4-6

「よーし、私たちもいこっか」


 理亜りあがプールからざばりと上がってきた。


 彼女は破壊された〈アーヴィン〉の操縦席そうじゅうせきXEDAゼダ機動隊員きどうたいいんと通信していたのである。芙蓉ふようがプールにしずんだとき、仲間に『少し待て』と伝えたっきり連絡していなかったので軽く怒られたが、理亜がそれを芙蓉に話すことはなかった。


「待って、理亜さん」


「どしたの?」


「ギメルに……」


 そこまで言いかけて、芙蓉は重大なことを思い出した。いきおいで言ったこととはいえ、さすがの理亜でもこれには怒り出すかもしれない。


 身体中から水滴すいてきをぽたぽたと落としながら、理亜が芙蓉の横にしゃがみこんだ。


「ギメルって、あの制圧躯体の?」


「そうです」


「んで、なんかあった?」


「天の梯子はしごの建造を手伝うって言っちゃいました」


 目を点にした理亜が「えっ……」と声をあげ、続いて何かを言いかけたとき――


「その件ですが」


 ぎゅむ、ぎゅむ、という音がした。


 背後から聞こえてきたその音に、芙蓉と理亜が振り返った。


「お伝えしなければならないことがあります」


 そう言ったのは、セーラー服で素足にレインシューズをいた天使ギメルだった。


「ちょ――待って! あれって……」


 理亜が目を丸くして声をあげる。彼女にも白羽しらはね七彩ななせ特徴とくちょうはすでに伝えてあった。ギメルの外見は七彩と全く同じであったから、理亜が驚くのも無理はない。


「あれは七彩じゃなくてギメルです」


 芙蓉がみじかく説明する。ギメルは崩壊ほうかいしたプールのさくをお行儀ぎょうぎよくまたぐと、二人の前に立ち止まった。


「はじめまして、リア・エバンスさん。わたしは天使ギメルと申します」


「あ、うん。よろしく?」


 混乱した様子の理亜が返答する。


「こんな感じなんだ。てっきりモンスターみたいな天使かと思ってた」


「もんすたー……ですか」


「ほんとに可愛いね。私が男の子だったら絶対こくってる。芙蓉くんがほいほいついてくのも納得だ」


 そう言った理亜に、ギメルは困ったような笑みを返した。


「ギメル、天の梯子はしごのことだけど……」


「あ! そーだよ! ごめんね、芙蓉くんは私が連れてくから!」


 言いかけた芙蓉の言葉をさえぎって、理亜がそんなことを言った。


「はい。わたしはそれも許します。心配せずとも大丈夫ですよ」


 ギメルが微笑ほほえむ。しかしそのすぐ後に「ですが……」と表情をくもらせた。


「あの時、芙蓉さんのもうを、わたしは深く考えずに承認しょうにんしてしまいました。それでわたしたちの――芙蓉さんと天使の関係性が一歩進んでしまったのです」


 初めてだった。


 ギメルが、天使らしい顔立かおだちに似合わない、引きつった笑顔を浮かべたのは。


「実は、天使ベートが構築こうちくしたシステムは、わたしの次の四番目の天使の組み立てを開始していました。七彩が消えたことによって一時停止していましたが、先ほどそれが再開してしまったのです」


「天使ギメル。探しました」


 突然、別の誰かの声が聞こえた。ギメルがため息でもつきそうな表情で目をせる。その背後から現れたのは――


「うっそぉ……」


 理亜がけた声をあげる。


 それは人だった。


 いや、天使だった。


 どちらであろうと、驚くべきはその容姿であった。


「……芙蓉くんの2Pカラーじゃん」


 その天使は、園見そのみ芙蓉ふようと全く同じ形をしていたのである。


 ただ、髪色はギメルと同じ銀で、目の色があざやかな赤になっていた。


「ご紹介します。天使ダレットです」


 そう言ったギメルが微笑ほほえみを作ろうとするが失敗し、あきらめの表情をかべる。


「ご命令いただければ、ここまで運んだのですが」


「大丈夫です。わたしも歩けますから」


「そもそも、こんなところに来る必要はありません。戻りましょう」


「やっ……やめてください。もういいので、あっちに行っててくださいっ」


「いいえ、戻りましょう」


 ダレットと紹介された芙蓉とそっくりの天使は、ギメルを連れ帰ろうとして彼女にけられていた。芙蓉と理亜はそんな二人のやりとりを呆然ぼうぜんと見つめている。


「あれ、誰?」


 理亜が芙蓉に聞く。


「知らない」


「めっちゃ迷惑めいわくがられてない?」


「そうですね」


「ちょっとしつこくない?」


「同感です」


 そんな話をしていると、天使ダレットはそこで初めて二人に気付いたかのように振り向いた。


だまれ、人間」


「天使のくせに口悪いな……」


 理亜の言葉を無視むしして、ダレットが芙蓉の方を向いた。


「お前はてられたんだよ、芙蓉。もう関わるな。お前の物語は終わっている。そこでずっとめそめそしていればいい」


「ダレット! やめてくださいっ」


 ギメルが初めて声をあらげた。ダレットがすぐにだまる。


 しかし、赤い目の天使の言うとおりだった。エンドロールはもどせない。芙蓉はいま、次に何をしたらいいのかわからなくなっていたのだ。


「天使ギメル、戻りましょう。ここにもう用はない」


「待って――」


 ギメルが制止するのもかまわず、ダレットが口を開く。


「来い、“ミュトス”」


 そして、その名を呼んだ。灰色の空がらぐと、次の瞬間、そこには白い制圧せいあつ躯体くたい浮遊ふゆうしていた。


 〈制圧躯体ミュトス〉。


 それは、つばさの生えた白い〈ロゴス〉だった。しかし、光輪こうりんはダレットのひとみと同じ赤色に輝いている。それが翼を広げてゆっくりと地上に降下すると、ダレットが浮遊してその背中にまれた。


 静かに〈ミュトス〉が着地する。


 翼を折りたたんだ巨大な天使は、燃えるような赤い視線で理亜と芙蓉を見下みおろした。


『そこの人間』


 理亜の方を見て、ダレットの声が言った。


『お前の仲間にも伝えておけ。何をしても無駄だ。じきに梯子はしごは天に届く』


 理亜が白い騎士をにらかえす。


「天使のくせにめちゃくちゃ意地悪いじわるじゃん。さっきも芙蓉くんのこといじめてたしさ。そんなんで何が楽しいの?」


『僕は事実を言っているだけだ』


「決めた。私は死んでもあなたの邪魔じゃまをする」


おろかなヤツだ』


 〈ミュトス〉がぎしりと躯体くたいきしませる。


『“抜剣アンシース”』


「ダレットっ!」


 ギメルがさけぶのと、白い騎士が理亜に光剣こうけんを向けるのは同時だった。〈光剣ミカダッシュ〉――赤く燃え上がる光剣が、〈ミュトス〉をにらんだ理亜の数センチ手前で止まっていた。


「理亜さん――」


「どうしたの? 今殺しとけばあとでやり返されずに済むよ?」


 止めに入ろうとした芙蓉の言葉をさえぎって、理亜が挑発的ちょうはつてきな笑みを浮かべた。


「いけません、ダレット」


 ギメルが大声で制止する。


 〈ミュトス〉が少し腕を動かせば、理亜は本当に死んでしまう。しばらくは静寂せいじゃくが続いたが、けに『ふん』と鼻を鳴らしたダレットが〈光剣ミカダッシュ〉を収納しゅうのうした。


 そして理亜と芙蓉に左手を向け、


「えっ、なに!?」


 その手から発生した強い温風おんぷうが、二人に吹き付けられた。


『これが最後の忠告ちゅうこくだ――無駄なあがきはよせ。せいぜい温かくして寝るといい』


 ダレットはそう言い残すと、唖然あぜんとした表情を浮かべるギメルの隣に〈ミュトス〉をかがませた。


「きゃっ!? ダレット――!」


 そして、銀髪の少女を胸の前で大事そうに抱きかかえた。


「わたし自分で移動できますから! おろしてくださいっ」


「……あの金色の制圧躯体は?」


 理亜がうと、涙目なみだめのギメルが顔を向ける。


「ダレットにとられて、ミュトスに改造されちゃいました……」


『天使ギメル。あなたが戦場に出る必要はありません。これからは僕がやる』


「わたしはそれも許しましょう……」


 〈ミュトス〉がつばさを展開してがった。風が吹き、転がった瓦礫がれき残骸ざんがいが巻き上がる。それが強風へと変化すると、「きゃぁぁぁ――っ!」というギメルの悲鳴ひめいを残し、白い躯体は超高速で飛び去った。


「は……」


 それを呆然ぼうぜんと見送った理亜が声を上げる。


「はへぁあぁ~~……」


 奇声きせいを発しながらへなへなとプールサイドに座り込んだ彼女は、地面に手をついて大きく息をいた。


「大丈夫ですか?」


超怖ちょうこわかった……死ぬかと思った……」


 芙蓉も彼女のとなりに座り込んで、れるプールの水面に目を向ける。


 ギメルたちが細工さいくをしていたのか、ようやく現場へと足を踏み入れたXEDAゼダの機動隊員たちが、二人の方に向かってくる足音が聞こえてきた。

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