EP1: rollback.
1
夕焼けに
「わたし以外の天使を、殺してほしいの」
それが、彼女と交わした一番最初の約束だった。
*****
そんな力がほしいと願ってみる。けれど、そんな力なんてあるわけなくて、どうあがいたって無意味で
二〇二〇年七月十六日。空は晴れ
グラウンドからは野球部のかけ声が聞こえてきた。今年は地方大会に勝ち残っているらしく、
時刻は十三時半。午後の部活が始まったのか、
短めのマッシュヘアに整えた黒髪。半開きで眠たげな黒い瞳。やや
とにかく何もやる気が起きなかった。
ここ二ヶ月はずっとそんな状態だ。かろうじて不登校にはなっていないものの、学校はサボりがち。
今日も、授業を受けるのが急に
食堂の自販機で買った
ふいに、
屋上は立ち入り禁止の場所だ。もし教師に見つかれば
誰かが
「やっと見つけたー!
それは教師ではなく、女子の声だった。
芙蓉が振り向くと、そこには笑顔の女子生徒が立っていた。こげ茶色の髪を二つ結びのおさげにした、幼めな顔立ちの女の子。白い夏服セーラー、スカートにハイソックスを着用した彼女は、愛らしい笑顔を向けたまま芙蓉の横にしゃがみこむ。
「となり座るね。アイス買ってきたけど食べる?」
「……いや、誰?」
彼女はそのうちの一つを芙蓉に差し出しながら、自己紹介をした。
「高三の
そして、彼女はにへらと笑った。
その名前に聞き覚えはなかった。やはり初対面だ。だというのに、理亜と名乗った女子生徒は、なぜか芙蓉の横に座ってアイスを渡そうとしてきている。全くもって意味が分からない。
「ほら、溶けちゃうよ」
アイスの袋を
「いいから食べなって。私のおごりでいいからさ」
なぜアイスを渡そうとしてくるのか、なんのためにここに来たのか、そもそもなぜ芙蓉のことを知っているのか――
「ありがとうございます」
芙蓉が素直に受け取ったのを見て、理亜が
かきーん、と
「ねえ」
「芙蓉くんさ、カノジョにフラれたんでしょ? だから屋上でたそがれてるんだよね」
それを聞いて、芙蓉はアイスを吹き出しそうになった。
「……なんで知ってるんですか」
「ふっふっふ、先輩はなんでも知ってるんだぜ?」
理亜が得意げな表情でそう言った。
彼女の言う通りである。芙蓉の無気力の原因は、ずっと付き合っていたクラスの女子と二か月前に別れたからだ。そこからはなにも手につかなくなって、うだうだと毎日を過ごしていた。
「でも、正確には違います」
芙蓉が言うと、理亜はアイスをかじりながら「ほーなの?」と聞き返してきた。
「違うってどういうこと?」
「フラれたんじゃなくて、いなくなったんです」
「なになに。くわしく聞かせて!」
目を
「めんどくさい」
芙蓉が言うと、理亜は、
「そんなにイヤそうな顔すんなよー! いいじゃんか、聞かせてよ」
と言ってさらに身を乗り出してきた。もはや、芙蓉が手にしたアイスにかじりつけるくらいの
「……もう、二か月も前のことなんですけど」
勢いに
「放課後呼び出されて、急に言われたんです」
「なんて言われたの?」
「『もう一緒にはいられない』って」
それを聞いた理亜が真顔で言った。
「ちゃんとフラれてんじゃん」
「……」
「うわ!? ごめんごめん、泣かないで!」
理亜が
「泣いてない。これは汗です」
芙蓉が返事をした。たしかに視界はぼやけているが、これは汗が目に入っただけだ。間違いない。
「いや、めっちゃ泣いてるよ? 完全にトラウマになってんじゃん。先輩がよしよししてあげよっか……?」
「いえ……もっとみじめな気持ちになるので
「そ、そっか」
溶けかけのアイスをかじる。冷たい。
「それで、『いなくなった』って、どういうこと?」
改めて理亜が聞いてくる。芙蓉はアイスのかけらを飲み込むと、これまでのいきさつを説明した。
「別れようって言われた次の日、彼女は学校にこなくなったんです。それで家まで行ったんですけど、
「どうしてそう言い切れるの?」
理亜が聞いてきた。
「それは……」
「当ててみよっか」
言い
「芙蓉くんの元カノは普通の女の子じゃなかった。それどころか、人間ですらなかった」
おさげの先輩女子が言った。
「その子は本物の天使だった――そうだよね?」
*****
セーラー服を着た銀髪の少女が、金色の
少女の目の前で、二体の人型ロボットが戦っていた。正確には、それはロボットではなくどちらも『天使』である。
一体は黒い天使。身長は約三メートル。全身を黒い装甲で
もう一体は灰色の天使。顔はなく、
黒と灰色の二体の天使が、手にした剣を振りかざす。二つの剣がぶつかって
黒い天使は、少女を守るために戦っている。
一方で、灰色の天使は、少女を殺すために存在している。
春夏秋冬、一年を通して、この戦いは日常的に行われた。黒い天使は、一年以上もの間、少女を守るために人知れず戦ってきたのである。
黒い天使が、灰色の天使を
「お疲れ様。今日もありがとうね、
*****
「どうしてそれを知ってるんですか」
「あたり? やったあ」
そんな芙蓉に構わず、理亜が
「
「そう、ですけど……」
白羽
「あ、外れた」
アイスを食べきった理亜が、残った
「芙蓉くんのは? なんだ、こっちもはずれじゃん」
芙蓉の手を
「ねえねえ、
「どんな、って……」
「どこが好きだったの? 天使なんだし、すっごい可愛いんでしょ?」
理亜は七彩が天使であることを知っているどころか、天使が女子高生をやっていたことに全く疑問を覚えていないらしい。なぜ、と言いかけて
「めっちゃ美少女です。銀髪で、金色の目をしてて。天使っていう割には、性格はかなり普通でした。基本わがままだけど、物分かりはよくて……ちょっとだけ泣き虫で……」
どこでなにをどう間違えたのか。
多分、どうしようもない問題が発生して、七彩はどこかにいってしまったのだ。その問題がなにかすらわからない芙蓉には、どうしようもないことだ。当時は必死になっていろいろ試したけれど、七彩が帰ってくることはついぞなかった。
「ケンカ別れってわけじゃない。七彩は
「そっかあ。だから芙蓉くんはこんなところでぼんやりしてたんだ」
理亜が言った。
「天使がどうのはまあいいとして。芙蓉くんはすっごく好きだった彼女に置いて行かれて、どこに行ったのかもわかんなくて、テンション
「雑にまとめられた」
芙蓉が言うと、理亜はにへらと
「ぴんぽーん。そんな芙蓉くんに
「……朗報?」
目を輝かせながら
「ついに私の
「いや、別に」
「なんで!? 気になるだろーっ!」
理亜が芙蓉の肩をがくがくと
「本当に興味ないです。話を聞いてくれてありがとうございました」
「おい、めんどくさがるな! 帰ろうとするな!」
立ち上がりかけた芙蓉の腕を
「はい座って! いい、よく聞いて」
理亜は芙蓉を無理やり座らせると、自分は立ち上がって
「私の正体は、
「……はい?」
芙蓉が
「どうして私が芙蓉くんのことを探していたのか。どうして芙蓉くんがカノジョにフラれたことを知っていたのか。どうしてその元カノが天使であることを知っていたのか」
理亜は胸の下で腕を組み、得意げな顔で
「それは、
そう言って、理亜がにへらと笑いかけてきた。
この能天気そうなおさげの先輩が秘密組織のエージェントだとは
「じゃあ、その制服はコスプレなんですね」
「どうしてそう思った!? 私、ちゃんと十八歳だから! 高校三年生なのは本当だからね!?」
「そうなんですか」
おほん、とわざとらしく
「
「でも、もう
芙蓉が言うと、理亜は「ちっちっち」と指を
「この街は天使の影響でおかしくなってる。このまま放置すると、いずれ天使の存在が皆にバレることになるのね。そうなったら、私たちの望まない方向に世界が変わっちゃうかもしれないわけ」
「はあ」
「だから、
「そうですか」
「だから、芙蓉くんにも協力してほしい」
「お断りします」
芙蓉が
「断るの早くない!? 七彩ちゃんがなんでいなくなったとか、気になんないの!?」
「今更それを知ってなんの意味があるんですか。そんなことをしたって七彩が帰ってくるわけじゃない。調べたいなら勝手に調べたらいいんじゃないですか」
勢いよくまくしたてた理亜を、芙蓉は
「そう言わずにさ、先輩に協力してよ」
「イヤだ。何もしたくない。そういうのはもう疲れたんです。帰ってください」
「いいや、帰らない!」
そう言うと、理亜は芙蓉の腕を
「行くよ、芙蓉くん」
「だからイヤだって――」
言いかけたとき、理亜がずいと顔を近づけてきた。またしても、女の子っぽい匂いがふわりと
「いいじゃん、一緒に行こうよ。
*****
「おお~、確かに
午後の空はどこまでも青い。気温は二十七度を
結局、芙蓉は理亜に引きずられるようにして学校の外に出されてしまった。理亜はいつの間にかタクシーを呼んでいて、二人はそれに乗って移動し、この
この住宅街には、
「七彩はここを『
「そうなの?」
「人々に忘れられた地区。ここは天使の
「なるほど、わかりやすい呼び名だね。じゃあ、天使の生産拠点っていうのはどういうこと?」
理亜が聞いてきた。
「七彩は別の天使から命を狙われていました。その
「その『刺客』ってさ――」
理亜が立ち止まって、右方向を指さした。
「――あれのこと?」
彼女が指さした方向を見る。
そこには、
「
芙蓉が
ずいぶん前に、七彩はこの街からいなくなった。だから、七彩を殺すために出現していたこの『
「へー、あれが本物の『
〈虚像天使〉。それが
その虚像天使が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……なんかこっち見てない?」
理亜が聞いた。その言葉で
「虚像天使は、忘却地区への
と返事をする。
そして次の瞬間、虚像天使が
「やばい、こっちきたっ!」
言いながら、理亜がスカートを
背後から
後ろを振り返った理亜が、「ひぃ~っ!」と
「芙蓉くん、早くなんとかして!」
全力で走りながら、理亜が芙蓉に話しかけてきた。
「自分でなんとかしてください! エージェントだとか言ってたじゃないですか」
「
虚像天使はあと十メートルまで迫っている。理亜が両手を合わせて
「お願いっ。なんとかできるんでしょ、私のこと守って!」
虚像天使との距離はあと五メートル。
――はめられた。
理亜は本当になにもできないらしい。彼女は〈虚像天使〉の存在をはじめから知っていて、芙蓉を戦わせるためにここに呼んだのだ。芙蓉が戦わなければ、二人ともミンチになって人生終了である。全てのやる気を失っていた芙蓉だったが、
「……わかりました」
立ち止まり、振り返る。虚像天使は目と鼻の先に
――この言葉を口にするのは、二カ月ぶりだ。
「来い」
芙蓉が短く命じると、虚像天使の
ばがん、と大きな音が住宅街に
虚像天使は勢いよく吹っ飛んで、近くにあった住宅の
「すごい……!」
理亜がそう
黒い騎士は左肩に大型の
「……久しぶりだね、『ロゴス』」
芙蓉は目を細めて、黒い騎士に話しかけた。七彩や〈虚像天使〉がいなくなって、しばらく呼び出すことのなかった芙蓉の
〈
これこそ、白羽七彩から
〈ロゴス〉の背が
ばらばらと音をたて、後頭部から
芙蓉はそこに自分の身体をねじこんだ。
『きぐるみみたいだね』
そんな理亜の感想が聞こえた。
その間も、芙蓉の身体は〈ロゴス〉と
『芙蓉くん、上、上っ!』
理亜が言った。
石像の天使が落ちてくる。
盾が勢いよく振り下ろされる。
――けれど、そんな攻撃はとっくに
〈ロゴス〉は
「来い、“シェキナー・セヴディス”」
芙蓉が武器の名前を呼んだ。
地面へと落ちる〈ロゴス〉の左手が発光し、巨大な黒い大弓が出現する。黒い天使がその弓を引くと、金色の光矢がバレルへと
〈
さらに、芙蓉の武器はもう一つある。
――集中して、視る。
それは〈
地面に
空中高くを
敵は他にも二体いる。一体は先ほど
剣と盾を持った虚像天使は〈ガナン・タイプ〉。遠くからこちらを狙っている、弓を持った虚像天使は〈トルカン・タイプ〉と呼ばれる。芙蓉はその全ての
〈事象視覚〉が
止まっていた時が動き出す。
「一体目」
言いながら、芙蓉はシェキナーを発射する。
地面に倒れる
『きゃあっ!?』
芙蓉は即座に〈ロゴス〉を
「あと二体です。すぐに片付けます」
言いながら
「“
すると、黒い天使の左肩
その名も、
光の剣を
『うそ――!?』
理亜が目を
なぜなら、〈ロゴス〉が
しかし、芙蓉の〈
「二体目」
芙蓉は
発射。
ぶん、という
『芙蓉くん、後ろっ!』
理亜が
しかし、芙蓉はその前に敵の攻撃を視ている。
〈ガナン・タイプ〉が背後から
虚像天使が
「ロゴスの後ろに下がってください、理亜さん。“
芙蓉が命じると、シェキナーが変形した。
バレルが展開し、各部がスライドして
弓を引く。
――ふいに、
『わたし以外の天使を、殺してほしいの』
あの時の七彩は必死だった。一人ではどうにもできなくなって、困り果てて、泣きながら助けを求めていた。だから芙蓉は彼女を助けることにしたのだ。
七彩はいなくなったはずだ。エンドロールは流れ終わって、芙蓉の青春は
「……約束は守るよ、七彩」
誰にともなく
〈ロゴス〉が右手を
〈ガナン・タイプ〉は構えた盾ごと『
シェキナーの
『なに、いまの……』
振り返ると、理亜が
これが芙蓉の持つ『天使』の戦闘力だ。
〈ロゴス〉をかがませ、「“
視界がブラックアウトし、背中側の装甲がばらばらと開いていった。じめっとした空気が
「やればできるじゃん」
いつの間にか笑顔を取り戻していた理亜が、
「実はさ、他の『忘却地区』にも、同じように虚像天使が発生してるんだよね。めんどくさいかもしんないけど、芙蓉くんの力を貸してほしいんだ」
「わかりました」
「そうイヤがんないでさ――はぇ? 今なんて言った?」
「七彩がどうしていなくなったのか、もう一回調べたいです。だから手伝ってください、理亜さん」
こんなことに意味はないとわかっていた。けれど、ここで何もしなければきっと
それに、虚像天使が発生したということは、もしかしたら――
「急にやる気になったね。なにかわかったの?」
我に返った理亜が、芙蓉に聞いた。
「理亜さんの言った通りです。貴重な青春をだらだら過ごすなんてもったいない」
「――いいね、そうこなくっちゃ!」
そう言ってにへら笑顔を浮かべた理亜が、スマホを取り出して数回タップする。すると、巨大な
「これは
理亜が言った。
「ここは暑いし、続きは中で話そう。私たちの目的は、この街に起きている
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
〈近況ノートにて機体やキャラの設定イラストを公開中です〉
・ロゴス
https://kakuyomu.jp/users/kopaka/news/16818093087079406682
・間遠理亜
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