30. 花と約束
「おかえりなさい!…あら?」
宿に着くとサリタニアが目ざとく私達の手元に気付いた。屋根の下へと入った事で手を離した私達をいつもより2倍増しくらいにこにことしながら出迎えてくれる。
「おかげで濡れずに済みました。ありがとうございました」
サリタニアへの言い訳の代わりにクライスへお礼を告げる。クライスと目を合わせるのが気恥ずかしくて宿の中へ視線を移すと、サリタニアの肩越しにエドアルドと目が合った。私の顔が紅く、目が泳いでいる事に気付いたであろう彼は、荷物を片付けに中へと入るクライス達と入れ替わりに私の方へと近づいて小声で話しかけてきた。
「大丈夫か?」
「……駄目かもしれません」
「まぁ、その、カティアさんが口に出して伝えない限りは真実にはなりえないだろうから気楽に構えていればいいんじゃないか?」
ぽん、と肩を軽く叩いたエドアルドは何だか嬉しそうだ。
「カティアさん、指の治療をしてしまいましょう。エドアルド、薬を持ってきてくれ」
バスケットを置いたクライスはキッチンの入り口で手招きをしている。そうだ、出来るだけ早く染み抜きしなきゃ。
「何だ、カティアさん怪我してるのか?」
「ちょっと割れた石で切ってしまいまして」
「それは大変だ。待っててくれ、騎士団で使ってるよく効く薬を持ってきてやる」
ちょっと切っただけだからそんなによく効く薬じゃなくても平気なんですが…とは伝える暇もなく、エドアルドは足早に小屋へと向かってしまった。仕方ない、薬はありがたくいただこう、とにかく先にハンカチの染み抜きをしてしまおうとキッチンに向かおうとすると今度はサリタニアががしっと私の腕を両手で掴み、早足で引っ張っていく。
「怪我をしているなら何故早く言わないのですか。さぁ、傷口を洗いますよ」
「だ、大丈夫ですよ、ちょっと切っただけですから」
「駄目ですよ、少しの傷でもきちんと処置しなくては化膿してしまいます」
あれよあれよと言う間にハンカチも回収されてしまい腕を掴まれたまま傷口に水を当てられる。あ、ちょっと痛い。思ったよりグッサリ切れているようだ。
「止血は出来たようですね。綺麗に切れていますから、薬をきちんと塗って覆っておけばすぐに治りますよ」
乾いた血を流して改めて傷口を診たクライスの言葉にほっとして小さく息を吐く。これから繁忙期なのに指先に傷なんてあったら煩わしくて仕方ない。
「カティアさん、持ってきたぞ」
エドアルドは持ってきた薬をクライスに渡して、私はされるがままに薬を塗られ、一緒に持ってきてくれた包帯を指に巻かれた。痛いは痛いのだが、ちょっと切っただけなのに3人がかりで手厚い治療をされてしまった。
「今日一日はあまり水に濡らさないようにしてくださいね」
「はい。ありがとうございました」
傷口を濡らさない為に、池に持っていったティーセット等の洗い物はクライスに奪われてしまった。通り雨も止んだので、エドアルドは私達3人が宿にいるならと小屋の屋根修繕の為の木材を見繕いに森へ出てしまった。宿から出る事も出来なくなったので、サリタニアと私は花でいっぱいになったバスケットの方を担当する。片付けてあった花瓶をテーブルに持ってきてバスケットの中の花を布の上に広げた。
「わぁ、綺麗ですね」
「ターニャも花は好きですか」
「はい、大好きです!」
「では一緒に花瓶に分けていきましょう」
まずは花の根っこの部分をハサミで切り落としていく。花壇が空いていれば根っこを植えてもよかったのだが、薬草を植えてしまったので残念だが捨ててしまおう。散って花に付いてしまった土もはたいて綺麗な状態にしてから花瓶ごとに大まかに花を分ける。黄色と青の配分をどうしようかと考えながらの作業はとても楽しい。
「花瓶の高さに合わせて…そうですね、これくらい花瓶から出るようにすると安定するので、これくらいの長さで斜めに茎を切ってあげてください」
「斜めにですか?」
「はい。そうすると花がよく水を吸うので長持ちします」
「そうなのですね!折角綺麗なのですから、一日でも長く咲いてくれたら嬉しいですものね」
にこにこと楽しそうに茎を一本一本切っていくサリタニアを見て、私も包帯を汚さないように気をつけながら作業を進めた。
「そういえば、花冠は作ってもらいましたか?」
「花冠、ですか?」
「ええ。クライスは花冠を作るのが得意なのですよ」
意外すぎるが、器用なクライスの事だから、と納得出来る気もする。
「得意なのではありません。姫様にせがまれて覚えただけです」
洗い物を終えたクライスが花瓶に入れる水を持ってきてくれながら溜息を吐いた。花冠をせがむサリタニアというのがとてもかわいい。
「幼い頃の事ですが、私の誕生日には毎年クライスに花冠をお願いしていたのです。カティアのお誕生日はいつですか?」
「雨季前です。実はターニャ達が来た日が誕生日でした」
「まぁ!それは残念です…せっかく一緒にいたのに、お祝い出来なかったのですね…」
「今はもうターニャ達が来てくれた事が一番のプレゼントだと思ってますよ」
そう心から告げると、サリタニアは少し照れながらも、嬉しいです、と返してくれる。
「あ、それに美味しいワインも頂きましたね」
「実はあのワイン、過去あの日付に封をしたワインだったんですよ。姫様の第一歩を踏み出した日の祝酒用に持ってきていましたが、期せずしてカティアさんのお祝いにもぴったりでしたね」
「本当にとっても美味しかったです。何年物だったんですか?」
「確か、19年だったかと。店主に今あるものであの日付のものを、とお願いしたらその1本だけありました」
19年前のあの日付…ぴったり私の生まれた日に封がされたんだ。偶然とはいえ、そんな貴重なものをクライスと一緒に飲めていた事が嬉しい。
「それでも丁度その日付のものがあるなんてすごいです。王都の酒屋さんは色んなお酒があるんでしょうね」
「カティア、王都に行った事は?」
「残念ながらありません。私が知っているのは、街道の先の砦と、トマスさんが向かった街と、ゲイルがいる村だけです」
王都から来る行商人は時々いるが、ここからはだいぶ遠い事くらいしか知らない。きっと街なんか比べ物にならない程大きいのだろう。
「では、次の誕生日には花冠ではなく花束を持ってお誘いしますから、王都見学に行きましょうか」
「え…」
全く予想していなかった事を言われてクライスの方を見ると、うつむき加減で花瓶に水を入れながら話していて表情はわからなかった。真面目なお誘いとも冗談ともわからず返答しかねていると、視線を上げたクライスと目が合う。
「転移馬車でしたら一瞬で着きますから、日帰りで行けますよ。雨季前でも一日宿をお休みするのは難しいですか?」
「あ…えと、たぶん大丈夫です」
私が宿の心配をしているだろうと思ったようだ。具体的な内容に冗談ではないのだと分かり、心臓が跳ねる。私の返答にクライスは満足そうに微笑んでいる。
「まぁ素敵!デートのお約束ですね!」
「ターニャ!?」
「姫様…王都見学と申しているではないですか。物語に心躍らすのは構いませんが、従者を当てはめて遊ばれるのはおやめください」
従者が主に対してしてはいけないような不服そうな顔で睨むのは良いのだろうか。
「男性からお誘いして花束も渡して、デートではないと仰るの?」
主も主で負けじと言い返す。
「広義的にはデートと呼ばれる行為ですが、お互いの気持ちがあればこそかと」
「カティアはクライスとデートをするのは嫌ですか?」
「へ!?いや、えっと嫌ではないですがそもそもデートはお付き合いをされている方達がするものではないかと…」
火力の高い流れ弾が飛んできてしまったが何とか弾き返すと、サリタニアは不服そうに頬を少し膨らませた。可愛いがこの話題はもうこれで終わりにしていただきたい。
「ところで姫様、手が止まっておりますが」
クライスの指摘にサリタニアははっとして花の処理に戻った。クライスさんナイスです、と心の中で拍手を送る。
用意した花瓶分の花を切り終わり、クライスが水を入れてくれた花瓶にバランス良くなるように入れていくと丁度摘んで来た花が入りきった。
「余ったら花冠を作ってもらおうと思いましたのに、残念です」
「でしたらこれを」
流石に花冠を作るだけの花を抜いてしまうと花瓶一つ分足りなくなってしまうので難しいが、一本だけ抜いてサリタニアの低い位置でひとつ結びにしている髪留めに引っ掛けるように挿した。うん、可愛い、と満足したところで、以前からあった欲望がふつふつと膨れ上がってきた。
「あの、ターニャ、お願いがあるのですが…」
「何ですか?」
「明日から、髪を結ばせてもらえませんか?」
サリタニアは絶対高い位置で結んだほうが可愛い。何なら一つじゃなくて二つ結びが似合うと思う。編んでも可愛いと思う。
「カティアさん…」
今なら許されるのではないかと思い切って訊いてみたが、サリタニアではなくクライスからため息混じりの反応が返ってきた。
「あ、すみません…やっぱり失礼にあたりますか」
「いえ、そんな事は全くありません。姫様ももちろんよろしいですよね?」
「もちろんです!髪を結ぶのは難しいと思っていたので、嬉しいです。よろしくお願いしますね」
私の手をとってにこりと笑うサリタニアに安堵したが、ならなぜ溜息を吐かれたのだろうかとクライスを見ると、私の考えている事が伝わったのか肩をすくめて苦笑した。
「申し訳ありません。カティアさんに非はありませんよ。ただ、城で毎日姫様の御髪を整える為のじゃんけん大会が侍女達の間で行われているので、カティアさんも同類だったか、と少し呆れてしまっただけです」
その事実をサリタニアも知らなかったのか、私達は一瞬驚いて目を合わせ、それから私はふふ、と笑ってクライスを見た。
「男性にはこの楽しさがわからないんですね、ちょっとかわいそうです」
少しからかい気味にそう言うと、わざとらしい盛大な溜息が返ってきた。デートという言葉に少し慌てたが、いつも通りの会話が出来たことにほっとする。クライスに好意を向けられると嬉しい、優しくしてもらう度に心が跳ねる、それはもう認めよう。もうこの気持ちに気付いたばかりの時のような暗い感情だけではない。認めて向き合って、これからどうするか考えなければ。
森の宿のひみつごと ぽいこ @poyko
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