4-2

「待ってください」


 言いかけた芙蓉ふようの言葉を、ギメルがさえぎった。


「先に、あなたの制圧せいあつ躯体くたいを見せてほしいです」


「いいけど、なんで?」


 プリズムキューブのペンダントを取り出してギメルに見せながら、芙蓉が聞いた。


「やはり、まだこわれてしまっていますね。ごめんなさい、壊したのはわたしですが……あなたが意志を通すのに、もう一度これが必要になるかもしれません。もしよければ、わたしにそれを修復しゅうふくさせていただけませんか」


 ギメルがそう言うと、芙蓉は目を丸くした。


「いいの? ロゴスは天使からしたら『違法いほう』な躯体くたいらしいし、昨日は僕たちが攻撃したからギメルもやり返しただけで」


「たしかに、この制圧躯体はいけません。恐らく、奇蹟きせき非正規ひせいき経路けいろ調達ちょうたつする複雑な機構きこうが組み込まれている。わたしであれば、その機構を解体することもできるでしょう」


「それは困る」


「はい、わかっています。ここでロゴスを取り上げてしまうのは不当ふとうだと、わたしは判断します。わたしたちの事情じじょうに巻き込まれていながら、自分の意志を通す力を失ってしまうから。あなたには『選択する力』が必要です」


 ギメルが優しげな微笑ほほえみを浮かべる。


「人間を助け、みちびくのも天使の役目なんです。芙蓉さんは誠実せいじつな方です。そんな人間が困っているなら、わたしは手を差し伸べる。一度は敵でしたが、わたしはそれを許します」


 彼女はあくまで公平だった。


 善なるものを救い、悪なるものをばっする――ギメルの行動がその規定ルールから外れることはない。彼女は損得そんとく勘定かんじょうを行動理由にはしないのだ。


「もちろん、天の梯子はしごこわそうとするのなら、残念ながらわたしの敵です。わたしは全霊ぜんれいをもって敵を排除はいじょするでしょう。その時はその時。今わたしが芙蓉さんを助けるのとは別のお話なんです」


「……わかった」


 優しい声色で告げたギメルの方に、芙蓉はプリズムキューブのペンダントを置いた。すると、彼女はそれを手に取ってじっと見つめた。


 ぐらり、と空間がらぐ。


 芙蓉はそれをた。事象じしょうレベルで、ギメルから膨大ぼうだいな情報の奔流ほんりゅうが〈ロゴス〉へと流れ込んでいく。彼女の保有する奇蹟きせきによって躯体は修復され、七彩ななせが設計途中で放棄ほうきした試作装備までもが形を成していった。


「終わりました」


 そう言うと、ギメルはふわりと笑った。


「芙蓉さんはわたしを信じてくれました。素直ないい子です。なので、ご褒美ほうびで少しおまけしておきました」


「ありがとう」


 礼を言いながら、芙蓉はプリズムキューブのペンダントを受け取った。ギメルをうたがっているわけではなかったが、〈ロゴス〉の基幹きかんシステムに手を加えられた形跡けいせきはなく、全体的にオーバーホールされているだけのようだ。彼女は本心から、芙蓉を助けたいと思っているらしい。


「さて、お待たせしました」


 ギメルが芙蓉の目を見て言った。


「ご期待に沿えるかはわかりませんが、芙蓉さんの質問にお答えします」


 知らず、芙蓉はごくりとつばむ。


「……ギメルとそっくりな、白羽しらはね七彩ななせっていう天使がいるんだけど、知ってる?」


「はい。完全にではありませんが、把握はあくはしています。天使アレフ、天使ベート、天使ギメル。一番目の天使アレフが、芙蓉さんの言う白羽七彩ですね」


 アレフ、ベート、ギメル。


 それはヘブライ数字の『一』、『二』、『三』にあたる。『ギメル』とは、『三番目』というシンプルなコードネームだったのである。


「僕は、二か月前まで七彩と付き合ってた」


「それは天使としての禁忌きんき抵触ていしょくしますが、わたしは許しましょう」


 言いながら、ギメルは少しだけ目を細めた。


「七彩は二か月前に失踪しっそうした。なんでいなくなったのか――いや」


 芙蓉はそこで一度言いよどんだが、無表情むひょうじょうたもったまま言葉を続けた。


「七彩は今、この街にいるのか、いないのか。それも教えて」


 ぽたり、ぽたりと、水滴すいてきが落ちる音がする。外は相変あいかわらずの雨模様あめもようで、灰色の空から透明なしずくが静かに降り注ぐ。景色はモノクロで、全てが色褪いろあせていた。


「……残念ながら」


 グレースケールの世界で、ギメルの金色のひとみだけがあざやかに発色している。その瞳が、ゆっくりとまばたきをした。


「天使アレフはこの街にはいません。これはわたしの直感のようなものですが、二か月前にこの街を去ったきり、彼女が帰ってきたことは一度もないと思います」


 ギメルが申し訳なさそうな顔をして言った。


 彼女の言葉を理解するのに、芙蓉はしばらくの時間をようした。ほら、だから聞かなければよかったのに――そんな幻聴げんちょうがどこからともなく聞こえてくる。


 けれど、まだできることはある。七彩がいないのは最初からわかっていたことだ。もっとくわしく事情を聞けば、再会する方法だって見つかるかもしれない。


 芙蓉は表情を強張こわばらせながらも、さらにギメルに問いかけた。


「じゃあ、なんで七彩が出ていったのか、わかる?」


「その説明は少し長くなります。なぜわたしが天使アレフと似ているのか。なぜこの世界に再び天の梯子はしごを建造できるのか」


 芙蓉はだまって彼女の言葉を聞いている。


 ギメルはそんな芙蓉を見返して、説明を始めた。


「実は、天使は現代においても普遍的ふへんてきに存在します。いえ、普遍的になりすぎた。イメージは拡散かくさんして、ほどけて、引きばされました。そうして『現代の』天使は、本来持っていた、人間世界に干渉かんしょうできる強大な影響力えいきょうりょくを失ってしまったんです」


 彼女が灰色の景色けしきに目を向ける。


「『現代の天使』は、様々なかたちをしています。人間の背中を少しだけ押す、ぼんやりとした温かさだったり。誰かにふとしたインスピレーションを与える声や影だったり。極端きょくたんな例だと、力を失って人間としてらしている天使だっています。ただ、誰もそれに気付かないだけなんです」


 ギメルが芙蓉へと視線しせんもどす。


「そんな『現代の天使』にも、ある共通点きょうつうてんがあります。それは、人間社会に大きな影響をおよぼすほどの力がない、ということです」


「じゃあ、七彩は?」


 白羽七彩も現代に生まれた天使だ。


 しかし彼女は奇蹟きせき行使こうしし、超常ちょうじょう現象げんしょうを引き起こす。〈ロゴス〉という武力で人間社会に干渉かんしょうすることができる。


「それが問題なんです。アレフは天使の使命しめいを持たず、天使の力だけを持った少女として発生してしまった。『力を持たない天使』ではなく、『使命を持たない天使』が、偶然ぐうぜん生まれてしまったんです」


 以前、七彩から同じ説明をけたことがある。『使命を持たない欠陥品けっかんひん』だから、七彩は命をねらわれることになったのだ。


「そしてその反動はんどうにより、アレフを修正するための天使が発生しました。いわばアレフの影。それが二番目の天使、ベートです」


「ああ……」


 天使ベート。


 実は、芙蓉と七彩は、高校一年の終わりごろにその天使と交戦して消滅しょうめつさせている。芙蓉にとっては天使というより、いけかない敵だった。何かにつけて七彩にちょっかいをかけてくる、生真面目きまじめそうなメガネの男であった。


「しかし、ベートもまた、問題のある天使でした。彼はアレフの『修正』を早々にあきらめて、その存在をなかったことにする選択をした。つまり、『排除はいじょ』です。ベートはそれを、虚像きょぞう天使てんしの自動生産機構きこうを作り上げることでそうとしました」


 忘却ぼうきゃく地区ちく――虚像天使をこの世界に馴染なじませるための生産システム。


 それを構築こうちくしたのが天使ベートだったのだ。


「でも、おかしいと思いませんか?」


「なにが?」


「本来、この世界に強い影響力えいきょうりょくを持つ天使は発生しません。アレフはとてもめずらしい事例じれいです。ベートはそれに引っ張られて発生しただけで、虚像とはいえ大量の天使を生産するのは本来ほんらい不可能ふかのうなんです」


「そうなんだ」


「そうなんです。天使が力を失ったこの世界に、力を持った天使を安定的に顕現けんげんさせる生産せいさん機構きこう――それをどうやって構築こうちくしたか、わかりますか?」


 ギメルの金色のひとみが、芙蓉を見つめる。


 答えあぐねた彼を見て、天使は説明を続けた。


「天使が力を失った一番の原因は、人間と天使の関係性が遠いものになったからです」


「人間が天使を必要としなくなったから?」


「その通りです。ですが、この街のとある場所だけは、再び人間と天使の関係性が近くなっていた。それがここです。この学校です」


「……!」


 七彩が友人を作り、積極的せっきょくてきに関係性をふかめた場所。


 『力を持った天使』が、人間との交流を深めた場所。


 それがこの椚木くぬぎ高校だ。


「ベートはそこに目を付けました。アレフが人間と仲良くなるという事象じしょうみずに、忘却地区から虚像天使が発生する機構きこうを完成させたんです」


「じゃあ、七彩が人間と仲良くなればなるほど――」


「はい。アレフがこの学校で過ごすことは、虚像天使たちが生産される直接的ちょくせつてきな原因となっていました」


 そこで一度言葉を切ったギメルは、少し言いよどんでから、説明を再開した。


「……そして、芙蓉さんとアレフが――白羽七彩が『恋人』関係になった。それを受けて、ベートは二人の関係性かんけいせいを利用することにしたのです。二人が親密しんみつになればなるほど、ベートの資源は潤沢じゅんたくになっていきました。忘却地区を安定化する聖域せいいき地区を作り、天と人間世界をつな梯子はしごの建造を進めました」


「僕と七彩が付き合ってたのが、その原因だった……」


「そうです。そして、ベートは二人の恋人関係を利用した新しい機構きこうを設計していました。それは、『二千年以上前と同等の影響力えいきょうりょくを持った天使』を自動的に発生させる機構きこうです」


 強大きょうだいな影響力を持つ天使――古代の天使。


 つまり、非力ひりきな現代の天使ではない『本物の天使』のことだ。


「もちろん、この現代において、古代の天使を発生させるのは困難こんなんです。そこでベートは、ある方法を思いつきました」


「ある方法って?」


複製ふくせい――コピー、です」


 ギメルが言った。


 芙蓉はそれで、彼女の言いたいことのさっしがついた。


「つまり、その『コピーシステム』を使って、七彩のコピーであるギメルが生まれた」


「……はい。ベートはもういませんが、その機構システム稼働かどうし続けた。七彩はこの街からいなくなりましたが、それだけでは不十分だったんです。だって、芙蓉さんがずっと七彩のことをおもっていたんですから。そうして二か月がぎ、三番目の天使ギメルが生まれたんです」


 ギメルが顔を上げ、芙蓉を見た。


「七彩は優秀ゆうしゅうな天使でした。天使としての使命を持たないだけで、その事象じしょう操作そうさ能力は古代の天使に匹敵ひってきします。わたしは、七彩と全く同じ性能を引きいでいます。違いは、天使としての使命を持つか、持たないか。それだけなんです」


「でも、七彩はギメルほど強くなかった。めちゃくちゃ運動オンチで、ロゴスに乗っても虚像天使に負けそうになってたし」


「いえ……わたしも同じです。わたしもきっと『めちゃくちゃ運動オンチ』です。同じ条件でロゴスを使ったら、虚像天使に勝てるかどうか」


「じゃあ、なんであんなに強かったの?」


「それはわたしの制圧躯体の性能です。わたしは七彩と違って、膨大ぼうだい奇蹟きせきが使えますから……逆に言えば、あの制圧躯体はすごく『燃費ねんぴ』が悪い。動かすのにすら、とても沢山の奇蹟きせきが必要です。こわれた躯体を修復しゅうふくするのも大変で、一時的に虚像天使の発生を停止しないといけません」


 そう言われて、ギメルとの戦闘を思い出した。


 あの時一対一の状況じょうきょうになったのは、ギメルの制圧躯体を修理するために莫大ばくだいなリソースをついやしたからなのだろう。


「わたしには、芙蓉さんのような恐れ知らずの度胸どきょうも、リア・エバンスさんのような卓越たくえつした戦闘術もありませんから」


 言った後で、ギメルがあわてた様子で付け足した。


「すみません、話がれてしまいました」


「いや、大丈夫。だいたいわかった。僕と七彩が一緒にいると、ベートが作ったシステムのせいで天使が生まれる。だから七彩はいなくなった」


「……はい。二か月前の時点で、わたしは完成しかけていました。それに気付いた七彩は、あわててこの街からはなれた。恐らく、一刻いっこく猶予ゆうよもなかったんだと思います。でもそれは応急おうきゅう処置しょちに過ぎなくて、結局けっきょく天使ギメルは完成してしまった」


 ギメルが困ったように肩をすぼめる。


 芙蓉はほとんど表情を変化させなかったが、内心ではまとまらない思考がぐるぐると渦巻うずまいていた。どうして相談してくれなかったのか。何かできることはなかったのか。今からでも、彼女を取り戻すことはできないのか。


「ギメル」


 芙蓉が顔を上げる。


「なんとかして、七彩の居場所いばしょを探せない? 今からそこに行く」


「えっ、と……」


 身を乗り出した芙蓉が言うと、ギメルが手を組んでだまり込む。彼女は数秒ほどそうしていたが、ふいに肩を落とし上目うわめがちに芙蓉を見た。


「ごめんなさい。今は難しいみたいです……でも、もし天の梯子はしごが完成すれば、天使の力を使って探せるかと――」


「だったら僕も手伝う」


「え?」


 芙蓉が立ち上がり、ギメルの目を見て言った。


「なんでも手伝うよ。なにかできることはない?」


「……本当ですか?」


 ギメルがぱあっと明るい表情を浮かべて、芙蓉の手を取る。彼女は「では……」と言いかけたが、あわてた様子でその手をはなした。


「芙蓉さん、ダメです。一旦いったん落ち着いてください。今否定すればまだ間に合います」


「どういうこと?」


「とにかく、いまの言葉を取り消して――」


 彼女がそこまで言ったとき、芙蓉のポケット内のスマホが振動しんどうを始めた。


「……ごめん、待って」


 ギメルと話している間も数分おきに何かしらの通知がきていた。今までそれを無視むしし続けていたら、今度は通話がかかってきたのだ。数秒たった今でも、スマホは規則的きそくてき振動しんどうし続けている。


 芙蓉がポケットからスマホを取り出す。その画面には、


間遠けんどう 理亜りあ


 と表示されていた。


「……!」


 ギメルがハッとして窓の外を見た。それにつられて、芙蓉も同じ方向を見る。


 外に広がる灰色の景色。


 椚木くぬぎ高校の正門前。さめざめと雨が降る、アスファルトの路地。


 そこに、完全武装ぶそう状態じょうたいの〈XM17アーヴィン〉が仁王立におうだちしていた。

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