EP4: angel side.

4-1

 窓際まどぎわの席にこしかけて、銀髪ぎんぱつの天使が楽しげに歌っていた。


 彼女の名前は白羽しらはね七彩ななせ銀髪ぎんぱつ金眼きんがんの美少女であり、本物の天使だ。しかし、学校指定の赤ジャージを着て、上履うわばきの両足をぶらぶらとらしている姿は、天使と言うより無垢むくな少女のようだった。


「わたしね、ヒトが好きなの」


 七彩ななせが言った。


 まどからは夕暮ゆうぐれの光が差し込んで、教室は茜色あかねいろに染まっていた。七彩の銀髪も、オレンジ色の光を受けてきらきらと美しくかがやいている。


 彼女は無邪気むじゃきな笑顔を浮かべて、こう続けた。


「ヒトが好き。ヒトの世界が好き。ヒトが作ったものが好き。社会も、文化も、芸術もスポーツも。全部楽しそう。全部体験たいけんしてみたい」


 うれしそうに言った七彩ななせは、再び両足をらして歌い始める。彼女が口ずさんでいる歌は、大人気ドラマの主題歌しゅだいかにもなった、今流行はやりのポップスだ。


 ジャージを着て、教室でJポップを歌う女子高生の天使。それが微笑ほほえましくて、芙蓉ふようは少しだけ笑った。白羽七彩は、本当にヒトの世界を愛していたのだ。



   *****



 窓の外では、さめざめと雨がっている。


 七月十八日、土曜日の正午しょうご椚木くぬぎ高校には誰もいなかった。休日だから生徒がいないのは当たり前だが、それ以前に、警備員けいびいん守衛しゅえいすら一人もいなかったのだ。


 校舎にいるのは二人だけ――芙蓉ふようとギメルである。


 七彩ななせとそっくりの天使は、奇蹟きせきを使って学校全体を完全に無人にしたらしい。芙蓉が話しやすい環境かんきょうを用意したとのことだが、親切にしてもやりすぎだった。いつも通っている学校が、今日はまるで廃墟はいきょのようだ。


 窓際の机を二つくっつけて、芙蓉とギメルは向かい合って座っている。


 教室の電気はついていない。ギメルは知ってか知らずかスイッチには手を伸ばさなかったし、雨とはいえ最低限の明るさではあったため、芙蓉もそのままにしておいたのだ。


 完全なモノクロ。


 全部が色褪いろあせて、世界は灰色だった。黒板も、掲示板けいじばんも、ポスターも、床も、壁も、机も、窓の外の景色けしきさえ、全てが色をうばわれている。そんな色のない世界で、ギメルの金色のひとみだけが、宝石のようにきらきらと輝いていた。


「おにぎりというものは、思っていたよりも食べにくいですね。ですがわたしは許します」


 二人はコンビニで買った昼ご飯を食べている。


 芙蓉は一応制服を着てきていた。そしてギメルも、昨日と同じく制服姿である。白い夏服セーラーに紺色こんいろのスカート、紺のハイソックスと白青の上履うわばき。見た目だけなら、本当に七彩と見分けがつかない。


海苔のりを落とさず食べるのはさすがにムリだと思うよ」


 おかかのおにぎりを開封かいふうしつつ、芙蓉が言った。


 ギメルは分離ぶんりしてぽろぽろ落ちるパリパリの海苔を気にしながら、小さい口でおにぎりを頬張ほおばっている。


「……そうなんですか?」


「うん。それ食べると絶対よごれる」


 彼女は悲しそうな顔をしながら「わたしは許します」とつぶやいた。七彩はここまで浮世離うきよばなれしていなかったと思い、芙蓉は気になっていたことを質問した。


「ギメルはいつ生まれたの?」


「その日時を厳密げんみつ規定きていするのは難しいですが、わたしという自由意思が発生したのはおよそ五日前です」


「想像以上に赤ちゃんだった」


 芙蓉が小さく笑うと、上目うわづかいをしたギメルが口をとがらせた。


「わたしはそれも許しますけど、できれば笑うのはやめてほしいです」


 ギメルは七彩と本当にそっくりだ。気を抜くと、芙蓉はこの少女を七彩と呼んでしまいそうになる。


『わたし以外の天使を、殺してほしいの』


 七彩との約束を守るなら、ギメルも『殺す』対象に含まれる。理亜りあ、そしてXEDAゼダは、天の梯子はしごを破壊して天使を排除はいじょしようとしている。そもそも芙蓉と理亜は、聖域せいいき地区ちくでこの天使に殺されかけた。しかし、話せば話すほど、彼女が悪意のある存在とは思えなくなってくる。


「とり五目は食べやすいですね」


 ギメルはおにぎりを飲み込むと、りんごジュースのストローに口をつけた。そんな彼女に芙蓉が問いかける。


「聞いてもいい?」


 天使はジュースを飲むのを中断し、机にパックを置いた。


「なんでしょうか?」


「天の梯子はしごの建造を進めてるのって、ギメルなの?」


「はい。その通りです」


「それって、なんで?」


 そう聞くと、ギメルは思案しあんするようにとり五目のおにぎりを見つめた。頬張ほおばったおにぎりをごくんと飲み込むと、彼女は芙蓉に質問した。


「芙蓉さんは、天使とは何か、知っていますか?」


「美少女」


 芙蓉がそう返事をすると、ギメルは「えっ……」と言って固まってしまった。もちろん冗談じょうだんのつもりだったけれど、どうやらこの天使は芙蓉の回答を本気にしてしまったらしい。


「その認識は間違っていますが、わたしはそれを許します」


「ごめん。冗談だよ」


「むぅ……」


 ギメルは頬を膨らませて、小さく笑った芙蓉に抗議こうぎの目線を向けた。


 ぽたぽたと、水滴すいてきが落ちる音が窓の外から聞こえる。おにぎりを食べ終わったギメルは、自分と芙蓉の食べ終わったごみをコンビニ袋に集めて小さくまとめた。


「天使とは、しゅに仕え、人々を秩序ちつじょ善性ぜんせいみちびく存在です」


「カウンセラーみたいな?」


「……どうでしょう。ちょっと違うかもしれません」


 芙蓉が聞くと、ギメルは少し考えてからそう答えた。


「主の意向いこうしたがい、人々をき方向に導くこと。それがわたしという天使に与えられた機能きのうであり、変えることのできない存在意義いぎです」


 それを聞いて、芙蓉は昔七彩ななせに聞いた話を思い出した。『天使とはしゅの命令を受けて活動かつどうする存在』だと彼女は言っていたはずだ。


「わたしはこの数日で、人間に関して様々なことを学びました。とても、とても興味きょうみぶかいことばかりです。例えば……」


 ギメルがスカートのポケットからスマホを取り出す。白い、かざのない端末たんまつだった。


「スマホ持ってるんだ」


「はい。少し特殊とくしゅ経路けいろで『契約けいやく』してみました。うぇぶぶらうざを使えば人間たちの知識ちしきを簡単に入手できますし、色々なあぷりけーしょんで遠くはなれた人間同士が意思疎通いしそつうを図ることができる。科学という法則で構成こうせいされた、大変面白い道具だと思います」


 そこで、ギメルが一旦いったん言葉を切った。


 彼女の金色のひとみが、かなしげに細められる。


「ですが、わかってしまいました。人間の世界は不誠実ふせいじつさに満ちていて、あらそいがえない。この『すまほ』も、時には他者を精神的せいしんてきに追いめ死にいたらしめる凶器きょうきになる。こんなに小さいのに、ですよ。それは、とてもかなしいことです」


 しばらく目をせていたギメルは、顔を上げると再び口を開いた。


「その昔、天使たちは、人間をみちびく役割のほとんどを聖職者せいしょくしゃ委譲いじょうしました。ある意味で人間を試したのでしょう。その先で、人間は天の庇護ひごから決別けつべつしました」


 芙蓉は理亜の言葉を思い出す。


『現実にそういうファンタジーを見かけないのは、みんなそろってそれに関わるのをやめたから。科学の方が便利だったんだよ、人間にとってはね』


 ――啓蒙主義けいもうしゅぎ科学革命かがくかくめい


 それらが人間の世界観せかいかんを大きくくつがえした。天上てんじょうのものにささえられていた世界は終わり、『理性』と『証明』がこの世界の真実となった。天上のものと決別けつべつし、自分たちの足で歩んでいくこと。それが近代精神せいしん、近代社会なのである。


「もしかしたら、ですが。天使たちは選択せんたく間違まちがえたのかもしれません」


「天使でも間違えるんだ」


「わたしたちも、人間と同じく『選択する力』を与えられた存在です。正しさは、あやまちがあって初めて定義ていぎできる。間違えられるのはとうといことなんです。その間違いから正しさをみつけることが大切だから」


 ギメルは小さく息をついてから、続けた。


「わたしの計画も、うまくいくかはわかりません。ですが、人々が誠実せいじつに、正しく生きられるよう最善さいぜんくしたい。その想いだけは、まぎれもなく本当です」


「じゃあ、それが天の梯子はしごを作ってる理由?」


「はい。人々を秩序ちつじょ善性ぜんせいに導くためには、もっとたくさんの仲間がいる。わたしだけでは力不足です。だから、あの梯子を再び天に届かせようとしているんです」


 芙蓉は彼女の説明に疑問ぎもんはさめなかった。なにより彼女は誠実で、人間を正しく導きたいという言葉はうそではないように思える。


 そんなことを思案していたら、ギメルがおずおずといった様子で声をかけてきた。


「あの……芙蓉さん。すみません」


 そう言った彼女は落ち着かない様子でひざをこすりあわせ、もじもじとしている。


「えっと……お話の途中でごめんなさい、でも、我慢がまんできなくて……」


「どうしたの?」


「これ、いでもいいですか」


 顔を赤くしてうつむいたギメルが、両脚りょうあしを机の横に伸ばしている。彼女が指さしたのは、紺のハイソックスと上履うわばきだった。


「なにかをく、というのにまだ慣れなくて」


 だから昨日の夜は何も履いていなかったのか、と芙蓉は納得した。そして今日ギメルがそれを履いているのは、昨日の『靴下くつしたが足りない』発言を律儀りちぎに守ったからだろう。


「ダメでしょうか」


 涙目なみだめになったギメルが、芙蓉の方を見て懇願こんがんしている。


「ごめん。ぜんぜんいいよ」


「ありがとうございます」


 礼を言った彼女は、いそいそと上履うわばきを脱いで机の横にきれいに並べた。そして椅子の上で体育座りの姿勢しせいになり、ハイソックスを脱ぎ始める。


「……」


 自分で気付かないうちに、スカートがずり落ちてあらわになった真っ白な太ももと、靴下くつしたに隠されていたほっそりした素足に視線を向けてしまった。そして彼女が七彩ななせではないことを思い出し、より悲しい気持ちになった。


「あの、大丈夫ですか? 顔色が悪くなって……やっぱり脱いじゃダメでしたか?」


 靴下をきれいにたたんで上履うわばきに乗せていたギメルが、芙蓉の変化に気付いて上目うわめがちに聞いてきた。


「いや。なんでもない」


 そろそろ覚悟かくごを決めなければならない、と芙蓉は思った。


 聖域せいいき地区ちくに行けば七彩に会えるかも――芙蓉はそんな希望を抱いていた。けれど、金色の天使の正体はギメルで、天の梯子はしごを建造していたのもギメルだ。なんとなくだが、結論けつろんは見えている。芙蓉はその結論を出してしまうのが怖かった。


 しかし、逃げてばかりはいられない。


「聞きたいことがあるんだけど――」

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