第4話 人魚だと思ったら……!

「あれが人魚、なのか……?」

 カイルの声は驚きのためかかすれていた。

「人魚……」

 そう呟くように言った時は既にリュアンは一歩前に踏み出していた。

 彼の視線は人魚に釘付けになっている。

「――アン、リュアン!」

 カイルが鋭くリュアンの名を呼んで彼の肩を掴んだ。

「……!」

 リュアンはハッと我に返って歩みを止めた。


「気持ちをしっかり持て!」

「は、はい!」

(ヤバいヤバい……)

 リュアンはゆっくりと気持ちを落ち着けるように深呼吸をし、

「二人を起こしてきます」

 と言って足音を立てないようにして後ろに下がり、毛布にくるまっているレナートとユリエンを揺り起こした。


「……ん?」

 レナートはパッと目を覚まして半身を起こした。

 リュアンは口に立てた人差し指を当ててから、湖の方を指差した。

 それを見てレナートは小さく頷いてゆっくりと立ち上がった。

「んんーー……」

 眠そうにむっくりと起き上がったユリエンにもリュアンは同じような仕草で状況を伝えた。


 リュアンは寝ぼけまなこのユリエンの手を取って湖岸に引っ張っていった。

「あれが人魚ですか……?」

 レナートが声をひそめてカイルに聞いている。

「と、思う」

「え、人魚?」

 ユリエンが普段の話し声で言った。

「しっ!」

 リュアンが言うとユリエンは両手で自分の口を覆った。


 人魚らしきものは大岩に寄り添うように水面から顔を出している。

 こちらを見るその目は大きく、月明かりの中で見る限り瞳は黒かそれに近い濃い色のようだ。

「綺麗だねぇーー……」

 ユリエンはそう囁くように言いながら湖に向かってゆっくりと歩いていく。

「ユリエン君……!」

 リュアンはユリエンの手を掴んで彼を引き止めた。


 確かに今彼らが見ている水面から顔を出しているその人魚らしきものは美しい女性のように見える。

 事実リュアンも最初に見たときはその美しさに見惚みとれてしまった。

 だが今改めて見ると、その美しさを見たままに受け取るのが何故だが恐ろしく感じられてきた。


「どう思う、レナート」

「なんだが背筋がゾッとする気がします」

 カイルの言葉にレナートが答えた。

「だよな……綺麗っちゃ綺麗なんだがな」

(やっぱりカイルさん達も……)

 そう思いながらリュアンが二人を見ていると、ユリエンがリュアンの手から離れて人魚に向かって湖の中に足を踏み入れた。

「おい、ユリエン!」

「だめですよ!」

 カイルとレナートが警戒の声を上げ、リュアンはユリエンの手を掴もうと彼の後を追った。


 すると人魚は水面を尾で叩くと飛び上がるようにして大岩の上に乗り上がった。

 それまで水中にあって見えなかった、人魚の肩から下が月明かりに照らされて露わになる。

 その体型は人間の女性のようで、胸から下は鱗に覆われている。

 月明かりを反射する鱗は、人魚の動きによって様々な色に変化して見える。


「本当に綺麗だねーー……」

 完全に人魚の魅力に取り憑かれてしまったのか、ユリエンはリュアンの手を振りほどこうとしながら、バシャバシャと湖の中へ人魚がいる大岩へと進んでいった。

「だめだ、ユリエン君!」

 必死に止めるリュアン。


 その時、

「見ろ!」

 とカイルが大きな声を出した。

 ユリエンを止めることに必死になっていたリュアンが人魚を見ると、人魚の目が異様な色に、気味が悪いほどの赤色に輝いていた。

 そして閉じていた口は線を引いたように横に広がっていき、両耳のあたりまで裂けていった。


『キィイイイイーーーー!』


 大きく裂けた人魚の口が甲高く背筋が凍るような叫び声を発した。

 その奇声に合わせるかのように尾の先が水面から現れた。

「あれは……あの尾は」

「魚じゃない……?」

 現れたその尾は、本来の人魚なら魚の尾鰭おびれであるはずだ。

 だが今彼らの目に映っているのは、明らかに蛇のそれであった。

「あれは人魚じゃない、ラミアです!」

 レナートの言葉に青ざめるカイルとリュアン。

 だが、

「綺麗だねーー綺麗だねーー」

 と、ユリエンだけは魅入られたようにラミアに手を伸ばして近づこうとしている。


『キィイイイイーーーー!』


「ヤバい、逃げるぞ!」

「はい!」

 カイルとレナートもユリエンを掴んでリュアンとともに岸へと引っ張っていった。


 ラミアは湖面を滑るように迫ってきた。

「湖から出れば……」

 そう口にしながらリュアンが振り返ってみるとラミアは水際を過ぎても追ってきた。

「くそ!あいつ陸の上でも進めるのかよ!」

 カイルは悪態をつきながら腰に下げた木剣を抜いた。


「レナート、ふたりを連れて先に逃げるんだ!」

 と言うカイルの言葉に、

「私も手伝います!」

 レナートはそう言うと、

「リュアン君はユリエン君と一緒に下がっていてください!」

 とリュアンに声を掛け、カイルと並んで立った。

「はい!」

 リュアンは未だラミアに近寄ろうとするユリエンの手を引っ張って後ろに下がった。


「レナート、お前……」

「まだ大した魔術は使えませんが、カイルさんの援護くらいならできると思います」

「そうか、頼む」

 カイルとレナートは顔を見合わせて笑顔を交わすとラミアに対峙した。


『キィイイイイーーーー!』


 陸上では水上の時ほど速くは動けないらしいラミアが、奇声を発しながらズリズリと近寄ってくる。

 前に伸ばしている手の先には鋭い爪が見える。

「爪には気をつけて!」

「だな!」

「動きを止めます――風よ!」

 そう言ってレナートは両掌りょうてのひらをラミアに向かって突き出した。


 するとラミアは見えない壁にぶつかったように止まってしまった。

『ギギィーー?』

 ラミアはレナートが出した見えない風の壁を鋭い爪で破ろうとするかのように虚空を引っ掻いている。


「今です!」

「しゃあーー!」

 カイルが剣を構えて一気にラミアとの間合いを詰めた。

 その動きに合わせてレナートがラミアを足止めしていた風魔術を解くと、風の壁が消えたことによりラミアが体勢を崩す。


 バシィーーッ!


 カイルの木剣の強烈な横薙よこなぎがラミアの横腹に食い込む。


『ギィアアアアーーーー!』

 ラミアの悲鳴が夜の湖岸に響き渡る。


「風よ!」

 すかさずレナートが風魔術をラミアに見舞うと、カイルの一撃のダメージで弱体化したラミアは湖へと押し返されていった。


「よし、逃げるぞ!」

 カイルが鋭く叫んだ。

「「はい!」」

 レナートとリュアンが答え、未だ夢見心地な様子のユリエンの手を引きながら湖から退却した。


 対岸の方からも声が上がるのがリュアンにも聞こえてきた。

「向こうにも出たみたいだな」

 カイルが走りながら言った。

「行ってみましょう」

 レナートがそう言って対岸の方へ向かおうとしたところに馬が走る音が聞こえてきた。


「君達、何かあったのか!?」

 昼間に森の入り口であった警備隊員が手綱を引きながら馬上から声をかけてきた。

 ラミアの奇声を聞いて駆けつけてくれたのだろう。夜は遠くまで音が通る。


「はい、ラミアのような魔物が出ましたが、なんとか逃げることができました」

 レナートが理路整然と報告した。

「ラミアだと!?」

 月明かりでも警備隊員の顔が青ざめるのがわかった。

「顔が女で体が蛇の化け物です」

 カイルが言ったところで別の二頭の馬がやってきた。


「隊長、対岸の方でも何か出たみたいです。副隊長他二名が向かいました」

 そう言ったところからすると、先に来たのは隊長のようだ。

「そうか……どうやらこっちに出たのはラミアらしい」

「「ラミア!?」」

「ああ、恐らく対岸に出たのもそうだろう」


 そう言いながら隊長はカイルを見た。

「君達の馬は?」

「ここから少し戻ったところの岸辺の木に繋いであります」

「湖岸近くに大岩がある辺りです」

「ラミアはそこで出ました」

「そうか……」

 カイル達の答えを聞いて隊長は少しの間考えをまとめるように顎に手を当てた。


「今から森を抜けて帰るのは危険だ。我々が君達の馬を取りに行くからここで待っていなさい。ここで野営をして夜明けに戻るとしよう」

 そう言って隊長は二人の隊員に手短に指示を出した。

 隊員は小さく敬礼をしてリュアン達が馬を繋いである場所へと向かった。


「とりあえずは助かったな」

 そう言ってカイルはその場にドサッと座り込んだ。

「カイルさんは強いですね、木剣であの威力はさすがです」

 レナートも座り込みながら言った。

「レナートさんの魔術もすごかったです」

 まだボーッとしているユリエンを支えて座りながらリュアンが言った。


 カイルもレナートも今はまだ王立訓練所で訓練中の身だ。

 それでも魔物と闘える力を身に着けているのを見てリュアン思うのだった。


(やっぱ俺も入りたいなぁ……王立訓練所に)


 リュアンはカイル達に気づかれないように小さくため息をついた。

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