Epilogue

エピローグ

 八月十七日。夏休みだった。


 芙蓉ふようは、校舎の屋上で真夏まなつの空をながめている。雲一つない快晴で、絵の具で適当に塗りつぶしたかのごとく一面の青色だ。


 その横では、セーラー服を着たおさげの少女――理亜りあが、青い棒アイスをかじっていた。


「また外れた……」


 理亜がアイス棒を見て不満ふまんそうにつぶやいた。木の棒に『1本あたり』と書かれていれば、その棒を新しいアイスと交換してもらえる。何度もリピート購入こうにゅうをしているらしいが、芙蓉は彼女が当たりを引いているのを一度も見たことがない。


「あーあ。ひまだー!」


 芙蓉のとなりで、ぶーたれた理亜が残りのアイスをかじっている。


 今は午前十時くらいだったが、すでに気温は三十度を超えており、じりじりと肌を焼かれるような暑さになっていた。芙蓉はペットボトルのフタを開け、麦茶を飲んだ――ぬるい。少し前までキンキンに冷えていたのに。


「まさかここまで長引くとはねー。こうなったらもう、私も立派な椚木くぬぎ高校こうこうの生徒だよ」


 アイスを食べ終わった理亜が芙蓉に話しかけた。


「まあ、一連の案件も今日でおしまいかな」


「……ですかね」


 ぼんやりと青空を眺めながら、芙蓉が曖昧あいまいな返事をする。理亜は眉間みけんしわを寄せ、抗議こうぎの声を上げた。


「いつまで引きずってんだよー。アンニュイな感じ出しやがって」


「出してない」


「出してますう」


「出してない」


「だったらつまんなそうに空見んのやめろ! 隣にいる先輩をもっとかまえよー!」


 おさげ女子が芙蓉の肩をつかんでがくがくとゆすった。芙蓉はわずかに迷惑めいわくそうな表情を浮かべながらも、されるがままにマッシュ頭をぐらぐらとらしている。


 天の梯子はしごこわれてから一か月。


 もちろん、七彩ななせが帰ってくることなどあるはずもなかった。もうあきらめたと言えるほど割り切れているわけではなかったものの、それはそれとして芙蓉はいそがしい夏休みを送っている。


「今、どこにいるんだろうねえ」


 芙蓉をするのにきた理亜が、ぐでっとさくにもたれながらつぶやいた。


「さあ……情報部の人はなんか言ってました?」


「ううん、何も」


 XEDAゼダの本部もまだ七彩を捕捉ほそくできていないのか、それとも理亜には秘密にされているだけなのか。いずれにせよ、彼女を探す手がかりがないのは同じだった。


「どうしてるのかなあ。七彩ちゃんて、めっちゃ弱いんだよね?」


 もうXEDAに捕まってどこかに隔離かくりされていたり、もしくは悪意ある第三者に殺されたりしている可能性もなくはない。理亜はそのことを言っているのだ。


 見た目は派手はでだが、人格自体はどこにでもいる一般的な女の子。本当はわがままだけどみょう物分ものわかりが良くて、泣き虫な一面もある普通の高校生――それが白羽しらはね七彩ななせなのである。


 しかし芙蓉は、彼女が今も自由に過ごしているだろうと思っていた。


「なんとかしてますよ、きっと」


 彼女には彼女なりの事情があって、なんとかいをつけながら生きているに違いない。七彩にだって世界を変えるほどの力はなかった。だからこそ、この街をはなれることを決め、自分の力で進んでいくことにしたのだろう。


「そうだといいけど――」


『こちら“スケアクロウ”。出番だ“ルキフェル”、降りて来い』


 理亜の言葉をさえぎるように、二人のインカムに通信が入った。


「えー……こちら、『ルキフェル』。すぐ行きます」


 慣れないコールサインを口にしながら、芙蓉が屋上の柵から下をのぞむ。


『“トーチ”は待機。引き続き“宅配便”の到着を待て』


「『トーチ』了解」


 理亜が短く返事をすると、インカムから別の声が聞こえてきた。


『ヘイ、“トーチ”。お前のかわいいボーイフレンドはもらっていくぜ。追いかけようとして飛び降りたりするなよ』


「うっせー」


 うんざりした顔で理亜が返事をする。理亜と芙蓉は年齢ねんれいが近く、頻繁ひんぱんに行動を共にし、同じ高校の制服を着ている場合も多いため、よくこんな風にいじられる。いじられるだけで、付き合っているわけではない。


「じゃあ、お先に」


「芙蓉くんもなんか反応して!」


 平然へいぜんとその場をはなれようとした芙蓉を、理亜が引き止めた。彼女がからかわれるのは、ずっと一緒いっしょにいるのにまるで無関心むかんしんな芙蓉の態度たいどが原因だ。


「なんでいつもそんな無表情なの? もっとれたり微妙びみょうな空気になったりしよう? 割と悲しいんだからね、なんもなさすぎて」


 振り返った芙蓉が眉をひそめた。


「おいそこ! めんどくさそうな顔しない! そろそろ泣くよ? 泣くからね?」


「いってきます」


「逃げんなー!」


 アイスの棒を振り回してわめく先輩をおいて、芙蓉は柵を飛び越え、校舎の外へと身をおどらせた。


 重力に引かれ、風を切り、彼の身体は下へと落ちていく。そこに地面はなく、一面を白い雲がおおっていた。『異方いほう領域りょういき』――椚木くぬぎ高校の校舎は、雲の上に浮かんでいたのである。


 雲を突き抜けると、眼下には青空が広がっていた。ばさばさと制服を揺らした芙蓉は、青い空を真っ逆さまに飛んでいく。


「来い、“ガナンキャリバー”」


 その呼び声で、黒い躯体くたいが現れる。


 芙蓉はそれに同期すると、青一色の夏空へとどこまでも落ちていった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・ノート:https://kakuyomu.jp/users/kopaka/news/16818093089826344349

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る