森の宿のひみつごと
ぽいこ
1. クライスの来訪
緑多きファレス王国の中心から西に外れた森林地帯。
豊かな森から街道が繋がる広い平原との境にある1軒の宿屋、それが祖母が残してくれた私の居場所でした。
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「失礼、宿屋の主はいらっしゃるだろうか」
そう言って入ってきたのは、まっすぐで綺麗なベージュの髪を後ろに束ねた青年だった。襟のないシャツにジャケットとラフな格好ではあるが、シャツは仕立が良く、ジャケットはなかなか見ない深いモスグリーンで、品が良い。大きい商家、もしくは貴族の方ではないだろうか。
「はい、私がそうですが」
受付カウンターを拭いていた雑巾を置きそう言うと、彼は一瞬目を大きくした。(まぁ、そうなるよね)と思いながらもよくあることなので諦めて笑みを強くすると、慌てて謝罪してきた。
「まさかこんなお若い方だとは思わず、失礼いたしました」
「いえ、ここをよく知る方でないと皆さん同じような反応をされるので、お気になさらないでください」
社交辞令ではない。年若い女が宿屋の主だと知ればみんなそう思うのは当然で、諦めてはいるが、相手がそれを理由に失礼な態度をとったりしなければ別に腹が立つわけではない。
私の気持ちをわかってくれたのか、彼は一度眉尻を下げて笑むと、気を取り直したように手を胸に当てて真面目な顔になった。
「では改めまして。私はとあるお嬢様の従者で、クライスと申します。実はこの度お嬢様をこちらの宿に滞在させていただきたく、事前に私が様子を見に来た次第です。差し支えなければ、宿屋を見学させていただきたいのですが…」
「…見学、ですか?」
「そんな仰々しいものではなく、あくまで周りの環境や客層など、危険がないかを見させていただければと」
見学というか調査では。事前に従者が滞在先を調査って、この宿屋に泊まらせて良い身分の人なのだろうか。
「見ていただくのは構いませんが、ここは商人の方が主なお客様なので、お嬢様と呼ばれる方を十分におもてなし出来る設備はございませんよ?」
「構いません。お嬢様からは、こちらにいる間は平民と同様に扱うよう命じられております」
…なんだか事情がややこしそうなんですけど。でもこちらも客商売なので無碍にはできない。
「…わかりました。では、もう少ししたら今お泊りのお客様がお帰りになりますので、その後で良ければ宿の中をご案内します。閑散期なので、おそらく本日は他にお客様はいらっしゃらないと思いますので」
「助かります、ありがとう」
ほっとしたように微笑むクライスは、街のお嬢さん方なら5人に3人は落とせるんじゃないかと思わせる。私の趣味ではないけれど。
「それまで、こちらでお寛ぎください。今お茶をお持ちしますので」
宿屋1階には宿泊部屋はなく、受付カウンターの周りにテーブルと椅子を何組か置いている。繁忙期は受付までに時間を取らせてしまうため、ここでお茶を出して旅の疲れを癒してもらう。
食事もここでとれるようにしている。宿泊客に出す食事は朝と夜。朝は一人用のバスケットに野菜やソーセージを挟んだパンなどを入れ、お茶を入れたポットと一緒に人数分各部屋に運んで部屋にあるカフェテーブルで食べてもらう。夜はメニューの中から好きなものを選んでもらうスタイルにしているので、1階のここを食堂代わりにしている。
クライスは一度全ての席を見回し、窓際の2人用のテーブルについた。
(あ、あそこは…しまった、あとで謝らないと)
クライスにお茶を出して、宿泊客が降りてくるのを掃除をしながら待つ。
掃除はお客様が触れる順にする。テーブルと椅子が最優先、次に受付カウンター、それから床を磨いて、窓や飾り棚を拭く。いつお客様が来ても良いように、祖母が決めたやり方だ。お客様が来て中断してしまった場合は夕食の片付けと一緒に続きをする。これもあまり掃除をしているところをお客様に見せないように、という祖母の教えである。クライスはイレギュラー対応なので、申し訳ないけれど掃除を優先させてもらう。
クライスが来るまでに受付カウンターは終わらせたので、次は床だ。モップを手にクライスがついているテーブルとは逆のエリアの床を半分ほど磨いたところで2階からパタンという音と足音が聞こえてきた。
「カティアちゃん、おはよう」
「おはようございます。ミゲルさん」
にこにこと笑顔を浮かべた、白髪の男性が降りてきて挨拶を交わす。私もモップを立て掛け、受付カウンターに戻る。
「昨日のミネストローネもとても美味しかったよ」
「ありがとうございます。祖母の味を知るミゲルさんにそう言っていただけて嬉しいです」
「もうエリザさんの腕を超えているかもなぁ。本格的な雨季が来る前に元気をもらえたよ。やっぱり季節の変わり目にはここのミネストローネを飲んで英気を養わないとね」
「いつもありがとうございます、村のみんなにも変わらず元気にやってますと伝えてください」
「ああ。カティアちゃんも困ったことがあればいつでも村に来るんだよ。あ、かっこいいお客さんが来てたことも伝えておくね」
「ミゲルさん…」
ぱちりとウインクをしながらそう言うミゲルに苦笑するしかない。本人に聞こえていない事を祈る。そんな会話をしながら宿帳にチェックアウトのサインをしてもらい、部屋の鍵を返してもらう。
「じゃあねまた来るよ、大雨には気をつけるんだよ」
「ミゲルさんも帰路お気をつけて!」
雨は昨晩止んだが、まだぬかるんでいる道を心配しながらミゲルを見送った。
どうか村までの道中穏やかでありますように。
(…さて!)
「お待たせしました、どちらからご案内しましょう?」
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