第32話 ダナエとフィリパ

「そう、だったの……」

 ダナエは沈痛な面持ちで呟いた。

「それで、あなたも薬を飲んだのね?」

「……はい」

 ダナエの言葉に答えるルシーナは、椅子に腰掛けて縮こまってうなだれている


 ダナエは、イルニエの魔術によって効果を増幅させたラベンダーの香りと精油のおかげで、二日ほどでベッドから出て離れの屋敷の中なら不自由なく歩けるまでに回復していた。

 そして今は、エマに連れられて部屋に入ってきたルシーナから衝撃的な事実を聞かされていた。


 ルシーナは婿取りコンペが始まる少し前からダナエの飲み物に、薬を混入させていた。

 その薬は、精神的に不安定な状態で摂取すると体力が落ちて健康が損なわれる作用がある。

 そしてその薬をルシーナも飲んでいたのだった。

 家族のためだとはいえ、心から慕い仕えているダナエに毒ともいえる薬を盛るのだ。

 せめて自分も同じ目にと考えていたようだ。

 今はルシーナの体調不良もラベンダーの香りと精油で回復していた。


「この後、ルシーナは私が王都に連れていきます。改めて取り調べをしなければいけませんので」

 ルシーナの隣に座っているエマが言った。


「ルシーナ」

 しばらく無言でいたダナエが落ち着いた声で言った。

「……はい」

 答えるルシーナの声は消え入りそうだ。

「許さないわ」

「……」

 ダナエの口調は厳しい。

「あなた、死のうとしたらしいわね」

「……!」

 ダナエの言葉にルシーナがピクリと反応する。

「そんなこと、絶対に許さない。あなたは私の大事な友達なんだから」

「!」

 ダナエの言葉に、ルシーナはハッとしたように顔を上げた。


「ばか!ばかルシーナ!」

 そう言いながらダナエはルシーナに歩み寄って彼女を抱きしめた。

「なんで……なんで話してくれなかったの?」

 くぐもった声でダナエが言った。

「困ったことがあったなら私に話してよ!」 

 ルシーナを抱きしめるダナエの目から涙が溢れてきた。

「だ……ダナエ、様……」

 ルシーナは遠慮がちにダナエの腰に腕を回した。

「申し訳、ありません……」

 そう言うとルシーナは声を出して泣き始めた。


「私もルシーナと一緒に王都に戻るわ」

 ルシーナに腕を回しながらダナエが決然と、絶対反論は許さないという表情で言った。

「でも、ダナエ様はまだお体が」

 エマが心配そうに言った。

「大丈夫よ、スウェンとイスカがいてくれるし、それに……」

「私もいるしね♡」

 といつの間にか部屋に入ってきていたイルニエが言った。

「は、はい、お願いします」

 突然のイルニエの登場に驚きながらもダナエは卒なく言った。



 ――――――――



(話、長いな……)

 ダナエが休む部屋にエマとルシーナが入ってから随分と時間が経った。

 リュアンは居間の長椅子に座ってイライラしながら待っていた。

 居間にはリュアンとラテナ、レミア、フィリパ、そしてゾーラが同じように長椅子やスツールに腰掛けていた。


 そこへ、ダナエとルシーナ、エマ、イルニエが二階から降りてきた。

 居間に入ってくるなりダナエは、

「私、今から王都に戻るわ」

 と、皆の前で高らかに宣言した。

「「「「え?」」」」

 その場にいる者達は驚きの声を上げ、リュアンなどはなかば立ち上がってしまった。


「でも、王女様、お体は大丈夫なのですか?」

 ラテナが心配そうな表情で聞いた。

「ええ、大丈夫よ」

「ゆっくりお休みになってからになさったほうが……」

 レミアも娘を心配する母親の顔になっている。

「グスグスしてられない、いえ、していたくないの」

 そう言ってダナエは傍らのルシーナを見た。

「確かにルシーナは良くないことをしたわ」

「……」

 ルシーナが肩をすぼめて縮こまった。


「でもね、ルシーナの家族はめられたのよ、悪いやつにね!私はそいつを自分の手で懲らしめてやりたいの。ゴロッツだったわよね、ルシーナ?」

 鼻息荒くダナエが言った。

「はい、両親からはそう聞いてます……」

「ゴロッツのクソジジイは私がとっ捕まえてギタンギタンにしてやらないと気がすまないのよ!」

 そう言ってダナエは瞳に炎を宿し、拳を握りしめた。


「でも今頃は諜報部の人が捕まえているのでは……」

 と、リュアンがボソリと言った。

「何ですって?」

 すかさずダナエがリュアンに鋭い視線を飛ばした。

「あ、い、いえキリアンさんが、ここを出る前にそんなことを……」

 ダナエに睨まれて尻すぼみになるリュアン。

「キリアンが?そうなのエマ?」

 ダナエがエマに聞くと、

「その時はキリアンの推測だったと思いますけど、多分そうなっていると思います」

 エマが淀みなく答えた。

「そう……あなたが言うなら間違いないわね」

 ダナエのエマに対する信頼は絶大のようだ。


「それじゃ、リュアン」

「はい」

「あなたも王都に一緒に来なさい」

「は……はい?」

「嫌なの?」

「い、いえ、と、とんでもありません、ただ……」

「ただ、何よ」

「俺……わ、私が行っても、何の役にも立たないと思うので……」

「役に立つとかどうでもいいの」

「え?」

「あなたには婿入りコンペの最終候補者としての義務があるのよ」

「ぎ、義務、ですか!?」


 リュアンの中では、婿入りコンペは既に終わったものだったので、ダナエの唐突な言葉にリュアンは虚を突かれたようになってしまった。

(義務って、具体的にはどういうことなんだろう……?)

 といぶかしく思うリュアンだったが、なぜかそれをダナエに聞く勇気が出てこなかった。


「分かったわね、リュアン」

 ダナエの言葉にリュアンが答えようとしたところ、

「お待ち下さい!」

 居間の隅に座っていたフィリパが立ち上がって言った。

「フィリパ!」

 レミアが厳しい口調でフィリパをいさめた。

「いいのよ」 

 ダナエは手を挙げてレミアを制した。


「何かしら、フィリパ?」

「あの、わ、私も王都にご一緒させてください!」

 フィリパは両手を胸の前で握りしめてダナエを見つめている。

 その様子から、彼女が最大限勇気を振り絞っているのが分かる。

「理由を聞かせてもらえる?」

「理由は……」

「理由は?」

「私がリュアン様の幼馴染みだからです!」

 フィリパが思い切って答えた。


「「え?」」

 ダナエとリュアンの声が重なった。

(フィリパと俺が、幼馴染み……?)

「て、なんであなたが『え?』なのよ!」

 ダナエは腰に両手を当ててリュアンを睨みつけた。

「えっと、それは……」

(幼馴染みってほど仲良かったかなぁ……たまに顔を合わせるくらいだったと思うけど……)

 などとリュアンが記憶をたどっていると、

「どうなの、リュアン?」 

 ダナエが畳み掛けてきた。


「その……フィリパとは、幼馴染みというほど親しくはなかったと思うのですが……」

 とリュアンが言ったところ、

「リュアン様、ひどい……」

 と、フィリパは顔を両手を覆ってシクシクと泣き出してしまった。

「え、ええーー?」

 突然のことにリュアンはどうしていいかわからずオロオロするばかりだった。

「どうするの、リュアン?」

 ダナエの声には心なしか棘があったが、リュアンにはそれに気づく余裕がなかった。


「どうする、と言われても王女様のお許し……」

「あなたが決めなさい!」

「は、はい!フィリパも一緒に……!」

 リュアンは、ダナエの厳しい声に反射的に答えてしまった。

「仕方ないわね」

 そう言いながらダナエは小さくため息をついた。

 ダナエは気づいていた。リュアンの答えにフィリパの口のが僅かに上がったことに。

「やるわね」

 ダナエは涙顔なみだがおを上げたフィリパを見てニヤリと笑った。

 フィリパはそれに応えるように小さく微笑んだ。


 ダナエとフィリパの間に、目に見えない何らかの意思の疎通なり同意らしきものが交わされたようだったが、リュアンにはそれが何なのかさっぱり分からなかった。


「それじゃ、王都へ出発よ!」

 ダナエの勇ましい声が居間に響き渡った。


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