第15話 宴の準備

「あの、母さん……」

 夜陰に乗じて木の陰から陰へと音もなく移動するラテナの後に付き従いながら、リュアンがささやき声で呼びかけた。

「しっ……!」

 木の陰に身を隠しながらラテナが唇に指を当てた。

「やめようよ、こんなこと……」

「何を言ってるの!敵の状況を把握するのは基本でしょ!」

 ラテナが囁き叫びで言った。

「いや、敵って……」

「レミアがどんな料理で王女様をもてなしてるのか知る必要があるのよ!」


 今リュアンとラテナはタルーバ村の林を、敵陣の偵察に向かう斥候せっこうのごとく、木々の間の闇を拾うように進んでいた。

(なんでこんなことに……)

 とリュアンはため息をつかずにはいられなかった。


 男爵夫妻は、リュアンがダナエを連れて帰ってきたので、てっきり彼が婿取りコンペに勝ち抜いたのだと思ったようだ。

 リュアンはリュアンで褒賞のことはごく簡単に伝えただけで、詳しいことは後でゆっくり話せばいいだろうと呑気のんきに構えていた。

 一方ラテナとすれば、王女でありつ息子の未来の妻になるであろうダナエを精一杯もてなそうと頭をフル回転させていたところに、突如レミアが現れて息子の未来の妻であるダナエをいってしまったのだ。


 ダナエがタルーバ村へと向かった後に、改めてリュアンがコンペの褒賞として正式にタルーバ村が新たにサグアス男爵領になると両親に話すと、

「なんでもっと早くそれを言わなかったの!」

 と、凄まじい剣幕でラテナに叱責された。


「今日のところは仕方なく譲ったけど、明日は我がサグアス家が王女様をおもてなしするのよ」

 ラテナがミゲルとリュアンに通告した。

「レミアには絶対に負けないわ!」

 凄まじい気合の入りようである。


 レミアとはタルーバ村長夫人の名だ。

 レミアがダナエを迎えに来た時、何やら不穏な空気を感じたリュアンは、ラテナがいないところで父のミゲルに聞いてみたところ、

「ラテナとレミアは同い年でね、一緒に王立訓練所に通った仲なんだよ。それでお互いをライバルみたいに思ってるところがあるのさ」

 と、教えてくれた。

 学んでいた課程は、ラテナが密偵でレミアは魔術師だったそうだ。

「違う課程なのにライバル?」

 リュアンが聞くと、

「得意な技が似てたんだよ」

 と、ミゲル。


 レミアは魔術師課程にありながら、多くの者が習得を望む攻撃魔法よりも、幻影魔法や索敵魔法、状態異常魔法などの補助魔法を好んで習得し、罠解除魔法などもできたそうだ。

 そしてこれらの補助魔法の多くは密偵課程でも学ぶ。

 訓練課程では各課程の生徒で組むパーティ実習もあるのだが、その場合補助魔法や密偵スキルを持つ者はパーティを下支えする重要な役目を担う。

 というわけでラテナとレミアは、パーティ実習でお互いに得意分野で主導権を握ろうとしてはしょっちゅう喧嘩になっていたのだそうだ。

「まあ、仲が悪いのとは違うがな。あれでもお互いに楽しんでるんだろう」

 というのがミゲルの見解だ。


 そんなことを思い出しながら歩いていたリュアンは、少々注意力が散漫さんまんになってしまっていたらしい。

「リュアン、そのへんの足元には気をつけて」

 というラテナの忠告を、

「あ……うん」

 と、生返事で流しながら踏み出した足が、光を当てられたようにほんのりと明るくなった。

「あれ……?」

 と思ってリュアンは自分の足を見た。

 どうやらそれまでは見えていなかった境界線のようなものを踏み越えてしまったようだ。


「しまった……!」

 ラテナが悔しげな声を漏らす。

「おほほほほほ!かかったわね、ラテナ」

「え?なに、どうしたの?」

 わけがわからないリュアン。

「侵入者探知の結界よ」

 そう言いながらラテナは前方を睨んでいる。

 リュアンも見ていると、一人の女性がこちらに歩いてくるのが見える。


「来るだろうと思ってたわ、ラテナ」

「レミア……!」

「大方、今日の王女様のおもてなしの料理を盗み見ようと目論んでたんだろうけど、そうは問屋がおろさないわよ」

小癪こしゃくな真似を……!」

「そんな、コソコソしないでも教えてあげるのに。まあ、あなたが私にかなうとは思えないけどねぇ」

「そんなこと、やってみなきゃ分からないでしょ!」

「あら、そうかしら?今夜はとっておきの豚を丸焼きにしてお出ししたのよ」

「ぶ、豚の丸焼き……!」

 ラテナの声には明らかな敗北感が感じられた。

「まあ、せいぜいがんばることね、おほほほ!」

 レミアは高らかな笑い声の尾を引きながら戻って行った。


(一体なんだったんだろう……?)

 ラテナとレミアの芝居じみたやりとりをじっと見ていたリュアンは、呆気にとられて何も言えなかった。


「リュアン!」

「は、はい!」

「明日は夜明けと同時に起きて狩りに行きなさい」

「狩りに!?」

「それで、立派なイノブタを狩ってくるのよ」

「イノブタ!?い、いや、いきなりそんなこと言ったって、そう簡単には……」

「つべこべ言わない!」

「はい!」

 こうして、ラテナとリュアンのタルーバ村偵察作戦は失敗に終わった。


 翌朝、リュアンはミゲルと共にイノブタを狩るべく夜明けと同時に森へと向かった。

「イノブタなんて狩れるかなぁ……」

 出だしから自信なさげにリュアンがこぼすと、

「まあ、イノブタは無理でもウサギくらいなら狩れるだろうよ」

 ミゲルが鷹揚おうように言った。


 そもそも二人でイノブタを狩ろうとすること自体が無謀だ。

 もっと大人数で獲物を追い込み、仕留めるには槍を使う。今リュアン達が持っている短弓たんきゅうではとても厚いイノブタの皮は貫けない。


「あまり時間も掛けられないしね」

「そうだな」


 今日は昼に、タルーバ村のサグアス男爵領への編入の簡単な式典と、その後の宴をタルーバ村の広場で催す予定になっている。

 なので狩りに費やせる時間は二、三時間といったところだ。

 結局イノブタは狩れなかったものの、そこそこ大きなウサギを二羽と、よく肥えたウズラを三羽捕らえることができた。

「すっごい獲れたね!」

「これならラテナも文句ないだろう」


 リュアンとミゲルが獲物を抱えてタルーバ村の広場に行くと、ラテナとレミアがよく通る声で競うように指示を叫び合っていた。

「なんか、戦場みたいだね……」

「まったくだ……」

 リュアンとミゲルが近づくのを躊躇してると、

「やあ、いい狩りができたみたいだな」

 と、タルーバ村長のサドックが声をかけてきた。

「これは、サドックさん」

 とミゲルが笑顔で挨拶した。


 タルーバ村長サドックは穏やかな人柄でミゲルとも似た者同士、長年の釣り仲間でもある。

「今日は昨日釣り上げたますも出そうと思ってな」

「それはいいですね、楽しみだ」

 二人の話が長くなりそうなので、リュアンは獲物を一人で持ってラテナのところに行った。

「母さん、イノブタは獲れなかったけど……」

 というリュアンと獲物に一瞥いちべつをくれると、

「仕方ないわね、じゃ、それをすぐにさばいてちょうだい」

 と言うとラテナは鍋の様子を見ている女性に、

「煮えてきたら味を見てね」

 と指示をした。


 ウサギとウズラを捌きながらリュアンは、

(王女様の体調は大丈夫かな……)

 と、広場の向こう側の村長宅を見た。

 彼女の体調を心配する国王に、

「ええ、なんだが今日は調子がいいの、大丈夫よ、お父様」

 と、笑顔で答えてはいたが、やはり心配であることに変わりはない。


 やがて昼になり宴の準備もほぼ整った頃、ダナエが村長宅から出てきた。

 集まったタルーバ村民とサグアス領民の歓声と拍手に迎えられ、ダナエは笑顔で手を振って応えながら、即席の演壇に登った。


「私はアルビオン王国王女ダナエです」

 皆が静まったのを待ってダナエが始めた。


「ここタルーバ村は長く王室直轄領でしたが、今日からはサグアス男爵領となります。

 これまで皆さんが豊かで幸福な暮らしを送ることができていたのか、王室の一員としてはとても気にかかるところではあります。

 ですが、今日からはサグアス男爵のもと、これまでと同様、いいえ、これまで以上に豊かで幸福な暮らしを皆様が送れるものと……私は心から信じております……」


 ダナエはここで一呼吸置いた。


「……そしてこの新たな繋がりが……タルーバ村と……サグアス領の双……方の……」

 ダナエの話が途切れがちにってきた。

(王女様……?)

 演台の横に立っていたリュアンは壇上のダナエを見た。


 と同時に、ダナエは目を閉じてまっすぐ前に倒れ始めた。


 リュアンは考えるより先に飛び上がって空中でダナエを抱き留めた。


(王女様を上に!)


 リュアンは体をひねり、自分の背を地面に向けて落下した。

 

 ドサッ!


 リュアンはダナエの身体が地につかないように、彼女を腕で包み込むようにして背中で着地した。


(ぐっ……!)


 自身の胸ほどの高さから地面に叩きつけられた衝撃が上半身を襲う。


(王女様……?)

 気を失ってしまいそうなほどの激痛に耐えながら、リュアンはダナエを見ようとしたが彼女の顔は彼の顔の真横で見えなかった。

「王女様……?」

 リュアンが呼びかけるとダナエは小さく身じろぎしてリュアンを横から見た。

 そして、


「……リュアン……」


 とダナエは、すぐ横にいないと聞こえないほどの小さな声でリュアンの名を呼ぶと、再び目を閉じてリュアンの肩に頭を預けた。

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