4. 少女の来訪

 クライスの訪問から2日後の朝。準備を終えた私は最終チェックをしていた。

 ベッドの移動はお言葉に甘えてそのままに、掃除だけいつも通り済ませた。今日は曇り空なので、レースのカーテンも一緒にタッセルで留めて、カーテン上部の内側を少し引っ張り下の方に斜めにドレープを作ってある。少しは見映えが良くなるだろう。クローゼットには普段より多めにハンガーを用意した。他に部屋に必要なものがあれば後で希望を聞けば良い。2日前と違う部屋にしてしまえばクライスの事前確認が無駄になる。

 1階には4人でゆったりお茶を飲みながら話せるようにテーブルをセッティングし、クッキーも昨夜のうちに焼いた。できる限りのことはしたはずだ。

 よし、と確認を終えると受け付けテーブルについて3人を待った。すると、窓の外がほのかに明るく光り始めた。きっと転移馬車だろう。しばらくすると光がおさまり、話し声が近づいてきた。


「こんにちは、カティアさん」


 今日は襟付きの服を着ているクライスがまず入ってきた。襟付きではあるがタイなしにノーカラーのジャケットと、相変わらずラフではある。チャコールグレーのジャケットは先日と同様に品が良い。


「こんにちは、クライスさん。ようこそお越しくださいました。」


 クライスと挨拶を交わすと、後ろから続けて私より2、3歳歳下だろうか、肩より少し長い金色の髪をふわふわと揺らした15歳くらいの少女が、一目で貴族とわかる品のある歩き方で入ってきた。


(いやまって金色の髪!?)


「お初にお目にかかります。わたくしはサリタニア・エメ・ファレスと申します」

「は…」


 驚きすぎて言葉が出てこない。金色の髪は王族の印である。王族と認められた者が持つ魔力の質がそうさせるらしいと昔宿泊客の商人に聞いた。ファミリーネームもファレスである。もう疑いようもない。クライスの行動と転移馬車などから高位の貴族様ではないかと覚悟していたが、お姫様だなんて聞いてない。


「さすがに笑顔で躱せませんでしたか」


 楽しそうに笑うクライスを睨みつけてやりたい気持ちもあったが、それよりもどうしたら良いかわからなくて助けを求めて情けない顔を向けると、姫は綺麗な緑色の瞳を真っ直ぐに私に向けてきた。


「驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、どうぞ楽になさってください。わたくしはあなた様にお願いをしにきた立場なのです。クライスも随分カティア様に気を許しているのですね。でも失礼ですよ。」


 私は代わりにクライスを睨んでくれた姫を見ながら、僅かに残った冷静さを掻き集めて跪いた。


「し…失礼いたしました!私はこの宿の主をしておりますカティア・ラズリと申します」

「もう、楽にしてくださいと言ったではないですか」


 そう言いながら私の手を取り立たせようとする姫に困り果ててクライスを見ると、彼はまだにこにこと良い笑顔を浮かべていた。


「姫様の言うとおりに。こう見えて頑固ですから」


 クライスは全方向に失礼なのだろうか。仕方なく立ち上がると、姫はにこりと微笑んでありがとう、と私の手に添えた手をぎゅ、と優しく握った後、後ろに控えるもう一人の青年の方を向いた。


「エディもご挨拶を」

「はじめまして、エドアルド・ロッソ・ルベライトと申します。姫様の護衛をしております。エディと呼んでいただければと。」

「カティア・ラズリです。よろしくお願いいたします」


 エドアルドは黒に近い青みがかった短い髪を後ろに撫でつけ、赤とも黒ともつかない深い瞳を持った切れ長の目をした、一見怖そうな青年だったが、自己紹介時には穏やかな笑みを浮かべてくれた。


(お姫様の護衛ということは、騎士様なのかな…?)


 ちなみに、エドアルドも帯刀はしているが、クライスと同様にラフな格好である。姫も、仕立の良い服ではあるがドレスというわけではない。こちらのことを考えてその格好で来てくれたのだろうか。


「それでは私も改めまして、クライスと申します。姫様の側近を命ぜられております。家名は…カティアさんが萎縮してしまいそうなのでこれ以上はやめておきましょうか」

「その方が怖いですが…」


 こんな人里離れた宿屋で育った私が貴族の家名など詳しいはずがないので、教えてもらってもそうでなくても変わらないが、クライスが笑みを絶やさないので、不穏な空気を感じてそれ以上踏み込まないように席を勧める。


「立ち話も申し訳ないですから、こちらへどうぞ。今お茶を淹れますので」

「まぁ、嬉しいです。ありがとう」


 キッチンへ入り、こっそりふぅーと息を吐いた。緊張なんてもんじゃない。王族なんて、平民がこんな風に話をして良い方達ではないのだ。お茶を淹れながら落ち着け、落ち着けと自分を奮い立たせる。ここまで来たら失礼のないようにするしかない。

 お茶を4杯淹れテーブルへ戻ると、姫一人が席につき、青年二人は側に立っていた。


『あ…』


 クライスと私が同時に声をあげる。


「すみません、淹れなおしてきます!」


 やってしまった。王族だろうが貴族だろうが、主と従者が同じテーブルにつくわけないではないか。ましてや私まで同じ席につこうとするなんて、知り合いとお茶するんじゃないんだから!

 恥ずかしくて熱くなった顔を見られたくなくて視線をそらしながら退場しようとするが、クライスがさっと近づいてきてお茶とクッキーを乗せたお盆を抑えて離さない。


「…姫様?よろしいですよね?」

「許します、ご厚意は素直に受け取るのがわたくしの従者のとるべき行動です。あなたたちもお座りなさいな」

「…と、いうことですのでカティアさんも一緒に皆さんでお茶をいただきましょう。この間頂いたお茶がとても美味しかったので今日もとても楽しみです」

「まぁ、そうなのですね。わたくしも早く頂きたいです」


 まだ少女だというのに、なんて出来た方なのだろう。私のミスを流して受け入れてくれる寛大さに泣きそうになりながら、それぞれの前にお茶とクッキーを置いて私も席についた。ちなみに、クライスとエドアルドは特に抵抗もないようでさっさと席についている。エドアルドが姫の隣に、クライスがエドアルドの前に座っていたので、私が姫の前に座る形になった。


「本当に良い香りですね。いただきます」

「姫様…」

「エディ、必要ありません」


(あ、毒見とかそういう…?)


 常識があまりにも違いすぎて、この姫でなければ私はきっと不敬罪で既に牢獄送りだろう。この後の本題がとても怖くなってきた。


「お菓子もいただいても?」

「も、もちろんです…!お口に合うかはわかりませんが…」

「いただきます…ふふ、とても優しい味がします。カティア様はお料理がお上手なのですね」

「きょ、恐縮です…」


 クツクツと横から堪えきれていない笑い声が聞こえるが気にしない。こういうところでは家名を聞かなかった事は正解かもしれない。エドアルドはクッキーが口に合ったのか、姫の3倍のスピードで食べ進め最後の1枚を手に取っていた。


「さて、美味しいお茶とお菓子も頂きましたし、そろそろ本題をお話させていただきますね」

「は、はい…」

「率直に申しますと、わたくしをここで修行させていただきたいのです」


 修行…?王族の、お姫様の修行とは…?理解が追いつかないという顔をしていたのだろう、姫はそれを受け止めにこりと笑い、一度小さく息を吸って続けた。


「父…ファレス国の国王はわたくしに命じました。国の西側の民の声を直接聞き、解決すべき問題を考えよ、と。それがわたくしの王族として、これから国政を担っていく者としての修行なのです」


 国の西側はこのあたりの森林地帯から国境近くの村のあたりまでで、ミゲルの村を含めて数カ所村が点在している。その村々に行く行商人がこの宿の主なお客様なのだ。


「民の話を直接聞くのは村に赴くのが一番早くはあるのですが、おそらくそれではわたくし相手に本心を話してくださらないと思うのです。ですので、わたくしを従業員としてこちらに置いていただきたいのです」


 いやいやいや、国民の話を聞きたいというのもそれが王族としての修行というのも理解できた。とても立派で素晴らしい考えだとは思う。けどなぜそれがこの宿の従業員ということになるのか。クライスは滞在と言っていたからてっきりお客様として扱うものだと思ってましたけれども!


「あの…宿をサリタニア殿下の活動拠点にしていただくのは問題ありませんが、いえ、そのご満足いただけるかどうかはわかりませんが…。しかし従業員というのは…」

「ただの宿泊客では民も心を開いてはくれないでしょう?わたくしはここの従業員になって平民に扮したいのです。友好な関係を築き正直な声を聞きたいのです。宿屋の従業員でしたら、就任の挨拶や食材の調達などで近くの村に行くでしょう?クライスによれば、近隣の住民もこちらに泊まりにくることもあるようではないですか」


 就任なんて大げさなもんじゃないし挨拶なんて普通は行かないけれど、キラキラとした姫の宝石の様な眼に見つめられながらでは簡単に違うとは言えない。確かに食材や資材は近隣の村から届けてもらっているので定期的に顔を合わせることは出来る。


「できる限りあなたに迷惑はかけません!」


 迷惑とかそういう問題じゃないんだよなぁ…と困り果てていると、「姫様、発言をお許しください」と声がかかった。


「カティアさん、姫様を王族としてどう思われますか」

「え…?と、すごくご立派な方だと思います。私の失態も許していただけて、お人柄も大変優しく、民の事も真摯に考えてくださって、国民としてとても誇らしく思います」

「ですよね。姫様、カティアさんは姫様に平民のふりをさせるのが申し訳ないのですよ。王族として認めてくださっているのです」

「わたくしが良いと言ってもですか?」

「では姫様は陛下が農作業をされていたらどう思われますか?」

「かっこいいと思います」

「と、いうことです。カティアさん」

「え…?」

「姫様にとって平民に扮して国を知るということはこの通り即答で格好良いという事なのですよ。なので折れてはくれませんか」


 なんだかものすごく言いくるめられている感がしなくもないが、元より私達平民にとって王族のお願いイコール命令なのだから、姫がそれで良いと言うのなら断る選択肢などないのだ。


「わかりました…では平民の従業員として滞在なさってください。実際に何をなさるかは…少し考えさせてください…」


 まさか掃除なんてさせる訳にはいかないし。


「ありがとう!ではこれからわたくしの事はターニャと呼んでくださいね」

「それは無理です…!」


 更にとんでもない要望に悲鳴をあげると、隣ではクライスが大笑いし、今までなりゆきを静かに見守っていたエドアルドまでもが顔を背けて肩を震わしていた。

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