察し始めた。
「ものすごく複雑な魔石術が組み込まれているようですね」
「魔石術…ですか?」
「火を付けてみても?」
「あ、はい」
ずっと使っていたこの装置がまさか魔石術だとは。キッチンから持ってきた古布を既に薪の入っている窯に入れて、その上から先程通りがけに厩舎から拾ってきた乾いた藁をかけ火打石で火を付けていると、エドアルドが「やろうか?」と申し出てくれた。
「待てエディ、とりあえずいつも通りの状況が見たい」
「わかってるよ。火打ちを変わるだけだ」
「カティア、エディは火の魔術が得意なんですよ。魔法も火の力を使うので、それはもう力強くて美しいのです」
2人の会話がわからずにいると、サリタニアが教えてくれた。
「カティアさんは魔術は使えないのか?」
慣れた手つきで手早く火を起こしてくれたエドアルドか訊いてきた。
「はい、火でも起こせれば色々と楽になるんでしょうが…」
祖母もまったく使えなかったので、残念ながら家系なのだろう。
「ではこれからは火を起こすのは俺がやろう。魔術でも良いし、魔術がよくないところであれば火打ちも慣れているからな」
「ありがとうございます。助かります」
私達がそんな会話をしながら待っていると、クライスから「うーーん」という声が漏れてきた。何か問題でもあっただろうか。
「どうしました?」
「いや、これすごいですね。ぱっと見ただけではどうなっているのかさっぱりわかりません。これが量産出来るなら、国民の生活がだいぶ良くなると思ったのですが…」
「クライス、ここ、火が燃えているのに熱くありませんよ」
「そうなんですよ。火を起こした瞬間にその熱を周りには放熱せずに水に伝えてお湯にしてるんですよ。しかも適温で。更に水は…これ地下から組み上げているのか…?そもそもこんな持続力を持った魔石があるのか?排水はここか…これは特に魔石は使われてないな…こっちは…」
ぶつぶつと考察モードに入ってしまったクライスを3人で見つめる。話しかけない方が良いのか、どうしたものかと何も出来ずにいるとばっと俯いていた顔を上げてこちらをまっすぐに見てきた。心なしかいつもより目がキラキラしている気がする。
「カティアさん」
「はい」
「決して壊しませんし、使ってない時で構いませんので滞在期間中にこの装置を研究させていただけませんか?」
「あ、はい、それくらいでしたらご自由にどうぞ」
「ありがとう!」
物腰が柔らかいクライスには珍しく勢いがある。だが彼には先日から何度もお礼を言われているが、そのどれよりも心からの言葉に感じた。失礼ながら、少しかわいくも思えてしまった。あれだけ綺麗な魔石術を使えるクライスの事だから、きっと複雑な魔石術が組み込まれているというこの装置に興味津々なのだろう。
「ではここの鍵はクライスさんに預けておきますね」
「良いのですか?」
「宿泊のお客様がいらしたら、一旦返していただければ大丈夫です。研究ってひらめきとかタイミングが大事なのでしょう?思いついた時にすぐにここに来れる方が良いと思いまして。私達がお風呂を使う時はクライスさんから鍵をお借りしますね」
「…カティアさんのお心遣いに心から感謝します」
いつもの綺麗な笑顔ではなく、少しふにゃっとした様な笑みに少しだけドキリとしてしまった。
「クライス、研究に没頭して他を疎かにするなよ」
「もう子供じゃないんだからするわけないだろう」
エドアルドに頭をくしゃっとされてそう答えるクライスはいつもより子供っぽく見えて、サリタニアと目を合わせてクスクスと笑ってしまった。というか子供の時は没頭して他が見えなくなるタイプだったのだろうか。
「…失礼しました。では、鍵はありがたく大切にお預かりしますね」
クライスに鍵を渡すと、彼は腰のポーチから巾着を取り出し、そこに鍵を丁寧にしまった。しまうという事はすぐに使うつもりはないのだろう。私はここではあまり役に立てなさそうなので邪魔にならないようにお暇しよう。
「では私は宿の方に戻りますので、何かあれば呼んでくださいね」
「あ…あはは、お恥ずかしい。すみません、私も一緒に戻ります」
どうやら無意識だったようだ。先程、他を疎かにしないと言ったばかりな手前、笑みながらもバツが悪そうな顔になっている。戻ったところで急ぎの仕事もないので、ここにいてもらっても構わないのだけれど、それも逆に気を遣わせてしまうだろうか。
「この装置、私が知っている限りでは20年近くメンテナンスしてないんです。クライスさんが調子を見てくださったらとても助かるのですが…」
クライスは一瞬目を見開いたあと「カティアさんには敵いませんね」と苦笑いをしながら軽い溜息をついた。
「承りました。ではメンテナンスに向けてもう少しこの装置の様子を見ても?」
「是非お願いします」
にこりと笑ってお願いする。メンテナンスをして欲しいのは正直な気持ちだ。
「クライス、私もなるべく手伝います。国を上げての事業になるかもしれませんから理解しておきたいです」
「姫様は魔石術の成績はよろしかったですね、是非ともお願いします」
「火が必要な時は呼んでくれ、他はあまり役に立てなさそうだが」
「魔術で火を起こした場合もそのうち検証したいからその時は頼む」
装置の周りに集まった3人はまるで兄弟のようで、見ていてとても微笑ましかった。
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