5-3

 休憩室きゅうけいしつに残されたのは、芙蓉ふようとジェフリーの二人だ。


 黒髪オールバックでひげを生やしたハリウッド俳優はいゆうのような見た目の男は、さっきから一言も発していない。必要以上のことはしゃべらない寡黙かもくな男のようだった。


 しかし、芙蓉が再び窓の外に目を向けようとした時、今までだまっていたジェフリーが前触まえぶれなく話しかけてきた。


「君はなぜ戦う」


 ジェフリーの方を向くと、彼はブラウンのひとみでじっと芙蓉のことを観察していた。試されているのかと思い、芙蓉は少し緊張した。


「約束を守るため、です。多分……」


 我ながら曖昧あいまいな回答に、ジェフリーは短く「そうか」とだけ返事をした。すると、今度は窓の方に目を向けた彼は、こんなことを言い出した。


「我々としては、君の協力は大いに助かる。今回の作戦が失敗すれば、梯子はしごの完成は止められない。そうなれば、XEDAゼダ大規模だいきぼな戦闘部隊を派遣はけんせざるを得なくなり、この街が戦場と化すだろう」


「さっき言ってた『戦争』って、そういうことですか」


「そうだ」


「何も、ここを戦場にしなくても……」


梯子はしごが完成して天使たちが降りてきたら、世界の形が大きく変わってしまう。XEDAゼダの本部は、この街を消滅しょうめつさせるくらいのことは考えているだろうな。連中はどんな手段を使ってでも天使を排除しようとするはずだ」


 それに納得できなかった芙蓉は、ジェフリーに反論はんろんした。


「ギメルは……僕が会った天使は、人間を秩序ちつじょ善性ぜんせいに導きたいと言っていました。それってそんなに悪いことですか」


「問題はそこではないんだよ。重要なのは、天使が誰の味方をするのか。そして、誰が天使の味方をするのか。裏を返せば、天使は『敵』にもなり得るということだ」


「天使が『敵』になる……」


「世界には様々な人間がいて、様々な考え方がある。だから、戦争が起こる。天使だろうと同じだ。人間が起こす戦争に新しく強大な勢力が加わるだけで、世界が良くなるとは限らない」


 芙蓉と理亜は一度ギメルに殺されかけている。天使は必ずしも人類全員の味方というわけではない――だから彼らは武装しているのだ。


「……だとしたら、天使はなんのためにりてくるんでしょうか」


「世界をマシにするためだ」


「さっきと言ってることがちがう気がします」


「いいや、矛盾むじゅんはしていない。俺は、天使が降りてきても世界が良くなるとは限らない、と言った。だがそれは、世界がマシになる可能性もある、ということだろう」


 ジェフリーが窓の外をながめながら説明を続ける。


「去年だけで、武力紛争ぶりょくふんそうで約十万人、テロ攻撃で約二万五千人が死んだ。今この瞬間しゅんかんにも、世界の十か所以上で民族紛争みんぞくふんそう継続けいぞくしている。日本でも、密輸みつゆ二脚兵装を使ったテロ事件が何度か起きているだろう。だからSATを始めとした警察組織にも二脚が配備されるようになった。世界大戦や冷戦れいせん終結しゅうけつしてもなお、人々は争うことをやめられない。人間は未熟みじゅくおろかしい。現代に復活した『古代の天使』がちょっかいをかけたくなるのも理解できるというものだ」


 にわかに現実を突きつけられ、芙蓉は何も言えなくなった。


 そんな彼に、ジェフリーがおだやかな声でこう続けた。


「だが、人間も馬鹿ではない。人々は常に正しさとは何かを探している。自分たちの理性ロゴスで問題を解決しようと努力しているんだ。それを見守るのもXEDAゼダの役目なのだよ」


「ロゴス、ですか」


「そうだ」


 芙蓉には、それが七彩ななせの残した制圧躯体の名と無関係とは思えなかった。むしろそれこそが、七彩が〈ロゴス〉に込めた願いなのではないだろうか。


「天使が存在することでよりよい世界になるのか。それとも、世界は混沌こんとんしずんでいくのか。それは誰にもわからない」


 ジェフリーが椅子いすを引いて立ち上がる。


「いずれにせよ、余計な手出しは求めない。天使のお導きなど余計なお世話ノーセンキューということだ」


 そう言い残して、彼は颯爽さっそうと休憩室を後にしようとした。


「あの」


 そんなジェフリーを、芙蓉が引き止めた。


「なんだ?」


 ジェフリーが振り返る。


「スマホ忘れてますけど」


「あっ」


 先ほどまでとは打って変わって、ずかしそうな笑みを浮かべた黒髪の外国人が戻ってくる。芙蓉がテーブルに置きっぱなしだった彼のスマホを手に取ると、そのホーム画面が起動した。そこに映っていたのは、幼い子供の写真だった。


「……赤ちゃん?」


 ジェフリーにスマホを手渡しながら芙蓉が聞く。


「娘だ。そろそろ一歳になる。可愛いだろう」


「可愛いですね」


 芙蓉がそう返すと、ジェフリーが満面の笑みを浮かべる。そして、彼はまらない表情のまま休憩室の出口へと向かった。


「我々には君の力が必要だ。あと十分程度だろうが、出撃に備えてよく休んでおけ」



   *****



 がらんとした休憩スペースに一人残された芙蓉は、何も考えず、ただぼーっと窓の外をながめていた。もうすぐ午後四時半になろうかという時刻で、空はいまだにくもっていたが、少しだけ天気が良くなったようにも見える。


 白い空を眺めるのにもきてしまい、芙蓉は椅子を引いて立ち上がった。実は段取だんどりがよくわかっていなかったので、早めに理亜を見つけておきたかったのだ。


 ――そこで、誰かに肩を叩かれた。


 芙蓉が驚いて振り返ると、そこには銀髪金眼の天使が立っていた。


「すみません、驚かせてしまいましたね」


 ギメルである。


 おかしそうにくすくすと笑っている彼女は、午前中と同じ夏服セーラーにスカート、その下は素脚すあしという恰好かっこうだった。


「今の、わざと?」


「少し遊んでしまいました。申し訳ありません」


 満足げな表情をかべたギメルは、ひたひたと休憩室を歩いていく。


「芙蓉さんの様子を見に来ました。思っていたよりも元気そうでよかったです」


 言いながら、彼女は振り返って微笑ほほえんでいる。


「……ごめん。やっぱり僕は天の梯子はしごこわすことにした」


 それを伝えずにはいられなかった。


 芙蓉はこれから、ギメルが修理してくれた〈ロゴス〉を使って、彼女が建造を進める〈天の梯子はしご〉をこわすつもりだった。恩知おんしらずだとはわかっていたけれど、七彩の意志を、そして約束を守るためにはこうするしかないのだ。


「わたしは許します。それがあなたの選択であるならば」


 そんな芙蓉に、ギメルはふわりと笑いかけた。


「ですが、ダレットが手加減てかげんすることはありません。今のわたしは戦えませんが、わたしでもそうします。きっと、全力で芙蓉さんを排除しようとしたでしょう」


「それは怖いね」


「そう言われるのは悲しいですが、わたしは許します。こちらが全力なのですから、芙蓉さんも気兼きがねなく全力をぶつけてください」


 言いながら、ギメルは小さくこぶしにぎってみせた。


 多分、彼女は芙蓉を気遣きづかっているのだ。そうでなければ、全力でかかってこいなどという台詞せりふをわざわざ言いには来ないだろう。


「なんで僕を気にかけてくれるの?」


 不思議に思った芙蓉が聞くと、ギメルはくるりと背を向けてしまった。


「芙蓉さんには、天使を好きでいて欲しいんです。天の梯子はしごへの攻撃は許します。天使を世界からめ出そうとするのも、わたしは許しましょう。でも、嫌いにはならないで。それはとてもさみしいです」


 ギメルが振り向いて、ちらりと振り返る。


「わがままでしょうか?」


「いや。少なくとも、ギメルを嫌いになることはないよ」


「そうですか」


 少しだけうれしそうに笑ったギメルが、芙蓉の方に歩いてきた。


「さて、わたしはもう行きます。そろそろダレットが気づいてしまうかもしれません。彼がここまで来てしまったらたいへんです」


 言いながら、天使は芙蓉の横を歩いてすれ違った。


 芙蓉が振り返ると、そこにはもう誰もいない。がらんどうの休憩室に、窓の外から白い光が差し込んでいるだけだった。

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