「初心者でも全然大丈夫だから! 是非ぜひうちにきてよ。ね?」


「ありがとうございます」


 ジャージを着た先輩せんぱい男子に、七彩ななせがにこやかな顔でれいを言う。


 翌日よくじつの放課後、七彩は部活体験めぐりを行っていた。別に天使としての深い意味があるわけではなく、単純に色々な部活を試してみたかったのだ。


 学校指定の体操服――ショートパンツにそでまくりした赤ジャージという格好かっこうの七彩が、ラケットを置いてテニスコートをはなれる。さっきまで軟式なんしきテニスを体験していたのだが、七彩は目も当てられないくらい下手くそだった。


 自分は運動がてんでダメらしい――七彩はそう結論けつろんした。


 ポニーテールをほどきながら芙蓉ふようのもとへ向かう。この後〈虚像きょぞう天使てんし〉のところに行く予定もあったし、一緒に部活体験めぐりに来ないかと芙蓉をさそったところ、彼は素直についてきてくれたのである。


 理由は特に聞いていない。おそらくまた「可愛いからついてきた」などと言い出すだけだ。とはいえ、昨日は〈ロゴス〉の戦闘を怖がっていたようにも見えたので、それでも一緒に来てくれるのは七彩にとってはありがたいことだった。


 ただ、体験入部自体は「もう別のに入ってるから」と断られた。七彩が下手くそなプレーをくりひろげている間、彼はコートの外に座ってなにかの教本を読んでいた。


「芙蓉」


 声をかけるまで、彼は七彩の接近に気付かなかった。ようやく七彩に気付いた芙蓉は、本を閉じて立ち上がった。


「次は?」


「美術部に行きたい」


 七彩が短く返事をすると、芙蓉は「いいね」とコメントして歩き出した。


「ほんとにいいって思ってるの?」


「思ってる」


「じゃあ、美術部は一緒に体験する?」


「それは間に合ってる。大丈夫」


 あっさり断った芙蓉に、七彩があきれ顔を向けた。芙蓉はかなりマイペースだ。ずっと無表情だし、受け答えも淡々たんたんとしている。七彩のことを可愛いとか言うくせに、本当は全く興味がないんじゃないかとうたがってしまう。


「間に合ってるって、なにが?」


 口をとがらせた七彩があしをとるように聞くと、彼は「なんだろうね」とだけ答えた。適当すぎる返事に七彩が不満げな顔を向けたものの、芙蓉はまったく気にしていないようだった。



   *****



 規則的きそくてきなメトロノームの音が、夕暮ゆうぐれの教室にひびく。


 続いて、ベキベキボンボンというエッジのいた低音がリズミカルに流れ出した。黒で統一とういつされたカラーリングのエレキベース。椅子いすに腰かけた芙蓉が、スラップという演奏方法でかなでているフレーズだった。


 七彩は美術部でデッサンの体験をしたあと(結局芙蓉は参加せず教本を読んでいた)、最後に彼の所属しょぞくしている軽音部にやってきた。芙蓉に適当な楽器を見繕みつくろってもらってから、二人は空き教室へと移動した。


 この教室にいるのは七彩と芙蓉の二人だけ。体操服姿の七彩は、彼にエレキベースのかたを教えてもらっていた。


「……こんな感じ?」


 言いながら、机に腰かけた七彩が同じフレーズをスラップで演奏してみせる。そのあまりの上手さに目を丸くした芙蓉が、


「もしかして経験者?」


 と聞いてきた。


「ううん。今日初めて触った」


 七彩がそう返すと、芙蓉は唖然あぜんとした表情を浮かべた。今まで見た中で一番わかりやすい表情だ。それがおかしくて、七彩はくすくすと笑った。


「天使ってね、『音楽』全般ぜんぱんが大得意なの。だからそんなにショック受けないで」


「むむむ……」


 自分の黒いベースに向き直った芙蓉が、かたを微妙に変えながら何度も同じフレーズを演奏する。放課後ずっと読んでいたのはエレキベースの教本だったんだろう。


「それ、いつからいてるの?」


 なんとなく気になって、七彩が聞いた。


「二年前。結構いいやつなんだよ、このベース」


「そうなんだ。わたしが使ってるのとどう違うの?」


 七彩がさらに聞くと、芙蓉はせきったかのようにしゃべりだした。


「これ一本でいろんなジャンルに対応できるし、引きやすくて音もいい。もともとはボルトオンパッシブっていうのをしてたシリーズなんだけど、これは切り替えが可能なモデルになっててアクティブでも使える。アクティブだと派手な音が出るから楽しい。ちゃんと角のない太い音が出せるやつで、試奏しそうしたときこれだって思った。割と高かったけど、開店から閉店まで楽器屋に居座いすわったら買ってもらえた」


「い、いっぱいしゃべるね……ちなみに、いくらだったの?」


「十万円くらい。かっこよくない?」


 あいかわらず表情の変化にはとぼしかったものの、彼の目は少年のようにきらきらとかがやいている。話の内容はさっぱりだったけれど、その愛は十分に伝わってきた。


 そんな彼に親近感しんきんかんを覚えた七彩は、今度は別なことを聞いてみた。


「わたし、今日は全部で四つ体験入部したんだけど……どうしてそんなにたくさん、って思わなかった?」


「そういうパリピなんだと思ってた」


「ちがう」


 七彩は彼にジト目を向たが、ふいに表情をやわらげて言葉を続けた。


「わたしは人間が好き。ヒトに興味がある。社会も、文化も、芸術もスポーツも。全部面白そう。全部楽しそう。だから、いろいろ試してみたいんだ」


 言いながら、七彩は顔をほころばせた。


「そしたら、いろんな部活で体験入部できるって言うじゃない? でも、それをやってくれるのって春だけらしいから、今のうちに全部体験しときたくって」


「……そうなんだ」


 そんな七彩の顔を見て、芙蓉が相槌あいづちを打つ。その反応がうすく見えた七彩は、口をとがらせて彼に突っかかった。


「でも、芙蓉はわたしに興味なさそうだよね。さっきと全然テンションが違うじゃん」


「そういうわけじゃ――」


「また適当なこと言うんでしょ。別にいいよ。わたしのことあんまり好きじゃないもんね」


 ぶーたれる七彩に、芙蓉が少しだけ不服ふふくそうな表情をする。なにか言ってくれるかと期待したけれど、その期待とは裏腹うらはらに、芙蓉は無言で立ち上がった。


「なに、どうしたの? 急に立って」


 あわてて七彩が聞いた。


「そろそろ行った方がいいんじゃない?」


 そう言った芙蓉がエレキベースを片付け始める。


「もう日が暮れる。昨日、虚像天使の発生拠点はっせいきょてんに行くって言ってなかった?」


「そ、そうだね……うん。言った」


「白羽さん、着替える? いったん外で待ってようか」


 手を止めて教室の外に出ようとした芙蓉を、七彩は思わず引き止めてしまった。


「いいよ、別に。天使だからずかしくないし。そっちで片付けてて」


「えっ、でも」


 そう言った芙蓉は、ぽかんとした顔で七彩を見ている。


「いいからそっち向いててっ」


 彼が言われた通り片づけを再開したのを見て、七彩はたたんでおいたセーラー服を取り出した。背を向ける芙蓉のことを気にしながら、ショートパンツとシャツをいでセーラー服に着替える。


 天使にとって、衣類いるいなんてただの装飾品そうしょくひんだ。わざわざ出ていってもらうほどの大ごとではない――七彩はそう思い込んでいる。しかし、そんな七彩の思惑おもわくはんして、心臓からはどきどきという大きな音が聞こえていた。

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