七彩ななせ芙蓉ふようは、ファミレスのテーブル席で向かい合って座っていた。


 〈ロゴス〉や〈虚像きょぞう天使てんし〉の説明をしていたので、七彩の前に置かれたドリアは半分くらい残っている。大してしゃべっていない芙蓉はパスタを平らげ、今は追加注文したポテトを食べていた。


「本来なら、天使はしゅの命令を受けて活動する存在なんだけどね。わたしはそういうのがない。主の声とか聞こえないし、使命とかもないの」


「なるほど、やる気がないってことか」


「ちがう。やる気とかの問題じゃないから」


 七彩が芙蓉にジト目を向ける。


「でも、まあ……ある意味間違ってないのかも。わかりやすく言うとね、わたしは命をねらわれてる。理由は多分、芙蓉の言う『やる気のない天使』だから。使えない天使は廃棄はいき処分しょぶんってとこかな」


 ポテトをごくりと飲み込んだ芙蓉が、「そうなんだ」と相槌あいづちを打った。


「虚像天使はわたしを殺すために出現する。今まではたまたま大丈夫だったけど、これが駅前とかに出てきたら大変なことになっちゃうでしょ? だから、早いうちになんとかしなきゃいけないの」


 そこまで説明すると、七彩もドリアを口に運んだ。芙蓉は別のポテトにフォークをしながら、その様子をじっと見ている。


「……なに?」


 七彩が手を止めて芙蓉の方を見た。


「じゃあ、白羽しらはねさんは本当に天使なんだ」


「わかってくれた?」


「言われてみれば見た目もちょっと天使っぽい。何もないところからSFロボを呼び出せるのも普通じゃない。でも……」


 そこまで言うと、芙蓉は背もたれに身体を預けた。


「しゃべってる限りは普通の女子と変わんない気がする。めっちゃおいしそうにドリア食べてるし。天使ってそうなの? ファミレスとか普通に行く系? もっとこう……ディナーはパンとワインです、みたいな感じじゃないの?」


「別にドリア食べる天使がいたっていいでしょ。ほっといてよ」


 顔を赤らめた七彩が、口をとがらせて抗議こうぎした。


 けれど、芙蓉の言いたいこともわかる。七彩はかみひとみ、顔立ちこそ少し特異とくいではあるものの、それ以外は普通の女子高生となんら変わりない。ドリアを選んだのもこの店で一番安いメニューだからだ。


 天使と人間は何が違うのか。


 七彩はスプーンを机に置き、説明を始めた。


「本当はね、天使にはいろんなタイプがいて、それぞれ特別なかたちをしているの。一番メジャーなのは人型だけど、それもさっきの虚像天使みたいな、芙蓉の言う『エイリアン』的な見た目をしてる」


 天使とは人智じんちえた存在だ。


 七彩は以前、人間が天使をどう解釈かいしゃくしているか調べたことがある。『エゼキエル書』では、天使ケルビムは四つの顔と四つの羽をもつ存在、天使オファニムはたくさんの眼をつけたさか車輪しゃりん、として描写びょうしゃされていた。天使とは本来、異形いぎょうの存在なのだ。


「でもね、天使は人間と同じ見た目にもなれる。もっとちゃんと言うと、人間型の『端末たんまつ』を使うことができるの。人間を導くっていう天使の役割を考えたら、その方が親しみやすいし話しやすいでしょ」


「人間型ドローンってこと?」


「そう言うと急によわそうになるね……まあでも、だいたいあってる」


 七彩は少し笑ってから、説明を続けた。


「その『人間型ドローン』は、人間と同じ身体機能を使うことだってできる。そうすることで、人間に共感して、よりそうことができるからね」


 西洋せいよう絵画かいがにおける天使が人間型をしているのもこのためである。本当は、食事という行為も天使には必要ない。天使の目的は天命を果たすことであり、そのための機能として人間と同じ身体を『使うことができる』だけだ。


「だとしたら、白羽さんの本体はロゴスとかいうロボットの方で、白羽さん自身は『人間型ドローン』ってこと?」


「ううん、わたしはちがう」


 芙蓉の質問に、七彩が首をふった。


「わたしからは、天使としての使命が欠落けつらくしている。だから、本来は端末でしかない『人間としての身体』が主体になってるの。ロゴスはわたしが天使の力を使うための躯体くたいにすぎなくて、わたしの本体ってわけじゃない。普通の天使とは逆になってるってこと」


「じゃあ、どっちかといえば人間なんだ」


「そうかもね」


「でもなんで女子高生?」


 ポテトをケチャップにつけながら、芙蓉がもっともな疑問を口にする。


「知らない。発生したときからこうだったんだもん」


 七彩が答えると、芙蓉がさらに質問を重ねてきた。


「最初から女子高生だったってこと?」


「そ、そうだけど……」


「白羽さん、何歳?」


 なんとなくその質問に答えたくなくて、七彩は残っていたドリアを口に運んだ。芙蓉はじっとその様子を見守っている。ついに食べ終わってしまい、七彩が口をいている間も、彼はだまって待っていた。



 七彩はその沈黙ちんもくえきれなくなり、もごもごと返事をした。


「……三ヶ月」


 白羽七彩という天使が発生したのは、たったの三ヶ月前だ。気付いたら彼女は高校生くらいの少女の身体でこの街に存在していたのである。


 しばらくまたたきをしていた芙蓉は、ようやく七彩が言った意味を理解したのか、「ふっ」と小さく笑った。


「赤ちゃんじゃん。おもしろ」


「うるさいっ。天使に年齢は関係ないのっ」


 確かに人間の基準きじゅんからいえばそうかもしれないが、それをこのげキノコ男子に指摘されるのはとてもくやしい。


 顔を赤くしてぷるぷるふるえる七彩をしばらく放置してから、芙蓉が思い出したように口を開いた。


「大変だね。あんなふうに戦わなきゃいけないなんて」


 そう言った彼の表情はほとんど動かない。しかし、それは彼なりの同情なのだと七彩は受け取った。


「……うん」


「普通の高校生には、ちょっと過酷かこくすぎる」


 顔を上げた七彩が見たのは、うつむいて空の食器をながめている芙蓉だった。


『わたし以外の天使を殺してほしい』


 芙蓉にそれをたのもうとしたのは、七彩一人ではどうしようもなくなったからだ。七彩のは戦闘行為に向いていない。次こそ七彩は死ぬかもしれないし、その前に〈虚像天使〉が街に出てしまったら大変だ。がらんどうの天使は、敵意てきいを向けられれば反撃する――例えそれが庇護ひご対象たいしょうの人間であっても。


 だから、七彩はあせっていた。


 もう他人を頼るしかなくて、適合性てきごうせいの他にも因果律いんがりつとか運命性のような事象じしょう軌道きどう加味かみした結果、それに最適なのが園見そのみ芙蓉だったから声をかけたのである。


 しかし、彼も『普通の高校生』だ。七彩が観測かんそくした因果いんがや運命のネットワークがどうなっていようが、もし芙蓉がイヤならこの仕事を押し付けることはできない。


 ――だとしたら、わたしはどうすればいいんだろう。


「今日は帰ろう」


 そんな芙蓉の言葉が、七彩の思考をさえぎった。


「続きは明日の放課後ほうかごで。もう眠いし」


「……わかった」


 七彩が伝票でんぴょうに手を伸ばすと、正面に座った芙蓉がすっと何かを差し出してきた。十円玉が二枚。五円玉が一枚。


「なに、これ?」


「ごめん。最近うちに防音室ぼうおんしつ作ったから、今お金ない。貸しにしてください」


 両手を合わせて頭を下げた芙蓉を見て、七彩は思わずため息をついた。


「いいけど、早く言ってよ……」


 なお、七彩は『奇蹟きせき』という力を使って自動的に内職ないしょくをこなすシステムを自宅に構築こうちくし、生活費を工面くめんしている。なので、彼女にも金銭的きんせんてき余裕があるわけではない。


 レジ打ちをしていた店員に奇異きいの目で見られながら、七彩はレシートを受け取った。サラダ、パスタ、ポテト……食べた覚えのない料理の名前が並んでいる。


 ――お金ないって言ってたくせに、色々頼みすぎじゃない?

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