10. 雨季前の午後
お湯の装置をクライスに預けて、サリタニアとエドアルドを連れて厩舎に向かった。サリタニアは装置の研究に残っても構わないと言ったのだが、まだ何もわかっていない状態なのでこちらの仕事を見ておきたいらしい。
「もうそろそろ、ここにある土嚢を宿の入口近くに置いておこうかと思います。おそらくあと2、3日で本格的な雨季に入りますので」
「こちらは雨はひどいのですか?」
「そうですね、雨自体は普通だと思うのですが、長く降り続くので、整備されていない森の道は使えなくなってしまいます。土もだいぶ柔らかくなるので、念の為入口には土嚢を置いてるんです」
この宿に雨季には人が来ない理由だ。街から街道が続くこの宿までは辿り着けるのだか、森に入ると自然の道しかない。村々に続く道は先人達が長年通う事である程度通りやすくはなっているが、雨が降ってしまえば一気にぬかるんで歩けなくなってしまう。
「では森の先の村々は雨季の間の生活が大変ですね…」
「そうですね。行商人が来れなくなってしまうので、必要なものはその前に揃えて備蓄しておくみたいです。うちも、先日村から野菜を届けてもらったので、それで雨季を凌ぎます」
「私達が来てしまったことで備蓄は大丈夫ですか?」
「城からもいただいたので心配ありませんよ」
閑散期とはいえ、万が一お客様が来た時の備えはしてあるので問題ない。そう答えるとサリタニアはほっとした笑顔を浮かべるが、すぐに真面目な顔になって「これは大きな問題点ですね」と独り言のように呟いた。
「カティアさん、これいくつ持っていくんだ?」
「そうですね、5つくらいあれば十分です。浸水ではなく泥はねを避ける為なので」
ではこれを、と一つ渡される。持てはするが、地面から持ち上げるのが少し大変なのでありがたい。エドアルドは次に土嚢をひょいと持ち上げて小脇に抱えた。と思ったらもう一つ取り、さすが騎士様両手で持っていけるんだ…と思ったらそれも一つ目と同じ方に抱え、びっくりして見ていると今度は二つまとめて持ち上げあっという間に両腕で4つの土嚢を持ってしまった。
「お、重くないですか?」
「普段運んでいる剣などに比べたら全然軽いから大丈夫だ」
「エディ!私も持ちます!」
「姫様には無理です」
確かに、私でも結構重い。私より体が小さく、おそらく力仕事はしてこなかったであろう腕では持てないと思う。というか危ない。この土嚢、足に落とすと結構痛いのだ。ぴしゃりとエドアルドに断られたサリタニアはしょんぼりとしている。
「ターニャ、私と半分ずつ持ってくれたら助かります」
私の提案に、サリタニアはぱぁっと顔を上げた。村の子供と同じ反応が、一緒にしては失礼だがとてもかわいい。
「ではこちら側を持ちますね」
「はい、お願いします」
3人で土嚢を運びながら、エプロンが必要だなと気付いた。みんな平民らしい装いをしてはいるが、どれもきっとそれなりに値がはるものだろう。ドレスや礼服に比べたら、安物なのかもしれないが、目の前で仕立の良い服がどんどんと汚れていくのは私の精神が保たなさそうだ。
「よい…しょ」
まだ雨は来ていないので、入口の脇に土嚢を積んでおくことにした。往復するつもりがあっという間に終わってしまった、いやー男手ってすごい。ありがたい。
「次は何をするの?」
雨の前の対策は少し前からしていたので、これでほぼ終わってしまった。いつもはお客様がいれば、午後は夕飯の仕込みをするが、いなければ繕いものをしたり、飾り棚に置く花瓶を整えたりする。今の最優先はエプロン造りだろう。
「私は夕食の支度まで繕いものをするので、あとは各自自由時間にしましょうか。休憩も必要かと思いますし、雨が降る前にここの周りを散策してみるのも良いかと思います」
「それはありがたい。クライスから簡単に聞いてはいたが、周りの様子は自分で確認したかったんだ」
護衛に必要な事なのだろう。あ、でもエドアルドが離れている間はクライスにこちらに戻ってきてもらわなければならないだろうか。
「行ってきて良いですよ、エディ。私はここでカティアの繕いものを手伝いますから」
「ではクライスを呼んできます」
「いえ、何かあればすぐに駆けつけられる距離ですから問題ありません。ここでの暮らしで、クライスとエディに常に付いていてもらわなければいけないようでしたら色々と不都合も出るでしょう?」
「しかし…」
そういえば、王族と扱うべきはサリタニアの命だけ、と言っていた。確かに平民は護衛などつけてはいないが、これはそれにあたるものではないのだろうか。
「カティアは今までずっとここに住んでいたのです。カティアに傷はありますか?危険を察知できるよう常に気を張っていますか?この宿の中で護衛が必要と判断するのはカティアに失礼ですよ」
宿屋兼自宅なので、確かに言われた通りなのだが、エドアルドの気持ちもものすごくわかる。これは姫と護衛騎士の問題なので私からは何も言えない。
「エディの気持ちはありがたく受け取ります。それがエディの仕事というのもわかっています。なので今後はこのようなルールにしましょう、宿屋の敷地に二人がどちらもいなくなるのはダメです。敷地内にどちらか一人がいて、わたくしの側にいない時はわたくしはこの建物から外には出ません。そして他の人と関わる時は必ず一人にはならないと誓います。そうでもしないと、あなたたち休憩はおろか宿の仕事も碌に出来ませんよ?」
いやそこは護衛を優先していただいて構わないのですが…。だがサリタニアは先程までのころころと変わる年相応の少女の顔ではなく、エドアルドの主としての顔をしていたので、私は見守るしか出来なかった。
「…承知しました」
エドアルドも主の顔をしたサリタニアには言い返せないようで、眉間に少し皺を寄せながらも承諾した。私もお客様がいる時はサリタニアが一人にならないよう気をつけよう。基本的には気の良い商人達だが、時々お酒が入ったりすると扱いが大変になる人もいるのだ。
一度部屋に戻り外套を羽織って来たエドアルドに周辺の事を簡単に伝えて見送り、私も受付カウンターの奥にある倉庫から布を持ってきてテーブルに並べた。街で買うこともあるが、エプロンや布巾などの消耗品は基本的に自分で作るので布のストックは沢山している。白が多めだが、それだとつまらないので、あまり使わないが淡い色の付いた布もいくつか用意してある。
「ターニャはどの色が好きですか?」
朝着ていたピンクもとても似合っていたが、瞳と同じ色のグリーン系も似合うだろうし、ブルー系も清楚で良いと思う。
「私はピンクが好きですが、どうして?」
「エプロンを作ろうかと思って」
そう伝えると、サリタニアの顔が先程と同じようにぱっと笑顔になった。
「お揃いを着れるのですか!?」
お揃いのつもりはなかったがお揃いをご所望らしい。
「侍女達がお揃いの髪留めを着けたりしていて羨ましかったのです!わたくしも、とお願いしたのですが主と従者が同じものを着けてはいけませんと言われてしまったので、憧れだったのです!」
その話を聞いてしまうと私がお揃いのエプロンを着けるのは不敬すぎると思うのだが、興奮して「わたくし」に戻ってしまいながらキラキラとした瞳でそんな事を言われてしまっては断れない。後で一応クライスに問題ないかどうか確認しよう。
「お揃いでしたらカティアも似合う色が良いですよね。あ、宿屋のイメージカラーなどはありますか?」
どうやら新しく制服エプロンを作ることになるらしい。布を手に取り見比べているサリタニアがとてもかわいいので邪魔にならない程度にフリルなどの装飾も付けようとこっそり心に決めた。
「宿屋のカラーはないですが、クライスさんとエドアルドさんもお揃いで着るならピンクはかわいすぎてしまうかもしれないですね」
「いえ、意外と似合うかもしれませんよ?」
ピンクのフリフリエプロンを着た二人を思い浮かべる。サリタニアも同じように想像したのだろう、ふと目が合って思わず二人して笑いが込み上げてきてしまった。
二人してああでもないこうでもないと色やデザインを話し合い、小一時間ほど話していただろうか、エドアルドが帰って来たタイミングでやっと決まった。結局、サリタニアがピンクが捨てがたいということで、基本的な形をお揃いにして女性はピンク、男性はグリーンを着てもらい、みんなでお揃いの刺繍を胸元にすることになった。刺繍はサリタニアが得意なので刺してくれるらしい。
エドアルドに続いてクライスも戻ってきたが、テーブルに広げられた布の山に「同じような景色を城で見ましたね…」と溜息をついていた。侍女の方達の事だろうか。
「姫様は本当に女性たらしですねぇ」
「どういう意味です」
「何でしょうね、女性は人形遊びで育つからでしょうか」
なるほど、侍女の皆様もサリタニアに着せる服で盛り上がっていたらしい。クライスのいう人形遊びのような感覚は、失礼だが合っているかもしれない。だってかわいいんだもの。だがエプロンはサリタニアの為だけではない。
「クライスさん達の分もあるんですよ?」
「え…?着るんですか?そのフリルを…?」
クライスが指差した先に、デザインを考えている時のサンプルに作った、簡単に布を寄せてマチ針で留めただけのフリルの切れ端があった。エドアルドも覗き込んできて嫌そうな顔をしている。
「いえ、男性はもっとシンプルなのにしますが…」
「あぁ良かったです。流石に着こなせる自信がありませんでしたから」
着こなせそうな気はするが口には出さずに、「リクエストがあれば今のうちに言って下さいね」とだけ伝えた。
「作っていただけるだけてありがたいです。思い至らずすみません。持ってくれば良かったですね」
「持ってきたらお揃いではなくなってしまうではないですか」
「何と、姫様とお揃いを着れるのですか。それはまた光栄の極みですね」
どうやらクライス達も私もお揃いを着ても問題ないようだ。
二人とも戻ってきたので、お茶を淹れて一息つくことにした。クライスが淹れてくれると言うので、お言葉に甘える。人が淹れてくれたお茶を飲むのは久しぶりだ。食器の置き場や火の入れ方を伝えてキッチンを任せ、私とサリタニアでテーブルを片付けていると、ティーポットと空のカップを持ったクライスがキッチンから出てきた。
「茶葉を拝見しましたら、香りが広がるものでしたので、こちらで淹れさせていただこうかと」
さすが貴族、と感心していると、席を勧められたので着席する。全員が着席したことを見届けるとクライスはカップに紅茶を淹れ始めた。言ったとおり、良い香りがふわりと部屋に広がる。
「どうぞ」
コトリと置かれたカップに口を付けると、ふわりと更に香りが広がった。とても美味しい。紅茶の淹れ方は祖母にだいぶ鍛えられていると思っていたが上には上がいると実感した。
「とても美味しいです」
「やっぱりみんなで飲むと美味しいですね」
少し悔しい気もしたが、素直に感想を言うと、サリタニアが満面の笑みでそう相鎚をうった。
「姫様によるとそういう事みたいです。カップに注ぐ時の香りは加わりましたが、味については最初にカティアさんが私に出してくれたものとそう変わりありませんよ」
確かに、誰かとゆっくりお茶を飲むなんていつ以来だろう。もう何年もしていない気がする。こんなところでも心地良さを感じてしまうと、元の生活に戻れるだろうかと小さく不安が湧き上がってくるが、今はこのお茶の時間をきちんと楽しもうと、2口目を口にした。
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