第31話 陰謀の破綻

「国境の館が襲撃されただと!?」


 とある屋敷の一室、ソファにふんぞり返って執事らしき男の報告を聞いていた男が、飛び上がらんばかりに驚いて執事を怒鳴りつけた。

「は、はい、ゴロッツ様……」

 執事は痩せて小さい体をより一層縮めて、蚊の鳴くような声で言った。

「一体どこのどいつだ、そんなふざけた真似をするやつは!」

「き、聞いたところでは、王国諜報部とのことです……」

「王国諜報部……!」

 ダナエ王女が快方に向かっていると聞いたばかりのところへこの知らせだ。

 真っ赤だったゴロッツの太ってたるんだ顔が真っ青になった。

 


「王国諜報部、ですか……」

 壁際に目立たないように立っていた痩せぎすな男がボソッと言った。

「ムスタ殿」

 ゴロッツが助けを求めるような顔で男の名を呼んだ。

「こ、これから、どうするのだ?」

「そろそろ潮時ですかねぇ」

 ムスタと呼ばれた男がわざとらしい困惑顔で言った。

「潮時?どういうことだ!」

「私は手を引く、ということです」

「ここまできて何を言っているのだ!」

「こちらも商売なのでね」

 そう言うとムスタは扉の方へ歩き始めた。

「待て!」

 ゴロッツが立ち上がってムスタを止めようとした時、部屋の反対側で何かが落ちる音がした。

 ゴロッツと執事が一瞬そちらに気を取られて、再び視線を戻した時にはムスタは煙のように消え去っていた。


「くそ、なんてことだ!」

 ゴロッツはドサッとソファに座り込んで頭を抱えた。

「こんなはずでは……」

 ゴロッツは後悔とともに自身の野望と企みを思い返した――――


 ゴロッツ公爵は王国内でも一二を争う有力貴族で、貴族院では王党派に対抗する反王党派勢力の旗頭はたがしらになっている。

 彼は兼ねてから現王室に取って代わろうという野望を抱いていた。

 そのための多数派工作にも余念がなかった。


 現アルビオン王の子はダナエ王女のみだ。

 となれば次期王位はダナエが女王として即位することになる。

 だが、貴族院内には女性の王に否定的な立場をとる者もいる。

 ゴロッツ自身は王が女であろうと一向に構わないと考えていたが、この貴族院内の空気を利用しない手はないと考えた。


 そんな折、ムスタと名乗る東の商人が訪ねてきた。

 ゴロッツは広大な領地から生まれる生産物を東のガレアス帝国に輸出して多くの富を得ていた。

 そのため東の商人の来訪にも取り立てて不信は抱かずに話を聞くようになった。


 ムスタが言うには、目下ガレアス帝国は新しい産業のための若い人材を求めている。そのために自分はアルビオン王国内の若者、できれば将来を見据えてまだ幼い子供を集めたいので協力してほしい、もちろん報酬は支払う、と申し出てきた。

 ゴロッツも最初は怪しんだ。ガレアス帝国は奴隷取引が許されているからだ。

 ゴロッツがそこを指摘すると、

「奴隷は犯罪者や戦争捕虜に限られているから心配ない」

 とムスタは安心させるように言った。

 その時のゴロッツは知らなかったが実際のところガレアス帝国では、治安を乱し犯罪者となる恐れがある浮浪児という名目で、さらってきた子供が奴隷として取引きされているという実態があり、帝国政府も見て見ぬふりをしているという。


 それでも、まだ踏ん切りがつかないゴロッツにムスタはひとつの計画を示唆した。

「現王位継承者のダナエ王女の健康に不安がある、王位を継ぐ者として相応しいのだろうか、という事態が持ち上がったとしたら、どうですかね?」

 と言うのだ。

 これがゴロッツの気持ちを動かした。

「ダナエ王女の健康不安……だと?」

 この時のダナエは十五歳になって数ヶ月、縁談もいくつかあったが、かんばしい結果は得られなかった。

 そのせいか近頃の王女は不機嫌で始終イライラしている、という噂も聞く。


「私は薬の商いもしてまして」

 と、ムスタは一つの薬を取り出した。

「なんだ、それは?」

 不審そうにゴロッツが聞いた。

「不安定な精神を鎮める効果がある薬です、ただ……」

「ただ?」

「効き始めるのに時間がかかるうえに、かなりの体力を消耗するのです」

「ど、毒ではないのか?」

「薬というのは使い方を間違えれば毒になるものですよ」

「いや、しかし……」

「この薬でダナエ王女の健康がすぐれなくなり、彼女が王位継承者として不適格なのではないか、となれば……」


 これは王位を狙っているゴロッツの心を的確に突いてきた。

 冷静に考えれば、現国王はまだ四十歳を過ぎたばかりで壮健だ。

 ダナエ王女の一時的な健康不安でそう簡単に王位が揺らぐとは考えにくい。

 だが、野望を抱くゴロッツにはそこまでの思慮がなかった。


 王女付きのメイドを引き入れれば、とのムスタの言葉に、タンドール男爵のことがゴロッツの頭に浮かんだ。

(確か奴の娘が王女のメイドだったか……)

 しかもタンドール男爵領は害虫と作物の病気で困窮しているとも聞いていた。

「そらなら投資の話を持ちかければ」

 と、ムスタが計画というよりは、企みという言い方が相応しい提案をしてきた。


 タンドール男爵ににせの投資話を持ちかけて、多額の融資をする。

 始めのうちは投資は順調に進んでいるように見せておく。その後、投資は失敗に終わったと告げ、投資資金が奴隷取引に流用されていたと話す。

 タンドールには返せるはずもない多額の借金が残り、しかも奴隷取引という犯罪に加担したと思わせる。

 その、借金のかたに三人の子供を人質にして、王女付きのメイドに薬を盛らせる。


 完全に犯罪なのだが、次期国王になった自分の姿しか既に頭に無いゴロッツには、もう冷静な判断力というものが無くなっていた。

 東の国境の館に集めた子供たちは見かけ上は合法的に取引し、得た利益を貴族院内に配って支持を集める。

 王位に就くのも時間の問題と思い込み、つい昨日まではほくそ笑んでいたゴロッツだった――――



 ムスタが去りゴロッツが頭を抱えているところに、扉をノックする音がした。

 ゴロッツが反応しないので執事が扉を開けた。

「お、お客様、です」

 そう言った使用人の声は明らかに震えていた。


「客……誰だ?」

 頭を抱えたままでゴロッツが答えた。

「こ、国王陛下からの召喚状を持った方です」

「召喚状だと!?」

 ゴロッツはガバっと頭を上げ目を見開いて使用人を怒鳴りつけたが、すぐに落ち着いた顔になった。


「ルシウスだな……あの成り上がり者め……!」

 舌打ちをしながら言うゴロッツにはどこか諦めにも似た表情があった。

 すると、ゴロッツの答えを待たず、使用人の脇をすり抜けてルシウスが部屋に入ってきた。

「どうも、ゴロッツ公爵。成り上がり者の諜報部長ルシウスです」

 ルシウスがしれっとした様子で言った。


「国王陛下の命によりあなたを召喚に参りました」

 そう言いながらルシウスは、国王の印璽が押された召喚状を開いてゴロッツに示した。

「基本的には任意同行という形ですが、拒否されるとなると……」

「とっとと連れて行け」

 ゴロッツはルシウスに最後まで言わせずに立ち上がった。


「ご協力、痛み入ります」

 そう言って丁寧に礼をすると、ルシウスは振り返って部下に指示をした。

 ゴロッツは手枷はされずに、諜報員に両脇を固められて部屋を出ていった。

「あなたたちにも事情を聞きたいから王宮に来るように。任意だけど逃げないほうがいいと思うよ」

 ルシウスは執事と使用人にそう言った。


 諜報員に付き添われて執事と使用人が部屋から出ていくのを見ながら、

「……っし、これで一見落着、かな……」

 と、ボソッと言いながらルシウスは軽く息をついて、自らも部屋を出た。


 ――――――――


 ゴロッツ公爵達が屋敷から出て馬車に乗せられていく様子を遠巻きに見ている男がいる。

 先ほどまでゴロッツの屋敷にいた東の商人ムスタだ。


「思ってたよりやるじゃないか、アルビオン諜報部も……」

 囁くような声でムスタが独り言を言った。

「局長、この後はどうしますか?」 

 いつの間にかムスタの背後に立っていた男が呟いた。 

 そのことに驚く様子もなくムスタは答えた。

「ここを見届けたら一旦戻る。皇帝陛下にもご報告しなければならないからな」

「はっ」

 男は短く答えムスタの背後に身を隠した。


 ムスタはそのまましばらくゴロッツ公爵家の門前を見ていた。

 公爵を乗せた馬車が出た後に門から数人の男が出てきた。王国諜報部の者達だ。

 すると、ムスタは用心深く木の陰に身を隠した。

 細身でやや長身の男がこちらに注意を向ける気配を察したからだ。


(あいつが……)

 ムスタは一瞬迷ったが、ここで危険を冒すのは無駄だと判断した。

 部下を見ながら親指で後ろを指すと、素早くその場を立ち去った。



 一方のルシウスは、

(……?)

 何かを感じて、というよりは感じていたものが消えたのに気が付いて視線を動かした。

(ちっ……誰かに見られてたな)

 ルシウスは心のなかで舌打ちをした。どうらやかなりの手練てだれのようだ。


「部長?」

 ルシウスの鋭い雰囲気に気が付いた諜報員が声をかけてきた。

「……ああ、何でもない」

「はい」

 諜報員はそれ以上は聞いてこなかった。


(また面倒な仕事が増えそうだなぁ……)


 そんなことを思いながら、ルシウスは部下が引いてきた馬に飛び乗り王宮へと向かった。



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