第28話 ルシーナ

(……?)


 目を覚ましたルシーナは今自分がどこにいるのか、すぐには分からなかった。


(そうだった、私、エマさんに休むように言われて……)


 窓にカーテンが引かれ薄暗くなった部屋は、ほのかに花のような匂いに包まれていた。

 エマに連れられてこの部屋に来た時に比べると、ルシーナの体も随分楽になったようだ。


 ルシーナはゆっくりと体を起こして部屋の中を見回したが、他には誰もいないようだった。


(ダナエ様……)


 ベッドに横たわる弱々しくてはかなげなダナエの姿を思い出すと涙がこみ上げてくる。


(でもあの時、魔女がまじないを解いた時、私は…………) 



 ルシーナは十三歳の時にダナエ付きのメイドとして仕え始め、今では五年が経つ。

 明るく活発で好奇心と行動力のかたまりのダナエに、始めのうちは振り回されっぱなしのルシーナだったが、裏表がなく物事を公平公正に見ることができるダナエに次第に心酔し、彼女を崇拝するようになっていった。


 そんな、ダナエへの強い忠誠心を抱いているルシーナだが、一方ではタンドール男爵家の長女でもある。

 タンドール男爵は数代前に、ガレアス帝国との国境紛争で挙げた武勲のおかげで、小貴族ながらも王国の要職を与えられることがしばしばあった。

 ルシーナがダナエ付きのメイドに選ばれたのも、タンドール家の王室からの覚えの良さからであった。


(そう……私はタンドール家の長女)


 ダナエへの厚い忠誠心を持ちながらも、ルシーナの心の奥底には、タンドール家の長女としての自覚がしっかりと根付いていた。

 ルシーナは今、ダナエへの忠誠心とタンドール家の長女としての責任感との狭間はざまで苦悶し続けている。


(リリネ……メルア……トーリ……)

 家のことを考えると、ルシーナは幼い二人の妹と一人の弟のことが思い浮かぶ。


 ――――すまない、ルシーナ、頼む、お前だけが頼りなんだ

 ――――こんなことをさせてしまって、本当にごめんなさい


 父母の言葉が思い出される。


 ――――しばらくの間、王女様が病に伏せってくださればいいのだ


 思い出しながらルシーナは、胸に手を当てた。

 上着の内ポケットには父から預かった小瓶がある。


(私がやらないと……リリネ達のために、家族のために……)


 ベッドの縁に腰掛けて苦悶の表情を浮かべながら、ルシーナがそんな事を考えていると、


「調子はどうだい?」

 といきなり女性の声がした。

「え!?」

 驚いたルシーナは飛び上がるようにして立ち上がり、部屋の中を見回した。

 さっき見た時は誰もいなかったはずなのに、今は扉の横に一人の女性が立っている。

「……エマ……様?」

「ああ。驚かせちゃったみたいだね」

「い、いえ……」

「ちょっとあんたと話がしたいと思ってさ」

 そう言いながらエマは大股でベッドの前に立つルシーナに近づいていった。


「あ、あの、お話ってどのような……」

 エマの決然とした態度に気圧されながらルシーナが聞いた。

「まあ、色々とね」

 エマは真っ直ぐにルシーナを見ている。

「あの、ダナエ様は……」

 ルシーナが聞いた。

「王女様は快方に向かわれているよ」

「よかった……」

「本当にそう思ってるのかい?」

「え……?」

 ルシーナは虚を突かれてしまったようになって、すぐには言葉が出てこなかった。


「今ね、マリエさんが色々と調べてるんだ」

「……」

「マリエさんはね、色々とつてがあるんだよ。あんたも王女様付きのメイドだから薄々は分かってるとは思うけど」

「それはエマ様もですよね」

 少し落ち着きを取り戻したルシーナが言った。


「ふふ、まあ、そのへんはおいおい話すとして……」

 そう言いながらエマは緩めていた表情を引き締めて、射るような鋭い目でルシーナを見つめて言った。

「既に王国諜報部も動いてるんだ」

「……!」

「いずれは全部が明らかになるだろうが……」

「全部が……明らかに?」

「そうだ」

「ダナエ様にも……?」

「もちろんだ」


 ルシーナはエマから視線を外し床を見つめた。

 いずれ全てがダナエの知るところとなる。

 ルシーナがやった全ての事が。


 ルシーナは、心から敬愛し仕えてきたダナエを裏切り、彼女の命を危険に曝したのだ。

 たとえそれが家族のためだったとはいえ許されることではない。


(もう、ダナエ様には……)


 絶望感がルシーナの全身に重くのしかかった。


 ルシーナは素早く胸元に手を入れてなにかを掴みだした。


 カーテンの隙間から入ってくる薄い光がルシーナの手元で反射する。


 エマは速かった。

「早まったことをするな」

 落ち着いた声でそういった時には既にエマはルシーナの腕を押さえていた。


「は、離して……!」

 苦しげに言うルシーナの手には短刀が握られていた。

「私は、ダナエ様を……ダナエ様を……!」

 なおも腕を振るわせて抵抗するルシーナ。


「もちろん、あんたは罰せられなきゃならない」

「離して……」

「でも、それは全てを話してからだ。王女様にな」

「……!」

「自分で勝手に罰を決めちゃいけないよ」

 そう言いながらエマはルシーナの腕を捻って短刀を取り上げた。


「他にもありそうだな」

 そう言うと、エマはルシーナの胸元に遠慮なく手を突っ込んでまさぐり始めた。

「な、何を……!」

 顔を赤くしてあらがうルシーナ。

 エマがルシーナの胸元から手を出すと、手には小瓶が握られていた。


「これか……」

 エマは片腕でルシーナを押さえながら小瓶をすがめて見た。

「だ、だめ、返して……」

 そう言うルシーナだったが、その声は力なく、抵抗も形ばかりになっていた。


「これはイスカさんに調べてもらおう」

 そう言ってエマは小瓶をポケットにしまった。

「じゃあ、話を聞かせてもらおうか、じっくりとね」

 そう言うと、エマはルシーナの肩に手を載せてベッドに座らせ、自分も隣に座った。


 そして、ルシーナを見るエマの目からは厳しさが消えて、深い理解の色に満ちていった。



 ◇ ◇ ◇



 エマがルシーナと一悶着起こしていた時からしばらく経った頃、既に日も暮れたタルーバ村の林をうごめく怪しい二人の人影があった。

 見たところは男が二人、人目をはばかるようにして林を進んでいる。

 どうやら村長宅の方角へと向かっているようだ。


「おい、こっちでいいのか?」

 小柄でやや小太りの男がヒソヒソ声で言った。

「多分な、俺もよくは知らん」

 痩せてヒョロっとした男が答えた。

「よく知らん、じゃねえよ、ちゃんと調べとけよ!」

「うるせぇ!てめえが自分で調べりゃいいだろうが!」

 二人は隠密行動をしているつもりなのだろうが、ヒソヒソ声が段々と大きくなり、よく澄んだ夜の空気に響いた。


 だが、そんなことはどうでもいいとばかりに、二人は言い合いを続けた。

「とにかく王女のメイドにこの毒を渡しゃいいんだよ」

「で、どこにいるんだよ、そのメイドって?」

「それを探してるんじゃねえか」

「お前、知ってるのか、そのメイドの顔を?」

「知るわけねえだろ!」

 と、誰が聞いても役立たずのポンコツぶりをさらけ出している二人組だった。


「知るわけねえっじゃねえよ!ちったあ頭を使えよ」

 痩せヒョロが言った。

 が、答えが返ってこない。

「おい、黙ってねえで何とか言えよ」

 そう言って痩せヒョロが振り返るとチビ小太りは地べたに座ってしまっている。

「てめえ、なにそんなとこに座ってるんだよ」

 そう言って痩せヒョロが近づこうとすると、チビ小太りのいびきが聞こえてきた。

「え、寝てるのか?」

 そう言って足を踏み出す痩せヒョロの背後に不意に人影が現れた。


「何をやっているの?」

 それは低い女性の声だった。

「ひっ!」

 と、痩せヒョロが声を出した時には既に首元に短剣が当てられていた。

「動いちゃだめよ」

 穏やかだが凄みのある声でその女性は言った。


「マリエさんの言う通りだったわね」

 別の女性の声が後ろの方から聞こえてきた。

「そうね、さすがマリエさんだわ」

 短刀の女性がそう言って、

「さあ、どうするの?」

 と痩せヒョロに聞いてきた。

「す、すみません、なんでも言いますから許してください!」

 と意外な反応をした。


「あら、素直なのね」

 と短刀の女性が腕を緩めた隙に、痩せヒョロは彼女の腕をすり抜け、

「へっ、そう簡単に捕ってたまるかよ、ババアめ!」

 と、憎まれ口をたたいた。


「ん、今なんて言ったのかしら?」

 短刀の女性の声が数段階低くなったことに気づかないのか、

「ババアっつたんだよ!って、こっちもババアじゃねえか!」

 と痩せヒョロは後ろの女性にも言った。

「なんですって?」

 そう言いながら後ろの女性は腕を振った。

 すると痩せヒョロの両手両足が、見えないロープで縛られたかのように動かせなくなってしまった。


「な、なにしやがった、クソバ……ギャアァーーッ!」

 そこまで言うと痩せヒョロは唸り声を上げた。

 短刀の女性が彼の肩を掴んで捻ったのだ。

「とりあえず関節をいくつか外しておくわね」

 極々日常的な会話をするように短刀の女性が言った。

「そうね、どうせ後で絞首刑になるんだし」

 後ろの女性もまるで今夜の夕食の話をしているようだった。

「絞首刑!?ひぃいいーーーー!」


「この男、うるさいから眠らせておいてくれる、レミア?」

「そうするわ。じゃ、こいつを縛っておいて、ラテナ」

 二人の女性はそう言いながら、手際よく侵入者を無力化して縛りあげ、手近な木にくくり付けた。


「私たちの縄張りにズカズカと入ってきて、不届きにもほどがあるわ!」

「まったくだわ!これからはもっと守りを厳重にしなきゃ!」

 こうしてラテナとレミアは、鼻息も荒くサグアス男爵領の警備体制強化を誓い合うのだった。

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