第16話 王女様が心配なリュアンと村長の娘

 それは、ほんの数秒の出来事だった。

 広場にいた人々は目の前で起こったことを一瞬理解できず、広場は不気味なほど静まり返っていた。


「お、王女さ……くっ……!」

 リュアンはダナエに呼びかけようとしたが、地面に叩きつけられた衝撃が思いのほか強かったらしく、言葉が続かず力が尽きたように地面に肩を落とした。


 それを合図にしたかのように広場が騒然となり、

「「「王女様!」」」

 と、近くにいたラテナとレミア、メイドのルシーナが駆け寄ってきた。


「母さん……王じ……」

 リュアンは力を振り絞って何とか声を出そうとした。

「しゃべらなくていいわ、じっとしてなさい、リュアン!」

 ラテナは鋭く言うと、

「レミア、王女様をお部屋に!」

「ええ!」

 と、言ってレミアと二人でダナエをそっと持ち上げ、

「あなたも来てちょうだい!」

 と、ルシーナに指示した。

「は、はい……!」

 ルシーナは真っ青な顔をして頷いた。


(王女様……)

 ラテナとレミアの手で運ばれていくダナエを見送るリュアンの視界がぼやけ始めた。


 ――――リュアン!


 リュアンの意識が薄れていった。


 ――――――――


「目が覚めたか?」

 目を開けたリュアンが見慣れない天井を見ていると、聞き慣れた父の声が聞こえた。

 意識がはっきりしてくると、今自分がどこかの居間でソファに寝ているのだと分かった。


(そうだ……!)


「父さん……王女様は……?」

「母さんたちが診ている」

「そう……」

 そう答えるとリュアンはゆっくりと体を起こした。

「気絶しちゃったんだね、俺」

「そうだ。治癒術師の方に治療していただいたが無理はするなよ」

「うん」


 一体ダナエになにが起こったのか?リュアンはダナエの不調な様子には少し前から気づいていた。

 そう考えれば、自分にも何かできることがあったはずだと思うと悔しくて仕方ない。

(王女様にお会いしないと……)

 まだ痛みは残っていたが、リュアンはゆっくりとベッドから降りた。

「リュアン……」

 ミゲルが気遣うようにリュアンの腕を支える。

「王女様のところに行ってくる……」

 リュアンが立ち上がったところでドアにノックがあった。


「どうぞ」

 ミゲルが答えると、扉を開けてキリアンが入ってきた。

「リュアン」

「キリアンさん……」

「立ち上がっても大丈夫なのかい?」

「ええ……王女様のところに行かないと……」

「もう少し休んでからにしたらどうだ?」

「……行きます」

「そうか……なら俺も一緒に行こう。エマは先に行ってる」

 キリアンとエマのふたりは、もろもろ報告しなけれはならないことがあるということで、リュアンたちよりも後に王都を発って今着いたようだ。


「ここは……?」

 居間を出て階段に向かいながらリュアンがミゲルに聞いた。

「村長の家の離れだそうだ」

「離れ……」

 タルーバ村は王室直轄領だったので、王国の役人が巡察に来ることもあった。

 この離れはその時に役人が休憩や宿泊をするための施設ということだ。


 二階に上がると、廊下の中ほどの扉のそばの壁に寄りかかってエマが立っていた。

「もう大丈夫なのかい、リュアン?」

 静かな声でエマが聞いてきた。

「はい、エマさん」

 軽く会釈をしてリュアンは答え、

「あの……王女様は……」

 と、エマに聞いた。


「私も来たばかりだから詳しくは分からないんだけどね、ラテナさんに頼まれたんだよ、ここに立っていてくれってね」

「母さんに?」

「そ、この部屋は男子禁制だから男どもは絶対に入れないように、てね」

 口調こそキビキビとしていたが、エマの顔にはリュアンの気持ちを察しているような複雑な表情が浮かんでいた。


「でも……」

 リュアンは食い下がった。ダナエの容態が気になって仕方なかったのだ。

「リュアン、俺たちは下で待っていよう」

「うむ、とりあえず今は男の出番は無さそうだ」

 キリアンとミゲルに言われて、しぶしぶリュアンは引き下がった。


 リュアン達は先ほどの居間に戻り待つことにした。

(何かできないのか、王女様のために……!)

 リュアンの頭の中はダナエのことで一杯だった。

 ソファに座り床を一心に見つめて、カタカタと足を小刻みに動かし始めるリュアンを見て、

「リュアン、落ち着きなさい」 

と、ミゲルがたしなめたがリュアンには聞こえていない。

「リュアン!」

 ミゲルは声を荒げてリュアンを呼んだ。


「はっ……!」

 やっと気がついたリュアンが顔を上げた。

「お前の気持ちは分かるが、もう少し落ち着きなさい」

 ミゲルが諭すようにリュアンに言った。

「はい……でも、何かできることはないかと……」

 と言いかけて、リュアンはふと思いついたように立ち上がり、

「王宮に知らせないと!」

 と、言葉が終わらないうちに扉に向かっていった。


「それはもう手配した。うちとタルーバの若いのを一人ずつ向かわせたよ」

 そう言いながらミゲルはリュアンの腕を掴んで引き止めた。

「そ、そしたら……」

 リュアンは目を泳がせながら自分にできることはないか必死に考えた。


「リュアン……」

 そんなリュアンの肩をキリアンが抱えるようにして、ソファに座らせた。

 キリアンの声など聞こえないかのように、リュアンは自分の世界に入り込んでしまっている。


 その時ドアをノックする音がして、一人の少女が居間に入ってきた。

「お茶をお持ちしました」

 少女は静かな声で言うと、居間の中央に進み出た。

「やあ、フィリパちゃん」

 ミゲルが表情を和らげて言った。

「いや、もうフィリパさんと呼ばなきゃ失礼かな、はは……」

 そんなミゲルに落ち着いた様子で微笑みを返しながら、フィリパはティーカップにお茶をいでいった。


「フィリパ……ちゃん?」

 夢想から覚めたようにリュアンがフィリパの名を呼んだ。

「はい、リュアン様」

 ティーポットを手にフィリパがリュアンに視線を向けた。

 切れ長の目に豊かなまつ毛の色白の少女は、その静かな口調と相まって大人の女性の雰囲気を漂わせている。


「ちびっこフィリパちゃん?」

 リュアンは思わず彼女の幼少の頃の呼び名を口にしてしまった。

 フィリパの目が鋭くなる。

「あ……ご、ごめん」

 慌てて姿勢を正して謝るリュアン。


「ええっと……俺に紹介してもらえるかな?」

 微妙な空気を感じ取ったキリアンがすかさず場を取り繕った。

「あ……この子……この人はフィリパち……フィリパさんです、村長さんの娘さんです」

 しどろもどろながら何とかリュアンはフィリパをキリアンに紹介した。


「これはこれは、フィリパ嬢、私はキリアンと申します」

 と、キリアンはまるで社交界でするようなお辞儀をした。

 それを見てフィリパは頬を赤らめながら、スカートの両裾を摘んで、

「フィリパと申します」

 と優雅に挨拶を返した。

 そして、頭を上げる時に横目ででチラリとリュアンに視線を送った。


「……!」

(フィリパちゃんてこんなに大人だったっけ……?)

 リュアンの記憶の中のフィリパは、小さくて大人しくてすぐに泣いてしまう女の子という記憶しかなかった。

(確か俺の二つ下だったっけ……)


 テーブルにティーカップと菓子を並べ終えると、フィリパは挨拶をして退室しようと扉に向かった。

 その時、ふと何かを思いついたリュアンが立ち上がり、

「フィリパちゃん!」

 と呼び止めた。


 扉に手をかけていたフィリパはピタリと動きを止めて、ゆっくりと振り返った。

「はい、リュアン様」

 そう答えるフィリパは真っ直ぐにリュアンを見ている。

「君も王女様のお世話をしてるの?」

 リュアンも真剣そのものの目でフィリパを見ている。

「はい」

「王女様のお加減はどう?」

 一瞬の間があり、フィリパの濃い紫色の瞳の色が揺らめいて濃い灰色になった。

「……王女様は、今は静かにお休みになってらっしゃいます」

「ご病気か何かなのかな?それとも……」

「私は詳しいことは伺っておりません」

「そうか……」 


 そう言ってリュアンはフィリパから視線を外すとソファに座り、

「ありがとう……」

 と呟くように言った。

 フィリパはそのまままの姿勢でしばらくじっとリュアンを見つめていた。

 だが、その後は何も言わずに、扉を開けて居間を後にした。


 そんなふたりをミゲルは優しい目で見ている。

 一方キリアンは、物思わしげに小さなため息をついてリュアンを見ていた。


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